今年もよろしくお願いします。
14話 初めての場所へ①
「エレボニア帝国、クロイツェン州の州都バリアハート。それが、俺たちが最初につく場所だな」
「はい」
窓の向こうの景色は、青々として澄み渡っている。まだ空の情景になれてない少年にとって、気分を前向きにさせるようで気持ちの焦点を失わせる。カイトは大先輩であるジンの説明を聞きながらも、どこか夢現とした表情でその不思議な風景を眺めていた。
今頃、エステルたちはロレントで調査を行っているのだろうか。ゼムリア大陸という尺度で眺めてみれば、リベール王国はちっぽけな存在だ。自分がリベールの国境を越えようとしている一方で、近くの一地方で数アージュ先も見えない霧に包まれているとはとても想像できなかった。
「それにしても、私もエレボニアに行くのは初めてです。これは頑張らないとね、カイト君!」
カイトの隣には、旅のための荷物を鞄に詰め、太刀を携えたアネラスがいた。彼女はいつもと変わらずに笑顔でいて、愛用のかわいらしいリボンがよく似合っている。
『不動』の二つ名を持つA級遊撃士ジン。正遊撃士になりたてのE級遊撃士アネラス。そして現在6級の新米準遊撃士カイト。これがカシウスより指名された、依頼『帝国遊撃士協会支部連続襲撃事件の再調査』の布陣だった。
「比較的即席のパーティーだが、しばらくの間一緒に事件を調査していくことになる。よろしくな、二人とも」
「よろしくです!」
「お願いします」
ジンは朗らかに笑うと、再び予備知識を二人に叩き込んでいく。
「向こうの協会支部についたらまた詳しく聞かされるだろうが、事件の経緯を確認していくぞ」
カシウスより大まかに説明された事件の概要はこうだった。
帝国遊撃士協会支部連続襲撃事件。突如として帝国各地に存在する遊撃士協会支部が猟兵団により相次いで襲撃を受け、現地の遊撃士や応援要請を受けたカシウスが解決に導いた事件である。
その襲撃した猟兵団は、ジェスター猟兵団。猟兵団とはミラを代化に依頼された任務を達成する傭兵の中でも、特に練度の高い一団を指す。彼らは危険な任務をはじめ、それが犯罪などの非合法なものであっても依頼の範疇であるため、民間人の保護を第一とする遊撃士とはしばしば対立することも多い。
一区切り終えたところで、アネラスが問う。
「それでも、今回みたいに突然襲ってくるケースなんて珍しいですね」
「珍しいどころか考えられん程だな。お互いの流儀がある以上、下手をしたら全面戦争になりかねない。……まあ、今回は比較的下位の猟兵団だったみたいだな」
まずカシウスは各支部の被害状況を把握し、各地へ分散した遊撃士を再度適材適所に割り当てた。次に猟兵団の諜報活動を防ぐべく導力通信を閉鎖。猟兵団の物資補給地を行動パターンより分析し、順次抵抗勢力を無力化していった。その後は、しばらくの間膠着状態が続いた。
次に口を開いたのは、新米であるカイト。
「その話を聞くと、軍の対応が遅いな。……襲撃なんて言う一大事なら、カシウスさんが到着する前に手を打ってもいいはずなのに」
「帝国における軍と遊撃士協会の関係はリベールのそれより悪いものだからな。カシウスの旦那曰く、帝国軍の諜報部隊はある程度活発的に動いていたらしい。……まあ、そこのところも詳しく現地の遊撃士に聞いておくべきだな」
膠着状態を打開したのはカシウスの考え込まれた作戦だった。その動いていた諜報員とカシウスが接触するという情報をあえて猟兵団に流すことで、要注意人物である自分を暗殺させようとした。そこを反撃に出る作戦は見事に成功し、ジェスター猟兵団は完全に解体された。
「……というのが、前提として分かっている情報だ。いくらリベールが国内で猟兵団を運用することを禁止しているといっても、結社なんて組織が裏社会を練り歩いているこの状況。いつ同じ被害が降りかかるとも分からない。
有事の時に適切に対処し王国軍とも連携を取れるよう、俺たち遊撃士が直接現地の出来事をグランセル支部へ持ち帰る。それが、この依頼の趣旨だ。……カシウスの旦那も、もうあまりほいほいと外国には行けないからなあ」
