今回からはポルナレフも一緒。
設定捏造楽しいぜいえーい。
「へぷしんっ」
冥界の白玉楼に、可愛らしいくしゃみが一つ響いた。
発したのは、誰あろうここの主、西行寺幽々子である。
幽霊であるが故に青白い顔が、今日はほんのりと赤く色づいている。
「大丈夫ですか幽々子様?」
彼女が寝ている布団の傍らで、魂魄妖夢は不安そうな顔をする。
この主が病で寝込むところなど、ここ数日で初めてみたのだ。
「んー、卵おじやとリンゴくらいしか食べられそうになーい」
「……昨日よりは食欲が出たようでなにより」
居候であるジャンピエール=ポルナレフが傍らに座りながらため息をつく。
タイミングよくリンゴと皿と爪楊枝の載った盆を持ってきたところだった。
「出来れば小さめに切ってちょうだいな」
「了解です、っと」
ぽん、と空中にリンゴを放る。彼の傍らで何かがきらり、と閃く。
彼の精神の具現、シルバーチャリオッツの手にした銀の剣の光であった。
常人には数度光の線が走ったようにしか見えない動きの後、
皿の上にパラパラと小さなウサギ型に斬られたリンゴが落ちた。
「相変わらず見事な腕ね。……あむ」
幽々子はその内一つに楊枝を刺し、口に運んだ。
しゃりしゃりとした触感と甘さが、痛む喉に心地よい。
「それにしても、まさか幽々子様がお風邪を召されるなんて……」
「亡霊が風邪ひくたぁ、思わなかったなぁ」
目の前で次々とリンゴを片づける幽々子を見ながら、
妖夢とポルナレフは揃って訝しげにしていた。
「んー、なんか、里の方でも大変になってるって新聞にあったわよー」
最後の一つを飲み込み、口元を拭いつつ告げる。
「永遠亭の薬師によると、なんか力の強いのばっかり、
この病に罹患してるんですってー」
「ということは、紫様もですか? 道理で見かけないと思いました」
「あら、失礼ね」
「うおわっ」
話題に上げた途端に、当の本人である八雲紫が、虚空から姿を見せた。
スキマから上半身だけ出して、彼女達に向かって笑いかけている。
「はぁい、幽々子。あなたが風邪ひくなんて珍しいわね」
「永く死んでたら、そんなこともあるわよ。あなたは大丈夫なの?」
いつも通りの、常人にはやや理解しにくい会話をしながら旧交を温める二人。
しかし、紫は幽々子の問いかけに、少しばかり眉をしかめた。
「それがねえ、クシャミした拍子にちょーっと緩んじゃって」
「あらあら、大変」
「ゆ、緩んだってまさか……」
「妖夢。俺はあまりここは長くねぇけど、多分、君が考えているのとは違うと思う」
「でも、紫様も結構長いこと生きてらっしゃいますから……いひゃい!」
何やら勘違いしたらしい妖夢の頬を、紫はにっこりと笑ったまま捻り上げる。
しばし、ぎりぎりという音と妖夢の呻きだけが室内に響いた。
「こほん。で、話を戻すわね。どうも、結界が少し緩んだらしくて、
ウチとソトとの時間がズレちゃったことがあったみたいなの」
「まぁ……」
結界とは、この幻想郷を覆う博麗大結界のことである。
結界の向こうは、『外の世界』と呼ばれており、その世界で幻想となったものが、
こちら側へ流れ込む、という形式を作ることで、幻想郷では、
数多の妖怪達がその存在を保つことが出来ている。
その結界を管理しているのが、博麗の巫女と、妖怪の大賢者、八雲紫であった。
「でねぇ……困ったことに、そのズレた時間から、
どうも外の人間が紛れこんできちゃったらしくって」
ふぅ、とため息をつくが、本当に困っているかどうかは怪しいものである。
「それで。悪いんだけどジャンピエール、貴方に、その人間を保護してもらいたいのよ」
「え? 俺が?」
腫れ上がった妖夢の頬を撫でていたポルナレフは、突如話を向けられて首を傾げた。
なお、幻想郷でも相当上位の存在である彼女に対して、
彼がフランクな話し方をしているのは、どうにも妹と同じ年頃の少女にしか見えぬためである。
初めて会った時にそう伝えて以来、彼は少々気に入られて、
言葉遣いの無礼さを咎められたことは、今のところない。
「そ。……彼女達の居場所まで、送るわね」
