心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

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7話 王都繚乱⑥

 剣撃が閃く。火花が散る。巨大な質量が、圧倒的な破滅を持って向かってくる。人間の力を越えた七属性の魔法が飛び交う。

 踊り子のように舞う小さき人間たち。虫を搾取するかのような動きを続ける巨大な機械。

 かつてない規模の混戦となった、地下遺跡の最深部。

 トロイメライと対峙するは、ジン、アガット、ヨシュア。

「喰らえっ……ファイナルブレイクッッ!!」

 大上段から地に向かって放たれた破壊の質量が、一直線にトロイメライに向かう。火花を越して道標となる焔は数秒と経たずに巨体を包み込んだ。

 元々あの守護者に避けるという選択肢はない。故にトロイメライは痛手を食らおうが何をされようが、必ず次には攻撃を行ってくる。

 アガットに向かって降り下ろされた青靴の左手は、しかし戦場随一の体躯を持つ武術家が許さない。青年の前に仁王立ったジンは、彼らしからぬ鋭い眼光を瞳に宿してその質量を受け止めた。

「ーーーーッッ!!」

 彼が挙げた両腕と青靴の左手が触れた瞬間、ジンの体から黄土色の輝きが迸る。予め纏っていたアースガードーー絶対防御の防護壁は、守護者の攻撃を無に帰す。

 しかし魔法が解かれた瞬間、脱力した腕が重力を伴ってジンに降りかかった。受け止めることはできたが、重さの加わった両足が大理石の地を抉る。

「い、まだ、ヨシュアぁぁ!!」

 苦悶の叫びは少年の挙動に覚悟を与えた。振り下ろされジンに受け止められた腕、その関節部が、今なら丸見えだ。

 少年が跳ぶ。双剣が閃く。絶影の刃は関節部に向かい、そして届かない。

 トロイメライの腹部から溜まっていた熱エネルギーに、誰も気づけなかった。ヨシュア最大の武器である超加速攻撃は、直線的であるため攻撃の瞬間を悟られると容易に反撃を受けてしまう。

 巨大なエネルギーが、少年を襲った。

「この、キツネ野郎がぁ!」

 叫んだアガットは渾身の力で重剣を振り回し、ジンが受け止めていた腕に直撃する。鈍い金属音を響かせながら、それでも腕は三アージュ程移動する。

「助かったアガット!」

「礼は後だ、大丈夫かヨシュア!?」

 エネルギー砲を浴びた少年は大きく吹き飛ばされ、二人の十アージュ以上後方に落下する。落ちる直前にティアラの回復が施されたらしく安全に着地はしたが、それでも片膝をついて視線を地に落とした。焦げ付いた服は所々破け、煙が漂う。

 その三秒後。トロイメライが片腕を弓を射るように引き絞ると同時に、ヨシュアはゆっくりと顔をあげた。

 アガットとジンは既に顔をトロイメライに向けている。大部屋にいる他の人間も各々の役目を全うしていて、誰も少年の顔を見ていなかった。

 だから、誰も気づけなかった。少年の表情が、かつてダルモアに向けた憎悪と同様のものになっていることを。そしてその瞳は、さらに深い闇を写していることを。

 

 

ーーーー

 

 

 黄土色の煌めきが、少女へと集束する。

「ア、アースガードっ!」

 ティータの可愛らしげな言葉は、トロイメライと対峙するジンに放たれる。四十アージュ程離れた場所にいるが、その魔法はしっかりと武術家に纏われた。その二秒後すぐにトロイメライの腕が踏みつけたため、ティータは驚きのあまり跳び跳ねる。

