心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

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8話 幾多の決意①

「エステルのオーブメントを、オレが使う……」

「その通り。やること自体は単純だ。動けない君がエステル君の代わりとなり、動けるエステル君が君がやるはずだった陽動を行う」

 至極単純、それにつきる。

 それよりも、もっと疑問に浮かぶものがあった。

「……使えるんですか? 他人が、他人の戦術オーブメントを」

 戦術オーブメントは、個人仕様のオーダーメイド。その共通の認識は、オリビエも変わらないらしい。二人の違いは、その理由を知っているかどうかだった。

 オリビエは言う。オーダーメイドだが、決して使えないという意味合いではないことを。

「結論から言えば使える。理由は今は省いておこう。問題は、エステル君専用に作られた導力機構の負荷が君に牙を向くかどうか、ということだ」

 只でさえ致死一歩手前の傷を負い、体が外界からの情報に鋭敏に反応してしまうのだ。導力の波が体に纏いついたとき、運が良ければ威力の高い魔法を放てる。しかし制御に失敗すれば、体の傷を深めてしまう。

「それでもそのリスクを背負えるかい?」

「……もちの、ろんです」

 本来の持ち主が言いそうな言葉を言ってのける。彼女の快活さが自分に乗り移ったような気がした。

 少年と青年は、互いのやるべきことを認識する。そして、仲間の果たすべき役目を認識する。

 すぐに準備は調った。あとは作戦の導火線に自分たちが火をつけるだけ。

「オリビエさん」

 カイトが言う。

「なんだい?」

 オリビエが返す。

「助けてくれたこと……ありがとうございます。それで」

「別に今すぐ、僕のことを認めてくれなくても構わないさ」

 男性としては平均的な体躯を持つオリビエだが、カイトに比べればなお大きい。

 少年の血が白の衣装にへばりついても、彼は言葉を止めはしない。

「君の心に悪の汚名を着せる者など、誰もいないさ。それでも、僕はチャンスがほしい。君を知り、僕の立場を知り、僕たちが出会った意味を知ること。それが、僕の目的の一つさ」

「……はい」

「だからこそ。この戦いが終わったら共に食事をしようじゃないか。例え僕らが、互いを嫌悪することになってしまうとしても」

「……オレも、同じことを思っていました」

 例え互いの中の遺恨が晴れないとしても、その行動は必ず自分たちの糧となる。

 だからこそ、今だけは。

「行きましょう、オリビエさん。この戦いを、終わらせる」

「合点承知だよ、茶髪の王子様」

 そんな物言いに、また少し驚いてしまう。けれど、怒りが突き抜けることはなかった。

 精神が境地に達しているからだろうか。それでも、怒りは感じなかった。

 

 

ーーーー

 

 

 苦しい。それがエステルの正直な現状だった。

「ーーセェイッ!」

「温い!」

 リシャールの太刀と棍がぶつかる。先程から何十と火花を散らし合っているが。結果はいつもと同じだ。

 戦術オーブメントの魔法以外の恩恵。それは、設置したクオーツの種類によって、力、体力、身のこなし、反応速度など幅広い身体能力の上昇を促すことだ。この戦場ではカイト以外の全員がその恩恵を受けていた。リシャールも、その例外からは外れない。

 当然オーブメントを外したエステルの身体能力は落ちている。だからこそ疲労で徐々に精度が落ちてきているリシャールの太刀筋にも、最大限の集中を維持して立ち向かわなければいけない。現状、一対一で有利なのはリシャールだった。

 六発を越えた辺りから、必ず自分が押され棍を弾かれる。そうしてがら空きになった体に切っ先が迫る。

 でも大丈夫、心配ない。

「ふっ!」

 ほらやっぱり。絶対にヨシュアが、一太刀の剣で受け止めてくれる。そうして今度は、大佐に隙ができる。今度は、自分が迫る番。

 そんな風に考えるエステルは、苦しくとも迷いを見せてはいなかった。

 地面すれすれから這い上がるリシャールの一閃をヨシュアの剣が再び受け止める。その隙に放たれた踵落としのような棍の垂直の一撃は、リシャールの肩を掠めて大理石に鋭い音を響かせる。

