心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

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5話 欠片を追って③

 王都に来てから一度目の朝。

「おはようございます、エルナンさん」

 あくびをしながら王都支部の一階に降りてくる少年がいた。

 昨日は結局、通信機越しにジャンにこっぴどく叱られ、テレサ院長にも励まされつつ心配され、酷く精神を削られた一日だった。そしてルーアンで出会った記者のナイアルと食事に行くというブライト姉弟について行き、一通りの情報交換。エステルとヨシュアはこんなところにも人脈があるのだと関心しつつ、最終的には金銭的な問題で遊撃士協会の二階に泊り込むことになった。

「おはようございます、カイトさん。昨日はよく眠れましたか?」

「……はい、少し寝過ぎちゃいました」

 エルナンは王都支部を寝床としてるわけではないようだ。それなのに生活習慣の良いカイトよりも早く仕事場にいる辺り、さすがと言うものである。

「今日はエステルさんたちは準決勝ですね。まだ時間に余裕はありますから、朝食の後に見に行くことも出来ますよ」

 試合開始は十時から。今は八時前なので余裕で間に合うだろう。

 だが、カイトはやんわりとエルナンの提案を否定する。

「いや。エステルたちは勝つと思います。オレはオレで、できる限りのことをしたい」

 先輩遊撃士チームはもちろん他のチームも手練れ揃いな以上そう簡単にとはいかないだろうが、自分が心配する必要はないだろう。自分が王都に来たのはクローゼのため、リベールのため。そのためにエステルたちに協力するため。応援に行くことがそれに反するとは思わないが、他にもできることがあるはずだ。

「まずは王都の地形を把握していきます。行ったついでに、情報とか親衛隊の行方とか、なにかヒントがあるかもしれないし」

 もし銃を手に取る機会があるなら、戦場を理解する必要がある。人々と話を進めていければ、少数で幅広く行動できないエステルたちの助けになるかもしれない。

 エステルたちがアリシア女王陛下との接触を果たそうとしているなら、自分はそれが成功したとき、スムーズに現状を把握できるようにするべきだ。

「わかりました。何かあれば、すぐに連絡をお願いします」

 そうして支部を後にし居酒屋サニーベル・インで朝食を食べ、まずは西街区へ向かう。

「……それにしても、綺麗だな」

 流石は王国最大の規模を誇る首都と言ったところか。生誕祭も影響してか常に人の賑わいが絶えることなく、活気に溢れている。

 それでいて小国の歴史と伝統が優しさを生み出し、様々な人に受け入れられるような雰囲気と居心地のよさ。大陸広しと言えど、少年がリベールから出たことがないと言えど、これ以上の都市はないと言いたい。

 情報部のクーデターなど考えられないほどだ。

「おう……お前さんは」

 気ままに周囲を探索していると、不意に声をかけられた。そして振り向いて、ああなるほどと思う。

 いつの間にか、昨日も立ち寄ったリベール通信の本社の前まで来ていたらしい。当然そこにいたのは、三度目の顔合わせであるナイアル・バーンズ記者だったのだ。

「昨日ぶりですね、ナイアルさん」

「は、そりゃそうだろうな。カイトだったか、俺の懐をえらく貧相にしてくれやがって」

 煙草を吹かしながら呆れる。どうやら昨夜エステルたちと共に夕食を頂いたのが、怒るほどでないにしても涙目になるようなものだったらしい。

「ご馳走さまでした。カレーライス、美味しかった……!」

「それはそうと、お前さんは遊撃士見習いだったか?」

 そんな風に、世間話は進んでいく。第三者から見たエステルたちの各地での活躍。遊撃士という存在の意義。記者という立場から見た、この事件の見解。

 十分ほど談笑を楽しんだ後、また別の場所へ行く。中央通りを通り過ぎ、東街区へ。共和国大使館、エーデル百貨店。グランアリーナでの歓声を耳にいれ、帝国大使館の前をしかめ面で素通りしつつ、時間は刻々と過ぎていく。