「ひゃう!?」

「大丈夫よティータちゃん、次はアースランスをキツネの足元に!」

 シェラザードは少女をなだめつつ、自身は茶髪の少年に向けての援護を行うべく緑の波を纏った。

 その隣に立つオリビエは、ラッセル博士を守る位置に立ちつつ戦況を俯瞰する。

「大丈夫ですか? ご老人」

「まだまだ若い者には負けんわ! 来るぞ演奏家!」

 オリビエは瞬時に判断、放つはアースガードの上位であるアースウォール。それは守護者と解放者、そのどちらと相対せず援護魔法を打ち続ける自分たちに放たれる。

 アーツ発動の余韻も見せず、次に纏うは青の波。その直後トロイメライの放つエネルギー砲が、ヨシュアのみならず援護班の四人にも降りかかる。

「子猫ちゃんたち、伏せるんだ!」

 アースガードにアースウォール。この絶対防御魔法の唯一の弱点は、攻撃により生まれた爆風などの二次的被害を防げないことにある。よってその場から吹き飛ばされないための処置をとる必要があった。

 耐えきったあとの周囲の景色は一変している。自らが踏みしめていた場所以外の大理石は、三アージュ程の幅に沿って黒焦げていた。

 ティータは乱した集中を整え再びアースランスを放つために目を閉じる。オリビエはティアラをヨシュアに、シェラザードはシルフェンガードというアーツを茶髪の少年に放つ。

「一つ、わかったことがあるね」

「何、が!?」

「あのキツネ君『環の守護者』というわりに、それがあるらしいこの遺跡を破壊することに躊躇いがない」

 続けざま第二第三のアーツを放ちながら、銀閃と詩人は会話を続ける。

「頑丈な遺跡でも、これだけのエネルギーを受けたらいつかは壊れる。自分を起こしたリシャール大佐も殲滅対象な当たり、キツネ君の目的は一貫して『破壊』だ」

「いい、読みじゃないの! そこからどうするのよ!?」

「いやあ、シェラ君が僕の虜になってくれる方法を思いつ、ゴメンサナサイワタシガワルウゴザイマシタ!」

 珍しく本気の鞭がオリビエに飛んできた瞬間である。

「真面目にやれ変態!!」

「ハァイッ!」

 苦痛か悦楽か分からない叫び声を挙げつつ、一秒で落ち着く青年は時属性のアーツと決定的な言葉を放った。

「それだけの破壊力を持つ守護者。しかしアガット君の重剣の攻撃に振り回されるのを見ると、同程度の大きさの敵相手に戦うだけの守備力を想定されていない」

「で?」

「キツネ君を倒す能力は、キツネ君が持ってるということさ」

 シェラザードは驚く。その可能性を自分も認識してはいたが、実行する作戦までは浮かばなかったからだ。

 彼の懐から取り出される、一輪の薔薇。

「見えたよ。大佐とトロイメライの不協和音をとめる、僕たちの協奏曲がね」

 直後、爆撃ではない静かな音が聞こえた。衝撃が轟いていた対トロイメライ陣営ではなく、大部屋の別の場所に陣取る一団。

 オリビエたちが見たのは、奥に立つ二人の少女。そして太刀を今しがた鞘に収めた軍人と、膝をついて右胸の鮮血を抑える茶髪の少年だった。

 

 

ーーーー

 

 

「せぇいっ!」

 少女が叫ぶ。幾重にも回転させた体を翻し、手に持つ棍を突きだ出しながら。

「遅い……!」

 軍人が発する。洗練された剣閃を何十と重ね、三方向から来る棍銃細剣の連撃を跳ね返しながら。

 大部屋の中、トロイメライ陣営の五十アージュ近く離れた場所に彼らはいた。アガットたちが力業の大規模な攻防を繰り広げるのに対し、こちらの攻撃の規模は人一人分とまるで小さい。だが、攻撃が繰り返される速度は、ともすればロランスとの戦いよりも速かった。

「遅いのは、そっちだ!!」

 カイトが左手の拳銃を至近距離から放つと同時、地を踏み渾身の回し蹴り。その蹴りの後方からクローゼの細剣がリシャールに向かう。

 リシャールは銃弾を太刀の刀身で上に弾き柄の先端で蹴りを受け止める。細剣は握りを解いた左腕で受け流し、クローゼを後ろへ誘導する。

 転んで無防備となった少年に一閃を加えようとして、その攻撃は突如自分に向かってきた火球に向けて放たれた。オリビエが発動させたファイアボルトにまぎれてもう一度棍を振りかぶるエステルは、解放者に再度語りかける。

