持っていく荷物は普段の特別実習と変わらない。短剣に《ARCUS》、着替えなどだ。いつもと違うのは参加する学院生の情報がのったファイルと職場体験の資料ぐらいだろう。そのため準備自体はすぐに終わった。特別実習や旅の経験がなかったらもう少しかかっていただろう。
準備を終え列車に乗り込んだ時、ちょうど授業が終わるチャイムが鳴ったところだった。どうやら《Ⅶ組》の誰にも会わず、トリスタを出れそうだった。普段から、病気にはよくないイメージばっかりだったが、今日ばかりは感謝してもいいかもしれない。
私は座席に座ると、列車はすぐに出発した。帝都ヘイムダルに向かうので、列車に揺られている時間も長くない。景色を見るのもいいが、この時間で希望する体験したい職業を決めてしまおうと思った。学院長から渡された資料にもう一度目を通す。学院長室では体験できる職業について詳しく見ていなかったので、初めて見るようなものだ。
(えっと、ブティック《ル・サージュ》本店の接客、帝都の工房での作業全般、帝国時報の作成協力、鉄道憲兵隊の見学と体験、ラインフォルト社の製造業、ケルディックでの農家の手伝い……)
軍事関係から接客、情報、農業など、結構いろいろな職業が大企業から小企業まで体験できるようだ。さらに帝都ヘイムダルの内部だけでなく、トリスタやケルディック、パルムなどいろいろな町で体験が行われる。思っていた以上に大規模な体験学習だ。
リストの中には昔、旅をしていたころに仲良くなった店主がいる店や、逆に2度と寄りたくない店もあった。まさか、あんな店がこの企画に協力しているとは思わなかった。
そのまま、リストの中ごろに到達すると、もう1つの見覚えがある店の名前があった。帝都のアルト通りにある音楽喫茶《エトワール》。昔に住んでいた地域の喫茶店だ。あそこのマスターとは仲が良かった。久しぶりに顔を見せに行ってもいいかもしれない。2年もあっていないので、忘れているかもしれないけれど。
(……そういえば、お義母さんにも会ってないなあ)
お義母さんも2年間あっていない。やり取りは手紙でだけだ。まあ、手紙で見ている限りでは元気にやっているみたいだ。仕事が少し大変なようだが、一応は何とかなっているらしい。体を壊さないかだけが心配だ。
『次は帝都ヘイムダル、帝都ヘイムダル』
どうやら帝都についたようだ。資料をしまい、列車から降りる。物思いにふけって、資料の全部に目を通せなかったのは残念だが、明日の朝までなので、まだ時間はある。宿にでも止まった時に読めばいいだろう。
「って、宿のこと忘れてたよ。どうしよう」
お金はある。まだ、昼過ぎだ宿も空室があるだろう。だから、泊まることはできる。何も問題はない。問題はないのだが。できれば安い宿がいいかな。お金を無駄使いしたくない。今は駅前にいるので、ここから少し離れたところで探してみよう。そうすれば、少しは安い店が見つかるだろう。
「あの、すみません。ちょっとよろしいでしょうか?」
歩き始めて少しすると、後ろから声がかけられた。駅前なので帝都の観光客だろうか?帝都のことを聞かれても2年前から情報が更新されてない私には答えられないのだが、このまま立ち去るのも不愛想なので対応はする。そのために私は返事をしながら振り向いた。
「はい。なんでしょ……う……。え?義母さん!?」
「やっぱり!リアだったのね。帰ってくるなら先に連絡をくれればよかったのに」
振り向いて受け答えをしようとしたら、そこに立っていたのは私の義理の母親だった。2年ぶりの再会は何の前触れもなくいきなりやってきた。
「まったく、手紙だけの連絡で心配してたのよ」
「ごめんって。帰ってくる暇がなかったんだって」
「旅をしていたのだからここによる暇はあったでしょう?」
「まあ、そうだけど……」
