※グロい上に、非常に不愉快な内容と思われるかもしれません。
そういった展開が苦手な方、自分なりの艦これの世界観が出来上がっている方は自己責任でお願いします。
「深海棲艦が何かから逃げていた、ねえ……」
大淀が提出した報告書に提督は半信半疑の表情で目を通す。
「どうかなさいましたか」
「加賀、いいところに来た。今回の件で大淀からの報告書、見てみるといい」
金剛大破という事件に鎮守府内はちょっとした騒ぎになっていた。現在最高練度の金剛がどうすればそこまでのことに至るのか、敵は鬼や姫級だったのか、と。
実際は金剛の無茶で無謀さのせいだが、『鎮守府に提督がいなくても金剛と加賀がいれば大丈夫』と駆逐艦たちが口にするその一角の大破はセンセーショナルなものとして広まり、後始末のほうが大きくなった。
報告書を読む加賀は軽く眉間にシワをよせ不可思議なものを見るようだった。
「失礼。……かいつまんでしまうと『深海棲艦がおびえ、逃げていた。それに追われた。と、私は思う』でしょうか?」
「だよねえ。そう読めるよねえ」
深海棲艦が逃げているという表現がまず聞いたこともない話だ。
だが、一番の問題は分析でも推測でもなく、これじゃただの大淀の感想である。
「……大淀がこれでは他の艦娘が心配になりますね」
「報告書の書き方でも座学に追加するか」
加賀は今一度報告書を読み直し始める。
「裏づけとしてリンガ泊地からの通信があったと書いてありますが。西から深海棲艦が流入しているとか」
「問い合わせてみた。そんな事実はないってさ」
「同行の睦月たちは何かおっしゃってませんか?」
「通信を受けたのは大淀だけらしい。何かの通信を受けていたのは夕雲と巻雲が覚えていた」
「そうなると……」
「厳しいな。まあ、話半分でいいから覚えておいてよ」
「わかりました」
「それと俺は今日、軍学校の同期会なんで夜は留守になるから」
「わかりました。行ってらっしゃい」
同期会へ行く途中のタクシーの中、提督はほっと胸をなでおろした。そして、阿吽の呼吸で話を合わせてくれた加賀に感謝をする。
提督の執務室など誰がどんな形で話を盗み聞きしているか分からない部屋だ。
大淀のことは信用しているが、最初は報告書を読んで勘違いの類だと思った。しかし、何かあると確信したのはリンガ泊地から「そんな通信はしていない」ときっぱりと言われたからだ。そこで「勘違いだった」「大した数じゃない」など言われれば疑問の余地程度で済んだだろうに、やり過ぎだよ。
「ん? あれ、そこのホテルの前に止めてほしいんだけど」
タクシーは左折すべきところを直進する。
「あそこの前は止めにくいんで裏に回りたいんですが」
「わかったよ、でも、メーター止めてな」
「……見たところ軍のお偉いさんのようですが」
「そうだよ、このタクシー代も税金だ」
「そう言われるとメーターは止めなくてはいけませんね」
ホテルの裏へ回るとタクシーは停車しなかった。
提督が言う前に、そのままホテルの地下駐車場へと降りていく。
オレンジの誘導灯のみが光る螺旋のスロープを下っていった。
覚悟は一瞬。
タクシーの後部座席の真ん中に座り、横柄な態度で舌打ちを何度もする。
もう運転手に何も言うことはない。黙って乗せられていく。今言えるのは一つ、こういう手の込んだことする奴とは仲良くできる気がしないってこと。
駐車場の最奥へとやってくると停車した。ドアの先には二つの人影があった。
一人はスーツの男。薄い笑顔を浮かべているがガタイのよさは軍人か何かだろう。もう一人は子供。女の子だった。チェックのスカートにセミロングの髪型、上品で大人しい感じの子だった。
状況は即座に把握できる。彼らの正体だって推測するまでもない。
車から降りると運転手は何も言わずに走り去っていった。
「タクシー代くらいもらってきゃいいのに」
とりあえずそう言うと、目の前の男はくすりと笑って、
