七耀歴千二百二年、ゼムリア大陸リベール王国。
自然豊かで、周囲の大国と均衡を保ってきた誇りある小国。だが人の国である以上、その歴史にはどこかに悲劇がある。十年前、たくさんの悲劇を生み出した百日戦役のように。そしてこの国は、悲劇を生むか希望を生むか……一つの分かれ道に差し掛かっている。
だからこそ、起こるのだ。たとえ『もし』という存在が表れようと、変わらずにそれは起こる。
――――
とある日。
リベール王国ツァイス地方、とある街道。
「雨が降ってきたね……エステル、早くツァイスに戻ろう」
「うん……」
夜の道。茶髪に棍を手にした少女と、漆黒の髪に双剣を携えた少年が歩いていた。
彼らはいつもよりも言葉少なげだ。無理もないのかもしれない。彼らは先ほどまで王国が誇る鉄壁の要塞に侵入し、そして軍の一組織がクーデターを目論むという衝撃の事実を得てきたのだから。
「もっと頑張らないと。父さんをみつけて、博士の依頼も解決して……それで」
「……」
「絶対、正遊撃士になれるようにっ……!」
「うん……頑張ろう」
少し泣きそうな少女の声に、しっかり者の弟は優しく相槌を打つ。
父の行方探しから始まった彼らの旅路は、様々な人を巻き込みながら、やがては王国中を巻き込むものとなっていった。今はたった二人の両肩に、多くの重圧がのしかかっている。
それでも、二人はめげない。これまで培ってきた経験が、彼らを強くさせてきた。何より彼らは、のしかかる重圧は大きな力に変えられることを知っているから。自分たちには多くの人たちが協力してくれているから。
だから、二人は突き進む。多くの人を巻き込んで、太陽と星のような輝きで、多くの人の心を変えていきながら。
リベール王国グランセル地方、エルベ離宮周辺。
「こちらです、クローゼ!」
「はい!」
レイピアを持った女性士官と青紫の髪に王立学園の制服を着た少女が道を必死に走っていた。
ひとしきりの会話を終えて、二人は別れる。女性士官は主を守るため、立ち止まって。
「王室親衛隊、中隊長……ユリア・シュバルツ――参るッ!」
少女は、ひたすらに走る。王都の遊撃士協会へ、女性士官やその部下の人々が守ってくれたこの身を守り、王国を平和へと導くために。
「ここまで来れば、大丈夫かしら……」
少女は一度立ち止まって、彼に伝える。
「ジーク!」
「ピューイ!」
「私はもう大丈夫だから……ユリアさんの所に行ってあげて」
「ピュイ!」
「もしものときは、これをちゃんと分かる人に届けてね」
翼をはばたかせ、ジークは飛ぶ。彼の存在を理解できる、事情を知る人々を思い浮かべながら。
リベール王国、王都グランセル、帝国大使館。
「麗しの王都に暗雲立ち込め、昏き情熱の序曲が鳴り響く。……フフ、面白くなってきたじゃないか」
部屋の中で曇り空を見上げながら、酔狂な台詞を唄う金髪の青年。
「相変わらずのお調子者だな」
そして、それに呆れ声をあげる仏頂面の帝国軍人。
二人はじゃれ合い、怒り、阿房な台詞を言い続け、そして重要な報告を行いながら、最終的には軍人が釘をさす。
「目当ての人物がいない以上、この地に留まる必要はあるまい。嵐に巻き込まれる前に帝都に帰るぞ」
「……ふ、御冗談を」
それでも青年は、余裕の笑みを崩さない。焦る軍人を尻目に、青年は再び空を見上げた。
「せっかく始める極上のオペラに、参加しないという手はあるまい?」
「まさか、お前……」
「役者も揃いつつあるようだ。主役は不在でも、代役には心当たりがあってね。……あの二人なら、必ずや自力で舞台に上がってきてくれるだろう」
彼はまだ知らない。名も知らない脇役の少年が、自分に大きな影響を与えていくことを。
――――
彼の存在があったとしても、強い意思は変わらずに働き続ける。けれど、それでも。
沢山の人が彼に影響を与え、そして彼も、沢山の人に影響を与えていく。
――――
朝霧の中。海辺の魔獣はもう慣れたもので、彼らの気配をみつけることはカイトにとって簡単なことだった。今日の魔獣の気分に合わせた魔獣の動きが少ない領域で、カイトはただ一点を見つめている。
浜辺の砂が風に絡まっても少年は焦らない。集中を持続させ、収束させた気を点にし、見つめる先――木で作られた手製の標的に照準を合わせる。
「はっ!」
まず一発、正面。
「……っ!」
次に二発、後方。連続して左右に一発ずつ。空想の敵を描いてはその都度彼らの動きを把握して、三次元あらゆる場所に設置された十余りの標的を倒していく。
急に激しい炸裂音がした。それは少年自身が試行錯誤して作り上げたもので、いつ罠が発動するのか分からないようにしているものだ。
その罠が発動したおかげで、少年めがけてルーアンの港で仕入れた拳大の鉛玉が三発飛んでくる。
カイトは最大の気迫を見せて迎撃を行おうとして――失敗した。
「……ぐっ!」
