今回はヒルシャー視点での情報の整理と追加と伏線がメインです
ボリュームも普段より少なめにしてあります
深海棲艦はその名の通り移動や活動の大半が深海奥深くである。
現在の人類ではその深淵の世界を調査する試みは始まったばかりであり、その上深海棲艦の出現により難航している。
何よりの問題は深海棲艦が持つ強力なジャミングとハッキング能力だろう。
周囲の地磁気を狂わせ通常のコンパスさえ使えなくなる異常さは既存のジャミングというレベルをはるかに超えている。
ハッキング、というより連中は強力なウイルスをまき散らしている。初期にロシアの行った核攻撃は深海棲艦の制海域上空に到達した時点で進路を変更され、アラスカの真ん中に大穴を開けることなった。(そもそも核で攻撃したからといって海底深くにいる相手を倒せるとも思えないが)余談だが、そのせいでロシアとアメリカの緊張状態が限界まで達し、直接的な衝突はないものの現在は世界を二分した緊張状態にある。
一つの幸運はそのジャミングとハッキング能力は強力すぎて深海棲艦自身も影響を受けているということだ。稀に迷子になった敵駆逐艦が発見されたりもする。
よって艦娘という武器を背負った人間が登場し、成果を上げることになった。
「これってもしかして例のアレ?」
公社の五人が技術部の研究室に行こうとするとトリエラが何かをつまみあげた。それは高所に吊り上げられるとじたばたともがく。
20㎝ほどの小型の人間のようなものであり、頭が大きく、子どもをそのまま縮小化したようだった。仕草や振舞いはマスコットキャラクターか愛玩動物のようでコミカルな動きをしている。
「妖精だ。初めてみた」
クラエスが興味深そうに顔を近づける。それからぐりぐりとほっぺたを指で押し始める。
何か怒っているようにも見えるが、言葉を出せないので今一つ伝わらない。まあ話せてもトリエラが簡単に手放すとも思えないけれど。
「艦娘のいるところに妖精あり、だったな」
ヒルシャーがトリエラから取り上げると床に下ろした。そのままどこかへすっ飛んで行ってしまう。
「仕事中みたいだから放してあげなさい」
「はーい」
少し不満そうにしているが、妖精の逃げる姿を目で追っている。これはまたやらかす気だろうな。
技術進歩で義体も普通の少女らしい一面を持つようになったが、扱いづらさは以前よりも増した気がする。特にトリエラの好奇心はとどまることを知らない。購入書籍は僕の財布の中まで圧迫し始めていた。
こうなってくると余計に義体であることが惜しいと感じるようになる。今でも大学院の編入試験を受ければ軽々パスできるだろうに。
「妖精って艦娘の周りでしか生きてられないんでしたっけ?」
クラエスの質問にマルコーが答える。
「そうだ。ある程度の距離に引き離すと消えちまう。死んだのか瞬間移動したのかはよく分かってない。ついでに言うとこの鎮守府の大きさはその距離を元に作ったらしい」
艦娘の装備を作る妖精。その正体は不明。
有用性と庇護したくなるような姿から脅威としての認識は薄くなりつつある。もちろんその存在に警鐘を鳴らす自称専門家どもは少なくない。しかし、根拠の薄弱な意見ばかりで妄想の域にとどまっており、まともに取り合ってもらえていないのが現状だ。
艦娘の正体を知っている者は多くないからだ……。
ヒルシャーは対深海棲艦用の装備説明を上の空で聞いていた。すでに得ていた情報のため集中して聴くことはできなかった。
――俺は艦娘の正体を知っている。
マルコーは義体の進化形としか知らされてないようだが、近々知ることになるだろう。
そのときどんな反応をするか、それを見極めるのが俺の役目の一つ。
本来なら彼には渡日の前に話しておくべきだが、同じく何も知らない提督との兼ね合いを考え秘密にされている。
あの提督という男には同情するしかない。自分の抱えた重さとこれからの未来に気付けていないのだから。日本からもイタリアからも残酷な期待を背負わされている。
