一年ほど前から孤児院を開けるようになったカイトと、学園の休日を使って孤児院に遊びにくるクローゼ。二人が来たことで、マーシア孤児院はいつにも増して賑やかとなっている。
「姉さん、今日は学校休みなんだ」
「うん。最近は勉強が忙しくて来れなかったから。それにまだまだ忙しいし、カイトがいて良かった」
「そうだね、オレも久々だし。ダニエル、スプーンはそれでいいよ、ありがとう」
「わかったー!」
クローゼはジェニス王立学園に入学してから、一年と数ヵ月が経っている。子供たち四人とは入学当初に孤児院に来たときが最初の出会いであったが、テレサ院長とカイトに関しては初対面ではなかった。
十年前の百日戦役の時、たまたまルーアンに来ていたクローゼは戦火の混乱の中で保護者と離ればなれになってしまった。その時、一時的にマーシア孤児院に過ごしていたのだ。
あの時、悲劇によって孤児となってしまったカイトとは、その頃から面識がある。『クローディア』と名乗った少女こそが、クローゼなのだ。
「ふぅ……」
子供たちと共に食事の支度を行い、変わらずに優しい微笑みを浮かべる彼女を見て、カイトは思わず溜め息を吐く。そこで初めて、先程よりも元気がなくなっている自分に気がついた。
何で緊張してしまうのかと考える。彼女が絵に描いたような美少女なのは確かだが、だからといって自分はそれだけで鼻の下を伸ばすような性格ではない。
小さな時は彼女がしっかり者だったため姉のように慕っていた。年が一つほどしか変わらなくても、空白の時があっても、久々の再会の時もその関係は変わっていないはずだ。今も姉として接しているし、クローゼも自分のことを弟に近い認識で見ているだろう。普通に話す分には、何も問題ない。
けれど最近。彼女が突然目の前に現れたとき。突然彼女の事柄が頭に入ってきたとき。どうしても、動揺してしまう自分がいる。
それは何故だろうか。
「ま、いっか」
没頭しても何も始まらない。今はそれでいいと考える。今はただ、楽しもう。先生と、姉さんと、四人の子供たちと一緒に。
……四人の、子供たち。
「あれ?」
そこで気づいた。
「そういえば、クラムは?」
「……あ」
孤児院の中で、拍子の抜けた声が重なった。
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「ったく、あいつまたイタズラしてんのか」
考え事や食事の支度、それぞれの事柄に集中しすぎてクラムのことをすっかり忘れていたのは、カイトやテレサ院長の落ち度だった。いったいあの忘れることのできない子供は、いつの間に孤児院を抜け出したのだろう。
クラムは、一言で表せばわんぱく。しかし二言以上で表すと、わんぱくを通り越して悪ガキと言われてしまう時がある。それが彼の良いところでもあるけど、テレサ院長やカイトの頭を少々悩ませていることも確かだ。
その無鉄砲ぶりをしっかり者のマリィに注意されるというお決まりの問答は、見ていてとても微笑ましい。
ともあれクラムを見つけ出すため、カイトとクローゼは早々に食事を済ませることになってしまった。見つけだした暁には、クローゼの手作りアップルパイを食べたがっている年少組によるお仕置きが待っていることだろう。
「あんにゃろう、オレもアップルパイ食べたいんだぞ……!」
どうやら子供なのは、この少年も同じらしい。
二手に分かれ、クローゼは子供たちがよく遊びに行くマノリア村を。カイトはルーアン市を探すことになったのだが。
「こっちは外れだったか」
ルーアンの観光名所であるラングランド大橋を中心に、協会、市長邸前、公園などを探してみたが、どこもかしこも目的の少年の姿はない。ルーアン市には、クラムは来なかったようだ。
「結局無駄足かぁ……」
思いもよらないことで体力を消費してしまった。
恐らくクラムはマノリア村にいる。だったら時間的に考えて、クローゼが早々に見つけだして孤児院に戻っているはずだ。今から向かってもアップルパイは食べられないだろう。