「大丈夫、僕が事前に払っておきましたから」
それから二人は近づいてきて、男は握手を求めた。
「僕はジョゼッフォ・クローチェ。ジョゼと呼んでください。この子はヘンリエッタ」
「どうも。公社のお二人さん」
少し不機嫌にしながらも握手には応じる。
「で、俺も暇じゃないんだけど」
「そう言わずに少しお付き合いください」
「公社の人間なら堂々と正面から鎮守府に来ればいい」
「公社も一枚岩じゃないもので。特に今日お呼びしたのは個人的な御願いと、見返りとしての情報提供があるからです」
「なるほど、聞きましょう」
「……提督、貴方は艦娘の正体を聞きたくありませんか?」
「聞きたくないです」
即答。
ジョゼにとっては想定外だったのか言葉に詰まっている。
「す、すいません。もっと飛びついてこられるかとおもっていたので」
「私は快楽主義者の刹那主義者です。知らないほうが幸せなら、知るつもりはありません。それが先送りにするだけの話でもね」
「事前調査での人柄とは少し違いますね。なら、なぜ公社を独自に調べていたのですか?」
「考え方が変わったんですよ。あの時とは違います」
「提督さん、あなた面倒くさい人ですね」
暗に「本当は知りたいんでしょ」と言っているのだ。とはいえ、ジョゼの表情に不快感や困惑は見られない。余裕のある話しぶりに変化はなかった。
「なるほど、私からの情報提供に興味はない、と」
「ええ」
「なら私のお願いを聞いてもらえますか?」
ん? 会話のつながりがおかしいぞ。
「お願いの見返りが情報提供なのでは? 情報提供を断ったのに頼みごとは聞けって事ですか? ジョゼさん、あなた図々しい人ですね」
「とりあえず聞いてもらえませんか? 守る必要はないですから」
さて、ここが悩みどころだ。
『聞くだけなら』その言葉を口にするだけなら簡単だ。だが、そもそも『聞いてはならない』お願いの可能性がある。よって、俺の答えは、
「聞く理由は、ないな」
「そうでもありません。私のお願いは私が困っていること、つまり、私の弱点に他なりません。そして、近々行われるマーシャル諸島の奪還作戦。公社との合同作戦になりますが、私は公社側の指揮官の立場で参加します。恩を売る意味でも、弱みを握る意味でも悪い話ではないと思いますよ」
「ずいぶん、饒舌だな。まるで練習してきたみたいだ」
「その言い方は納得してもらえたと思っていいでしょうか?」
「どこがだよ、罠にはめられてるみたいだって意味だ」
沈黙。
それでもジョゼは引く気はないようだ。今でも涼しい顔をして俺の言葉を待っている。
隣にいる義体の少女をちらつかせて……
「……俺から条件がある」
「どうぞ、お話ください」
「公社はなぜウチに来たかを教えろ。艦娘との共同作戦ならイタリアの艦娘とやればいいだけだろ」
「ごもっともな疑問。ただ、イタリア政府の理由と、公社の理由、そして僕ら義体担当官それぞれの理由は異なるんですよね。一枚岩じゃないので」
「なら全部教えろ。どうせそのつもりだろ。まだるっこしいんだよ」
イタリア人というと陽気なイメージがつくが、それはイタリア南部のイメージらしい。北部はアルプス麓の工業地帯、時間厳守で日本に近い社会だという。南部は農業が中心で、歩んできた歴史も違う。そうビスマルクが教えてくれた。
「ええ、わかりました。ではイタリア政府からですね。ちなみにイタリア駐日大使は何ていってましたか?」
「……日本には恩を売っといた方がいい、みたいなことを言われたな」
「それは嘘ではありません。その内容については今は言えませんけど」
「あのなあ――」
「一つ言えるのは、イタリア政府は日本を恐れています。イタリア以外の多くの国も」
「……まあいい。次」
国単位の話に興味はあるが、俺がここでこだわることではない。
「切り代わりが早くて助かります。次は公社ですね」