先の二つは見事に銃弾で弾いたものの、とあることに気をとられて普段の集中が維持できなかった。なかなかの威力の鉛玉が脛に直撃し、カイトは浜辺を当たりかまわず全力疾走する羽目になる。
「……ちくしょう……」
走り終え、痛みで涙目になった少年は、そう毒を吐くのだった。
――――
修行を終えて汗を拭きとり、すっかりお世話になっている白の木蓮亭で朝食を頂いた。ダルモアと対峙した後に新調した好みのフード付きの白いシャツを着こみ、少年は今日も今日とてルーアン支部に顔を出した。
「こんにちはー」
「やあカイト」
ルーアンで有名な学園祭も終わり、デュナン公爵も無事視察を終え、ルーアン支部はそれほど忙しくなくなっていた。今はカイトが手伝う必要もなく、ジャンは挨拶をしつつのんびりと仕事をしている。
エステルとヨシュアがルーアンを出発してから、三週間ほどが経った。ダルモアの逮捕によって混乱していた市内も完全ではないが落ち着きを取り戻してきていて、少年の家である孤児院も、数日前に同じ場所に再建するための作業が業者によって始まったばかりだ。
子供たちもすっかり元気を取り戻し、カイトが心配する必要はなくなっていた。事件の際二度も遊撃士一行に蹴散らされたレイヴンは、その影響か今はやけに大人しく、最近は彼らの厄介後との噂がまるでない。カイト個人の思考の数割を占める姉も、
逆に噂になってきたことと言えば新市長の選挙だが、それは実際に着手されてから間もないため、まだまだ起こしたての火種といったところだ。
「あー、暇」
少々失礼な発言だったが、三週間前までの事件を考えれば無理もないことだった。
「その割に、ここにはやっぱり来るんだね」
そうなのだ。常日頃から遊撃士協会に顔を出しているカイトだが、今は特に何もすることがない。ここ数日は適当に支部に居座り、どんな依頼が来ているのかと掲示板を見ては、雑誌を読みふけるだけだ。
本来カイトは孤児院再建の工事や作業を手伝うつもりでいた。さすがに専門的なことを行うのは逆に迷惑だが、業者へのお礼もかねて昼食の配達や物資の運搬などを行うつもりだったのだ。
だが最近、少年を特に理由もなく居座らせるという妙な理由ができた。
「はいこれ。これ以上支部経由で連絡が来るとも思えないし……また見るかい?」
「ども、ジャンさん」
ジャンが差し出したのは、数日前に創刊されたリベール通信の最新号だった。カイトはそれを受け取ると、やや重い手つきで頁を捲る。開いた頁は、決まってカイトの心を動揺させる特集が組まれている。
『王都激震! 親衛隊が反乱謀議!?』
『王都に衝撃 親衛隊を逮捕』
『エルベ離宮も封鎖』
『エリート部隊がなぜ 深まる疑惑』
王都にて、王国軍王室親衛隊が反乱を計画。多くが情報部により反逆罪で逮捕され、中隊長であるユリア・シュバルツをはじめとした他の隊員も指名手配となった。
記事の中では、つい先日にツァイス地方で起こったという中央工房襲撃事件に関する報道もある。どうやらツァイスに向かったエステルとヨシュアが事件を担当したらしく、その事件についての情報はある程度ルーアン支部にも届いていたのだが。
記事では、襲撃事件の犯人は王室親衛隊だと書かれていたのだ。
ボースでは飛行船失踪事件。ルーアンでは孤児院の放火事件。ツァイスでは中央工房襲撃事件。そして王都グランセルでは、親衛隊の反乱。聞けばエステルの父親の行方不明はロレントで明らかとなったというし、五大都市全てで嫌なニュースが流れたのだ。王国全体が、不穏な空気に包まれていた。
そうした中、王都ではアリシア女王陛下がご体調を崩され、現在はご療養中だとも言われている。そして陛下のお側には孫娘のクローディア姫殿下が付き添われているとも。
「……やっぱり落ち着かない」
支部を出ていくでもなく、カイトは支部の中を淡々と歩き始める。
カイトはこうした一連の情報に、はっきりとした不安と疑問を抱いていた。
(あのユリアさんが、リベールを裏切るなんて。……絶対に、ない)
それは推理や結論ではなく認識。
(姉さんを裏切るわけあるかっ)
少年は、姉代わりだった少女を思い浮かべる。
クローゼ・リンツ。十六歳。ジェニス王立学園社会科在籍。フェンシング部に所属していて男子相手に楽々優勝をもぎ取る実力と、一般人にあまり縁のない戦術オーブメントを所持している。カイトとは十年前の百日戦役の時からの縁で、カイトと共に戦争が終わって世間が落ち着くまでの数か月間、一緒に暮らしていた仲である。
その正体は、現リベール女王アリシア・フォン・アウスレーゼの孫娘クローディア・フォン・アウスレーゼ。社会勉強のためにお忍びで学園に通う、正真正銘のお姫様である。
この事実を知っているものは少数だ。学園ではコリンズ学園長クローゼの親友であるジルとハンス、そして孤児院ではテレサ院長程度だろう。カイトでさえ、この事実は幼少の時にリベール通信で偶然発見したもので、そうでなければ現在も全く気付かなかっただろう。