「大佐、今すぐあのブサイクを止めて!」

 棍の凪ぎ払いと太刀の鉄が弾きあう鋭い残響。

「もう一度言う。無理な相談だ」

 次いでクローゼの細剣と太刀が向かい合う。細剣の突きと受け流しが、太刀の一閃と抜刀術に果敢に挑む。

「この分からず屋ぁ! キツネと戦ってる三人が本当に危ないんだぞ!?」

 鍔迫り合いの王族と軍人、がら空きに見えるその膝裏に叫びと共に渾身の回し蹴りを放つカイト。

 しかしやはり、そう簡単に事は進まない。

「命が危ないだと?」

 鍔迫り合いの拮抗を保ったまま軍人が上に跳んだ。

 体勢を崩した少年とクローゼをもつれさせ、さらには連撃を狙っていたエステルの棍を今まで以上の速度の抜刀で吹き飛ばし、リシャールは辺りを見渡す。

「ならば今まで君は、命を賭けて戦ったがないのか?」

 ふらつきながら立ち上がる三人の少年少女。全員リシャールとの距離が十アージュ開いたため、この混戦の中で問答に答える余裕ができた。

「そんなことはありません! カイトは」

「貴女には聞いていません。クローディア殿下」

 軍人は、太刀を鞘に納めた。戦闘前と同じように仁王立ち、カイトのみを睨んでいる。

「……ない、そんなこと当たり前だ! オレは人を守るために遊撃士を目指した! 人を死なせたいわけがないだろ!」

「そうかもしれない。だがこれは己が信念を貫く戦いであり、そして戦争だ!」

 雄々しく響いたその声に、三人は黙り混む。

 過去に戦ってきた特務兵たち。彼らは全員が、命を犠牲にしてまでも自らの役目を果たそうとしていた。

「それは、何も敵である私だけではない。エステル君、殿下、そして彼ら三人も。戦人として常に死と隣り合わせの状況で生き抜いているのだ!」

 リシャールは三人の後方を見上げる。後ろからは幾多の轟音が響き、その攻撃の凄まじさを物語っている。

 一際大きな音と熱が少年少女の肌に届いた。驚いて振り向くと、そこには焦げた大理石、その威力を物語る幽かな陽炎、そしてエネルギー砲が直撃し、空中に身を踊らせるヨシュア。

「己の矜持も天秤にかけない戦い。私からすればそれこそ大きな冒涜だっ!」

 不意に少年に魔法の加護が与えられる。しかしその魔法にも気づかず、少年は軍人から溢れる殺気に汗を流した。

「その覚悟を思い知れ。それがなければカイト・レグメント、君にこの戦場に立つ資格はないっ!!」

 来る、と思ったこと。半ば本能的に左に避けたこと。そして大佐の姿が一瞬にして消えたこと。全てが同時に起こった。

「……残光破砕剣」

 聞こえた声に振り向いた。いつの間にかーーいや、あの一瞬でトロイメライに二十アージュ以上も近づいた剣士は、厳かにその奥義を紡ぐ。

 飛び越した三人に神々しくも見える構えで背を向け、抜刀した太刀を鞘にゆっくりと納めながら。

「……散りたまえ」

 チン、と鞘に納めきる乾いた音が響いたのと、カイトが右胸に熱を感じたのは同時だった。

 何故か平衡を保てず、地に片膝をつく。さらにやって来る灼熱に等しい熱感。

 『剣聖の後継者』アラン・リシャールの抜刀術。

 その全てを受け、少年は弱々しく地に倒れた。

 

 

ーーーー

 

 

 太刀を鞘に納める。生半可な覚悟に怒りを覚え、その戒めと自らの覚悟を示したリシャールだが、目を開いたときにはすでに平静を取り戻していた。

 後ろからは二人の少女の声が聞こえた。いや、悲鳴といってもいいかもしれない。無理もない、トロイメライと対峙するジンやアガットならともかく、華奢な少年の体を切り裂いて見せたのだから。

