心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

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30話 旅立ちの小径~羽ばたき~

 

 七耀暦千百三年、二月上旬。寒さが残る冬の夜。

「そして一時は、この王都も危機に見舞われることとなりましたが……」

 星々が煌めく、空気が乾いた自然豊かな冬の夜。

「皆様のおかげで異変も収束を見ることとなりました」

 ゼムリア大陸南西部、帝国と共和国に挟まれた小国、リベール王国。

「ここにそれを祝し、ささやかな祝賀会を催したいと思います」

 王都グランセル、王族が住まうグランセル城の屋上、空中庭園。

「それでは、クローディア」

「はい」

 リベール王国が元首、アリシア・フォン・アウスレーゼ女王陛下。空中庭園、女王宮に続く階段の前、アリシア女王陛下は眼前での自身の祝辞を聞く参加者を見据え、そして緊張した面持ちで隣に立っている孫を促して笑った。

「……本日のパーティーには、この事件の解決に尽力いただいた方々をお呼びさせていただきました」

 促されたのはアリシア女王陛下の孫娘、クローディア・フォン・アウスレーゼ王太女殿下。彼女は、ゆっくりと口を開く。

「苦難に喘ぐ人々に暖かな手を差し伸べ、また多くの人々が不安に震える日々を打ち払ってくださった方々……」

 クローディア殿下は、緊張の面持ちながらもはっきりと、この場に集まるすべての人々を見る。

「このリベールの王太女として、礼を言わせていただきます……本当にありがとうございました。本日はささやかなパーティではありますが……」

 と、そこで。女王陛下と王太女殿下でない声。少しばかり無粋だが、それでも場を賑やかしてくれる二人組だ。

「ぎりぎりセーフ! ドロシー、さっさとカメラを構えろ!」

「あぅぅ、早くしないとお腹が持たないぃ……」

 ナイアル・バーンズとドロシー・ハイアット。リベール通信社の記者だ。二人はスクープを抑えるために奔走する。予想していた空気が変わり、場慣れしていないこともあってぎこちなくなった王太女殿下は、はにかみながらなんとか出た言葉を口にした。

「えっと……ど、どうかごゆっくりお楽しみください」

 一人、恰幅のいい男性が前に出た。そして、愉快ながらも落ち着いた声で王太女の言葉を引き継いだ。

「ここに集いし者は各々責任を背負い、日々多忙な者たちであろう」

 デュナン・フォン・アウスレーゼ。アリシア女王陛下の甥にあたる公爵だ。王国一の愚者とも揶揄されていた放蕩者だが、彼もまたリベールの異変で変わったのだ。

「だが今宵ばかりは日頃の労を忘れ、骨を休めてほしい。珍味馳走も用意してある。存分に堪能するとよいぞ!」

 にこやかに、杯を掲げた。

「このリベールにエイドスの幸あれ! 乾杯(プロージット)!」

 拍手と共に、乾杯の声が所々から聞こえてくる。

 誰もが笑顔でいた。リベールの異変は収束を迎え、人々は掴み取った平和を噛み締めた。

 祝賀会の夜。誰もが思い思いに語らう、華やげな時間の始まりだ。

「あはは、やっぱりいつもの二人だなあ、ナイアルさんとドロシーさん」

 女王陛下、王太女殿下の祝辞を聞いていた人々の一人。空中庭園正面、中央の赤いカーペットの左方向。乾杯のためにオレンジジュースが入ったグラスを掲げ、そして戻したカイト・レグメント。少年は、いつもと変わらず人々を楽しませてくれる通信社の二人組を見て笑った。

「あはは、そうだねえ」

 同じくオレンジジュースを掲げ、それを一息に呑んだアネラス・エルフィードは笑った。

「でも、おかげで殿下の演説も縮まったんじゃじゃないかい? ちょっとばかし残念だよ」

 二人の先輩である遊撃士カルナはワインのグラスを揺らしながら嘆息した。

 祝賀会の夜。少年は辺りを見回した。空中庭園、見える人々はほとんどが見知った顔だ。あまり見慣れない者もいるが、それでもここには王国の著名人が多い。結果として知らない顔は殆どいない。

「どうしたんだい、カイト? どんどん食べなよ」

「あ、はい」

 カルナとアネラスは、一足先に用意された珍味を食していた。遊撃士家業はあまり裕福とは言えず、これだけのご馳走を食べられる機会は滅多にない。あまり行儀がいいことではないが、それでもこれだけの苦難を乗り越えてきた遊撃士たちには当然の褒美とも言えた。