「行くよエステル!」

「モチのロンよ!」

 輝く環がなんだ。クーデターがなんだ。軍事国家がなんだ。

 軍事国家、それ自体を否定しようとは思わない。今はもう帝国だって一つの国なんだと思うし、帝国には帝国に生きる人がいるはずだ。もちろん戦争を起こそうとした人が悪いけど、何より悲しいのは戦争が起こること。だから今私たちは、クーデターを通して戦争に近づけている大佐を止めるんだ。ただ罰を与えるのではなくて、説得して止めるんだ。

 輝く環? そんな兵器だかなんだかもわからない遺物より、人の力のほうが強いに決まってる。

 ここには沢山の人がいる。頼もしい先輩たち、政治力のある友達のお姫様、導力技術に長ける妹分、一緒に切磋琢磨できる将来の後輩。……あと一応、スカチャラ変態だっている。

 何より隣には、大好きな人がいる。この五年間、いつでも自分を支えてくれた人が。

「リシャール大佐!」

 叫ぶ。乱れぬ攻防の中で自分を見る大佐の目が、少しずつ焦りに変わってきてる。

「大佐だって、沢山いる『人』の一人なのよっ!」

 リベール屈指の優秀な軍人がここにいる。

 全員の力を合わせたなら。そこにリシャール大佐も合わせたなら、絶対に立ちはだかる苦難を乗り越えられる。

 だから大佐も一緒に乗り越えるんだ。だから、倒すのはリシャール大佐じゃない。

「行くわよ、トロイメライ!!」

 エステルが意を決して叫んだ、その時。

 大地が揺れ動き、轟いた。

 

 

ーーーー

 

 

 地属性における攻撃魔法の最高峰、タイタニックロア。範囲内の地を震わせ変形させ、突き出た岩の隆起にぶつける諸刃の剣。

 しかし人工的に作られた遺跡内部において、土や岩が変形することはない。この場においては、大きく揺り動かすという意味合いが大きい。

 初発のタイタニックロア、それは合図だ。

 援護魔法を放っていた者、リシャールを足止めしていた者、トロイメライと対峙していた者、全ての人間が同じ場所を見やる。

 支えられて立ちながら戦術オーブメントを握りしめ、その手を前につき出した茶髪の少年。少年に肩を貸しながら、たった今黄土色の波を収束させた金髪の青年。

 二人が不適に笑った。

 作戦、開始。

(今だ……!)

 姫が動く。

「光よ、その輝きで傷つけし翼たちを癒せ……!」

 クローゼを優しいアクアマリンの輝きが包み込んだ。その薄い膜はやがて膨れ上がり、鈴の音のような音を奏でながら辺り一帯に拡散する。

「リヒトクライス!」

 水属性に長けたクローゼの戦術オーブメントだからできる、回復魔法の超駆動。一度限り大きな傷と疲労を癒すそれは、大きすぎる傷を持つカイトには大した意味をなさなかった。