ひょい、と彼の腕を掴むと、そのままスキマへ引きずり込んだ。
「あの、幾らなんでも、急過ぎるんじゃ」
呆気にとられながら妖夢が問う。
「いいからいいから。お姉さんを信じなさいって」
八雲紫はただ、いつものように胡散臭げな笑みを浮かべるばかりだった。
「……ここは……?」
その少女は、何時の間にか見知らぬ場所を歩いていることに首を傾げた。
日本、であることは間違いないのだが、見覚えがない。
祖母の家は、首都の住宅街にあり、こんな深い森など近くにないはずだった。
うっすらと暗い森の闇の中からは、妙な獣や鳥の声がした。
「まず、状況を整理しないと……」
少女は、自分がここに来るまでのことを思い出す。
まだ十にも満たない少女にしては、随分と冷静な思考だ。
恐らく、親に似たのだろう、という予想は本人が聞いたら複雑な顔をするに違いない。
「確か、グランマの家に来て……、父さんと電話で喧嘩して……」
後から必ず来る、と約束したはずの父が、
急な仕事が入って行けなくなった、と連絡を寄越した。
楽しみにしていたのに裏切られたような心持ちになり、
電話の向こうの父親へと酷いことを言ってしまった、と今更ながら少女はしょげかえる。
「アタシを愛してないんでしょう、なんて、ひどいことを言っちゃった……」
でも、と彼女は俯く。父親が、自分と母を本当に愛してるのかどうか、
未だに実感出来たことが一度もないのだ。
物心ついてから、父は仕事が忙しい、と家に帰る時間が大幅に減っていた。
母に似て寂しがり屋な、父に似て負けず嫌いな娘は、
その寂しさを、決して父へとぶつけることはなかった。
けれど、それが親子の、ひいては夫婦の間に決定的な溝を生んでおり、
このままでは、二人が離婚してしまうことを、少女は子供ながらに理解している。
「アタシが出来たから結婚したんだ、ってママ言ってた。
……そんで、アタシなんて、居なければよかった、なんて、思って」
小さな胸に湧いた、小さな棘。
どうにか打ち消そうと歩き回っていたが、それは深く深く彼女の心に刺さるばかりで、
その思いが、彼女をその場所へと導いていた。
少女が立つその場所の名は、『再思の道』。
己の生を疎み、断とうとした外の人間が迷いこむ場所であった。
「こんな風に悩んでても仕方ないわ。人の居る場所を探さないと」
ふるふると首を振って、少女はキッと前を向く。
今の少女の瞳には、どんな困難にも立ち向かおう、という強い光が宿っていた。
つい先日まで、吸血鬼の館の客人であったとある吸血鬼が見たならば、
さぞかし忌々しげに吐き捨てたことだろう。
なんと、あの男とあの女に似た瞳をしているのか、と。
百年以上前の記憶から、同じ瞳を引きずり出して。
決して忘れえぬ、宿敵の瞳を思い出して。
「ん……?」
しばらく歩いていた少女の耳に、森のざわめきとは異なる音が飛び込んでくる。
「いやぁあああ!」
「悲鳴?!」
それは、若い女性の悲鳴のようだった。何かに追われているのだろうか。
怖い、と一瞬だけ足が止まる。でも、と思いなおす。
今、自分が行かねば、きっと後悔してしまう、と。
少女は声のした方へ駆け出した。ややあって、森の中から一人の女性が飛び出してきた。
年の頃は、少女よりはやや上。十代の半ばごろだろうか。
明るい色の髪はボサボサに乱れ、服はボロボロに破けている。
恐怖に揺れる瞳。それでも、彼女は少女の姿を見ると、声を張り上げた。
「に、逃げるのよ、お嬢ちゃん! も、モンスターが……!」
そこまでが、彼女の限度だったらしい。へなへなと、全身から力が抜けて、座りこんでしまう。
「っ、大丈夫、お姉さん!」
少女は自らが羽織っていた上着をかける。
恐る恐る、彼女の出てきた森の中を見やる。
ぐるぐる、と喉を鳴らしながら、巨大な野犬のような化け物が、姿を見せた。
口元からは涎がボタボタと垂れている。赤い目は、二人を見つめていた。
「わ、私は、いい、から。あなただけでも、逃げて!」
がたがたと身を震わせながら、彼女は少女を見上げた。
「私は、生きてた、って、仕方ない、わ。き、きっと、あなたを助けるために、