あの後、お義母さんに捕まって家へと連れてこられた。帝都のアルト通りにあり、近くにはエリオット君の家や先ほどの資料にあった音楽喫茶もある。でもまあ、すぐに連れてこられてから色々と文句を言われているのでどこにも行けていないのだけれど。
「まあ、帰ってきてくれたからいいわ」
「無理やり連れてこられたんだけどね」
「なんかいった?」
聞こえないように小声で文句を言ったのだが、どうやら聞こえていたようだ。お義母さんの向けてきた笑顔は目が笑ってない。私は視線をお義母さんから逸らした。その先には使い古された導力ラジオなどが置かれた棚があった。
「手そういえば、あのころから何も変わってないね」
家の中を見渡しながら、思ったことを口にした。私が家を出て旅を始めた2年前と何も変わらない。机の配置も本棚の配置も、皿やコップなどの置き場所も変わっていない。この部屋だけじゃない、廊下にある荷物の配置も変わっていなかったところを見るとほかの部屋も変わっていないだろう。まるで、この家の時間だけ止まったみたいだ。
「変えられるものですか。あの人と……いえ、私たち家族の思い出が詰まってるんですもの」
「……そうだね」
そうだ。ここは私とお義母さん、お義父さん、サラ姉さんの4人で過ごした大切な場所。それを変えるなんてこと、私たちの誰もがするはずがない。だからこそ、私はここの帰ってくるのが怖かったのだ。すでにこの世にいないお義父さんとの思い出が溢れているから。忘れたくても思い出してしまうから。でも結局、旅に出ている間も思い出すことはあったので、意味はなかったけれど。
「はい。お茶。熱いから気を付けてね」
「ありがとう」
お義母さんは台所で自分と私の分のお茶を入れてきてくれ、私の座る椅子の対面に座った。いつもお義母さんが座っている席だ。この四人掛けの机でお義母さんの隣はお義父さんが、私の隣にはサラ姉さんが座る席になっている。全員がそろうときは少なかったが、揃ったときはすごく賑やかだった。
それに比べて今はとても静かだ。2人しかおらず、ラジオもついていない。あの騒がしかった頃が懐かしく、あのころに戻りたいと思ってしまう。
「それで、今日はどうしたの?学校があるんでしょう?」
「うん。でも、今日は明日の準備で帝都入りしたの」
「……明日の準備?」
「うん。職場体験の各学校の代表者は明日から準備しないといけないから」
「ああ、職場体験ね。ヘミングさんも言ってたわ」
納得したような表情を浮かべるお義母さん。ヘミングさんというのは職場体験の職業リストにあった音楽喫茶《エトワール》のマスターだ。今回の職場体験も話のネタにされたのだろう。
「でも、それだけでもなさそうね?」
「!……なんでそう思うの?」
「何年あなたの母親をやってきたと思ってるの。それくらいわかるわよ」
いつもそうだった。なにか隠し事していると、お義母さんが見抜いてくる。いままでで隠し通せたことは一度もない。そんなに私は判りやすいのだろうか。
「それでどうしたの?何かあった?」
「……うん。あったのはあったんだけど」
自分の声が落ち込んでいくのがわかる。思い出しているのはフィーのことだ。結局、詳しいことを聞くこともできなかったが、彼女が猟兵であった事実は変わらない。猟兵であったと聞くだけで憎く、もし、私の幸せを壊した猟兵団の一員なら私は彼女を復讐の対象とするだろう。それは《Ⅶ組》のメンバーを悲しませるだけだ。だから、私はフィーのことを知らなくてよかったと思っている。
「ねぇ、お義母さんは、猟兵に復讐したい?」
「そうねえ。憎くないと言ったら嘘になるわ。でも復讐はしないかな」
「それは……なんで?」
「だって、そんなことしたくないもの。それよりは残されたものを守ったり、楽しいことを探したいわ」