 しかし、この癒しの力の真髄は効果範囲にある。援護陣営だけでなく、遠くにいるアガットたちまでこの水色の加護は届くのだ。

「行くぜぇ!」

 そのアガットは、疲労を取ったことで戦闘開始直後の機動力を取り戻した。これが最後だから、後の負傷なんて知ったことかとトロイメライに鉄塊を振り回す。

 アガットに照準を合わせた腕は、しかしジンの怪力によって塞き止められた。

「ほら、こっちだぜ!」

 大男が、汗を滴らせながら言ってのける。

「どうした、来ないのか?」

 機械相手に挑発もどうかと思ったが、大声だったことが効を奏したらしい。狐顔の守護者は目線をジンに向けてくる。

 アガットが攻撃をトロイメライの前足二本の関節部に当てる瞬間を見た。援護陣営の少女たちがそれぞれの色の波を纏うのを見た。

 武術家は思う。さあ、反撃開始だと。

「ここが!」

「正念場だね!」

 方やトロイメライ陣営より二十アージュほど離れたところでは、ブライト姉弟がリシャールを追い込んでいた。

「……くっ」

 土壇場で団結しつつある、自分の年にも満たない者たちの集まり。それなりに武力を持つ自分と破壊兵器たるトロイメライ相手に、最初は苦戦を強いられていたはずだ。

 それが、今はどうだ。

「見ててよ大佐!」

「僕らが必ず、勝ってみせる」

 太刀に対し、棍と剣が鍔迫り合った。今までで最も長い膠着が訪れる。

 その刹那、リシャールは見た。立ち向かうブライト姉弟越しに、トロイメライが三度エネルギー砲のための駆動準備に入ったことを。

「今だっ!!」

 そして聞いた。漂泊の詩人の、初めての叫び声を。

「アース」

「ランスッ!」

 シェラザード、ティータ、オリビエ、カイト。全員の声が、同じ瞬間に木霊する。

 地から出現する四つの岩の槍。エネルギー砲を駆動し始めやや鈍重となっていたトロイメライの二本の後ろ足、その足裏からトロイメライの体を押し上げる。アガットが前足の関節を傷つけたお陰で、重心制御が足りずトロイメライは前のめりとなる。

 二本が束となった槍は安定感を増すが、それでも巨体相手には分が悪い。

 だからこそ、彼女はアースランスを放たなかった。

「お願い……!」

 リヒトクライスを放った後にクローゼが纏ったのは、緑色の波。四人とは違う魔法で追い詰める。

 不意にジンとアガットが、トロイメライの眼前から飛び退いた。その空間に向かって放つは風属性のエアリアル。トロイメライの巨体相手では吹き飛ばすことはできないが、それでも吹き荒れる豪風は四つ足が不安定な身体の均衡を保つことに動きを集中させる。もう、守護者はただ一つの動作しかできない

 その唯一の動作、エネルギー砲発射まで数秒もない。けれど二人のアーツ発動は、もう完了していた。

「行くよ、カイト君」

「はい、オリビエさん」

 紺碧の輝きを収束させたオリビエ。琥珀の輝きを収束させたカイト。

 エネルギー砲発車まで、あと四秒。

 二人の魔法が駆動する。

 二発目のタイタニックロア。この場では大理石の地面を震わすだけの魔法が、今は最大の切り札だ。バランスの悪い今のトロイメライは、身体の位置を修正する暇もなく前方に倒れていく。

 あと二秒。

 次いで、オリビエのダイアモンドダスト。さらにはティータのアクアブリードとシェラザードのダイアモンドダストが重なって、氷を介してトロイメライの全身を完全に地に固定させた。

 あと一秒。

 その刹那、オリビエは思う。

 タイタニックロアという上位魔法を副作用もなく、持ち主のエステルと同程度の時間、集中で駆動して見せた。威力もやや低いが申し分ない。比較的扱いやすい回路を持つエステルのそれとはいえ、この極限の状態の中でよく他人のオーブメント駆動を制御できたものだ。

 もしかしたら、これが彼の力なのかもしれない。この場にいる誰もが各々の強みを持つように。

 そんな思考を漏らし、それでも他の十人と同じように環の守護者を見る。

 零。

「行けえぇーーっ!」

 エステルの叫び声。

 遂にそれが放たれた。氷の壁の奥に見える強大な熱と衝撃。大理石を黒こげにするエネルギーは逃げ場をなくし……守護者自身に襲い掛かる。

 閃光。轟音。衝撃。爆風。

 広い空間ゆえに感じた質量は少なかったが、それでもティータやクローゼは思わず身を屈めた。リシャールでさえも、驚きの余り鍔迫り合いを止めてしまう。

「……やった」

 エステルの声、いや全員の心の声。

 水蒸気にまみれたその奥には、白い体を黒に変え、うつ伏せのまま一リジュも動かなくなったトロイメライがいた。

 恐らくこの空間に入って初めての、文字通りの静寂が訪れる。

「珍しくやったわね、あの変態」

 と、シェラザード。

「ああ、これで残るは……」

 と、アガット。

「リシャール大佐。ただ一人」

 と、ジン。

 そこからは三十秒もいらなかった。五人の遊撃士によって、疲労しているリシャールは呆気なく制圧されていく。数度の打ち合いと弾き合いがなされはしたが、結局彼の行動はトロイメライの近くまで移動したという結果しか残さなかった。