私は、ここに来たの、そういう、神のお導きで……」
「馬鹿なこと言わないで!」
震える彼女の手を、少女は握りしめる。
「生きたいんでしょう、お姉さん!」
その言葉に、彼女は目をそらす。少女の預かり知らぬことだが、
彼女は、信じていた人物に手酷い裏切りを受け、愛するものと己の操を失った。
そのショックから命を断とうとし、しかし、死にきれず彷徨う内に、ここへ迷い込んだ。
「生きたいんじゃなかったら、悲鳴上げて、逃げたりしないでしょう!?」
「え……」
思いもよらなかったことを指摘され、彼女は目を丸くした。
「っ、あっちいけっ、化け物!」
手元に落ちていた木の枝を拾うと、少女は怪物へ向けてそれを投げた。
「ぐおおぅ!」
くるくると回転しながら、それは怪物の目へと突き刺さる。
「やった! ほら今の内、早く、立って、逃げないと!」
ぐい、と少女に手を引かれて、彼女はよろよろと立ちあがった。
「えっと、多分、こっち!」
道に添うようにして、少女が手を引いて走り出す。
「あ、その……ありがとう、えっと、あの名前は」
よろめきつつ走りながら、ふと思い立って名前を問う。
「え? お姉さんの名前?」
「あ、ええ、そうね。私から、名乗るべきね。私は……、『ペルラ』」
「『ペルラ』、素敵な名前ね。アタシは……」
彼女を安心させよう、と振り向いて少女は笑った。
「徐倫(ジョリーン)。ジョリーン・クージョー(徐倫・空条)!」
ブロンドとブルネットの混ざった、不思議な色合いの髪を、
三つ編みとお団子頭を揺らしながら、少女は笑った。
「ぐわぁおおおお」
しかし、状況は何一つとして好転していない。
目を傷つけられた怪物は激昂し、怒りも露わに彼女達を追いかける。
更に悪いことに、彼女達が走っている方向は、人里とは正反対であった。
「ッ、嘘、行き止まり!」
隙間なく生え揃った木によって、進路が塞がれているのを見て、徐倫は悲鳴を上げた。
逃げる術、戦う術はないか、と後ろにペルラをかばうようにして辺りを見回す。
そうして、気がついてしまった。
「ちょっと……、冗談じゃないわよ」
立ち並ぶ石。それは明らかに人の手によって立てられた――墓石であった。
「ここ、もしかして」
ペルラもそれに気がついたらしく、おどおどと視線を動かしている。
「ぐるぅう」
彼女達の真正面から、怪物が睨みつけている。
だが、少女は諦めない。何か武器になるものを、と辺りを探る。
そうして、すぐ近くで、キラリ、と光るものがあった。
「あれは……矢?」
黄金色に輝く、古びた矢じりが、そこに落ちていた。
中途から折れたそれは、武器として使うにはやや頼りなさげである。
「でも、無いよりは、マシね……」
怪物からけして目をそらさずに、少女は、それを手にしようとする。
緊張のあまり、手の震えが治まらない。
「つっ」
その矢が、指先を掠める。たらり、と血が流れた。
「ぐるうぅおわぁああああ!」
血の匂いを合図に、大きく吼えると怪物が彼女らに向かって飛びかかる。
「き、来なさいよ、化け物っ、アタシが、相手に……!」
矢の柄を握りながら、叫ぶ声は震えていた。
目の前に迫る牙に、巨大な爪に、恐怖をこらえきれない。
――助けて、父さん!――
来てくれるはずがない、と思いながらも、心中で叫んでいた。
「ぐるぁあああおおおおおお!」
そして、信じられない光景を目の当たりにした。
今にも飛びかかろうとしていた怪物が突然血を噴き出して倒れたのである。
「え……?」
呆気にとられ、立ちつくす二人。
「大丈夫かい、マドモワゼル?」
声をかけられて、二人はそちらに視線をやる。
銀髪を逆立てた男が、心配そうに彼女達を見つめている。
「え、ええ、あの、大丈夫、です」
体の前を隠すように、上着をしっかと握りしめるペルラ。
「そうか……、ここは危ない。人里へ案内しよう」
男が、手を差し出す。びくり、と震えてペルラは後じさった。
「怪しいものではない。俺の名は、ジャン=ピエール・ポルナレフ。
まぁ、その、この近くに暮らしているものだ」
再度手を差し出すが、ペルラはその手をとることはない。
とることが、出来ない。
