「私たちの劇、どうだった!?」
「すごかったよー!」
「ヨシュアちゃんも可愛かったのー」
「うっとりしちゃったー」
「ははは……」
ジェニス王立学園の中庭。劇が終わってすぐ、制服姿に戻ったクローゼたちがやって来る。クラムとマリィはエステルに、ポーリィとダニエルはヨシュアに元気な感想を語り始めた。
「姉さん、すごい劇だったよ!」
「カイト、ありがとう!」
「本当に、素晴らしい劇でしたよ……!」
「テレサ先生……」
あの劇を思い出す。目の前の姉が一生懸命に演じた風景が目に焼き付いている。
「本当に、みんな来てくれてありがとう。頑張った甲斐があったわ。ね、ヨシュア!」
「そうだね。みんなありがとう」
そのヨシュアの声が耳に届いた瞬間、カイトは胸が疼くのを感じた。オスカーとセシリア姫の口付け。クローゼとヨシュアが行ったそれは劇の中のシーンの一つでしかない。けれど、ヨシュアを見た瞬間に頭の中に再生されたのは何故かそのシーンだった。
何故そのシーンなのか。何故ヨシュアに、小さな嫉妬のような感情を向けてしまうのか。ヨシュアは遊撃士で、クラムを元気づけ、演劇に尽力した素晴らしい人物なのに。
「すごい可愛かったよ、セシリア姫!」
何も悩むことはない。だからカイトは、笑うことにした。誰も悪人ではないのだから。無理矢理にその思考を押し留め、この場で一番の笑顔を作った。
「ヨシュアさんも、エステルさんも本当にありがとうございました」
テレサ院長がカイトの言葉を継ぐ。ヨシュアはカイトのからかいに苦笑いをしかけたが、テレサ院長の声を聞いて優しい顔つきになる。
「ありがとうクローゼ。ルーアンでの、いい想い出になりました……」
それは殆ど、とどめの一撃を与えるような言葉だった。けれどクローゼは、劇の前のような哀しみに満ちた顔を見せなかった。
子供たちに、カイトに、そしてテレサ院長に向けて、全身全霊でオスカーを演じたから。その想いは間違いなく伝わったから。だから、哀しみよりも楽しげな笑顔を浮かべて、テレサ院長の手を握る。
「先生……! 王都なんて、飛行船に乗ればすぐの距離ですよ!」
だから、すぐに会える。
「それに、いつかきっとまた……」
遅れて、やって来る人物が三人。
「みんなで過ごしたあの場所に」
「テレサ院長、久しぶりだのう」
クローゼの言葉を遮って、けれど深みのある優しい声を出したのは、カイトも先日に顔を会わせたコリンズ学園長だった。その後ろにはジルとハンスがおり、二人はそれぞれエステルとヨシュアに手を振る。
「話は聞いておるよ。ずいぶん難儀しておろうて」
「いえ、皆様に、多大な援助をしていただいていますから……」
挨拶もそこそこに、大人たちはその歳に相応しい言葉を送り合う。
「おやおや、では少し出遅れてしまったかな?」
「へ?」
出遅れた? と、カイトは何故かその言葉をはっきりと聞き取った。
「実はわしらも、微力ながら力になれればと思ってな。……ジル君」
「はい」
言って、コリンズ学園長はジルへ顔を向けた。楽しいもの好きな生徒会長は珍しく静かに一言だけ発すると、テレサ院長の前まで歩を進める。
子供たちに遊撃士、学園関係者など、総勢十二人の大所帯となってしまった中庭で、ジルは手に持っていた厚い封筒をテレサ院長に手渡す。
「テレサ院長、どうぞお受け取りください!」
「これは?」
「学園の来場者から集まった寄付金です。ちょうど、百万ミラあります」
あります、と言ったところで。
「ひゃ……!?」
まずエステルとクローゼがあんぐりと口を開け。
「ひゃくぅ!?」
カイトが、声を裏返しながらもなんとか言い切る。
「どうぞ孤児院再建に役立ててください!」
ジルの言葉が、事情を知らない者の頭に浸透すると、それぞれ戸惑いと歓喜の表情に変わっていく。
「どうして、こんな大金を……」
「今回はたまたま多くの名士たちが集ったから、例年よりも多くの寄付金が集まったのだよ」
コリンズ学園長の説明と同時に、ハンスはにやりと口角を引き上げ、ジルは片目をつむってクローゼに笑顔を向ける。
「いけません! こんなものは受け取れません!」
テレサ院長に、ハンスがやんわりと告げる。
「心配はいりませんよ。毎年、学園祭で集まった寄付金はこうして福祉活動に使われているんですから」
「でも、ここまでしてもらうわけには……」
「時にテレサ院長。今年の学園祭はどうだったかな?」
文字通り唐突な問いかけをしたコリンズ学園長は、一度そこにいる全ての人間を見渡す。