 エステルが、静かに声をかけた。

「大佐……私たちが勝ったわ」

「その、通りだな。私の完敗だっ……」

 片膝をつき、息も浅いリシャール。しかしその表情は、どこか安らかだった。

「あんな化け物、一人きりじゃ倒せないのは当たり前。でも、全員の力を重ねて勝つことができた。これが、人の可能性なんだと思うの。奇跡なんかじゃない、可能性」

「……」

「だからリシャール大佐。あなたにも信じてほしいの」

 手を、差し出した。

 呆然とした様子で、リシャールはそれを見た。さっきまで敵だった。今も敵であることには変わりない。それなのに、少女は無防備に微笑んでいるのだ。自分を同じ場所に立たせようと。

 数秒の沈黙の後、彼は笑った。この少女はどこまでも、彼の娘だったことに気付いたから。

「完敗だ」

 小さく呟く。

 だからこそ。

「この手は、取れんっ!」

 そして唐突に太刀を握りしめて、一閃を浴びせた。

 背後のトロイメライに向けて。

 

 

ーーーー

 

 

 黒こげとなった環の守護者は、それでも唐突に動き続ける。

「な……!?」

「まだ、動くのかっ!」

 この場の誰もが、それを予想していなかった。カイトは、疲労で動くことが出かなかった。

 エステルはリシャールの動きに反応し、唐突に後方に飛び退いた。結果としてリシャールの太刀は彼女に向かわなかったが、それでも意味はあった。

 すぐそばまで迫っていた、トロイメライの拳を避けたという意味が。

「くっ、おおおお!!?」

 リシャールの最後の一撃は、その刀身を犠牲に右腕の攻撃を防いだ。そして、彼の体を反対から来ていた左腕が握りしめた。

「た、大佐っ!?」

 エステルたちにとって、今日一番の絶望的な状況だった。緊張の糸は既に切れて疲労が見え隠れしている。先程と同様の魔法連携も、リシャールが掴まっていては実行できない。

「早く、逃げたまえ!」

 そんな中、茶髪の少年は耳を疑う。リシャールから発せられた、自己犠牲の言葉に。

「こいつが私を狩る前に、早く逃げたまえ! ほんの少しとはいえ、時間稼ぎにはなろう!」

「そんな、大佐!」

「君たちに敗れた時、私の命運は決まっていたのだっ! 最後にこうして君たちを救えるのなら、後悔だけはせずにすむ!」

 少女の叫びも、彼は聞き届けなかった。ただひたすらにもがき、暴れ、守護者の気を自分に向けている。

「最後にエステル君、君が……『君たち全員』が、気づかせてくれた。私の、可能性を!」

 嘘だろと、茶髪の少年は思う。

 ここまできて、誰かが死ぬのか。必死で戦って、リシャール大佐すら自分たちを信じてくれたのに。

 でも、誰も動かない。動けない。少女の叫びも。自分を支える青年の沈黙も。何の意味もなさない。

 人の可能性は、確かに無限に拡がっている。けれどそれでも、今だけは。願わずにはいられなかった。

 だれかの助けを。心を開いてくれたリシャール大佐に可能性を与える、大きな力を。

「やれやれ」

 だからなのか。それともこれも、人の可能性なのか。

 厳かな声が、響き渡った。

「諦めなければ、必ずや勝利への道筋が見えてくる! それを教えなかったか?」

 少年が初めて聞いた声だった。

 聞こえ始めたのは、大部屋の前の通路。けれど疑問符は、トロイメライの方向から聞こえていた。

 いつの間にそこにいたのか、分からない。守護者の前には、エステルのそれよりさらに長い青色の棍を手にした壮年の男性。

 エステルと同じ茶髪。整えられた口髭。強く、そして深みを持つ瞳。威風堂々たる構え。

「な……」

 というヨシュアの息が漏れた瞬間には、もう彼は動いていた。

 跳ぶ、いや滑る。わずかに体を捻り、棍を一撫で。それで、トロイメライの左腕が吹き飛んだ。

 静寂。

「せいあぁ!」

 体ごと回転させた一撃。カイトにはそれしか見えなかった。それだけで、トロイメライの体部が半壊した。

「……な……ぁ……」

「嘘だろ……」

