心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

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物語の感想や描写アドバイス等々、お待ちしております。








プロローグ
百日戦役


 七耀歴千百九十二年。某日、某所。

 爆発音が聞こえた。

 銅鑼を目の前で叩かれる事さえ生温い。いつか目にした雷にも似たそれは、少年を驚かすには十分なものだった。魔獣がいても平和だった街道は、その衝撃でたちまち地獄絵図と化してしまう。

 その光景を、たった五年ほどしか生きたことのない少年は見たことがあるはずがない。茶髪で少女と形容しても違和感のない、大きな金の瞳をもつその少年は、ただ呆然と眺めるだけだ。

 自分は、散歩をしていた。大好きなお父さんと、大好きなお母さんと。三人で、大好きな空と海の風景を見ていた。そして二人を驚かそうという悪戯心から、一人砂浜に行って隠れていただけのはずなのに。

 ーーなんで、と。

 少年は小さく呟いた。続けざま訪れた第二の爆発に、ただただ恐怖を抱くしかなかった。

 ーー逃げろ、と。

 不意に、声が聞こえた。いつもいつも聞いている、大好きなお父さんの声だ。

 けれど、少年がそれを理解するのには時間がかかった。

 焦げ臭い匂いも、目に写る煙も無視して走る。思いの外長かった道のりを経て、そこへたどり着いた。けれど、そこにいるのはいつもそばにいる、優しくて逞しいお父さんではなかった。

「逃げろ……」

「おとー……さん」

 いつも優しく頭を撫でてくれる手が、どこにもない。泥にまみれ血を流したその人は、もう虫の息に近かった。

 呆然とする少年の視線が、父親の周囲をさまよい始める

「おかあさんは、どこ……」

 少年の問いに対する返事は無言だった。答えられないのではなく、答えないのだ。訳も分からない少年は、やがてそれを見つけてしまう。

 父親の片腕と違い、とても華奢で白い腕が地面にある。肩部は見えず、そこには土砂があった。

 少年がその腕の正体を理解する、その前に聞こえたのは、先程と同じ言葉だった。

「逃げろ。母さんは……街にいる」

「ほ、ほんと?」

 幼い少年には、その明らかな嘘を見抜く力はなかった。だから少年は、呆気なくその嘘を信じた。

「ああ。だから、お前は早く逃げるんだ。父さんも、すぐにそっちに行くから」

「でも……でも」

 父親に関する嘘は、流石に信じきれなかった。けれど父親は信じさせる他少年の安全を確保する方法がなかった。

「行け! 早く逃げるんだ、ルーアンに!」

「う、うん……!」

 父親の命を賭けて作り出したその迫力に、少年は従う他なかった。少年は力なく立ち上がると、転びそうになりながらも街道を駈けていく。

「空の女神よ」

 父親は祈る。

「俺たちの代わりに、どうか生かしてくれ……俺たちの愛する……」

 愛する息子の名が発せられることは、なかった。

 

 

ーーーー

 

 

 少年は走り続けた。時が経つにつれ考えてしまう、大好きなお父さんとお母さんの死。そうと考えたくないから、ただ走るしかなかった。

 速かったのか、遅かったのかは分からない。けれど、街にーールーアン市に辿り着いたのは確かだ。しかし少年がそこを見慣れた街だと判断するのには時間がかかった。

 海の静かな波の音は、人の足音と叫び声のせいで聞こえない。潮風の匂いは、僅に硝煙の臭みが混じっている。

 人々は混乱していた。彼らがまだ知るよしもない帝国からの先制攻撃は、人々の平和な日常を呆気なく壊したのだ。

「おかあさん……」

 一人で立ち竦み、目から大粒の涙を流す少年すら気にも留めないほどに。

 人々は戸惑い、家から飛び出し状況を目に焼き付けている。彼らを導く支える籠手は、人数の少なさのせいで人々の統制を図るのが精一杯だ。

 少年と同じような悲劇を受けた子供もいる。だが同じように、大人が目を向けることはない。

 だからだろうか。同じような境遇の少年少女が、容易くお互いを見つけることができたのは。

「ねえっ」

 その声に反応して、少年は顔をあげる。明るい青紫の髪に髪止めを挿した少女が、少年を見ていた。

 人々が慌て惑う雑多な雰囲気に反して、髪と同じ色の大きな瞳は落ち着いている。背が小さいため、ほんの少し少女を見上げる形となった少年に、少女は可憐な声をかける。

「一人で、どうしたの?」

「ぼくは……」

 少年よりも幾らか年上に見える少女だが、二人の纏う衣服には差があった。涙と汗と煙にまみれた少年の服と違い少女のそれは気品を兼ね備えていた。

「ぼく……男の子なんだね。お父さんとお母さんは?」

 服の違いなど、少年は綺麗かどうかでしか分からない。それよりも少女の言葉によって、少年はより一層顔を歪めてしまう。

「おかあさんが……」

「はぐれちゃったんだね?」

 こくんと、首を縦に振る。幼心で少年の悲しみを理解した少女は、状況に物怖じすることなく行動に出た。

「じゃあ一緒にいこ。わたしも大人の人とはぐれちゃったんだ」

 少女は手を差し出し、少年は弱々しくその手を掴む。久し振りに人の暖かさを感じた少年は、少しだけ強く握り返した。

「わたしはクローディア。あなたは?」

「ぼくは」

 歩きながらたどたどしい会話を続ける。人が多いため縦に並んでの話し声だが、それでも少年は懸命に重い唇を動かした。

「ぼくは……カイト」

 少年と少女は必死に足を動かす。この偶然の出会いが、少年の運命を変えていくことになるとも知らずに。

 

 

ーーーー

 

 

 ーーもし。

 もし、動乱の兆しを見せるこの大陸に、一人のこの悲劇の少年がいたら、どうなるのだろう。祖国を愛した指導者や理に至った者たちと、やがて英雄となる若者たちが生きるこの大陸に、彼が生きたらどうなるのだろうか。

 これは軌跡。空を見上げ、零から道を歩み、碧を見いだし、閃を解き放つ彼らに捧げる。

 彼らと旅路を共にする一人の少年が、誇り高き青年へとなる、その心を辿る軌跡。

 

 


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