「せっかく私の弟子も、私を負かすぐらい立派に成長したんだ。もっと欲張ってもいいんじゃないか?」

「あはは……まあ、後でぼちぼち食べますよ」

 ここで、豪勢な鶏肉の姿焼きを口に運んだアネラスが言う。

「確かに、本当にカイト君も強くなったよねぇ。一緒にアガットさんについた時と比べて、もう完全に追い付かれちゃったよ」

「そんな……」

 口を濁すカイトだが、アネラスは構うことなく続けた。

「いや、だってアガット班での訓練の時でもさ。私負けなかったけど、それでも普通に戦ってたじゃん。それに今は《並戦駆動》? ができるんでしょ? もう私勝ち目がないよ~」

「いや、あれはまだまだ未完成の技術、ですし……」

 少年にとって先輩である二人は、いつも以上に少年をほめちぎる。

 だがそれも違和感がないほど少年が成長していたのもまた事実だった。準遊撃士、見習いでしかなかった少年は、困難な壁にも、また上ることのできなかった壁にも着実に挑み、その度に成長してきた。そしてついにはアルセイユで仲間と共に浮遊都市へ乗り込み、王国を救って見せたのだ。

 もっともカイトが溜息を吐くのも事実で、カイトが扱う戦闘行動と共に魔法駆動を行う技術《並戦駆動》は、完全に習得したとは言えなかった。浮遊都市の戦いでは命の危険が常につきまわっていたこともあって、自らの心を鼓舞し大規模アーツを放つことができていた。だがカイトにこの技術を伝えた帝国遊撃士トヴァルが言ったように、単なる魔獣との闘いでは並戦駆動を発揮できなかったのだ。そもそも単なる魔獣では初歩的なアーツのみで事足りたし、鬼気迫る集中力を保つことができなかったのもそれを助長した。

 かつてレーヴェが格下四人の前で並戦駆動を成功させたように、平時でもできるようになるには、まだまだ更なる研鑽が必要そうだった。

「だから、まだまだ修行が必要ですよ」

 少年の言葉に、先輩二人は頼もし気に笑う。

 どうあれ、少年が頼もしく成長したことに変わりはない。遊撃士になる前から少年を指導していたカルナに、アガット班での日々や帝国での旅路を共にしたアネラス。少年のことを少なからず心配していたのだから、この満足げな感情もひとしおだ。

 だが楽しいことが好きなアネラスとしては、こんなことも聞いてしまうのだが。

「所で、お姫様との関係はどうなったのかな?」

「……! べふっごほっ!」

 ここは王族が住まうグランセル城の屋上だ。そこで盛大に飲み物を吹き出さなかったのは、成長の証だと思いたい。

「へぇ?」

 カルナが反応した。

「お姫様って、カイトが懇意にしている姉さんのことだろう? 聞いてもあまり教えてくれなかった」

「あ、あれは……当時は周りに言っていいものでもなかったですから……!」

 ルーアンに住むクローゼのことはカルナも知っていたが、彼女がクローディア・フォン・アウスレーゼその人であることはクーデター事件の頃まで明かしてはいなかった。カルナに師事したばかりのカイトは、クローゼのことを恥ずかし気に話し、また彼女の正体を悟られまいと妙な会話を続けていたものだ。

 今となっては多くの関係者に知られている事実。そしてカイトのことをよく知るカルナは、アネラスと共に少年の恋心を楽しく聞く。

「いいじゃないカイト君。こんな素敵な夜なんだし、色々お話してみれば?」

「元々そのつもりだったんだろう? 早々にここを離れるって言ってたじゃないか」

「ここから離れるって言ったのは挨拶回りのためですよ! 断じて姉さんだけの意味合いじゃないですから!」

 回ってきた食膳のカートからパンなどをかっさらって、胃袋を多少膨らませた。オレンジジュースを一息に飲み込むと、カイトは居心地悪げに歩き出す。

「うふふ、行ってらっしゃい。お姫様との歓談、楽しんできてねー」

「うるさいですよアネラスさん!」

 旅路を経て親しくなった先輩剣士は、どうにもからかうのがお好きらしい。悪態をつきつつ、しかし笑顔で話をできる人との縁に感謝した。

「行ってらっしゃい。積もる話を色々してくるといい」

 対して、カルナの声は優しくなった。少年の真意を多少なりとも理解しているのだろう。弟子を多少面白く見る眼もあるのだろうが、それ以上に頼もしさを感じて、カイトは一度挨拶を告げた。

「……はい、行ってきます」

 テーブルから離れ、周囲を見渡す。人々は時折席を入れ替わりつつ、歓談を楽しんでいる。世間話をしているらしき複数人の人たちもいれば、一人でしっぽりと食事を続ける人もいた。