「……初対面の女性の体に触れるのは、図々しかったな、すまない」
ポルナレフは、彼女の反応を見て手を引っ込める。
ちらりと見えた、ボロボロになった服。あれは、逃げる途中に引っかけたものにも、
ましてや、妖怪に襲われた故のものにも、見えない。
あんな近くまで近づいていたら、取り逃がすはずがないのだ。
作為的に裂かれたような服を着て、死を望んだものが迷い込む小道に居た少女。
ポルナレフは、勘付いてしまっていた。彼女に何があったのか。
だから、無理に男である自分が、彼女に近づこうとは思えない。
「ねえ、おっさん」
「……何だい」
もう一人の少女に呼びかけられて、少しばかり衝撃を受ける。
まあ、三十も半ばを過ぎたのだ、おっさんと呼ばれても仕方ないのだが。
「あの化け物……」
「あー、その、あれだ。信じてもらえないかもしれないが、
俺は、ちょっとした超能力が使えてな。それで、倒したんだ」
嘘は言っていない。スタンド能力だって、超能力だ。
そう思いながら少女に笑いかけて、ふ、と妙な感覚に陥った。
彼女の顔を、何処かで見たことがあるような気がしたのだ。
「超能力? それじゃあ……」
そんな彼の困惑も知らず、首を傾げて、少女は倒れた怪物の隣を指差す。
「あの、『銀色』の人は、誰?」
「っ、見えるのか、シルバーチャリオッツが?!」
ポルナレフは驚く。幻想郷の中でこそ、一般人にもスタンドが見えるが、
外から来た彼女に、シルバーチャリオッツが見えるとは思わなかったからだ。
「うん、見える、よ、あの、銀、色、の……」
そう言いながら、徐倫は自分の体がカッと熱くなるのを感じた。
頭がふらふらする。舌が回らない。目が腫れぼったい。
とさり、と地面に倒れ込む。
「! 大丈夫か、しっかりし……!」
彼女を抱き起そうとしたポルナレフは、信じられないものを見た。
一つは、彼女が握りしめた金色の矢。ここに、あってはならないはずの物体。
「馬鹿な……、何故、これがこんな所に……」
そうして思い出す。この場所は、外ととても繋がりやすい場所で、
外の世界のものが、ここへ流れ着くことがある、と。
おそらく、その矢もそういった理由で流れ着いていたに違いない。
焦る。この矢は、適正のないものが触れれば、その身を爛れさせる猛毒となるのだ。
「それに、この、アザは……」
上着を脱いだ少女は、キャミソール姿であった。
故に、彼女の左の首筋にある、一つのアザが見えていた。
星の形のアザ。彼の友人か、彼の宿敵しか持っているはずのない、アザ。
「ジョリーン、どうしたの、ジョリーン、しっかりして!」
ペルラが、慌てて駆け寄ると彼女の体を揺さぶる。
「……名前……」
「えっと、私は、ペルラ。この子は、ジョリーンって言ってたわ!」
「ジョ、リーン?」
知っていた。その名前を。
「ジョリーン・クージョー……?」
「え、ええ。あの、貴方彼女のことを」
知っているの? とペルラが問う暇もない。彼女を抱えて、ポルナレフは叫ぶ。
「紫! 見てるんだろう、紫!」
「はーい、ゆかりんでーす」
呼びかけに答えるように、何も無い空間から、紫が現れる。
ひっ、と小さくペルラが悲鳴を上げる。
「頼む、今すぐ彼女を、永遠亭に連れていきたいんだ!」
「そういうと思ったわよ、ジャンピエール」
にっこりと笑いながら、日傘をくるくる回す。彼女の背後の空間が、裂ける。
中からは幾つもの目が覗いている。あまりに信じられない光景に、
張りつめていたものが切れて、ペルラが倒れた。
地面に落ちる前に、シルバーチャリオッツが彼女を抱きとめる。
「ありがとう……、俺は、この子を死なせるわけには、いかないんだ」
ためらいなく、その隙間の中へとポルナレフは徐倫を抱えて身を翻す。
ペルラを抱えたシルバーチャリオッツも、その後へと続いた。
畳の上に座って、男は一人カードを混ぜている。
日によく焼けた指先は器用に動き、とてもではないが、
ほんの少し前まで両腕がちぎれていたとは想像も出来ないだろう。
それぞれ別の暗示を持つ、二十二枚のカード。
男は、これを使った占いを生業をしていた。