「……しかし運がいいな、カイト君」

 呟く。リシャールも戦術オーブメントは所持しているから分かる。抜刀の直前に纏われた翠の膜は、シルフェンガード。身のこなしを高く上げる魔法だ。それと抜刀の瞬間に飛び退いたこと、切り口が綺麗すぎたこともあって、すぐに回復魔法を施せば命は助かるはずだ。もっとも、ティアラやティアラル、セラスーー蘇生魔法ーーを重ねがけしなければ危ういと思うが。

 そんな考えも束の間、リシャールは意識を前に向ける。トロイメライに近づきすぎたためか、大きな拳の射程圏内に入ってしまっていた。

 目の端でトロイメライ陣営の三人がこちらに向かってくるのを感じながら、リシャールは迫る拳に対して抜刀する。

「ぉぉおおおおっ!!」

 斬る、斬る、斬る斬る斬る。この場の誰も真似し得ない速度の剣劇を繰り広げる。

 トロイメライの拳は斬り刻まれ、リシャールを捉えることができなかった。

 そこで体の違和感に気づく。側方からきた水球と火球を避けて一度後退し、黒い軍服の袖を捲ってみる。

「流石に、力を込めすぎたか」

 右腕は、所々青のアザができていた。人が視認できないほどの速度の抜刀は、リシャールと言えど負荷が強すぎた。筋繊維が裂け、内出血でも起こしたのだろう。この分だと全身も同様で、先程のような神速の動きはもうできなさそうだった。

「後輩を、よくもいたぶってくれやがったなぁ!!」

 トロイメライの攻防がリシャールに分散したためか、アガットが突っ込んでくる。真の意味での混戦。三つ巴の攻防が始まる。

 アガットが太刀を弾いた。リシャールが飛び退いた。その開けた空間にトロイメライのエネルギー砲が襲い掛かり、近場にいる人間の肝を冷やす。

「雷、神、掌ォォ!」

 『気』を込めたジンの波動がトロイメライに襲いかかる。それでもトロイメライは照準をアガットに合わせ、赤髪の青年に拳と太刀が迫る。

 アガットは身構える。このままでは、どちらかの攻撃の犠牲者になることは明白だった。

 と、そこで。

「おおおおおおっ!!」

 叫び声が雷のごとく響き渡った。今まで存在の見えなかった、ヨシュアの声が。

「なに!?」

 リシャールの体が痺れる。いや、体が意思とは離れて恐れ戦き、動かなくなった。

 次の瞬間、影がリシャールに飛び込んでいく。安定感をもって拳を迎撃したアガットの背後からきたのは、黒髪の美少年。

「ヨシュア・ブライト……!」

 やはり君か、と思う。城で話した時の優しい相貌ではなく、そこに隠れたどす黒い何か。自分の記憶がないことを言い当てた、経験者のような推理。

 逆手にもった双剣を渾身の力で救い上げ、リシャールの上段からの斬り下ろしを相殺する。次いで放たれたのは、現状のリシャールに迫る速度の連撃だった。

 トロイメライ周辺を駆け回り、攻防と優劣を秒単位で変えながら重ねる剣撃の応酬。この場の人間が割って入ることは出来ないが、当然ながら守護者には関係ない。

 白い巨体が両腕を横に伸ばした。上半身を独楽のように回転させ、圧倒的な質量が二人の剣士に近づく。瞬間二人が跳び、その範囲から逃れる。

「……先程私の動きを封じたのも、君か」

 体が意思とは別に動かなくなる何か。トロイメライがいたから助かったが、あれを一人でくらったら人溜まりもなかった。

「やはりそう来なくてはな。何故今まで使わなかったのかは知らないが、全力でかかってくるがいい」

「……」

 なおもヨシュアは無言。その暗い瞳は、ただ一人を睨む。

「大佐、貴方には負けられない。大切な仲間を傷つけるなら……彼女を傷つけるなら」

 回転が止まったトロイメライにアガットとジン、そして魔法の嵐が降り注ぐ。それを横目で感じながら、両者は構える。

「その通りだ。大切な者のため、死力を尽くせ!」

 リシャールが納刀し、居合いの構え。ヨシュアは上半身を僅かに右に捻り、右手の剣を後ろに、左手の剣を前に構える。

「これで終わりだ……」

「見切れるかな……」

 闇を切り裂く強大な牙。

 光さえ穿つ神速の一閃。

 光と闇が、炸裂した。

 