一通りの情報を遊撃士手帳にまとめつつ、その内容を反復する。先輩方がいるとはいえ、まだ遊撃士になって日の浅いカイトには荷が重い調査に思える。それでも少年は、何とか話について行く。
「……よし、到着予定時間まで残り三十分だ。時間になったら降りたところでもう一度集合するぞ。それまでは、自由時間だ」
ジンはそのまま飛空船内の待合室に残り、雑誌を読みふける。アネラスは指定された席に戻ると鞄の荷物を玩びはじめる。カイトは外へ出ると穏やかな風を浴びながら物思いに
偶然にも三人は、それぞれのこの旅路を考えていた。といっても、これからの帝国で起こるであろう事ではない。ジンに言われた調査の目的ではもちろんのこと、自分がこの調査を成し遂げることの意味。結社の騒動を目の前にあえて帝国へ向かうことの本当の意味。
三人は思う。あの時託された自分の使命を。
――――
「……どうしたカイト? 何やら気に食わないって顔をしてるが」
そんなことは当たり前だ。どうしてこんな時期に、どうしてそんな調査を、どうして自分が指名されるのか。
「なぜ今なんですか。なぜオレなんですか」
ここ最近の出来事は、今の少年にとって笑い話で済ませられるようなものではない。結社という存在を前にして、わざわざ国内の遊撃士を少なくする必要があるのか。
何より、何故自分を選んだのか。元S級遊撃士で現王国軍准将。6級準遊撃士とは天と地ほどの差があるとはいえ、カイトが帝国に対してどういう感情を抱いているのかは知っているはずだ。
「何故今なのか、理由は先ほども言った通りだ。俺が解決した事件は、これから先国内で起きないと言い切れない。だからこそ実力者であるジン、中級とも言える経験者のアネラス、そして新米であるお前さんの三人を人選したんだ」
現在の帝国は、今のリベールのように結社の影がはびこっているわけではないため目に見えて危険ではない。だからこそ国内調査をするエステルたち残りの人数より少ない三人となっているという。
アネラスが問う。
「じゃあ、現地に詳しいオリビエさんが同行されないのは?」
「俺が指名したのは遊撃士だ。帝国観光をさせるつもりはない。同じ理由で、殿下もティータもそちらに行かせるわけにはいかない」
もとより王族の人間が単身で国外に赴くことはありえないだろう。
カシウスの言い分は、大いに納得できる。カイト自身それは分かっている。だがどこかで、納得のいっていない自分もいる。
「他にもいろいろ理由はあるが、話すと面倒なんでな。なぜ自分なのか……それは自分自身で考えてみろ。元先輩遊撃士からの宿題ってやつだ」
余裕のある笑みで言われる。カイトは何も返すことができなかった。
他にも、色々な会話が続く。ツァイス地方で地震を引き起こした張本人、結社の執行者である『痩せ狼』ヴァルターは泰斗流の人間で、ジンの兄弟子なのだという。そのためジンも珍しくリベールから離れるというカシウスの依頼に対し思案顔を作ったが、カシウス曰く『各地で現れた執行者は、しばらくは姿を見せない』。
アネラスも、本来はカルナたちの別の遊撃士チームと合流し、そこでの諜報活動を果たすはずであった。それでもメンバーに選ばれたのは、人数の関係や若者に国外を歩かせるという目的もあるのだという。
「ジン。二人を導くことも勿論だが、今回は君も学ぶ立場にあると俺は考える。兄弟子を前に心苦しいだろうが、急がば回れの精神を再認識してみてくれ」
「……分かりました。他ならぬ旦那の指名です。今の内に、借りを作っておきましょう」
「アネラス。まあ色々経験を積んでこい。……聞いた話じゃお前の『お爺さん』、今帝国をふらふらしてるそうだぞ?」
「あ、はい……てぇえ!? お爺ちゃんが!? 行く! ぜひ行きます!!」
いくつか少年が理解し得ない内容もあるが、何はともあれ先輩二人は納得したようだった。そして国内に留まるエステルたち遊撃士やオリビエたち協力者は、もとから異論はないらしい。
唯一、心配そうな顔をしている姉を除いて。
カシウスは改めて、カイトに向き直る。