 カイトはまず、一人でいる人間に声をかけた。

「ケビンさん」

「や、カイト君やないか。どう、楽しんでる?」

 ケビン・グラハム。七耀教会から派遣された巡回神父。その正体は教会が秘密裏に運用している組織星杯騎士団の一員で、今回の事件では輝く環の調査のために来た人間だ。

 本来なら調査を中心に動くのだが、カイトら仲間たちとの利害が一致して行動を共にし、最終戦にも参加、ヨシュアの呪縛を解くことにも貢献した。

「ケビンさんこそ、楽しんでますか?」

「おう、めっちゃ楽しんでるで! もうチキンも野菜もスープも全部持って帰りたいくらいやわ~」

「ははは」

 ケビンは、神父にしてはその前に《不良》の二文字がつくほどひょうきんでお調子者の性格をしていた。だがその戦闘力、思考力は確かで、彼がいなければ最悪な結果になっていたであろう戦闘もあったほどだ。

 また、カイトにとっては孤児院の弟たちの面倒を見てくれた存在でもある。

「……なんかくどいかもしれませんけど、それでも言わせてください。オレたちに協力してくれて、本当にありがとうございました」

 ケビンは手を顔の前で振った。

「ええよ、ええよ。俺みたいな余所者が貢献できたのなら万々歳や。カイト君っていう前途有望な遊撃士の成長も見れたし。今後、俺の同僚と会う機会があったらよろしくしたってくれや」

「はい」

 彼が所属する星杯騎士団というのは、決して慈善事業のみで動いているわけでもないことは聞いている。今後彼らと出会う機会もあるかもしれない。

 そこでカイトは、一つ気になることがあったのを思い出した。中枢塔、根源区画での出来事について。

「ケビンさん、一つ、聞きたいことがあるんです」

「んん?」

「こんな時に聞いていいのかも判らないですけど……あの外道野郎が逃げた後のことについて」

 ケビンの目つきが僅かに変わった気がした。やはり、何かある。

 アンヘル・ワイスマンを倒し、人間体となった後のこと。ワイスマンはその場から転移術で逃走した。エステルヨシュア、そしてカイトはレーヴェの下へ急いだ。そして、剣帝の最後を見届けた。

 あの時はレーヴェのことに集中していて気が付かなかったが、どうにも不自然だったのだ。それほど縁がないにしても、ケビンが剣帝に対して一言も口を開かなかったことが。脱出時はあれほどヨシュアのことを気にかけていたのに。