 

ーーーー

 

 

「カイト! カイトっ! ねえ!?」

「カイト、しっかりしなさいよっ!!」

 大部屋の一角で、少女たちの声が響き渡る。弱々しく仰向けに横たわる茶髪の少年は、何とか目をつぶらずに大理石の天井を見つめていた。

 その視界の端には茶髪と青紫、二人の少女が顔を歪めて何かを叫んでいる。けれど経験した火事の熱が温く感じるほどの灼熱を全身が襲っていて、言葉の意味を理解するには至らなかった。

「お願い……助けて……!」

 女神に祈り、魔法を重ねる少女たち。しかしなかなか、治癒は施されない。

「エステル君、姫殿下!」

「……オリビエッ」

 青年がかけてきた。彼らしからぬ強い声色の後、膝をついて少年をみる。

「二人とも落ち着きたまえ。今すぐ治療が施されれば、問題のない傷だ」

「ほ、本当ですか!?」

「ええ、姫殿下。まずは一刻も早く治癒を」

 嘘だった。これだけの傷、楽観視していい訳がない。下手をすれば即死ものの一撃だったはずだ。シェラザードの魔法がなければ、間違いなく。

「エステル君はセラスを重ねがけて」

 吐血。カイトの口腔から黒い血が出る。

「姫殿下は、ティアラ、ティアラルを重ねがけてください」

 二人とも、特にクローゼの集中が著しく乱れていた。弟の状況を考えれば当たり前だろうが、魔法が発動しなければそれこそ命取りだ。嘘をついてでも彼女の集中を取り戻さなければならない。

 これで死なせてしまったならば、自分が全責任を取ろう。このオリビエ・レンハイム、全身全霊を懸けてみせる。

 こう見えても、昔はとある国の学院で様々な知識を学んだことがある。その医療知識を掘り起こすと、少年の状態が見えてくる。

 職人が魚の腸を取るときのような綺麗すぎる切り口。出血の状態。上手くいけばすぐに治る。しかし上手くいかなければ、生涯の後遺症が残る。そんな傷だった。

 自分もアーツを放とうとして、その場に散らばったものに目がいった。少年は戦術オーブメントを持っていない。だから様々な薬を複数所有しているのだ。

 思い至った。これなら、あるいは行けるかもしれない。

 白銀の波を纏い、同時に懐を探る。

 さすがに伝統ある国なだけあって、薬の類いは七曜教会製のパーム、ソール、リーべ等がよくあるが、ただ症状を直すだけの薬では意味がないのだ。この状況では。

 故郷で流通している道具は、治すのではなく負に傾いた状況を正に戻すという意味合いが強い。襲いかかる眠気や悪夢をミントドロップで消し去るように。

 オリビエは敢えて混乱を起こすカオスブランドを発動させる。少しでもこの痛みを抑えなければ。

「さあ、効いてくれたまえよ……!」

 取り出したのは、冷却スプレー。火傷もない彼の体にそれをかけ続ける。

「姫殿下。リシャール大佐の状況をーー」

「いえ、オリビエさん。私もどうか、手伝わせてください」

 青年は少女を見た。涙の奥の瞳には、決意の感情が見え隠れする。少々荒療治だから遠退けようとしたのだが、問題はないらしい。

「分かりました。では引き続き、回復魔法を!」

「なら私がここを守るわ!」

「待ってくれ、エステル君!」

 茶髪の少女がたたらを踏んだ。青年は言う。

「一つだけ、頼みがある。これを言うのは気が引けるが……」

 一秒の迷い。オリビエは自らの懐に隠されたそれを示す。

「これを、僕らに貸してはくれないか」

 

 

ーーーー

 

 

 鉄を穿つ、冷たく強大な響き。

 交錯した光と闇は、ともに二秒だけ静止した。

「伏せろぉっ!」

 ジンの叫びに、ヨシュアは疲れを見せながらも後退する。すぐにトロイメライの拳が視界いっぱいに広がるが、何とか見えた。相対したリシャールの左肩を、自分の片方の剣撃が切り裂いた様子を。

