真っ暗な闇の中で、誰かが誰かを呼ぶ声が聞こえた。
「ーー!」
ああ、自分は誰なんだろう。
「ーート、カイト!」
これは、女の子の声だ。女の子が、カイトという人を呼んでいる。
綺麗な声だ。どんな顔をしているのだろう。
そう思って、目を開けた。
「カイト!」
それは、どうやら自分を呼んでいたらしい。
「カイト! 私が分かる!?」
明るい青紫の髪をした少女がそう叫んでくる。ゆっくりと少年は、
「え……あぁ。……ねえ、さん……?」
「あぁ、良かった……!」
気の抜けた声で少女を呼ぶと、自分が誰のなのかを少年は思い出した。しかし、そんな考えを一瞬で思考の外に吹き飛ばす出来事が起こる。
クローゼがカイトを強く抱き締めた。一秒遅れて、温もりと甘い香りと共にそれを認識する。
「なっ、ど、どな……!?」
「本当に、無事で良かったっ……!」
驚きで空回りする脳を必死で正常に働かせようとする。一つ分かったのは自分が姉にこんなにも心配をかけたこと。
「そうだ、みんなは!?」
そして次に分かったのは、自分が気を失う直前の出来事だった。名残惜しいと思いながらも、クローゼの両肩に手を添えてそっと距離をとり、口を開かせる。
「大丈夫。みんな無事だよ、カイト」
聞こえたのは、クローゼではなく優しげな少年の声だ。自分と少女の二人しかこの場にいないと思っていたカイトは、ぎょっとして彼を見つめる。
「ヨシュア……」
その隣には不安と安堵の表情を混ぜた顔をしているエステル。そして周りにはクラムにマリィ、ポーリィ、ダニエル。
自分はどうやらベッドの上に寝かされていたらしい。横に目を向ければ、テレサ院長とカルナが同じように横になっていた。
そこで気づく。ここは白の木蓮亭の一室だ。
「マリィから話は聞いたよ。黒い男たちに首を殴られたんだって?」
「う、うん」
「そうか……。テレサ院長とカルナさんは、睡眠薬で眠っているだけだ。副作用もないし、しばらくすれば目を覚ますから安心してほしい」
あの布の正体を理解した。子供たちはともかくとして、自分はあの一撃で意識を失ったからわざわざ睡眠薬を嗅がされなかったのだ。
「そっか、みんな無事で、良かった……」
「カイトも無事で良かったわよ。あたりどころが悪かったら本当に危なかったんだから」
「エステル……ごめん、心配かけた」
何にせよ、誰も不幸にはならなかったということだ。
「でも、カイト兄ちゃん」
今までずっと黙っていたクラムが、カイトが目覚めて初めて声を出す。
「あいつら、先生が持ってたでっかい『ふうとう』をとってったんだよ!」
「ふうとう……?」
そこに間髪入れずに、落ち着きを取り戻したクローゼが補足する。
「学園祭の寄付金が入った封筒なの」
「封筒って……百万ミラ、を……」
あの黒装束は奪ったというのか。孤児院を再建させるための百万ミラを。
「何にせよ、私にはこれが単なる強盗だとは思えません」
何の権利があって、そんなことをしたんだ。
「偶然にしては余りにもタイミングがよすぎます。かと言って寄付金のことは渡す直前までジルたち以外は知らなかった……。犯人は今日学園祭に来ていて寄付金の贈呈を見ていたのではないでしょうか?」
何故何の罪もない自分が、先生が、子供たちが、こんな目に遭わなくてはいけないのだ。
「いえ、恐らくそれよりも前……あの孤児院の放火も」
何故、姉の涙を見なければならないのだ。
「クローゼの言う通り、この二つの事件は同一犯によるものだと見ていいと思う」
「だったら、すぐに追いかけて犯人を捕まえないと!」
「……なんでだよ」
会話があふれ始めた一室で、唯一他人と意志を繋がない少年の呟き。
「フン、そいつは同感だな」
けれどその場の全員がカイトの呟きに気づくよりも早く、部屋の扉がやや強引に開けられた。エステルの覇気に満ちた意見に同意したのは、『重剣』のアガット。
「あ、アガットぉ!?」
「来ていたんですか……」
「ああ、ギルドに連絡があったからな。中々厄介なことになってるじゃねぇか」
ヨシュアにも負けない正遊撃士の余裕さ。それはエステルと少年の心を焚き付ける。