「さてカイト。納得はしてくれたか?」
「……納得もなにも、行くしかないじゃないですか。あの帝国に」
こんな状況で。ただでさえ心が乱れる場所に、既に心が乱れている状況で向かえというのだ。腹が立たないわけがない。
「帰ったら、教えてください。オレが行く本当の意味を。そうじゃなきゃ、やってられない」
「わかった。必ず、その質問に答えよう」
――――
『エレボニア帝国・クロイツェン州バリアハートに到着しました。皆様、お荷物をご確認のうえ、御気をつけて降船ください。本日は国際飛行船グレトナ号をご利用いただき、誠にありがとうございました』
飛行船が止まると、人々は緩やかに立ち上がり歩きだす。数時間ぶりに踏んでみた空港の鉄の地面は、ボース国際空港とあまり変わらなかった。
太陽は天高く世界を照らしていて、空は青と白のコントラストを描いている。空港の地形はどこも変わらず、開かれた箱のような空間に飛空船が止まり、張り巡らされた鉄橋を人々が渡るような造りになっている。人がその空間から風景を見渡しても、見えるのは同じ空と太陽だけだ。ここからでは、まだ少年は帝国に来たという実感がおぼろげだった。
少年が、というより三人が違和感を覚えたのは、入国審査の時だった。
「ジン・ヴァセック……だと?」
今まで少年が使っていた国内線でなく、国際線。当然ながら国の境を超えるわけで、旅人は入国あるいは帰国の手続きを済まさなければならない。出自、年齢、性別、職種や身分、入国における目的など。そういった内容を明るみにしなければ、晴れて帝国の地を踏むことは出来ないのだ。
紙面に書かれたそれらの情報は、審査官の目に入る。やや仏頂面の大柄な男性審査官が呟いたのが、先程の台詞だった。
「……何か問題でも、あるかい?」
特に機嫌を損ねるでもなく、ジンが聞き返した。既に同じ審査官からの問答に答え手続きを済ませたカイトとアネラスは、何事かと成り行きを見守っている。
「……貴様、共和国人か?」
「ああ。ここ一週間程はリベールにいたがな」
「……少し、奥の部屋に来てもらおうか」
少年が驚き、理由を尋ねようと一歩を踏み込む。しかし、口を開く前にジンが制した。
「分かった。二人とも、悪いが空港の中で時間を潰しといてくれや」
何も言えず、二人の男は見えなくなっていく。
「……アネラスさん」
「うん。想像以上に、帝国と共和国の溝は深いね……」
カイトとアネラスの二人にとって、ジンという人間は頼れる先輩だ。しかしそれは互いが遊撃士としての知り合いだったからで、もし一般人という立場であれば話は変わる。同業者でなく、外国人という認識が前提に現れるからだ。
そしてここはエレボニア帝国。帝国にとって共和国という存在は、互いに睨み合いを続けてきた大国だ。もしかしたら、少年少女が知らないだけでもっと悲惨な縄張り争いもあるのかもしれない。
いずれにせよ、帝国領に共和国人が立ち入るという事実はにわかにその場の空気を張り詰めることだったのだ。少なくとも、自分たちだけでなく機微を感じ取った周りの人々までジンを奇妙な目で見るほどには。
カイトにとって、初めてのことだった。帝国と共和国の関係性の一端を垣間見たのは。
十数分後。いよいよ心配になり始めた二人を余所に、東方の武術家は何食わぬ顔で戻って来た。
「二人とも、待たせたな」
「……ジンさん」
「そんな不安な顔しなさんな、何事もなく終わったさ。……まずは気持ちを入れ替えて、外に出ようや。細かいことは、それからだぜ」
そんな言葉に二人は頷いて、バリアハート国際空港を後にした。
カイトはまだ心配そうな顔をしていた……のだが、唐突にその感情は終わりを告げる。心配をかけまいとしたジンの狙いは、外に出て街並みを見ることで解決されたのだ。
カイトは驚いた。まず感じたのは、空気が違う。国境を超えるといってもそれは今までの認識では人が引いた架空の線を超える……そんなものだった。地続きになっている大地へ向かうのに、リベールの都市間を超えるより少し長い距離を行くだけの事。
「ここが……」