カードの束を一旦置くと、上から順に三枚引き、
それを、左から右に並べ、捲った。
「『戦車』の正位置と『星』の正位置、それに『死神』の逆位置、か」
じっ、と男はその三枚を見て、意味を考える。
『死神』の逆位置は、再スタート、やり直し、復活。
これは恐らく、自分がこの場所で救われたことだろう、と推測する。
仲間を、否、友人をかばい、男は命を落としたはずだった。
しかし、気がつくと彼は竹林の中に倒れていたのだ。
傍らには、ちぎれた己の腕が転がっていた。
痛みに呻いていると、そこへ一人の少女が通りかかると、
その姿からは想像できないような力で男を抱えて、ここへ置いていった。
優れた能力を持つ薬師によって、どうにか一命を取り留めた男。
出来ることなら、一時でも早く彼は元の場所へ戻りたい、と願っているのだが、
ドクターストップをかけられ、未だにここで養生している。
占いに使っているカードは、ここの主である姫君が暇潰しの道具として、
たまたま持っていたものを、どうせ使わないからと譲り受けていた。
「ただ……戦車と星を、どう解釈したものか」
二枚のカードを見つめ、意識を集中させる。
ふ、と頭に浮かんだのは彼の友人の姿。
その二枚の暗示を持つ能力を持った、二人の青年。
「……どうして、居るんだろうな」
ほんの『数日』離れているだけの彼らの姿が、何故だが懐かしく思えて、
男は、口元に笑みを浮かべた。
彼らなら、きっとあの邪悪で強大な敵を、打ち倒しているだろうと信じて。
「……?」
突然、屋敷が騒がしくなったように感じる。
この屋敷には、急病人や怪我人が運び込まれてくることが少なくない。
今日もまた、その類だろうと思いつつ、男は立ち上がった。
男手が必要なことも、ひょっとしたらあるかもしれない。
患者とはいえ、何もせずに居座っては少々居心地が悪い。
声がする方向へ向かうため、障子を開けて縁側へ出る。
屋敷の中は入り組んでいて、突っ切るのには向かない。
縁側から、ぐるりと回った方が早いのだ、と兎の耳の生えた少女に教えてもらった。
玄関近くの庭へ至る角。誰かが叫んでいるのが聞こえる。
「頼む、先生、この子を死なせないでくれ! 俺の、大事な友人の子なんだ!」
「安心して任せてちょうだい」
角を曲がりつつ、男はそこに居るであろう永琳に声をかけた。
「先生、何か手伝うことはありませんか?」
声をかけられて振り向いた、銀髪を三編みにした女性。
彼女こそが、この屋敷に住む優秀な薬師、八意永琳その人であった。
「ありがとう。大丈夫よ」
新たな患者を受け取りながら、永琳は男に微笑みかけた。
そして、気がつく。男の視線が、自分を見ていないことに。
その視線の先に居たのは、患者を連れてきた、白玉楼の居候だ。
「あ……」
ポルナレフは、言葉を失った。
目の前に現れた男の姿を、信じることが出来なくて。
一方、男も驚いた。目の前に立つ彼に、見覚えがあったからだ。
しかし、同時に内心で疑問が湧き上がる。
記憶にあるよりも、目の前の彼は老けていたからだ。
だが、彼の父親は既に亡く、兄や、それに類する家族が居るとも聞いたことはない。
そもそも、彼の近しい親戚は皆亡くなったと聞いている。
だから、男は目の前に立つ彼の名を、呟いた。
「ポルナレフ……、お前、ジャン=ピエール・ポルナレフ、か?」
名を呼ばれ、ぽかん、としていた彼の、ただ一つ残った目に、涙が溢れる。
「アヴドゥル、あんた、なんだな? あんたなんだな、モハメド・アヴドゥル!」
サァ、と竹林を吹き抜けた風が、男の浅黒い肌を撫で黒い髪を揺らした。
ああ、とアヴドゥルは理解した。
タロットに現れた、『戦車』の暗示は彼のことか、と。
「そうだ。……元気そうだな、ポルナレフ」
にこり、と笑うと、ポルナレフも釣られて笑みを見せかける。
しかし、ハッとして、視線をそらす。
「悪ィ」
ぽつり、と呟く。
「?」
アヴドゥルは、言葉の意図が理解出来ない。
「……死んでるんだ、俺。折角、あんたにかばってもらったのに。ドジ踏んだ」
ごめんな、と眉をひそめ、彼には珍しいぎこちなさを伴って微笑んだ。