「もしかして、外道野郎を追いかけたんじゃないかと思ってるんですけど……違いますか?」

 意を決したカイトの質問に、ケビンは数秒沈黙を貫いた。

 あまり聞いていいことではなかったのかと後悔しかけたが、ケビンは一転して陽気な声で返答してくれた。

「おう、教会にとってワイスマンは破戒僧にあたる異端者やから。その動向は多少なりとも注目しなきゃいけなかったんや。すまんねー、あの時は説明する暇もなくて」

 結局その後も見失ったから無駄足だったと、ケビンは朗らかに笑った。だから早く仲間のもとに戻ってこれたのだとも。

 どこか、引っかかる物言いだった。その違和感の正体が何であるかは判らなかったが。

「ケビンさん」

「なんや?」

「えっと、その」

 カイトは、その違和感と予感を払拭するために、まったく脈絡のないことだとしても思うままに言葉を伝えることにした。

「うまくは言えないですけど……オレもエステルも、他の人たちも、みんなケビンさんのことは余所者じゃなくて仲間だと思ってます」

「……」

「だから、何かあったらオレやみんなのことを頼ってください。約束ですよ?」

 多くの仲間たちが、この旅を通じて自分の心をさらけ出し、強くしていった。だから、ケビンもきっと、彼の心の内を語ってくれる時が来るはず。

「ははっ」

 ケビンは笑った。短く目を瞑って。

「君、エステルちゃんのお人好しが移ったみたいやで?」

「まあ、あのエステルですし」

「ははは、そうやな……まあ、約束しようや。その時は正遊撃士になったカイト君を頼らせてもらうで」

「はいっ」

「さあ、もう行くといい。まだまだ、挨拶したい人はたくさんいるんやろ?」

 カイトの言動から、その真意はお見通しだったらしい。景気づけにローストチキンだけを一緒に食べてから、カイトはケビンと別れた。

 カイトは空を見上げる。夜空は変わらず、星々が自分の存在を精一杯主張している。こんな時に市街を見たら、すごい綺麗なんだなと考えた。

 市街の景色を見るべく、女王宮とは反対の方向へ歩く。すると、力強い女性の声に引き留められる。

「カイト君」

「ユリアさん」

 リベール王国軍王室親衛隊中隊長、ユリア・シュバルツ大尉。カイトとはクローゼを通じてクーデター事件より前からの知り合いだった。

「どうしたんですか……って、ミュラーさんもいたんですか」

「やあ、カイト君。久しぶりだな」

 彼がいたことに驚く。ミュラー・ヴァンダール。帝国正規軍第七機甲師団に所属する少佐であり、皇子であるオリビエの護衛としてともにアルセイユに乗り込んだ。

「久しぶりです……って、ミュラーさんがいるってことは……」

「察しがいいな。あいつもいる。今は別のところで放蕩しているだろうが」

「はぁ」

 溜息以上に体のほうが盛大に落ち込んだ。まだいたのか、あの放蕩スチャラカ変態皇子は。

 まあいい、気にするだけ無駄だと、カイトは二人の軍人に向き直った。

「それにしても珍しいというか。二人が一緒にいるっていうのは」

「そうかもしれない。だがこの事件は帝国までも巻き込んだ未曾有の事態だった。大使館に駐在する武官としては、色々と連絡を取ることもあってね」

 ミュラーは説明してくれた。ユリアもまた同調する。

「リベール軍人の心情としては、我が国の軍隊は侵略をしようとしたも同然だからな。少しでも面識のある俺が行動させてもらったというだけだ」

「しかし少佐。そうでないことは、リベール軍人誰もが知っています」

 場合によっては敵対するかもしれない二人はしかしこうして平和な夜に杯を共に傾けている。その事実に、カイトはただただ胸を撫で下ろすだけだ。

「よきかなよきかな……そういえば、なんでオレを呼び止めたんですか?」

「ああ、君には殿下……クローゼのことで、色々と礼を言っておきたくてね」

「え」

「ほう」

 思わぬ所から思わぬ人物の名前が出た。ミュラーまでもが興味深げに二人を見始める。

「彼女を支え続けてくれたこと。改めて感謝したいと思っていたんだ」

「いや、そんな」

「謙遜はしないでくれ。本人から話は聞いた。浮遊都市で怪盗紳士を相手に戦いぬいたこと……誰もができることではないよ」

「それについては俺からもだな。オリビエを支えてやってくれて、感謝する」

「大体、オレが支えられてたようなものなんですけど」

 中枢塔での戦いは、最初少年は一人で怪盗紳士を抑えようとしていた。その背を守ってくれたのは、むしろ二人だ。

 ユリアは続ける。

「それだけじゃない。クローゼにとって孤児院のテレサ殿や子供たちと共に君がいてくれたこと。王位を継ぐという決意には、君の存在が大きかったに違いない」

「あ……」

 立場はまったく違うが、共に姉、弟と慕う二人。クローゼにとって守るべき存在がリベールの市民だったその事実は、ましてや独断専行の多かった少年の存在は、孤児院の弟たち以上に彼女を焚き付けてくれたのだと、ユリアは語る。アリシア女王陛下でもユリアでもできなかった役割を、カイトが背負ってくれたのだとも。

「……できれば後で、色々と話してあげてくれ。彼女にとっても、励みになるはずだから」

「……はい」

 それはもちろんそのつもりだ。

「俺からも……あまり気は進まないだろうが、あいつと話してやってくれると助かるな」

「ははは……まあ、考えておきます」

 主を想い、主のために尽くす。真の意味での騎士というものを、見た気がした。ブルブランに騎士だのなんだのと揶揄されたが、それはあくまで戦闘や旅路だけの話だ。自分は彼らの弟であり、友なのだから。

 少しの談笑を経て、カイトはユリアのいる場所から離れた。

 随分話に夢中になったせいで、自分がどこにいるかを忘れてしまった。

 そのせいで、たまたまそこにいた人に急に近づいてしまう。

「おっとと、すみません……って!?」

「あらあら」

 心臓が早鐘を打つ。まずい、今自分は不敬罪に抵触する所業をしなかったか。

 姿勢を即座に正して頭を下げた。

「も、申し訳ありません、陛下!」

「ふふ、畏まらなくても良いのですよ。今夜は無礼講なのですから」

 先ほども祝辞を述べられた、リベールの国家元首。アリシア女王陛下が目の前にいた。彼女は変わらず、慎ましやかな笑顔でいる。

「す、すぐに離れさせていただきます」

「いいえ、いいえ。むしろ少しの間、この老いぼれの酌に付き合ってくださいませんか?」

「え」

「事件解決に貢献した方々には、直接お話ししたいと思っていましたから」

 それに近くの孫娘も忙しそうですの、とアリシア女王は笑う。

 見れば、彼女と共にいるはずのクローゼは、少し離れた場所でインタビューを受けていた。無論、リベール通信社の二人組に。

 その様子に肩を落としつつ、カイトはアリシア女王に向き直った。断れるわけがない。

「で、では、無礼ですが……」

「ええ。ありがとうございます」

 カイトとアリシア女王は、何度か面識がある。しかししっかり会話をしたのは一度だけ。クーデター事件で、エステルとヨシュアと共に女王宮に忍び込んだ時だ。

「重ね重ねになりますが、礼を言わせてください。クローディアを支えてくれたことを」

 先ほどユリアとも話したことだが、彼女にとっては孫娘である少女のことだ。当然話題には挙がるし、カイトも国家元首相手では謙遜もできずに「こちらこそ……」とか「ありがとうございます」とか微妙に脈絡のないことしか言えなくなる。

