紅魔館の廊下。遠くから地響きがするのは吸血鬼の妹が暴れているせいだろうか。
涙にくれる妖夢を見下ろしながら、小町はふとそんなことを思う。
「泣いてちゃわかんないよ。事情を説明しな」
小町の言葉に、嗚咽交じりに妖夢は答える。
「私、チャリオッツの過去を、見たんです」
俯いたまま、先ほど見た光景を思い出す。また、涙がこぼれた。
「守りたい、と願って。でも、守れなくて」
『守る』という思いは、『守りたい』という願いは彼女にはよく理解できた。
彼女にも守りたいもの――主、西行寺幽々子――がいるのだから。
その守りたいものを守れなかったら? 失ってしまったら?
そう考えると胸が張り裂けそうになってしまう。
「可哀想な、チャリオッツ」
しくしくと泣く彼女を、小町は睨むようにして見下ろす。
「……で?」
普段の彼女からは想像出来ない程、冷たい声音。
「可哀想だ、って泣いて。それで、どうにかなるのかい?
それで、あいつが止められるのかい?!」
膝を突いて、妖夢の顔を覗き込む。
妖夢は言葉に詰まり、涙を湛えた青い目をそらす。
「甘ったれたこと言ってんじゃないよ!」
パァン、と乾いた音がした。激高した小町が妖夢の頬を叩いたのだ。
「まるで、不幸なのがアイツだけだとでも言いたげだね。
冥界に住んでるから、そんな狭い考えはしてないと思ったけど」
怒りを込めた目で彼女を見据える。
「よせ、小町。スタンド使い同士の戦いは彼女には未知のことだったんだ。
混乱してしまっても仕方ないだろう」
リゾットがなだめるが、小町は止まらない。
「ただ哀れむだけってのは、死者に対する最大の侮辱なんだ。
傍からみりゃあ不幸でもねえ、幸せだったって笑ってられる死者は大勢いる!」
数多の死人を見続けてきた死神が吼える。
「友を家族を師を殺され、ようやく結ばれた初恋の相手を生かすために、
宿敵の頭抱えて海に沈んだ男だって、いる。そんな状況でも、笑って、死んだ」
小町たちから遠く、フランドールを止めんとする咲夜とDIOの胸が、不意に痛んだ。
その違和感に一瞬首を傾げる。しかし、レミリアとの戦闘では悩む暇などない。
飛んでくる弾幕を避け、反撃の機会を伺うことに集中した。
「火事で行方不明になった恋人の子を産んで、死の直前、娘を独りにしたくなくて、
恋人を探して探して探して、それでも見つからずに、志半ばで死んだ女がいる!
でも、彼女は笑っていたんだ! 娘が、父親に会えることを、
幸福に暮らせることを、信じきって!」
「……笑って、たんだ」
ドッピオが心当たりに眉をしかめた。
感傷など、過去など捨てなければいけないのに、痛んだ胸が不快で。
「笑っ、て」
妖夢が、震える声で言葉を発した。
「そうだ、彼も、笑ってた。妹を殺されても、友を殺されても、
それでも、彼、笑ってたんだ」
きっと、あの過去を知らなければ、フザけていると思っただろう。
けれど、今思い出しても、その笑顔に悲しみしか見出せない。
「笑っていた、か。強いな、そいつは」
「え?」
リゾットが口を開いたのに驚く。
「オレ、の、知り合い。そう、知り合いだがな。その知り合いも大切な人を亡くした。
殺されたんだ。法で裁かれはしたが、命で償われはしなかった」
遠くを見るような眼差しに、憎悪がありありと燃えている。
「許せなかった。まだ、ガキだったから、復讐のために力が欲しいと思った。
力を手に入れるためなら、修羅の道に落ちてもかまわない、と」
リゾットが語りだしたのを、小町は黙って聞いている。
その『知り合い』が一体誰なのかを、知っていたから。
「その男は、笑うのが苦手になってしまった。大切な人を亡くしたから。
だから、笑っていられたというなら、あの、チャリオッツといったか、
あいつの本体は……強かったんだろうな」
その言葉に妖夢はハッとした。
あの笑顔は、彼の強さだ、と。そう思えた。
次の瞬間、ずん、と大きな地響きが館を襲った。
「フランが能力を使い出したみたいね……館本気で壊れるかも」
パチュリーが若干顔色を青くする。
その言葉は下手をすれば現実になりそうだった。
天井の一部がぐらぐら揺れたかと思うと、が衝撃に耐え切れず落下した。
「あ……」
天井が落ちた先には、チャリオッツの姿があった。
がらがらと崩れるガレキの中に、チャリオッツの姿が消える。
「やったか?!」
「何てこと言うんですか!」
ドッピオが叫んで、妖夢は怒りも露に言葉を返す。
確かにガレキはチャリオッツの身をずたずたに壊していた。
がしゃり、と音を立ててガレキから這い出す。その歩みを止めはしない。