「おい、大丈夫か!?」

「アガットさん」

 トロイメライ陣営の要となる体躯を持つ二人、ジンとアガット。彼らがいなければ、自分もリシャール大佐の動きに全神経を注ぐことはできなかった。

「何とか。けれどもう、双剣は使えません」

 そう言って左手の剣だったものを見せる。刀身が根元から大きく折れ、そしてもう柄だけの残骸になっていた。

 スピード自体はほぼ互角だった。けれど剣の冴えは、リシャールが圧倒的に上だった。あの一瞬で、斬鉄剣を喰らったのだから。

「……すみません」

「お前の戦闘力が高い割に腑抜けてることなんざ、レイストン要塞の頃からお見通しだ。

 それを補うために俺たち仲間がいる。それを忘れて、独りよがりになるな」

 自分の感情が昂った、使いたくなかった悪魔の瞳を呼び起こすほどに。結果的にリシャール大佐の動きを制限できたが、大事な連携を解いてしまったのだ。

 しかしアガットは、それほど諭さず不敵な笑みを浮かべて見せる。

「なぁに、問題はない。どうやらあのスカチャラ野郎が、一発逆転の方法を思い付いたらしい」

「え?」

 見ればオリビエは、倒れるカイトのもとにいた。シェラザードとティータは今もアーツを放っていて、ジンは必死でトロイメライの気を引いている。

「作戦が実行されるまで、俺たちは死なないように食い止める。俺とジンはトロイメライ、お前はリシャール大佐だ。お前が最大の力を発揮できる相棒と一緒にな」

 言われ驚く。エステルが果敢にリシャールに向かうのが見えた。

「さあ行け! ここが正念場だ、気張るぞ!」

「ーーはい!」

 アガットは何時でも後輩を助けてくれる。

 何をするにも後だ。そうだ、約束もしたはずだ、彼女と。全ての戦いが終わったら、自らの過去を明かすと。

 そう思ったら、体は軽くなっていた。例え剣が一つでも、彼女と一緒なら。

「エステル!」

 名を叫び、リシャールの剣を何とか弾く。

「ヨシュアっ!」

 同時に名を叫ばれ、彼女の棍がリシャールの腹部をかすめる。三人とも後退すると、二対一の陣形で落ち着く。

「やはり最後は君たちが立ちはだかるか」

「違うわ大佐。私たちは、ここにいる全員で戦ってる」

 棍を突き立て、いい放つ。

「もう一度だけ言うわ。……絶対! 大佐を止めて見せる!!」

 再び始まる攻防。三者の得物が火花を散らす。

 リシャールは肩口を切り裂かれ、ヨシュアは一振りのみ。

 そしてエステルといえば。

「全員五体不満足……いいハンデね」

「え、どこか怪我したのかい?」

 そういえば、どこか動きがぎこちない。問われたエステルは懐を軽く叩く。

「今ね、オリビエに貸してるの。戦術オーブメントを」

 

 

ーーーー

 

 

 いったい、どこからの選択が間違いだったのだろう。

 リシャール大佐に覚悟を問われた時か。力量を考えずに城と離宮の解放作戦に参加したときか。そもそも王都に訪れて良かったのか。いや、彼女を好きにならなければ良かったのか。