 昼食後にはグランセル市街を出て、キルシェ通りとエルベ周遊道へ。だがこれまでに得てきた情報の通り、エルベ離宮へ入ることは不可能だった。

 途中少なくない数の魔獣に襲われたため、図らずも少年にとってちょっとした冒険となった。戦術オーブメントの代わりの解毒薬や弛緩剤、ティアの薬を持っていなければとっくに死を見ていて、少年はここでも自分の力不足を痛感した。

 グランセル地方を一通り俯瞰(ふかん)したこの日。少年は再びグランアリーナへと向かった。

 そして辿り着いた時には、既に夕刻になろうとする頃合いだった。昨日はエステルたちだけに用があったのだが、今日は違う。優勝という目的がある以上、他の二人とも面識を持っておきたかった。

「おう、お前さんは……」

 近づいてきたカイトに対し、東方の武術家は不思議そうな声を上げる。

「やあカイト、来てたんだね」

「紹介するわ、ジンさん、オリビエ。遊撃士を目指してる、カイトよ!」

 情報部クーデターのことは彼らも知らない。今はルーアンで知り合い、毎年武術大会を見学しているため応援に来たということにしておく。

「おう、ありがとな。だったらなおさら、優勝しなくちゃいけないわけだ」

 と、まるで頼れる兄貴分のような武術家、ジン・ヴァセック。聞いたところ、彼は共和国出身の遊撃士でもあるらしい。

「初めましてカイト君。いやあ、ヨシュア君に続き茶髪の王子様か……ドキドキするねえ」

「へ……?」

 金髪の青年、オリビエ・レンハイムの恍惚とした表情に対しこれから何度も悪寒を感じることになるのは、少年はまだ知らないことだ。

「オレはそこまで心配はしてないけど、頑張ってください。応援してますから」

 挨拶を終え、やがてジンとオリビエは酒場に繰り出すべく去っていく。

「あのさ、二人とも。ジンさんはともかく、あのオリビエさんって何者さ……?」

 それは言葉通りの意味でもあり、先程の悪寒の正体を聞き出すものでもあった。

「あまり聞かない方が良いと思うよ。その……ボースでは色々あったから」

「オリビエは銃の腕は確かだけど、あんな感じの変態だからね。カイトも気をつけた方がいいわよ」

 聞けば高級レストランで五十万ミラの高級ワイン『グラン・シャリネ』をタダ飲みして捕まり、そして釈放されたという。そして今回の大会への参戦も『面白そうだから』、そして『晩餐会の御馳走を頂く』ためという変人ぶり。正直驚けば良いのか呆れればいいのか、奇異の目で見ればいいのか分からない。

「二人がそこまで遠い目をするって……うわぁ」

「分かってくれれば何よりだよ」

 ヨシュアは目を細め、そんなことを言った。

「いやー、あんな放蕩バカが実質剛健な帝国人だなんて、信じられないわよ」

 エステルはさも可笑しいというように声を上げ、そしてカイトの思考を鈍らせる。

「帝……国人だって?」

「うんうん。ハーケン門に行ったときに初めて会ったのよ」

 やや遅れてヨシュアが口を開く。

「そうか。君はご両親のことで帝国が……」

「あ……」

 エステルの気づいたような吐息を聞いて、カイトはやや乏しめの表情で首をゆっくりと振る。精神の沸点を刺激され、快活さはなりを潜めてしまった。

 百日戦役が勃発しクローゼと出会ったあの日。十年も前のことで覚えているのは、ただただ泣きじゃくっていたことだけだ。当時の五歳の幼子には複雑な悲しみではなく、自分の前から親がいなくなったための原始的な反射だった。やがて戦争は終わり、苦しくも静かな日々が始まる。その頃はテレサ院長とその夫ジョセフ、そしてクローゼがいたことで、悲しみは徐々に消えていった。