「クローディアから、貴方のことを聞きました。……もしかしたら失礼かもしれない、それでも話させて頂けるかしら?」

「……はい」

「貴方の半生を、少しだけ伺うことができました。そうして私は、やはりこの国の民の強さを感じることができたのです」

 今のカイトに肉親、という意味での親はいない。孤児院の出であり、ただの一般人に過ぎないカイトがここまで成長できたこと。一個人のこととはいえ、アリシア女王にとっては喜ばしいことだった。

 カイトだけでない。エステルもアガットも百日戦役で家族を亡くしている。またヨシュアやシェラザードは血筋の意味合いではリベール人ではない。そういった人々がリベールの民として国を救ったこと。絆の力を実感せずにはいられなかった。

「……必要であれば、貴方の親戚の方々を探すのに微力を尽くすこともできます」

「それは……」

 個人的な感謝の意味合いもあるのだろうか。それとも、アリシア女王自身に非はないとはいえ、百日戦役が原因で両親を亡くしたカイトへの償いの意味もあるのだろうか。

 ヨシュアに大して、ハーメルの悲劇を黙認したことに頭を垂れたアリシア女王だ。どちらの意味もあるのだろう。

 少年は少し悩んでから返答した。

「ありがとうございます……でも、オレはあくまでテレサ先生や弟たちの家族です」

 原因がどうあれ、今孤児院の家族でいれることは幸せなことだと思っている。恨むことなどあり得ない。

 そして、もしいるかもしれない血縁者を探すならそれは自分の手でなさなければならないと思う。

「その時は……自分で探して見せますから。だから、そのお気持ちに、心から感謝するだけです」

「カイト殿」

 アリシア女王は微笑んだ。

 この国で生きることができて、本当によかった。心から、そう思った。

 

 

 

────

 

 

 

 アリシア女王との歓談を終える。慣れない国家元首への敬語に少し肩を凝らせつつ、いただいたアップルジュースのグラスを持ったまま、カイトはぶらぶらと歩く。

 少年は、アリシア女王から少し離れた場所にいるクローゼを見た。彼女はまだナイアルからの取材に応じている。

(まだやってるんだ。頑張るなぁ……)

 手頃なテーブルにグラスを置き、頬杖をついてぼんやりと少女を見た。はにかみながら受け答える少女は、瑞々しいとはいえ早くも王太女としての風格を身に付けているようにも見える。

 と、そこでカイトは視界の端で他の人々よりも動く人物を見た。

 あの漆黒の髪はヨシュアだ。先ほど女王宮側方広場から降りてきたヨシュアはケビンと話していて、たった今アリシア女王に近づいていった。

(ヨシュア……オレみたいに挨拶回りでもしてるのかな)

 とまたぼんやり眺めていると、今度はクローゼに目がいく。彼女は取材を受け流しつつ、ちらりちらりとヨシュアの様子を見ていた。

 大方、目立たないようにしているのだろうが。

(……オレから見たらバレバレだって)

 嘆息した。思い出すのは、ジェニス王立学園で聞くこととなった少女の恋慕だ。

(……話がしたいんだろうなぁ)

 さらに嘆息した。ヨシュアを捕まえたらそれとなく催促してやろうと考えて、カイトはそのテーブルを後にする。

「やったー! ふふん、どうよボクっ子!?」

「おい、反則だろノーテンキ女! 少し休憩したらもう一回勝負だかんね!」

「望むところよ~だ」

 今日の祝賀会は立食形式だ。給侍が運ぶ食事もあれば、バイキングのように一ヶ所に料理を並べてもいる。

 その料理が並べれたテーブルの前で喧嘩をしていたのは言わずもがな、エステル・ブライトとジョゼット・カプアだった。

 何が原因で喧嘩となったかは知らないが、結果として料理の早食いか何かで雌雄を決しているらしい。こんな所に来てまで何やってんだよと思いつつ、アリシア女王が無礼講だと言ったのを思い出した。実際にジョゼットの兄ドルンにキール、近くにいたクルツやグラッツ、果てはアネラスにカルナまでもがそれを観戦していた。