 昔から変わらない、学習しない。他にもっと、いい方法があったはずなのに。

 心を巡る光景は走馬灯のようで、でもやけにゆっくり感じられる。それに、所々ぼやけている。

 いやだ。死にたくない。死んだとしても、今のままじゃ女神に召される訳がない。後悔をするだけはいやだ。後悔したのなら、それを自分の手で取り戻したい。

 そうじゃなきゃ。

「死んでも……死にきれない」

「カイト!」

 口にした瞬間、視界が開けた。

「大丈夫かい!?」

 そばには、どうやら彼もいるようだ。

 ゆっくりと起き上がる。そこで気づいた。先程の熱感がある程度引いている。相変わらず右胸の鈍痛は変わらないが、大事には至らなかったようだ。

「カイト君、まだ動くのは得策じゃない。九死に一生を得はしたが、まだ動けるような傷ではないはずだ」

 そっと、そこに触れてみる。傷など無いように感じるか細い線。その線に沿って、氷ではないものの異様に冷たく感じる何かがある。それが、自分の生死を分けた。

「オリビエさんが止血をしてくれて……その上でアーツ何回も重ねがけたの」

「けれど今すぐ医療機関にいくべきものだ。内部の肋骨と肺、血管が切れているのだから。体が傷を治そうと異常反応を起こしている」

 それは吐き気と息苦しさ、目眩、喀血となって少年を襲っている。

 少年はふと、戦場を見た。ジンとアガットがトロイメライの気を引いて、エステルとヨシュアは必死でリシャールに食らいついている。シェラザードとティータは、懸命に四人の援護を続けている。

 まだ、戦いは終わっていない。

「……二人とも、ありがとう」

 地に大人しく座ったまま、少年は言った。クローゼは兎も角、まだ反りが合わないと感じているオリビエは僅かに驚く。

 そして、こう言った。

「オレはまだ、戦えますか」

 そんなこと、できるはずがないことは分かっている。クローゼはダルモアの時以上に涙を浮かべそうだし、オリビエは無言のままだ。

「……聞いてほしい。自分でも無茶苦茶なことだと思う。でもリシャール大佐にやられて、思ったんだ」

 自分の死から遠ざかる覚悟は、確かに甘過ぎるものだ。先輩やリシャールと自分の差がそこにある、と言われても否定はできないだろうし、事実その甘さが自分を死の直前まで追い込んだ。ルークへの一撃だって、弱い自分は彼を傷つけるつもりで向かわなければならなかった。

 でも遊撃士を目指した自分の信念は、間違っていないはずだ。人を守りたいと思って銃を手に取った自分の心は、素晴らしいものだったはずだ。

 一度はリシャールに殺されかけた。でも不思議と、怒りも嫌悪もなかった。ただ自分が心と心の戦いに負けただけだから。

「だから今度は証明したい。オレの強さを。皆の力を借りたけど大佐の前に立てるってことを、分からせてやりたい」

 少女と青年は一語一句を聞き届けた。どんなに体が死に近くても。心だけは、まだ死んでいない。

「一つだけある。今の君が戦える方法が」

 意外な言葉が、漂泊の詩人かの口から発せられる。

「本当、ですか」

「ただ、これは言っておこう。君が参加することで成功する確率は大きく上がるが……それはあくまで君が作戦の中枢として機能したならの話だ。

 君が失敗すれば、全滅の可能性が濃厚となる。君が、皆の命を預かるんだ。その覚悟が……あるかい」

 覚悟を聞かれる。エステルはきっと、こう答えるだろう。他の遊撃士たちも、同じように答える。

 クローゼは凛として。ティータは声を大にして。オリビエは悦に入りながら。それでも皆、こう言うだろう。

 だから、オレもこう言うんだ。

「もちろん。任せてください」

 オリビエが笑う。いつもの陶酔的な表情でない、不敵な笑みで。

「わかった。

 姫殿下、弟君の責任は私が持ちます。絶対に、無茶はさせません。貴女が果たすべき役目を、私が指図してもよいでしょうか?」

 少女は少しだけ目を伏せた。もちろん心配しないはずがない。それでもいっそ晴れやかとも言える少年の語りを聞いて、もう何も言えなくなっていた。

「どうか、カイトを頼みます」

「任された、プリンセス」

 三十秒後、クローゼはシェラザードたちの元に駆けて言った。そこで、自らの役割を果たすために。

「さあカイト君、君の役目を説明しよう」

 未だ剣閃と轟音が鼓膜を震わす戦場の一角。少年と青年、相容れぬ二人は肩を支え合うことで、一緒に立っていた。

「君の役目は、トロイメライを倒す布石を打つことだ」

 オリビエが言う。自分のではない、懐中時計のような機械を見せながら。

「この、エステル君の戦術オーブメントを使って」

 カイトの顔に僅かな驚きの表情が浮かぶ。

 戦いの最終局面が、訪れようとしていた。

 

 

 


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