しかし、その認識は改める必要がありそうだ。国が……文化や成り立ちが違うだけで、本当に別世界のように思えてくる。
澄みきった、しかし僅かに荘厳な空気。『翡翠』と謳われるに相応しい色調。グランセルに負けない大理石や、ホテル、大聖堂、一つ一つの建物が型作る街の雰囲気。
何より、貴族の街。人口三十万にも及ぶ、しかし帝国の一部に過ぎない都市。
「エレボニア帝国が都市の一つ。翡翠の公都、バリアハート」
遊撃士の三人は、街並みの中に足を踏みしめる。目に映る人々の姿一つがこの街の空気を持っているからだろうか。カイトは自分たちがどうにも場違いな場所にいる気がして、何故か恥ずかしい気持ちになった。
「なんというか……荘厳だな。王都とは別の意味で身が引き締まるようだ」
「私もです……」
「オレも……。本当にここ、リベールと同じゼムリア大陸ですか?」
そんなことを言う少年に、武術家は笑う。
「まぎれもなくゼムリア大陸だ。カシウスの旦那もここで自らの役目を成し遂げた。遊撃士が活躍する、沢山の国々の中の一つだ」
一呼吸終えてから、はっきりと告げる。
「さあ、依頼開始だ。まず向かうのは、バリアハート支部だな」
バリアハートの街並みを歩く。街並みは、中心街が華やかなものとなっている。大手の商店や高級ホテル七耀教会の大聖堂。まるで観光にでも訪れたような気分だ。
それは比較的小規模な通りを歩いても変わらなかった。少年は後で知ったのだが、バリアハートでは宝石と毛皮が名産品となっている。それを加工する職人は貴族御用達となっていて、比例して出来上がる品々も高級になっていくというものだ。
アネラスはそんな数多の宝石の数々に夢中なようだ。ジンもアガットほど厳しくはないため、協会支部につくまでは不問としてくれるらしかった。カイトはアネラスに引っ張られ、女の子はこういう物に目がないという話を覚えていく。
後々の女性関係で役立ちそうだが、今の少年はそんなところまで頭に入らなかった。むしろ女の子という言葉に彼女を連想してしまって、カイトはやや不機嫌になる。
そうしてアネラスとの会話に微かに嫌気がさしてきたころ。少年少女を見守って口数の少なくなっていたジンが口を開いた。
「お二人さん。着いたぜ」
住宅街の一角。辿り着いた遊撃士協会は、何故か人気の少ない場所に存在していた。というより、何故か人が寄り付かないという方が正しいのだろう。少なくない雑踏の中において、そこだけが片田舎の村人の家のような静けさだった。
そんな領域に踏み込もうとする三人も、人々の目には少し異様に見えるのだろう。異国風の戦闘服も相まって、三人に声をかける者はいなかった。初めての帝国で、まるで友人の家に入るような手軽さでそのドアを潜る。
「あれ? 久々だね。私たち以外で扉を開く音が聞こえるなんて」
扉を開けた先には、簡素な木材でできた、比較的新しい通路があった。その奥から聞こえてきたやや低めの女性の声に、一同は耳を傾ける。
「そうだね。久々の客人だ、丁重に迎えていこうじゃないか」
明らかに三人に聞こえるような大きさで発しているあたり、言葉通り自分たちを歓迎するつもりはあるのか。どうやら女性の他に一人、男性がいるらしい。
通路を進むと、やがて部屋に入る。数々見える依頼用の掲示板はリベール同様馴染み深いが、依頼を意味する張り紙はわずか三枚。部屋の様相はとても殺風景で、今までの翡翠の街並みから想像できるような石の造りではなかった。普段は人に暖かみを提供する木製の部屋も、簡素な板を張り付けただけのような造りでは寂しさしか感じない。片隅には広いソファと会議用の机。奥にはカウンターがあり、声の主らしい壮年の男性が暇そうに腰かけていた。
手前には、女性がいた。年は二十代後半か。金色の髪をポニーテールにし、意志の強そうな赤色の瞳が面白いものを見るように光っている。黒を基調とした戦闘服は今の季節の冷気にも耐えられそうで、彼女に少しの優しさを与えている。
女性がもう一度、声を発した。
「ようこそ、リベールの同僚たち。私はレイラ・リゼアート。帝国で活動する遊撃士よ」