その体が修復しない内から、這うようにして前に前に進む。
「いつ、まで」
その姿に妖夢の声が震えた。
「いつまで、戦うんですか。もう、いいじゃないですか」
目元をぐいっ、と拭い、彼をその青い目にしっかと捉える。
「私が、止める」
もう戦わせはしない、と決めた。
「……出来るんだね?」
「やるんです」
小町の問いに、しっかりとした声で答えた。
「そう。やれる、と思うことが大事なのさ。力を使うのに大切なのは認識すること。
その心の強さが、『幻想郷』では力になる!」
だん、と床を蹴って飛び出した妖夢の背中に小町が叫ぶ。
突っ込んでくる妖夢に対し、半霊が刀を構える。
けれど、常時より速く動いたため、反応できなかった。
その脇をすり抜け、刀を構える。チャリオッツが、その気配に振り向いた。
――あなたは、守りたいものを亡くした――
――半身と分かたれて、帰る場所も無くした――
――でも、私がいる! 幽々子様もいる! あなたの傍らに!――
――あなたの、帰る場所になるから! だから!――
「正気に戻れえええええ、『シルバーチャリオッツ』ゥウウウウウ!」
妖夢のその想いを乗せた刃が、チャリオッツの迷いを、叩き斬った。
人間でいえば額に当たる部分に、白楼剣の刃が当たる。
そこから、ぴしり、と音を立て全身にヒビが入る。
まばゆい銀の光を漏らしながら、そのヒビはどんどん大きくなる。
ぱりん、と何かが割れる音がして、一瞬の後。
そこには、呆けたように立ちすくむシルバーチャリオッツが残された。
「シルバー、チャリ、オッツ?」
二人の青い目が、視線を交わした。
「う……うわああああん、シルバーチャリオッツぅうううう!」
妖夢は握った刀を取り落とし、感極まってシルバーチャリオッツの胸に飛び込む。
「もう、戻って、来ない、かと、思ったっ」
わあわあと声を上げて、妖夢は泣く。
「あなたごと、斬ってしまったら、どうしようかと、思ったっ!」
シルバーチャリオッツは、そんな彼女の背中を、ただ優しく撫でるだけだった。
「あー、やっと戻れたわ」
その光景を見ながら、元の体に戻ったパチュリーがごきごきと肩を鳴らしていた。
「んもう。あんたが無駄に動くから体が痛いじゃない。 あーあー、明日は筋肉痛になるわね」
隣に座り込んでいる男に声をかける。
「ああ、戻った」
ぽつりと、男は呟く。自身の胸元で、ぐっと拳を握る。
「戻った、戻った、ここに、ここにいる……」
無くしていた、あの日捨ててきたものが、戻った。
男は、ディアボロは、奥歯を噛みしめた。
「……はれ? お姉さま? 咲夜? それにDIOも?」
別所では、金髪に異形の羽を持った吸血鬼の少女、フランドールが首を傾げていた。
「どうやら、元に戻ったみたいね。ああ、折角のセットが台無しだわ」
水色がかった髪の埃をはたきながら、紅魔館の主レミリアがため息をつく。
「はぁ、修理するのに何日かかりますかねえ。
あなたも手伝ってくださいよ、あそこら辺の壁、あなたが壊したでしょう」
むっとしながら、咲夜がDIOを睨みつける。
「う、うむ」
彼は半ば上の空で返事をした。先ほどまで、咲夜の体だったのだが、
その時、妙な感覚があったのだ。歯車が、ほんの少しだけ、かみ合わないような。
『他人』の体で、全くかみ合わないというのは納得ができる。
だが、どうして『少しだけ』、かみ合わなかったのだろうか。
悶々と悩むが、その答えは今の彼女からは見出せそうになかった。
「終わった、ね」
小町が自分の体に戻ったのを確認しながらやれやれ、と息を吐く。
「早く戻って、映姫様に今後のことについて聞かねばな。
これが、二度ないとは言い切れない」
「そっちはあたいがやっておくよ、だから、あんたはもう一つの仕事を」
それだけ告げると、ふわりと小町は浮かびあがる。
早く帰りたいのだろう。そのまま外へ向かって飛んでいった。
「『地獄の魂は地獄へ返せ』か」
託された伝言の内容を思い出しながら、リゾットはレミリアの下へ向かう。
彼女の客人であるDIOを、裁かれるべき地獄へ返すために。
白玉楼。そわそわしていた幽々子は玄関から聞こえた物音に慌てる。
玄関へ出た幽々子は、帰ってきた二人を見て、ほっと安堵した。
二人とも、随分とボロボロの姿をしている。
どうやら、やはり行った先で何かがあったらしい。
それを問うのは後回しにしよう、と思った。
自分が言うべき言葉は、一つだ。
「おかえりなさい、妖夢、シルバーチャリオッツ」
その言葉に、妖夢は微笑み、チャリオッツも何処か嬉しそうだった。
「ただいま!」
銀騎士とあかその3「あなたのかえる場所になる」