ジョゼはヘンリエッタの肩に手を乗せた。
「実はこの子たち義体の第一世代はすでに役目を終えています。対人用として作られたのにテロはなく、技術的にも遅れたものになりました」
「それはマルコーから聞いたな」
「公社からすれば隠したい負の遺産です。来週にはこの子と同世代の義体がすべて来日し、作戦へと参加します」
「マルコーは義体を消耗品と言っていたが、公社からすれば消耗したいもの、なんだな」
「はい、どさくさにまぎれて無かったことにしたいんです。これだけ遠方の国ならそれも容易でしょう?」
ヘンリエッタは自分の話だと気付いているはずなのに動揺が無い。
この子が考えているのはジョゼを守るということだけなのだろう。
「さて、最後に担当官の思惑ですが、これは僕の思惑で構いませんかね?」
「ああ……ちょっと待て、それがお前の聞いてほしいお願いと同じじゃないだろうな?」
「……ばれましたか。ですが、私はここまで約束を守っていますよ」
確かに俺の条件は満たしている。先に指摘できなかった俺の負けか。
「いいぞ、話せよ」
「では、改めまして、私からお願いがあります」
ジョゼはヘンリエッタを前に差し出し、その両肩をしっかりとつかむ。
「私に何かあった場合、このフラテッロのヘンリエッタを引き取ってもらえませんか?」
……聞くんじゃなかった。
ヘンリエッタは後ろを振り向きジョゼを凝視している。信じられない、裏切られた、そんな恐怖を浮かべていた。
「義体は艦娘のプロトタイプのようなものですから、取り扱いに関しては設備の流用が可能です。義体に関する資料は近日中に私から送ります」
「だが、イタリアの所属だろう?」
「公社がこの子たちをどうしたいかはすでに話しましたよね?」
作戦を生き残っても、この子たちの行先は……
「……ずるいな」
「ええ、あなたが断れない性格だということも承知の上です」
「イタリア側と揉めると――」
「これも先ほど話しましたが、イタリア政府はあなた方を恐怖してますので、交渉自体は難しくならないと思います。むしろ日本に借りを作れるなら、内心喜びますよ」
なるほど、この男を胡散臭い奴としてしか見ていなかったことを訂正する必要がある。
ジョゼの目的が見えてなかった。答えはシンプルで目の前にあったのに。マルコーのせいで義体とその担当官の関係を固定化されていたみたいだ。
「わかった。そのお願いは聞くことに――」
「ジョゼさんっ!」
ヘンリエッタの大声が地下駐車場に響く。ヘンリエッタは嗚咽を洩らしながら涙ながらに訴えた。
「私は、ジョゼさんに何かあれば、生きているつもりはありません」
「悲しいことを言うな、ヘンリエッタ。せっかく寿命も延びたんだ、もっと有意義に使いなさい」
「でもっ」
「あくまで可能性の一つだ。一番いいのは二人で帰還することだよ。それでイタリアにいられなくなるようなら、僕はこの国に亡命するつもりだ」
「本当ですか、ジョゼさん」
「ああ」
亡命? その話は聞いてないんだけど……、二人とも生き残ったら二人とも俺が面倒みるってことにならないか、それ。でも、ここでそれ言ったら俺が空気読めてない最悪野郎になりそうで言えない。
ジョゼはヘンリエッタの涙をハンカチで拭ってやる。
「僕たちの話はホテルに戻ってからゆっくりやろう」
「はい」
「それで申し訳ないのだけど、今のヘンリエッタの声で誰かが近づいてくるかもしれない。見回りをしてきてくれないか? いいというまでこの階への入り口で待機していてほしい」
ヘンリエッタは恥ずかしそうに口を抑え大きくうなずくと、とたとたと走っていく。
俺はヘンリエッタの姿が一応見えなくなってからジョゼに話しかける。
「見回り? もう話は終わりだろう?」
「涙を止める時間を上げたかったんですよ。それに……艦娘の正体、知りたくないんですか?」
「いらない」