 エステルは口をあんぐりと空け、カイトは人間離れした動きに度肝を抜かれる。

「ま、こんなところか」

 トロイメライの体の上で、振りかえる。そこには、茶目っ気たっぷりに片目を瞑った男性がいた。

「ただいま。エステル、ヨシュア」

「と、と、と……父さんっ!?」

 影の英雄。剣聖。そしてS級遊撃士。

 カシウス・ブライトが、そこにいた。

「どうやら色々と、頑張ってくれたみたいだな。詰めの甘いところもあるが……まあ、及第点といったとこだろう」

 そんな台詞を言いつつ、「よっと」なんて軽い掛け声で守護者の残骸から少女までの十アージュを跳躍した。

「いきなり出てきて及第点ってなによ! なんで……どうして父さんがここにいるの!?」

 久し振りの再会だったはずだが、少女にとっては驚きの方が強いらしい。戦闘の疲労はどこへやらという勢いで、父カシウスに詰め寄っている。

「おお、おお。抱き付くほど父さんが恋しかったか! ほーらエステル、どんとこの胸に飛び込んで」

「いいから説明しろ不良中年!」

「トホホ……」

 どこぞの漫才のようである。

「まあ、なんだ。所謂、成り行きってやつ?」

 鳩尾に棍が炸裂した。

「というのは冗談だ。帝国での案件に一区切りがついたからな。急いで戻ってきて、手伝いをしてやっただけだ」

 戻るついでに、各地の王国軍の師団が王都に向かっていたことも沈静化させたらしい。

 ともあれ、情報部のクーデターは防ぐことができたようだった。

「久しぶりだね、父さん」

「おお、お前は少し背が伸びたようだな。どうだ、エステルの御守りは大変だっただろう?」

「まあね。でも僕も、同じぐらいエステルに助けられた。だからお互い様かな」

「そうか……良い旅をしてきたみたいだな」

 カシウスは、どこまでも落ち着いた声と深い瞳で言葉を聞き続けた。それは息子娘に限らず、誰と言葉を交わしても同じだった。

「僕たちも行こうか、カイト君」

 一団からやや離れた場所で魔法を放ち、成り行きを見守っていた二人。ようやく、彼らも近づき始める。

 その間にもクローゼが、ティータが、遊撃士たちが、順々にカシウスと言葉を重ねていく。

 そして。

「初めまして、カシウス・ブライト殿。僕はオリビエ・レンハイム。帝国出身の演奏家ですよ」

「ほう、君が……。後でまた話を聞かせてもらおう。子供たちに力を貸してくれたこと、感謝しているよ」

「いや、こちらこそ有意義な時間を過ごさせて頂いた。生ける伝説の業……しかと見させて頂きました」

「ふ。俺もまだまだ修行中の身さ」

 そして、カシウスはカイトを見る。

「お前さんは……」

「初めまして、カシウスさん。オレは、カイト・レグメントといいます」

「……ああ、ルーアンの見習いさんか。ジャンから、度々話を聞いていたぞ」

 一体どんな内容なのか、それはここでは聞いておかないことにする。

「……お前さんにとっては厳しい戦いだっただろう。よく、活躍してくれたな」

「オレも皆に、支えられましたから」

 他ならぬカシウスからの言葉は、カイトの心に響き渡った。S級遊撃士という大先輩からの労いの言葉。何より嬉しいことだ。

 と、そこで。

「なる、ほど……全て、貴方の手によって……解決されたということですか」

 またも、声。アラン・リシャールの声。

 カシウスの手によってトロイメライから解放されたときは、その衝撃で気絶していたらしい。目を覚めてみれば、和やかに談笑をしている敵対者がいるのだ。

 完全なる敗北に、笑うしかないのだろう。

「モルガン将軍はハーケン門で厳重に監視していた。シードも家族を人質に逆らえないようにしていた。どちらも……貴方の手によって解放されたということか」

「……ああ」

 カシウスは一歩、リシャールに近づいた。

 モルガン将軍。シード中佐。カイト自身面識はないが、どちらもリベールにおける屈指の精鋭だ。彼らまで手中に収めていたリシャールだが、それでもカシウスには敵わなかった。