クローゼはカイトが事情を知っても全く気にせず、むしろ弟分である少年を自らの教育兼護衛係であるユリアに紹介するという朗らかさを見せていたが。
だからこそ、腑に落ちないのだ。この間の放火事件を含めて数度しか面識がないとはいえ、ユリアとクローゼは立場以上に姉妹のような間柄でもあった。そのユリアがクローゼを、そして女王陛下に対して矛を向けるなんて絶対にありえないと、カイトは考える。
(それだけでもきな臭いのに……)
遊撃士協会の馴染み顔となっている以上、少なからずカイトにも現場の情報は伝わってきている。現在王都では王国軍による様々な規制が厳しくなっていること。ルーアンで目撃した黒装束がツァイスの事件にもかかわっていたことも。
どうもおかしい。ジャンも一連の情報をもちろん知っているが、クローゼ周辺の情報については無知のため、カイトよりも危機感はないらしかった。結果、少年だけがまるで元気がないかのように人々の目には映っている。
(……ここまでの話。嫌になるくらい考えたけど、やっぱり繋がってる)
王室親衛隊は、王都で反逆罪をかけられて、また中央工房襲撃事件の首謀者でもあるらしい。そして、カイトが目撃した黒装束はボース、ルーアン。……そして、ツァイスの中央工房にて目撃された。
黒装束と王室親衛隊がここで繋がるのだ。
少年個人としては、百歩譲って王室親衛隊の一部が事件を起こしたのであればまだ納得できる。だが軍の情報部は、ユリアを含む王室親衛隊全員であるとはっきり言っていたのだ。
「ジャンさん、ちょっと散歩行ってきます」
やはり落ち着かないカイトは動き続けることにした。
支部のすぐ横にある掲示板には、新市長選挙について書かれている。海辺の公園に足を運べば、ジークほどではないもののきれいな白の鳥たちが海の青とのコントラストを作っている。七曜協会を見ればルーアン独特の造りが子供たちを喜ばせている。
そんな故郷を歩いても、カイトの疑心は解けないままだ。
「よう、おめえさん!」
そんな折、少年を呼び止める豪快な声があった。
「あ。こんにちは、オニールさん」
市街を歩くうちにいつの間にかルーアン支部の周りを一周していたようだ。その目標地点の少し前で声をかけたのは、カイトの最初の依頼人である元船乗りオニール。
「よう、なんか買ってけよ!」
「じゃあ、このサモーナでも買って帰ろうかな」
「お、いいじゃねえか。このサモーナはな、オレが昔一流の船乗りだったころに――」
彼の特徴は、少々長い昔話である。カイトはこれがあまり好きではないが、今は気でも紛れるだろうと思いのんびりと聞き入ることにした。
「――んで、見事巨大ブルマリーナを引き上げたわけよ。全く対した男だぜと、柄にもなく自分のことを褒めたもんだ」
「へえ、すごいですねえオニールさん」
自慢話開始から早十五分。今日は中々快調な速度である。
「ああ。これは是非この怪力を他の奴らに見せてやろうと思ったもんだぜ」
「ほうほう、だったら王の武術大会なんかいいんじゃないですか? いろんな人が見に来ますよ」
少しおだてながら、もうそろそろ終わらないかなーとカイトは考えていた。
「馬鹿言え、さすがにそこまで有名になったら逆に困るぜ。武術大会は見てるだけで十分だ」
「ふぅーん……」
「今年は武術大会、例年と違って四対四の団体戦になるらしいじゃねえか。楽しみってもんだ」
そういってオニールは、雑誌を一つ取り上げる。
「あ、『リベ通』の号外、それ買います!」
さっそくみようと、サモーナのことも忘れて通貨を取り出す。
武術大会は、女王生誕祭を近日に控えたこの時期に王都の毎年グランアリーナで行われる、文字通り参加者の武術を競う大会だ。参加は一般や国外からも可能。さらに毎年王国軍の精鋭が出場するため、誰もかれもが気になる催しの一つだ。
さらにオニールの言った通り、今年は個人戦ではなく団体戦であるし、カイトにとっては師であるカルナがこの大会に出場し、今頃は仲間とともに猛威をふるっているに違いない。カイト自身も楽しみなニュースである。
「今年は色んなところがいるなあ。あ、出場選手の写真付きだ」
パラパラと特集を眺めていく。カルナを見つけたり、エステルとヨシュアが参加していることに仰天したりと目を移していく。
「あの二人、頑張ってるな。んでこれが、噂の情報部の特務兵――」
写真を見て、少年の動きが止まった。
「――へ?」
特務兵の写真を見て、カイトは自分の思考が猛烈に渦を巻いているのが理解できた。微かに震える手で雑誌を懐にしまうと、オニールにも目をくれず店を後にする。
「おい、サモーナは買っていかねえのかー!?」
そんな声にも気づかず、少年はルーアンの街を駆けていった。