 まあいいのかなぁと考えつつ、無駄に勝利の栄光を掲げているエステルに近づいた。

「エステル、久しぶり」

「あ、カイトじゃない! 久しぶり!」

「こんな所に来てまで何やってんのさ」

「ふ、ちょっと灸を据えてやっただけよ!」

 あまりかっこよくないしたり顔だ。カイトはそれを無視して、エステルが陣取っているテーブルに自分が食べたい料理を運んだ。

「ところで、急にどうしたのよ? しばらく会えてなかったから来てくれるのは嬉しいけれど」

「挨拶回りだよ、挨拶回り。アルセイユを降りてから、中々みんなに会えないだろう?」

「あー、確かにねぇ。ヨシュアもなんだか色々な人と喋ってるみたいだけど」

 不養生と生真面目の違いだな、とは賢明にも言わなかった。

 魚のソテーを食べつつ、カイトは言う。

「ま、エステルにももちろん世話になった。一言、お礼を言いたかったしさ」

「そんなことを言うんだと思った。けど、結局はカイト自身が頑張ったんだからね」

 カイトの旅の始まりは、孤児院の放火事件だった。犯人の非道な行いに心が怒りに染まる中、エステルはいつでも笑顔を絶やさずにいた。

 この太陽の少女は、多くの人々をその心で支え、励ましてきたのだ。カイトとて例外ではない。自分の成長は自分が頑張ることが手できたから得られた結果なのは事実だ。そして、エステルという遊撃士がいたから成長することができたのもまた事実だ。

 カイトがいたからこそ成功した作戦もある。エステルの温かな一声で動けるようになった時もあった。

「それに、あたしはカイトを後輩じゃなくて同僚だと思っているからね」

「それはまあ……オレもそんな感じがするよ」

 初めて会った時、エステルは準遊撃士だった。ボース地方の飛行船失踪事件を見事解決したとはいえ、まだまだ新人の域を出なかった。またカイトが準遊撃士になった時、エステルは正遊撃士になりたての頃だった。

 だが年の近さもあり、お互いの性格もあり、二人は共に成長してきたという感がある。仲間として共に支え合い、お互いの熱意に自らの心を鼓舞し、そして一人前になった。残念ながらカイトは一人前まであと一歩だが。

 先輩遊撃士たちやティータという妹分、オリビエやクローゼ、ケビンといった協力者。エステルにとってヨシュアは大切な人であったし、真の意味で切磋琢磨していった同僚というのは数えるほどしかいない。二人は、いつか共に杯を笑いあってぶつけるような仲になるだろう。

「だから……これからもよろしくね! カイト!」

「おう! よろしくな、エステル!」

 両者、共に手を合わせてから料理を口にした。少しの沈黙を経て、二人は笑って互いを見る。

 口を開いたのは同時だった。

「ところでエステル」

「ところでカイト」

『好きな人のことはどうなった?』

 同時に互いの想い人のことを考える。そして、盛大に笑い合った。同世代で、互いにからかい合う中の人間も、それほどはいないのだ。

 一しきり話し、馬鹿騒ぎをして、エステルはまたジョゼットに喧嘩を売りに行くなどと言い始めた。さすがにこれ以上は付き合いきれないとひそかに笑い、カイトはエステルと別れる。

 次に見つけたのはジン・ヴァセックだった。

「お、カイトじゃねえか。お疲れさん」

「ジンさん、お疲れ様です」

 武術家は変わった雰囲気の婦人と同じテーブルにいた。少しお邪魔かな、と勘ぐりながらも図々しく同じテーブルを共にする。

 婦人はカイトに反応した。

「あら、ジンさん。この子は?」

「カイトです。共にアルセイユに乗って、今回の事件を解決した頼もしい後輩ですよ」

「初めまして。カイト・レグメントです」

「どうも。私はエルザ・コクラン。カルバート共和国駐リベール大使を務めている者よ」

 なるほど、道理でジンが親し気に話すわけだ。

「キリカさんじゃない女の人といて、びっくりしましたけど、そういうことだったんですね」

「な、おい、カイト」

「あらあら。ずいぶんと目利きができる後輩さんじゃない?」

「へーへー、大使もからかわないでもらいたいものですなぁ」

 ジンはリベールに来てしばらくは共和国大使館で寝泊まりをしていたと聞く。それだけでなく信頼のおけるA級遊撃士なのだ、駐リベール大使ほどの人物とも気さくに話ができるのだろう。

「大使、申し訳ありませんが、少しばかり後輩と親睦を深めても構いませんかね」

「いいじゃない、せっかくの機会だもの。私のことなど気にせず、存分に話しなさいな」

「とのことだ、カイト。遠慮なく食べるといい」

「わーい」

 カイトはそのテーブルにあった料理をいただいた。共和国の人間など、それこそジンやキリカを除いてほとんど関わったことがなかったが、少し雰囲気の違いに戸惑うだけですんなりと受け入れられる。元々大使館勤務だけあってそういった能力も高いのだろうが。