 だが当の英雄は、それを自らの力だと言いはしない。

「だがなリシャール、俺がしたのはたったその程度のことだ。それに俺がいなくとも、彼らは自分たちで解決していただろう」

「いや、違うっ。やはり貴方は英雄ですよ。誰にどんな才能が秘められていたとしても、貴方の下でだから力を発揮できた」

 それは戦いの前にも吐露していた、軍人の本心。

「貴方さえ軍を辞めなければ……私もこんなクーデターなど、起こさなかった……」

「……」

 その想いを、一先ずは全て聞き入れた。本心を明かさなければ、どこへ進むこともできないから。

 そう言ったからこそ、カシウスも本気でぶつかることができた。秘めた才覚を持つ、堕ちてしまった後輩に。

「甘ったれるなリシャールっ!!」

 殴った。それ以外に喩えは必要なかった。

「ぐっ……」

 三アージュも吹き飛ばされた彼の顔面には、もうその痕がくっきりと見える。

「お前の過ちは、俺という幻想から解き放たれなかったことだっ!!

 何故それほどの才覚を持ちながら自らの脚で立たなかった!?

 俺はお前がいたからこそ、安心して軍を辞めることができたのだぞ!?」

 獅子の咆哮のごとく、響き渡る。誰もが押し黙りそしてリシャールは驚きの顔をしていた。

 そう言われるとは、思っていなかったのだ。自分に秘められた力など、考えはしなかったのだ。

「俺はそんな大層な男じゃない。百日戦役も、お前やモルガン将軍たちがいたから勝つことができた。それどころか、現実から逃げたずるい男でしかない」

 言葉は、続く。

「だが、俺はもう逃げん。だからお前も、これ以上逃げるのはよせ。

 ……罪を償いながら、自分に足らなかったものを考えるがいい」

 リベール王国。王都グランセル、グランセル城地下遺跡最深部。女王陛下生誕祭より一週間前。十四時三十分頃。

 情報部、アラン・リシャール大佐を黒幕としたクーデターは、首謀者の逮捕によって幕を閉じた。

 王国軍全体まで拡がった影響は、一先ずは元大佐であるカシウス、モルガン将軍、シード中佐らにより一度沈静化される。王室親衛隊の疑惑も晴れ、全員が陽の目を見ることができた。

 一方で情報部の人間は、全て逮捕されたわけではない。女王宮のテラスから飛び降りたロランス少尉、グランセル城の混乱の中逃走したカノーネ大尉、そして残る特務兵十六名、計十八名はその消息を追っており、目下捜索中だった。

 クーデター事件における被害は、ごく少数で済んだ。一般人の多くは突然の戦闘などに戸惑いはしたものの、傷害を受けることはなく、地下遺跡へ向かった解決者たちはほとんどが軽傷だった。唯一カイト・レグメントがリシャール大佐の抜刀術により重傷を負ったが、一週間前後の集中治療を受けることで回復するとの報告がグランセル大聖堂のカラント大司教より伝えられている。

 そして、情報部以外にも分からなかった謎は多数ある。『輝く環』とは何だったのか。グランセル城の地下遺跡の真の役割は何だったのか。トロイメライではない機械音の示した数々の言葉の意味は、何だったのか。それらは、依然として明かされていない。

 それでも事件の当事者たちは、一先ず訪れた平穏に胸を撫で下ろした。自らの成長や果たした役目を、噛み締めている者もいた。

 そして事件が解決した、一週間後。

 女王陛下生誕祭が、始まろうとしていた。

 

 

 





次回。第一章、最終投稿です。

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