「わ、笑い事じゃないわよ! カイトも……カルナさんだってやられちゃったんだから!」
「判ってる。きゃんきゃん騒ぐな」
部屋に入るなり突っかかって来たエステルの頭を押し退け、アガットはテレサ院長とカルナの様子を確かめる。
「カルナは確かに一流だ。しかも人数だけで言えば同じ二人での戦い……。相当やばい連中らしいな」
カイトにも眼を向け、彼を含めた遊撃士見習いたちに問いかける。
「大雑把でいい。一通りのことを教えてもらおうか」
クローゼが子どもたちをなだめつつ、寄付金が奪われたことも含めて一通りの状況を説明していく。
最初こそ焦りの見えない無表情を貫いていたアガットだが、ヨシュアとカイトが交互に口を開く度、徐々に苦虫を噛み潰したような顔になる。
「なるほどな……妙なことになってきやがった」
「妙って、なにがよ?」
「実はな……レイヴンの連中が、港の倉庫から行方をくらました」
それは本来なら繋がるはずのない事象。だが今の遊撃士たちには、些細な事だとしても怪しく聞こえる。
「それって、やっぱりあいつらがみんなを襲ったんじゃ……」
「それはない」
エステルの仮説を逸早く否定したのは他ならぬカイトだ。百万ミラが奪われたと聞かされた時と全く変わらない、変化に乏しい表情のまま二言目を告げる。
「あいつらなんかに、オレとカルナさんはやられない」
目線は、下のベッドに落としたままだ。
「それにあいつら、黒装束の一人の装備は鈎爪だった。あんな珍しい装備……滅多にない」
「なに……?」
「確かに……あいつら口先だけでろくに鍛えてなかったもんね」
少年の説明に対し、狐に摘ままれたような顔をしたアガット。カイトを見習って先程の仮説を取り下げたエステル。二人に対して、茶髪の少年は更に言葉を重ねる。
「そうだ。絶対にない」
もしそうだったら、どんなによかったことか。そんな言葉は空気に乗ることはなかったが。
「いずれにせよ、完全に無関係だとは言い切れませんね」
「……ああ。新米ども、とっとと行くぞ。できる限りの情報を探すんだっ!」
遊撃士三人は子供たちに声をかけながら部屋を出ていく。そして、その背を追いかける人影が二つ……。
五人が外に出た時、既に日は落ち辺りは闇に覆われていた。
「おい、お前ら……」
アガットが声をかけたのは、案の定カイトとクローゼの二人だ。
「嬢ちゃん、この先はあんたが言っていいような場所じゃないんだぜ」
まずクローゼに非難の声をかける。遊撃士として当然の反応ではあったが、少女は反論するでもなくただ一言を告げた。
「この目で確かめたいんです」
「な、なにぃ……?」
「誰がどうして、先生やカイト……子供たちにあんな酷い目に合わせたのか」
その目は、凛としていた。
「だから、どうかお願いします」
「そうはいってもだな……」
「はいはい、ケチなこと言うんじゃないわよ」
「彼女の腕は保証します。少なくとも、足手まといにはなりませんから」
エステルとヨシュアの援護射撃。根負けしたのか、アガットは「勝手にしろ……」と舌打ちを打つだけでとどまった。
「ありがとうございます」
と、クローゼ。
「で、俺はお前もついてくるのは願い下げないんだがな」
その声は、当たり前のように茶髪の少年に向けられていた。しかも、あからさまでないにしてもクローゼも同じらしく、心配そうな表情をしている。
「さっきの戦闘が響いてるんなら、お前は嬢ちゃんよりも足手まといだ。連れて行かせるわけにはいかねえぞ」
少年は、首を横に振る。
「大丈夫です。あれだけ時間たったし、もう意識もはっきりしてます」
「カイト、みんないるから無理はしなくてもいいんだよ?」
クローゼの言葉にも、少年ははっきりと断ってみせる。
「だから大丈夫だって。それに姉さんと同じさ。オレだって、あいつらを許すわけにはいかないんだ」
クローゼとは違う何かを持った瞳をアガットに向ける。少年はそれでもどやされると予想していたが、返ってきたのは意外な一言だった。
「……わかった。無茶したらその辺に置いてくからな」
「それじゃ、決まりね」