「お前さんとは……初めて会った時から帝国での旅も、色々なことがあったな」

 ジンはそんなことを言ってきた。カイトはそれを聞き、今までの旅路を思い出す。

「そうですね……本当に、色々お世話になりっぱなしですよ」

 初めて会った時。カイトは帝国人であるオリビエに怒り、冷静さと自信を失っていた。そんな時にジンは怒るでもなく、考え、悩むという道を指し示してくれた人でもある。

 また帝国での旅路では、調査の極意や戦闘指南まで、多くの事柄について遊撃士の先輩として見本を見せてくれた。

 そしてアネラスを含め、二人はジェスター猟兵団の残党とテロリストらしき謎の組織と激戦を繰り広げ、生き抜いた。その経験を共にしたカイトとジンは、もはやただの先輩と後輩ではない絆で結ばれている。

「本当にありがとうございました。今のオレがあるのは、ジンさんのおかげですよ」

「そいつは先輩冥利に尽きるってもんだ」

 ジンは酒をぐいっと煽った。少し顔を酔った顔に染めつつ、真摯な表情で後輩を見る。

「だがな。俺もお前の成長に、頼もしさ以上に奮い立ったものもあった」

「え?」

「人は、先人から後ろを歩く者へ伝えるだけじゃない。精一杯生きるその熱を、先人が受け取ることだってできるんだ」

 帝国東部クロイツェン州、ヴェスティア大森林。ここでジンは猟兵をはじめとした多くの敵と大立ち回りを繰り広げ、最終的にガトリング銃を得物とする巨漢のVと対峙した。戦闘能力はほぼ互角だったが、そこでジンはVに遊撃士として迫害される帝国で生きることの覚悟を問われた。どっち突かずの四つ裂きの状態、やるせなさ。そういった状況に対して、遊撃士はどう立ち向かうのか、と。

 そこでジンは答えた。そんな苦しすぎる状況を、支えを糧に乗り越える人間がいるのだと。

「お前さんが卑下しがちな自分の生き様。それに、心を奮い立たせる人間もいるんだ。例えば、俺みたいにな」

「……」

「だから、胸を張れ。いつか、俺の故郷でも一緒に仕事をしようじゃねえか。待ってるぜ」

 これ以上ない先輩からの勧誘だ。カイトは万感の想いで答える。

「はい。よろしくお願いしますね、ジンさん」

 その後も、頼りになる先輩と小さな後輩の話は続いた。しかしエルザを蚊帳の外にしたままなのも悪い気がして、カイトは折を見て一度その席から離れる。

 女王宮から見た正面広場は、粗方回ったようだった。カイトは新たに話す人間を求め、今度は女王宮へ望む階段を登る。

 そこには丁度人がいた。

「あ、ヨシュア」

「やあ、カイト」

 ヨシュア・ブライト。エステルと共に仲間たちの中心となり、ついには王国を救うこととなったもう一人の英雄。

「もしかしてとは思うけど、ヨシュアも挨拶回りしてるの?」

「ということは、やっぱりカイトも同じみたいだね。話そう話そうと思っていたら、いつの間にか別の場所に行ってしまうから」

「ごめんごめん」

 カイトがそうであったように、ヨシュアも動き回るカイトのことを認識していたらしい。

「一緒に戦ってくれた人たち……カイトには、お礼を言いたかったからね」

「……今日だけでずいぶんとお礼を言われている気がするなぁ」

「ははは、それはカイトの行いがいいからさ。……僕が言いたいのは二つだ」

「うーん、たぶん一つは同じことを言おうとしてる気がする」

 カイトにとってヨシュアは、頼りになる仲間であり、現状数少ない同世代の同性の友人だった。その意味ではヨシュアがいてくれて、また一時は離れてもまた戻ってきてくれたことはカイトにとって感謝すべきことでもある。