「生徒一人一人が一丸となって作り上げた学園祭。いつも以上の催しだったじゃろう? その寄付金は、そんな彼らの頑張りによってもたらされたものだよ」
ジルは得意顔、ハンスは清々しい笑顔、エステルは達成感と喜びに、ヨシュアは優しさに満ちた顔をして、白髪を擁したルーアンの賢人を見つめる。
そしてクローゼは、少し思いつめたような、でも嬉しさをにじませながら、テレサ院長に語り掛ける。
「テレサ先生、どうか受け取ってください。それだけのミラがあったら、孤児院を再建できるし、王都に行く必要もありません」
「クローゼ……」
「姉さん……」
「あのハーブ園だって、放っておかなくてもいいんです!」
耐えきれず、劇中の喜びに匹敵する声量で自分の気持ちを言い放つ。
「クローゼ君の言う通りだ。受け取りなさい、テレサ院長。亡きジョセフ君と、何より子供たちのためにもな」
慈愛に満ちた言葉に。周りの人々の献身的な気持ちに、カイトは思わず涙を流しそうになって、そして耐える。でも、それはすぐに耐え切れなくなった。
「ああ……本当に、ありがとう、ございます……」
テレサ院長の、放火事件からの二度目の涙。彼女の頭をコリンズ学園長が優しく撫でる。
「先生。本当に……良かったっ」
「よしよし。あんたもよく頑張ったわ」
クローゼも歓喜に震えて、ジルの抱擁に身を預ける。
彼女たちが、こんなにも心を動かして、少年が動じないはずがなかった。
「良かった。また、あそこで暮らせる……」
自分が育ったルーアンの地で、また過ごせる。遊撃士になれる、クローゼと会える。そして何より孤児院で寝て、起きることができる。
これ以上ない。白き花のマドリガルのセシリア姫の奇跡にも勝る、女神からの贈り物だった。
――――
「じゃあ、姉さん」
「うん。今日は後でマノリア村に行くから、それまでみんなのこと、よろしくね」
「分かった。カルナさんもいるし、心配はいらないよ。皆にも、よろしく言っておいてね」
孤児院再建の
エステル、ヨシュア、ジル、ハンスの面々とは、すでに暇の挨拶を済ましている。彼らは、今頃学園祭の後片付けをしているだろう。クローゼは特別に抜け出して、こうして学園の門まで見送りに来ている。
「……さっきまでは、これでしばらく会えないと思ってたのにな」
「うん……そうだね」
「感謝しないと。いろんな人に」
エステルに、ヨシュアに、ジルに、ハンスに、コリンズ学園長に。学園の生徒たちに、何より寄付を行ってくれた全ての人に。何をやっても返せないほどの恩を受け取ってしまった。
「姉さんもありがとう。改めて、すごい劇だったよ」
「ふふっ。ありがとうカイト」
ああ、やっと笑ってくれた。最近の作ったものでない、いつもみたいな優しい笑顔だ。
少女の顔を目にした少年は、それが孤児院再建の目処がたったのと同じぐらいの意味と大きさを持って、心に響いた。
少しでもこの場に居続けたい。そんな気持ちを抑えてカイトは告げた。
「じゃあ姉さん、また後でね」
手を振って、少し前を行く子供たちへと歩を進めた。
数十秒で追いつく。まだまだ興奮冷めやらぬ子供たちは、テレサ院長の回りと今来たばかりのカイトの回りをぐるぐると動き始める。
その少し先には、護衛の役を引き受けたカルナが歩いている。
「挨拶は済ませた?」
「うん。また後ですぐに会えるし、大したことは言ってないよ」
少し間を空けてから吹き出した。これも、つい先程まではできなかった。
「白の木蓮亭に戻ったら、また忙しくなるわね」
それは、とても有意義な忙しさだ。
七人は他愛もない会話に花を咲かせながら、ヴィスタ林道を歩く。やがてメーヴェ街道に入った頃、カイトはカルナの隣を歩いていた。
「何にせよ、良かったねカイト。あたしも嬉しいし、ジャンも聞いたら喜ぶはずだよ」
「ありがとうカルナさん。でもジャンさんは、どうだろうな?」
嬉しさが余って普段よりも多く無駄口を叩かれるかもしれない。この間のせっかくの依頼が意味なくなったと、冗談混じりに言う青年の姿が想像できた。
「ここで、ルーアンで遊撃士になれるんだ。本当に良かったよ」
ふと、カイトは思い至って話題を変えた。
「カルナさん。得物のことで相談があるんだ」
「心配ごとも解決したし、そろそろじゃないかと思ってたよ」
さすがは師と弟子。この辺りの配慮は欠かさないものだ。
アガットは言っていた。遊撃士になるのであれば、一人で立ち回る必要がある。だから今の小振りな拳銃ではなく、大きな威力がほしいのだと。
「それは、ちょっとした考え方の違いだね」
