「……困りましたねえ」
四季映姫・ヤマザナドゥはふぅ、とため息をついた。
彼女の目の前には、一体の死者が立っている。
いや、そもそもソレ、あるいは彼を死者と呼ぶのは違うのかもしれない。
『白黒はっきりつける程度の能力者』である彼女が悩む程ややこしい存在なのだ。
「あなたは、魂。もう顕界には存在できない死者。
ですから本当は、審判をするか、あるいは彼岸で待つか、
そのどちらかであるべきなのでしょうがね……」
ああややこしい、とまたため息をこぼす。
「あなたの本体……魂の片割れは、未だあちら側に留まっています。
半分だけの魂を裁くことは、いかな閻魔であっても出来ないでしょう。
まったく……だからって何もこちらへ送らなくてもいいのに」
ぶつぶつと不満の声を小さく漏らしながら、目の前の彼に向き直る。
「あなたには、しばらく冥界に行ってもらうことになります。
亡霊の姫君の住む屋敷の世話を手伝うこと。
それが、あなたの片割れがこちらに来る日までに積める善行です」
話しかけられている彼は、ぴくりとも身じろぎをしない。
ただ、先程から青い瞳を持った右目をきょろきょろと動かしているだけだ。
その動きが何だかおかしくなって、映姫は微笑む。
「不思議なのですね、あなたの目に世界が映ることが。
……その右目は、あなたの片割れがかつて亡くした右目。
ここで過ごすためには、必要になると思い、用意しました」
そう言われてから、彼は、西洋甲冑に似た体を動かし始めた。
手を、体を、周りを、ぐるぐると見回す。
まるで、『自分』を認識し始めたばかりの赤子のように。
「自我の芽生えも、見える目も、何もかも、あなたにとっては大変でしょう。
さて、それでは冥界へ行きなさい。案内人を用意しましたから、彼女の指示にしたがうように」
示されるまま振り向けば、そこには赤い髪をした女性が立っていた。
「あー、あたしは小町だ。あんたを冥界まで案内するように言われた、よろしく」
小町という名の死神は、人懐っこく笑いながら手を差し出す。
だが、彼はぼんやりと首を傾げているばかり。
「えー、小町。彼は喋ることもできませんし、自我もほとんどありません」
「へえ。じゃあ、とにかく冥界まで届けてきますね。
亡霊の姫様には連絡してるんでしょう?」
ぎゅっと彼の手を握って、小町は駆け出そうとした。
が、思う所があったのか、はたと止まって映姫の方を振り向く。
「映姫様、そういえばこいつの名前は?」
「……『銀の戦車(シルバーチャリオッツ)』です」
「シルバー……長いな、チャリオッツでいいですよね。
さ、とにかく行こうか、チャリオッツ!」
彼女は手を引いて、彼を連れていく。
視界から銀色の光が消え去った後、映姫は誰もいない執務室で呟いた。
「本当は、審判の結果は決まっていたんですけどねえ」
視線をやった先。
罪を映す鏡に映るのは、かつて彼らが邪悪に立ち向かっていた瞬間。
「あなたは、『正しいことの白』でした。
……最期に、その身を『影』に染めさえしなければ」
人の精神を支配することは、許されることではない。
ましてや、彼の行動をきっかけとして死に至ったものもいるのだ。
「あなたがこちらでなすことも、審判の対象になります。
頑張りなさい……シルバーチャリオッツ。
その表面に、白も黒も映し出す銀色。突き進む戦車の暗示を持つ魂。」
彼は、ぼんやりとした頭で考える。
先程の女性と、目の前の女性の言うことを、身に刻む。
自分はこれから、冥界という場所へ向かうこと。
そこにある白玉楼という場所で働かねばならないこと。
西行寺幽々子と、魂魄妖夢という女性の指示に従うこと。
何故そうしなければならないのか、理由は理解できない。
だが、そうしなければならないのだということは分かる。
自我が芽生え始めたばかりの彼には、それが手一杯だった。
そして、もう一つ分かっていることがある。
女性は、女の子は、守らなければいけない、ということだ。
少女に、手を引かれて、その後をついていく。
この感覚に、覚えがあるような気がした。
ずっと昔にとても愛しかった記憶。今でも、愛しいと思う記憶。
その感覚は、シルバーチャリオッツに――ジャン=ピエール・ポルナレフの魂に――
深く深く刻み込まれているものであった。