 しかし数か月がたち、六歳になろうとする、少しだけ賢しくなったころ。昔からいたはずの両親がいないことがどうしても気になり、そして幼心ながらも理解した。自分の肉親はもう二度と会えなくて、それが不幸ではなくどこかの誰かの明確な意思の結果だったということが。どこかの誰かが、少年からすればはるか遠くに感じる隣国の帝国人だということが。

 小さなころに生まれてしまったその解釈は、少年の心に蜘蛛の糸のように張り付いている。どうしても、少年の本来の姿を消してしまうのだ。

「…………」

「あ、でもほら、オリビエは悪い奴じゃないから安心していいわよ! ほんっとにただの変態だから!」

 カイトに話してこそいないものの、エステルの母親も同じように百日戦役の時に亡くなっている。それでもエステルはその悲しみと向き合い、乗り越えていた。だからこそなのか、エステルは何もカイトを非難することなく笑いかけた。少年の心の未熟さ故だとしても、同じ経験をした者としての優しさなのかもしれない。

「カイト、僕らはこれから遊撃士協会に行くけど、一緒に来るかい?」

「……あっそうだね。ごめん、ぼーっとしちゃって。オレもいくよ」

 話を気にしないというヨシュアの心遣いにも気を回せていない。結局三人は、少し微妙な空気の中を歩くのだった。

 

 

――――

 

 

 日付は変わり、武術大会決勝の日。結局カイトは昨日の心境の変化を制御できず、今朝はブライト姉弟、そしてジンとオリビエに会いには行かなかった。とはいえ大会が終わった後には激戦を讃えるために会いに行かなければならないのだが。

 ブライト姉弟はカイトのことを理解してくれていたので、結局少年はそれに甘えてしまった。今は観客席で、今まさに始まろうとしている決勝戦を待っている状況だ。

「……オリビエ・レンハイム、か……」

 帝国人。自称漂泊の詩人、愛の伝道師。そんなふざけた物い言いが、少年の心に微かなざわめきを与える。

 そういえば、昨日まで武術大会に参加していたボースの飛行船失踪事件の首謀者であるカプア一家は、どこの出自だか定かではない。リベール出身ではないんじゃないか、外国出身だったらやはり外国人は許せないなどという、そんなどうともいえない思考が渦巻いていく。

 不意に歓声が響き渡った。遅れて気づいて顔を上げると、司会者の進行に合わせて会場の両側から中央に向かって選手が歩いてくる。

 一方からは言わずもがな、エステル、ヨシュア、ジン、オリビエの四人だ。誰の顔にも緊張は見えず、威風堂々と得物を携えている。そして一方からは、オリビエ以上にカイトの心をざわつかせる集団だった。

 全身黒装束の四人組――情報部所属の特務兵。三人は全員が鈎爪を携えていて、ルーアンのバレンヌ灯台でカイトが見た二人組と変わらぬ恰好をしている。そして残りの一人は、赤い仮面を身につけた巨大な隊長と思しき風貌だ。その左手には、大柄な大剣が握られている。昨日ナイアルと情報交換をした限りでは、確か隊長の名は、ロランス。階級は少尉だったか。

「あれ? あの剣……」

 どこかで見たことがある。刀身は光を鈍色に反射する黒で、刃を中心とした周辺部は金に輝いている。大きさも、アガットの身の丈もある重剣より一回り小柄な程度。それでもヨシュアの持つ双剣とは大人と子供ほどの差がある。

 あんな珍しい装飾の得物なんてそうそう見ない。そう思って記憶を巡らせ、そして考えているうちにそれぞれの選手は臨戦態勢をとってしまう。

 エステルが棍を。ヨシュアが双剣を。ジンが拳を。オリビエが銃を。特務兵が鈎爪を。そしてロランス少尉が大剣を。

 その様子は、戦いに関わる者としては見惚れるほど様になったものだった。

「あ、やべ……」

「空の女神もご参照あれ……」

 ざわついていた観衆がにわかに静まり返っていく。今この瞬間、カイトは応援する立場以外にも一人の武人としてこの場に立っていた。

「始め!」

 司会の叫びとヨシュア、三人の特務兵が動いたのは同時だった。オリビエとロランス少尉が後方に飛び退く。ジンとエステルはヨシュアの左右から敵の陣へ向かう。すぐさまヨシュアの双剣が鈎爪とぶつかり弾き合い、甲高い残響を響かせた。