方針を決定づけるエステルの言葉。次いで耳に入ってきたのは、空に響き渡る甲高い鳴き声だった。
「ジーク!」
夜空に現れた白隼は、クローゼの『お友達』であるジークだ。
クローゼが幼い頃に孤児院から実家に戻り、一年と少し前、学園に編入した時にカイトはジークと初めて面識を持った。
クローゼは、彼女はジークの言葉が分かるらしい。少年は最初は半信半疑だったのだが、今は彼女と『彼』のコミュニケーションを信じている。
というより、クローゼがジークに向けてクラムを探してほしいとお願いした数分後に本当にクラムの場所をピタリと当てた時には、しかもそれが何度も行われては信じざるを得なかった。
以来、カイトは暇を見つけてはジークとのコミュニケーションを図っている。それが功を奏してかそれとも偶然か、言葉はわからずとも何をしようとしているのかぐらいは分かるようになってきた。最近ではジークの方が少年の近くに遊びに来てくれるほどだ。
そしてそのジークは、「ピュイ、ピューイ!」と必死に翼をはためかせている。
「うん、そう。わかった、ありがとうねジーク」
つまりはこういうことらしい。
ジークは黒装束の二人組が少年たちを襲う瞬間を見ていた。そして、今から二人組が潜伏している場所に案内すると。
アガットがクローゼの言葉を信じずに一蹴したが、その場の少年少女全員は気にせずジークの後を追う。一瞬言葉を失った赤髪の青年は、半信半疑のまま彼らの後を追いかけるのだった。
――――
ジーク助けを借りて夜の道を行く五人は、それぞれが違った表情をしている。エステルとヨシュアは決意に満ちた顔。クローゼは極めて冷静な顔をしていて、先程言った『この事件の真相を知りたい』という言葉に恥じないものだ。ジークの存在に戸惑いつつも冷静に少年少女を見極めているアガットは、『一般人』に対していい顔をしないものの『クローゼ』に対してはある程度の信用を持ち始めていた。
「おい、カイト」
「はい」
「……気ぃつけろよ」
基本全員の言葉数は少ないものの、ことにカイトはそれが顕著だった。現にこうしてルーアン近海の道標となるバレンヌ灯台ーー黒装束がいるかもしれない場所についても、他の三人と違って一人沈黙を貫いている。
アガットは、本来はついてくる少年を追い払うつもりだった。それを変えたのは、彼の目がアガットを見ていなかったからだ。見ていたのは、恐らくここにはいない件の黒装束。
怒りに震えているのはわかる。それはアガットも心の底から理解していた。それでもやはり、分からないことはある。彼の瞳の静けさは、怒りか、焦燥か、虚無感か、悲しみか……破壊衝動か。
クローゼと同じなのか、耐え難い怒りにうち震えているのか。アガットはそれが、遊撃士というよりは『人』として心配だった。だからこそ、一先ずは彼のやりたいようにさせたのだ。
「ーー入るぞ」
扉を開けると、そこには薄暗い空間が広がっている。大抵は一人の老人が最上階で番をしているため、ここには人の気配がないはずだ。
しかし、そこにはいるはずのない人間がいる。
「てめぇら……こんな所で何やってんだっ!」
アガットが声を荒げる。数日前にも相対したレイヴンが、幹部から取り巻きまでが勢揃いしている。
「ねえ、こいつら様子がおかしくない?」
「うん。そう見えるね」
エステルの問いに対し、ヨシュアが相槌を打つ。そして、その問いを決定的にする出来事が起こった。
カイト以上に感情が乏しく声も出さないレイヴンにアガットが近づいた瞬間、彼らの内の一人、紫髪のロッコが襲いかかってきたのである。
「ロッコ、お前……」
油断していたとはいえ、明らかに腕力のあるアガットが押されていた。何とかその攻撃をいなしたものの、その様子は五人に衝撃を与える。どう考えても普段の彼らとは違っていた。
「……ロッコ。ディン。レイス」
やはり、返事はない。全メンバーが警棒を構える。
「はっ、上等だ」
そして、アガットが重剣を構える。多勢に無勢は危険だと、少年少女も各々の得物を構える。
「何をラリッてるのか知らねえが、キツイのをくれて目を醒ましてやるぜぇ!」
レイヴンとの、二度目の戦いが始まった。