未だ推測でしかないが、艦娘のもとに現れる妖精という存在は――
「おい、ヒルシャー、聞いてんのか?」
「え? ああ、すまない」
「クラエスの実験は今日からやりたいそうだがどうする?」
「えっと、そうだな。クラエスがいいならいいんじゃないかな」
「大丈夫です。やれます」
「そうか、なら他は宿舎に戻って――」
「お前本当に大丈夫か? 義体はメンテするって言っただろ、クラエスはメンテより実験を優先していいのかって話だ」
「そういうことか、なら、長旅もあるしメンテを優先してくれ。一番にクラエスをやって終わり次第、実験に入ればいい」
訝しむマルコーを横目にメンテの書類に目を通し、サインをする。
自室で休むと言ったら「そうしろ」とマルコーから言われ、彼にメンテの立会いを頼むことにした。
「やあ、久しぶりだね」
本当に疲れを感じ始め仮眠を取ろうと自室に戻ると、部屋の中でジョゼとヘンリエッタが待っていた。
「……急ですね」
「こういうのは趣味じゃないんだけど、今は潜入中の身でね」
ジョゼは情緒と合理性の狭間で揺らぐタイプだ。バランスがとれているとも言えるし、危ういとも言える。少なくとも悪人ではないし、よく義体の相談に乗ってくれていた。
「理解はしてます。こんにちは、ヘンリエッタ」
「お久しぶりです、ヒルシャーさん」
ヘンリエッタは笑う子になった。ジョゼの前でしか表情らしいものを見せなかった頃とは大きく違う。そのおかげかジョゼの印象も以前よりいい。
「それでどうしたんですか今日は。あと、盗聴されてるかもしれませんよ」
「構わないさ。俺は今、日本政府の方に顔を出してるんでね。そして今日の話は日本政府とイタリア政府両方からさ。見られたくないのはマルコーとここの提督って人くらいなもんなんだ」
「てっきりこの鎮守府の監視でもしてるのかと」
「そんなの必要ないだろ。すでにここには二人入り込んでいるんだ。それとも自分たちが監視されてるとでも思ってたのかい?」
「まあ」
マルコーの話を聞いてその気になっていたが、どうも的外れだったようだ。
「伝えておきたいことはいくつかある」
ジョゼは声のトーンを落とした。
「まず残りの一期生が全員渡日することになる」
「こ……いえ、ジャンさんがよく了解しましたね」
これで全員お払い箱ですか、その言葉は飲んだ。
「昨日、クローチェ事件の首謀者ジャコモ・ダンテを撃ち殺したらしい。奴の身柄の引き渡しは自然消滅しかかっていた五共和国派との取引の一つだった。気づいて逃げようとしたところをリコが撃ったそうだ。それでまあ、復讐に区切りがついたんだろう」
もはやただのアナーキストなテロ屋はどちらの陣営からしても厄介者だ。だれからも興味を失われてしまえば最後にやるのは大きな花火を打ち上げること、と相場が決まっている。
それより気になるのは、
「……まるで他人事のようですね」
その男はジョゼッフォ・クローチェにとっても復讐の相手でしょうに。
「昨日話を聞いたときは当事者だったさ。でも、今はやることがあるからな」
「そうですか」
本人がそれでいいなら、そこまでの話か。
「それでもう一つ。問題はこっちだ。例のアレがまた使われた。場所はインド洋」
「っ……」
言葉が出ない。
「今の世界を見て、そこまで深海棲艦に追い詰められていると思えないんですが」
「言いたくないがパフォーマンスだな。これで大半の国がその存在を認識した」
「知らぬは善良な市民のみ、ですね」
「そうだな」
お通夜のような雰囲気に、よくわかっていないのかヘンリエッタは不思議そうな顔をしている。
「それでヒルシャー。君は提督に積極的に接触してくれ」
「理由は?」
ジョゼは首を振る。
「友達、になってくれればいいのさ。友達になるのに理由や資格は要らないだろ」
正論というものは存在しない。誰が言うかによって意味が大きく変わるからだ。
「信頼関係を築けと?」
「そう。そして、いざという時は君がこのことを彼に話すんだ」