そう言って笑うお義母さん。どうしてこんなに笑えるのだろうか。自身の夫を猟兵に殺され、なんで憎しみを抱くだけで終われるのだろうか。なぜ、復讐を考えないのだろうか。私にはお義母さんがわからない。復讐を考えないお義母さんみたいに私はなれない。
「リア、あなたはどう思ってるの?」
「私は……復讐したい」
「そう。……でも、私としてはあなたにはそんなことしてほしくはない。それはあの人も一緒だと思うけれど」
お義母さんは悲しいような表情を浮かべ、私にしてほしくないと伝えてくる。もちろん、私にもお義母さんとお義父さんがそんなこと望まないことが伝わってきている。確かに伝わってくるのだが、私の心の奥底はまだ許せないとうったえている。
「どうするかを決めるのはあなただから、私からはこれ以上なにも言わないわ。でも、時々休憩は必要よ?」
そういってお義母さんがみせてくるのは、私が持っていた職業体験の資料。気が付くと、私の荷物が開かれ、取り出されていた。
「勝手に人の荷物を開けないでよ!」
「別にいいじゃない。家族なんだし。でもまあ、その歳で男の気配も漂わせない荷物とはわね。がんばりなさいよ」
「余計なお世話!」
笑っているお義母さんから資料を取り返す。ちゃっかり彼氏チェックまでしているお義母さんを無視して部屋に籠ろうかと思った。しかし、笑っているお義母さんがどこか嬉しそうなのを見て、今日はこのままでいいやと思い、寝るまでの間、お義母さんと馬鹿騒ぎした。
□ □ □
その夜、私は夢を見た。過去の経験談からくる懐かしい夢。2年ほど前のお義父さんがなくなってから少し経ち、旅に出る時のことだった。
帝都の自室で私は床に座り、必要な荷物をまとめていた。その作業は旅に出る時にやるもので、必要なものを最小限でまとめているのだ。
私の部屋にお義母さんがやってきた。その表情は疲れてきっていて、あまり動きたくないように感じる。それでも、私のことを心配して、来てくれているようだ。
「その準備……リア、旅に出るつもりなの?」
「うん」
「あなた一人の旅になるのよ。大丈夫なの?」
「大丈夫」
私は多くをしゃべらなかった。返す言葉も単語程度。あまりしゃべりたくないように、必死に目の前の荷物をまとめている。その姿は八つ当たりしているようにみえ、よりお義母さんを心配させている。
「できれば行ってほしくないのだけれど、止めても無駄のようね」
「……」
お義母さんはため息をつき、悲しそうな表情を浮かべる。その表情を見て私は小さくごめんとだけ呟いた。自分だけに聞こえるような声だ。きっとお義母さんには聞こえてないだろう。
「せめて、手紙は送ってちょうだい。なるべくたくさんね」
私はただ頷いて、言葉にしてかえさなかった。それでも、ちゃんと伝わったことがわかったお義母さんは部屋を出て行った。
残った私は手を強く握りしめ、その拳を床に叩きつけた。父を殺した猟兵への恨みと、お義母さんにあんな表情を浮かべさせている私への一発だ。こんなことをしても何もならないのは判っている。それでも、やらないとこの苛立ちが落ち着かないのだ。
時間が経ち、落ち着いた私は準備を再開した。ある程度は準備が終わっていたのですぐに荷物は整理できた。そして、短剣を持ち家を出る時にもう一度お義母さんと会った。
「気を付けていってらっしゃい」
「うん。いってきます」
私は街道に向けて歩き出した。そこから私は2年の目的のない旅を始まった。いや、この頃の目的はお義父さんを殺した猟兵を探し出して、復讐することだったかもしれない。今思えば、しつこく引き留めることもせず、よく見送ってくれたものだ。そのおかげで素敵な出会いをいくつかで来たのだから感謝しないといけない。
帝都に到着。職業体験イベントまであと少し。
2日連続投稿。
明日も投稿ができるかな?