「と、おっしゃいますが今聞いてください。衝撃的な内容かもしれません。もし修羅場で知ればどうなるか……。あなたの身を守る事にもつながりますし、ひいてはヘンリエッタのためにもなりますから」
ジョゼは提督の隣に立つと、煙草に火をつける。白い煙をふきだしながら壁にもたれかかる。
「吸いますか?」
「止めたんでね。オイルや火薬であふれた職場だからな。何より艦娘に嫌われる」
以前吸っていたと言っただけで、大鳳と陸奥に嫌な顔をされた。
「そうですか。……私としてはお願いを聞いてもらえた時点で貴方とは運命共同体のつもりです」
「俺にとってあんたはそうじゃないが、それでもいいのか?」
「ええ。むしろ、そのほうがいいです。命の優先順位は明確な方が判断が鈍らずに済みます」
やはり公社の人間は異質だ。くぐりぬけている死線の数が違うのだろうが、それでいてあのヘンリエッタへの態度が両立している。ちぐはぐなようで矛盾はしていない、常識が通じないのに論理的。
「ヘンリエッタはね――」
俺はジョゼからヘンリエッタが義体になった経緯を聞いた。
筆舌に尽くしがたい事件の後、かろうじて生き残ったヘンリエッタをジョゼが義体として選んだこと。死んだ妹を重ね、苦労してきたことを。そして、他の義体たちも同じように不幸を絵にかいたような少女だったことを。
「もうお判りでしょうが、艦娘も同じです。どこかで人として生まれ、早くに先のない人生を迎え、世間的には死んだことにされ、そして艦娘として生まれ変わった」
「あまり艦娘の前の人生を考えたくないな」
「それは知らない方がいいでしょう。無価値の同情しか生まれません。義体には記憶をわずかに残すものもいますが、艦娘はさっぱりおぼえていないのが普通ですしね」
ジョゼのたばこが地面に落ち踏みつぶした。
「深海棲艦は沈んだ艦娘の生まれ変わりという説を聞いたことは?」
「そりゃあな。でも、深海棲艦のほうが数がはるかに多いから出鱈目だろう」
以前この噂話をしていると加賀に「私が深海棲艦になったら提督はどうしますか?」と聞かれたことがあった。すぐに「冗談です」と言われてしまったのでそれ以上はなかったが。
「あの説はね。各国政府が意図的に流してるウソなんです」
「どういうこと?」
「もちろん本当の事を隠すためです。事実は逆なんですよ」
――ああ、これでもう戻れない。
「義体は高い負荷に耐えるため人工の臓器や筋肉や皮膚を使います。それに対して、艦娘には捕えた深海棲艦の身体を使うんです。ですから技術的には同じ、違うのは材料です」
……言葉が出ない。
「艦娘たちは過去の艦船だったときの記憶があるでしょう? あれは艦娘の記憶でなく、パーツになった深海棲艦の記憶なんです」
……ジョゼを否定したいのに、否定できるものが見つからない。
「深海棲艦の強力なジャミングが自分の航行さえ狂わすのは知ってますよね? いわゆる『はぐれ深海棲艦』ですが、あれが主な捕獲対象になります」
頭がぐるぐるぐるぐると回る。雲に乗ってるような不安定な居心地、ジョゼの言葉も断片的にしか入ってこなくなる。
「そう考えるとあの妖精という連中は深海棲艦の仲間だと思った方が――」
その後、どうやって鎮守府に戻ったのかはわからない。
気付いた時には執務室の机で、パーティー用の軍服を着たままぼおっと座っていた。
「提督、酔ってますか? お水でもお持ちしましょうか?」
加賀がいつの間にか部屋に入っていた。
「て、提督。顔、酷いですよ……」
戦いの中でも冷静な加賀が怯えるように俺の顔を見る。
だが、それ以上に俺の顔は怯えた表情になる。
大きく息をのみ止める。ガタガタ鳴りだす身体を両手で抑え込む。そして机に突っ伏して加賀に見られないようにする。
「で、出てってくれ」
「ですが」
「早く! 出てってくれ!」
この後二日間、俺は執務室から出ることはなかった。
疲労で意識を失いかけていたところを、入渠上がりの金剛に助け出されるまでは――