 瞬間会場の熱気が一気に膨れ上がる。カイトは思わず耳をふさぎかけ、それでも戦いの行方をその目に焼き付けようとする。

 ブライト姉妹についてはルーアンでその戦いぶりを見てきたが、しばらく見ないうちにさらに磨きがかかってきているのが分かる。ヨシュアはそのスピードが特務兵相手でも後れを取らないものになっている。

 それでも相手は三人、鈎爪は六つ。苦戦は必至だ。だがヨシュアにも味方はいる。彼の左後ろから現れたエステルは、最後に見た時よりもさらに豪快さと繊細さが増した体捌きで棍を振り下ろし、特務兵どもに少なくない打撃を与える。

「はぁぁっ!」

 大歓声に負けないエステルの気合。今大会最年少と言っても過言ではない二人の活躍は大きく目を引くものだ。

 その一方で、別の意味で注目されるものもいる。当初この団体戦を一人で戦っていたジンと、黒装束の中でさらに異彩を放っているロランス少尉。少年少女と部下が白兵戦を繰り広げ始めた矢先、ジンはその横をかいくぐり後方に引いた仮面の男に対峙する。

 歓声の中に似合わぬ微かな静寂。だがそれも一瞬で、すぐに両者の大剣と手甲が衝突して小さな火花を散らした。すぐさま大剣の連撃と、ジンの巨躯に似合わぬ滑らかな体術が激しい攻防を繰り広げる。こちらは従来の一対一の決勝のようだ。

 そんな二陣に分かれた戦場だが、均衡は高々二十秒程度で刻々と変わる。突如として特務兵三人の頭上から、直径三アージュはあろうかという大岩が出現したのだ。太陽と重なって逆光となり、視界が黒く染まったことに驚く特務兵だが、事前に打ち合わせていたのだろう、ブライト姉弟は少しの焦りも見られない。

「今だよ、エステル君!」

 大岩――ストーンインパクトを出現させたのは後退したオリビエだった。しかも驚いたことに、彼はアーツ発動の余韻を見せることなくすでに動き始めている。恐らく狙いはロランス少尉か。銃の射程距離を活かし、中央の集団戦に巻き込まれないようにジンの援護をするつもりなのだろう。

 オリビエに声をかけられたエステルは瞬時に後退したかと思うと、続けざまに駆ける。そのまま身をかがめたヨシュアの肩を踏みしめると、落ちかけの大岩に向かって今大会一番の跳躍を披露する。

「はあぁぁぁあ!」

 その所作は会場の熱気を最大限に盛り上げるものだった。跳躍の勢いをそのままに、エステルは大岩に渾身の突きを十数回と繰り返す。

「とぅおおりゃあ!!」

 最後に全身を回転させ、棍を大岩に向かって薙ぎ払った。烈波無双撃というらしい、エステルの渾身の一撃に耐え切れず、大岩は地に衝突するより早くその身を周囲へ四散させた。威力は劣るが、衝撃の質としては対人地雷と同様だ。すごい、という言葉をカイトが呟いた瞬間には、もう特務兵たちは苦悶の声を上げ始めていた。

 有無を言わせぬほどの奇襲戦。それが手練れぞろいの特務兵たち相手に、エステルたちが選んだ方法だった。

「――これで終わりだ」

 突然そんな声が聞こえた。声の主はヨシュアだが、エステルに踏まれたはずの彼はその場にいなかった。少年の持ち味である速さと瞬発力を活かし、特務兵の死角に移動したのだ。

 そして身をかがめる。逆手に構える双剣が光を受けて輝き、瞳は一瞬だけ、漆黒の闇に浮かぶ月のように暗く煌めく。

「――漆黒の牙」

巨大な牙が、特務兵たちに襲い掛かった。

 

 


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