「……まあいいや」
孤児院に行った本来の目的を思いだし、カイトは重いと感じる足を遊撃士協会に向かわせた。
「ただいま戻りましたー」
「依頼は勘弁してくれぇ!!」
「……いつから仕事恐怖症になったんですか」
自分を見るなり叫び声を浴びせるジャンに呆れながら、カイトはカウンターの前にある机に突っ伏せた。
「へ? ああ、なんだ。また厄介事を持ってきたのかと……」
オレはそんな問題児じゃないよ真面目だよー、と心の中で主張する。しかしジャンやカルナからしてみれば、まったくもって問題児に近い存在なのだった。
「依頼にならなかった届け物はちゃんと届けましたよ。何かやることないですか?」
「ないよ、相変わらずないよ。暇なら二階の掃除でもやっといてくれ」
「結局こき使うのね」
しかし今のカイトにとって、小さな仕事でもそれは喜ぶべきことだった。元気なさげに返事をすると、ゆっくりと二階に向かった。
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特にやることもないまま、時間は過ぎていく。掃除をして昼寝をしかけ、見聞を広めるために依頼人とジャンの小会議を眺めつつ、その二人が降りた後は結局昼寝をしてしまう。
「ふふ……もう逃がさないからね」
そんなジャンの妙な迫力ある言葉で目を覚ました。
それが気になり、しかもわりと長居していたことに気づいて一階へと降りる。
「あれ、クローゼ姉さん。と……」
ジャンと話しているのがクローゼであることに驚いたが、さらに知らない人がいたことに目を丸くした。
そこにいたのは、赤を基調とした動きやすい服装に棒術具を持ったツインテールの少女と、薄い青の服と防具に身を包み、腰に二振りの剣を装備した黒髪の美少年。どちらも簡単な旅の鞄を持っている。
「カイト、ここにいたんだ。帰ってこなかったから心配したよ」
「そうか、クローゼ君と君は知り合いだったもんな」
カイトが知る二人は、それぞれのんびりと声をかけてくる。しかしそれを気にも留めず二人を観察する少年に、クローゼは思い出したように口を開いた。
「紹介するね、カイト。この二人は」
「その紋章はっ!!」
だがそれより早く、カイトは気づいてしまった。
「二人は、遊撃士なんですか!?」
その鬼気迫る迫力に、二人は思わずたじろぐ。
「え、ええ、そうよ?」
「聞いた通りの遊撃士好きだね」
「姉さん、二人は……あ、ジャンさんが言ってた有望若手かっ!!」
「そうだよってだから少しは落ち着けよ!」
スパーンと、ジャンの書類による攻撃がカイトを捉えた。それでようやく、ルーアン支部は静かになる。
「ほらカイト、お二人が困ってるじゃない」
「……すんません」
昔から頭の上がらない姉にそう言われ、少年は申し訳なさげに呟く。それを確かめたクローゼはよろしい、と笑った後、いつの間にか置いてけぼりとなっていた二人に顔を向けたのだった。
「改めて紹介しますね。孤児院にクラム君たちと一緒に住んでいる、カイトです」
「カイト・レグメントです」
それを聞いたツインテールの少女はにこやかに笑った。
「私はエステル・ブライト。準遊撃士よ」
対して黒髪の少年は落ち着いた声で応えた。
「僕はヨシュア・ブライト。同じく準遊撃士だ」
聞いて、カイトは疑問に思う。その気持ちを汲み取ったかのように、ヨシュアが答える。
「うん、僕たちは姉弟だ。正確には、僕は義弟だけどね」
カイトとクローゼ。エステルとヨシュア。
形や経歴は違えど、二組の姉弟が揃った瞬間だった。
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その後四人はルーアン支部を後にし、ラングランド大橋が巻き上がる様子を見てから、ブライト姉弟が泊まる宿『ホテル・ブランシェ』へと歩き出した。
「へぇー、エステルさんとヨシュアさんがボースの飛行船事件を解決したんですか!」
「ふふん、その通り!」
「こらこら。実際に空賊を逮捕したのは王国軍じゃないか」