 そして、ヨシュアの一つ目のお礼も似たようなものだろう。エステルを支えてくれてありがとう、そんなところだ。

「成長したね、カイト。そこまで人の心の機微に鋭くなるなんて」

「いや、ヨシュアとエステルのことを知ってる人なら判り切ってる答えだから」

 目の前の美少年が自分の義姉である恋人をどれだけ大事に想っているかは知っている。カイトは出会って間もない、学園祭の頃からなんとなく判ってはいた。

 すでにお互い色々な関係者と話しているが、その誰とも同じように自分たちは確かな絆で繋がれた仲間だ。旅の始まり、道中、旅の終わり。沢山の想い出がある。

 同年代、同じ男子。物静かな少年と活発な少年、この感謝の気持ちを言葉にするのは無粋な気がした。なので、カイトは続きを促す。

「それで、二つ目は?」

「うん。根源区画での……レーヴェのことだ」

 ぐっと、急に胸に鉛が張り付いたような感覚を覚えた。

「その……レーヴェのことは」

「カイト。君が考えていることはなんとなく判る。でもそのうえで、僕は君にありがとうと言いたいんだ」

「……どうして?」

「君がいたから、レーヴェは根源区画まで来れた。レーヴェはワイスマンの《絶対障壁》を破った」

 執行者No.Ⅱ剣帝レオンハルト。ハーメル村の遺児であるヨシュアの兄貴分。愛称はレーヴェ。

 圧倒的な強さを持つ彼は、しかし地獄を見てきたことで人の可能性というものに絶望と疑問を感じていた。その疑問を晴らすために身喰らう蛇に身を投じ、そして中枢塔での戦いでヨシュアの決意に答えを得た。

 だが、レーヴェは白面ワイスマンの非道な一手によって致死一歩手前までの重傷を負ってしまった。その傷を癒し、レーヴェを更なる死地へ誘い込んだのがカイトだった。

 結果としてレーヴェがいなければワイスマンに負けていたことを考えると、決してカイトの選択が間違っているというわけではなかった。しかし親友の兄を殺す手伝いをしてしまった、その想いはどうしてもカイトの心に碇をつけてしまっている。

 だが、ヨシュアは責めることなくカイトに笑顔を向けている。

 ヨシュアは、一番言いたいことを言った。

「何より君がレーヴェを根源区画まで導いてくれたから、僕はレーヴェと最後の時間を共にすることができた」

「……」

「レーヴェの想いを受け取ることができたんだ」

 死にゆく者を見届けること、あるいはその死を知ること。家族や関係者にとってはこれ以上ない悲しみだ。

 しかし人はある意味、死ぬために生きている。死ぬまでに、後世に自らの想いや情報を伝えるために生きている。そしてレーヴェは、最後の最後でヨシュアと和解し、彼の真っ直ぐな愛を弟へ伝えることができた。

 間接的にレーヴェを死へと導いたカイトは、ヨシュアとレーヴェの縁を繋げもしたのだ。

 レーヴェを中枢塔頂上で助けるべきだったのか、否だったのか。理屈で納得できる問題ではない。どのような選択をしても、人の死という悲しみは残されたものに疑念を生み出す。

 けれどレーヴェの死の一番の当事者であるヨシュアから、ただ国を救ったとかではなく想いを受け取れたことに感謝された。それはカイトにとって、一つの励みにもなった。

「……なら、オレは悩むんじゃなくて胸を張らないといけないかな」

「そうだよ。君だって、レーヴェから受け取ったものがあるだろう?」

 少年がレーヴェから受け取ったもの。それは並戦駆動を扱う者としての覚悟だ。

 このまだ実感ができない覚悟は、自分の手で完成させなければならない。これは自分の役目だ。

「判った。どういたしまして、ヨシュア」

 少年は二人、固く握手を交わした。冬の夜、少年たちはまた一つ、確かな友情をはぐくむ。

「……ところで、ヨシュアはこんなところでどうしたんだ?」

「ああ、クローゼが、ちょっと相談事があるらしくてね」

 カイトは盛大にずっこけた。

 たった今築いた友情が瓦解してしまうのではと思うほどの朴念仁ぶりだった。

「ヨシュア、それたぶん単なる相談事じゃないから……」

「え、そうなのかい?」

「っていうか、ならなんでオレとのんびり話してたんだよ!? いや、話せてよかったけどさ!」

 一しきり唸る。いつ頃ヨシュアを呼び出したのかは知らないが、このままでは乙女をずいぶん待たせてしまうことにもなる。

 正直、ヨシュアに嫉妬した。だがなんとか抑えて、カイトはヨシュアを促す。

「まあ、色々と相談には乗ってやってくれよ。ヨシュアなら安心だ」

 いろいろな意味でな。

「うん、判った。それじゃあ行ってくるよ」

 ヨシュアは手を振り、女王宮東側の奥、目立たない場所の階段を登って行った。

「……はぁ」

 盛大に溜息をつく。悔しい、悔しい。

 空中庭園は賑わっている。その一方で、カイトの周辺だけはとてつもなく静かだった。

「……仕方ない!」

 悔しい、それはその通りだ。だからと言って、やっていいことと悪いこともある。

 一先ず、自分は挨拶回りを続けよう。きっと、自分が動くべき時は来る。

 カイトはそうして、周囲をまた見回した。既に空中庭園の正面は粗方話し終えている。

 ふと、ヨシュアが歩いて行った方向を見た。アガットにティータにラッセル博士、三人が賑やかに料理を楽しんでいる。

 和気あいあいとした空気を求めて、少年は歩を進めた。

 

 






次回、心の軌跡~白き雛鳥~最終話
第31話『祝賀会の夜~彼と彼女~』

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