カルナは否定も肯定もしなかった。そもそも武器の種類によって向いている魔獣には差がある。ヨシュアの剣のような爪牙の類なら、獣や軟体生物などに効く。エステルのような棍棒の類であれば、硬い甲殻獣に対して衝撃を伝えることができる。
剣は線、根は面、であれば銃は点。剣のような魔獣に立ち向かえる一方、一瞬の集中力が必要となる。
「そもそも拳銃は、一人で戦うことを得意としていないんだよ。でも、それは仲間がいれば何とでもなるだろう?」
「仲間……」
そういえば、度々カルナが他支部の遊撃士たちと協同で仕事をこなしているのを見かけたことがある。たしか、その三人は剣、刀、槍だ。その中にいるカルナの役割は、とても重要なものだろう。
「アガットは単身で国中を飛び回る一匹狼だからね。そういった経験から言ってたんだろうさ。それに、何も得物を持って戦うだけが遊撃士じゃないからね」
決して、今の二丁拳銃を今すぐに止めろというわけではなさそうだった。少年は少し安堵した。
「遊撃士としての生き方を選んで、変えなければいけないかもしれないと感じたその時は、もう一度悩めばいい。今はそのままでいいと、あたしは思うよ」
「そっか。……ありがとうカルナさん。少し勉強になったよ」
一先ず、その話は解決した。メーヴェ街道に入ってから五分ほど。
「そうかい。それは私も先輩としてーー」
穏やかな会話が、突如として打ち切られた。カルナは不審そうな表情をして立ち止まる。
「カイト。先生や子供たちの近くに」
「う、うん……?」
素直だがどこか釈然としない。その感情が顔に現れたか、近づいてきたカイトにテレサ院長は不安そうな顔を見せた。
「どうしたの?」
「いや、何かーー」
瞬間、それは訪れた。カルナとカイトが気づいたのは同時だった。
「な!?」
「カルナさん後ろっ!」
一同の前を行くカルナが横を向いた瞬間、その前後から二人が襲いかかってきた。カルナはカイトが促した後ろの人物の、カイトはカルナの正面の人物の奇襲に対して反応した。
「なっ!?」
声を発したのは、カイトが相対した方だった。銃を手に体術を駆使してその奇襲を乗り切る。目的を達し得なかったらしき二人は距離をとり、カルナとカイトもまた計三丁の銃を構えた。
「聞いてないぞ、もう一人戦える奴がいたとは」
「問題ない。見たところ大したことはないな」
全身を黒装束に身を包め、仮面を被った二人の男。一人は機関銃を、そして一人は鈎爪のような装備を両手に構えている。
「なんだいあんたらは。どう考えても平和な挨拶じゃないね」
カイトが聞いたことのないような厳しい声で言葉を投げ掛けるカルナだが、黒装束の二人組は動じていないようだった。
「なに、少し用があるだけだ。そこを退いてもらおうか」
そう言った男の視線は、少年の後ろにいるであろうテレサ院長に向けられている。
「お前ら……」
「カイト、あんたは皆を」
言いきる前に、突如として黒装束が迫る。意識を少年に向けたにも関わらず鈎爪の攻撃を柔軟に避けたのは、さすが正遊撃士といったところだった。カルナはそのまま二三威嚇射撃を行ってから再度距離をとる。
一方のカイトは対処仕切れなかった。足元に放たれた機関銃の弾丸は明らかに地面を抉っていて、それが体に当たれば容易に血を見てしまう。二撃目の銃口が自分に向けられたのを見ては、瞬時に横に回避するしかなかった。
「みんなっ!」
しかしそれは、結果的に機関銃の黒装束がテレサ院長と子供たちに向かう道を作ってしまう。テレサ院長の顔が焦りに、子供たちの顔が恐怖に染まる。保護対象に危険が及ぶと察知したカルナは瞬時に間に入るが、それは二対一という不利な状況に自ら入り込むことを意味する。
「はぁっ!」
気合いを放ち、カルナは銃を連射した。しかしそれは相手が人間であるための命を殺めないための攻撃。しかも二対一だったせいで、すぐに決着はついてしまった。一瞬の不意を突かれたカルナは、機関銃の男が手にした布を口に被される。小さな抵抗も虚しく、力なく地面に倒れる。
それが単に気を失っただけなのか、それとも永遠の眠りについたのかは分からなかった。一つ確かなのは、一瞬にして少年の怒りが頂点を突き抜けたことだった。
「てめえぇ!!」
恐怖を忘れ、一直線に機関銃の男に飛びかかる。それは今の少年にとって最悪の一手に等しかった。
「邪魔だ」
いつの間に背後を取られたのかが分からず、声すら耳に届かず、少年は自分の首を力の限り殴打されたことだけを理解した。平衡が崩れ、弱々しく地に膝をつく。
みるみる視界が暗転していく。最後の力を振り絞ってカイトが目にしたのは、テレサ院長がカルナと同じように布を口に被された光景だった。