「なによヨシュア、良い子ぶっちゃって!」
「それでも事件解決に協力したんでしょう? すごいですよ!」
「ふふっ……」
実はカイトがいない間に既に話題に挙がったものも話しているのだが、カイトがやや過剰に褒め讃えるため、エステルが機嫌を良くし調子に乗ってしまう。それをヨシュアが諭し、クローゼが笑顔で見守る光景が何度か繰り返されている。四人は、早くも意気投合していた。
「いいーなぁー。遊撃士かぁー。早くなりたいっ」
「へえ、カイトは遊撃士になりたいんだね」
ヨシュアの言葉に、カイトは待ってましたと言わんばかりに畳み掛けようとする。
「そうなんです! オレは」
「カイト、まだ遊撃士になってもいないのに遊撃士協会に泊り込んだりしているんですよ」
はりきっているカイトが、クローゼに言葉を遮られたせいで過剰にずっこけた。
彼としては、本当はわざわざ見習いのようなことをするでもなく、逸早く遊撃士になりたかった。だがそう簡単にその門は開かない。
遊撃士になるには、そのための試験を受けて合格しなければならない。簡単な依頼や魔獣退治など、試験官が定めた内容を突破すれば、新人の遊撃士ーー準遊撃士となる。
現在ブライト姉弟が準遊撃士であり、彼らは熟練した遊撃士ーー正遊撃士になるためにリベールの五大都市を旅しているという。各支部で依頼をこなし、功績が認められ全ての推薦状を受け取れば、晴れてカルナのような正遊撃士になれる。
だがそれも全て試験を受ける資格があればの話だ。十六歳になって初めて、その門は開かれるのだ。
「オレ、まだ十五歳なんです。だから、すぐに試験に受けれるように修行しているんですよ」
カルナたちルーアン支部の遊撃士は忙しいが、それ故に遊撃士が増えるのは願ってもないことだ。時間をみつけては、カイトと手合わせをしたり、カイトが魔獣と戦う様子を見守っている。それは後進育成という、立派な仕事でもある。
「へえ、じゃあ僕たちの後輩になるかもしれないわけだ」
「といっても、女王生誕祭が終わって一、二ヶ月も経てばもう十六歳です」
女王生誕祭は、およそ二ヶ月後だ。
「だから後輩なんて言わないで、すぐに追いついていきますよ」
「むむ、言ってくれるじゃない」
「僕たちも負けてられないね」
やんわりと笑うヨシュア。そこでエステルは手を合わせる。軽く叩くと、元気な彼女らしい提案をした。
「だったら、そんな敬語じゃなくていいわよ。私たち十六歳でほとんど変わらないし、ライバルになるならそれぐらいでいてくれなくちゃ!」
そんな提案に少年は一瞬迷う。けれど今ルーアンを照らす夕陽よりも眩しいエステルの瞳と、それを支える星のようなヨシュアの瞳を見て、カイトは満面の笑みで応えた。
「……じゃあよろしく! エステル、ヨシュア!」
二人に握手を申し出る。そこで、不思議そうな顔クローゼに向けた。
「どうせだったら、姉さんも敬語、取ればいいのに」
「私はいいよ。少し恥ずかしいし」
少し戸惑い気味の姉のような少女。不意にエステルが、会話に割って入った。
「そういえば、クローゼさんとカイトもほとんど年、変わらないわよね?」
「そう考えればそうだね。僕はてっきり、同世代の子より顔つきがしっかりしているのかと思ったよ」
「う……それは言わないで……」
カイトの顔つきは中性的なため、大抵の場合は実年齢よりも二歳程下に見られる。その十三歳の子供たちが成長期であることを考えれば、カイトがそのことを気にしているのも不思議ではない。
「確かにそうなんだけど、姉さんと初めて会った五歳のころはもっと子供っぽかったからさ。だから今更変えられないんだ」
「昔は、ずっとお姉ちゃん、お姉ちゃんって言ってたものね」
「姉さん、それは言わないでっていつも言ってるじゃんか!」
年齢と過去のことは、カイトにとって触れられたくないことらしい。
「カイトも可愛いとこあるじゃんっ」
「うるさいエステル、とっとと宿に入れー!」
二人の準遊撃士との会合は、とても楽しいものであった。