世の中にいる大人、それも社会人とか公務員とか言う連中は何よりも外面を気にする。
学生の内の評価にはいかに努力をしたとか、協調性がなんやらとか言う項目が存在するが、社会人の評価には仕事をいかに努力したかとか、仲間と一緒にやり遂げたとかいう項目はない。
大事なのは年収とか職種とかで、その内容には全く触れないのだ。
プロ意識の欠片もなくてもJリーガーはちやほやされ、人一倍頑張って働くフリーターは後ろ指を指される。そんなんだから俺は働きたくないのだけれども、今はその話は置いておこう
まあ、つまりはそんな大人達がやられたもっとも嫌な好意は自分たちが世間から非難されることだ。それを回避するためなら割と本気になるし、隠蔽だろうが土下座だろうがなんだってするレベルだ
では、どうやってそこまで持っていくのか、簡単だ全ての責任を擦り付けそれを公表してしまえばいい。事実も内容も関係ない、大事なのは実際にそういう事態が起こったという記録と、その原因が直接的でも間接的でも全く関係なくても相手が悪いといちゃもんをつけられればいいのだ
いちゃもんをつけられた相手の行動は2つ、一つは事実無根と抗議する事、二つ目はできる限り最小限の被害に収めるため示談を持ち掛ける事
そして、大多数の場合は後者を選ぶ。なぜかって?そんなの抗議なんてしたら外面が悪いだろ
だったら無理難題を吹っかけられる前に、多少の妥協をしてでも事を鎮めることこそが大人の対応である……本当これだから社会人ってやつは嫌なんだ。なので俺は社会に出ることなく専業主夫として家を守っていこう
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「なんせ教師の指導がある一科生の人間性に問題があるんだからな」
一瞬、へ?と思いついつい口を開けてポカーンとしてしまった。だって八君のいったそれは、私が、私達が抗議しようとした事とは違う事だからだ。
勇士を募り学校側に待遇改善を要求してそれを成功させる。それが私や司主将達の考えだが、八君の言い分は、2科生の待遇なんて無視して1科生の素行を抗議するという内容だ
この2つには大きな違いがあります。一番大きいのはそもそもの着眼点が、2科生か1科生かということ
私達の方は2科生で、八君の方は1科生に着眼点を置いていまる。尚且つ、私達の方は待遇改善という『要求』だけど、八君の方はまさしく『抗議』なのです
一応冷静に八君の言ったことを考えてみたけど、正直話についていけない。話自体は理解できるけど、自分達との見解が180°違う意見をいきなり提示されて頭の整理が追いつかない。
でも、そんな私を尻目に目の前にいる司波君は淡々と言葉を続けれる
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「なるほど、つまりは問題をすり替えるという事か」
「まあ、そうとも言えるな。でも別に問題はないだろ?」
普通に考えれば問題しかないだろ。そもそも壬生先輩の待遇改善の内容からどう転べばそんな明後日の方向の解がでるんだ?
あらかじめ考えていたなら分かるが、それはおそらくない。今日の集まりは壬生先輩からの呼び出しで、俺の質問の答えを言うという知り用のないものだ
俺の知らない所で比企谷と壬生先輩が事前に打ち合わせをしていたという可能性もあるが、今までの流れにすり替えのさえの壬生先輩の表情から察するにその可能性はないだろう。
つまりこいつは、今この場で壬生先輩の話を聞きその答えを出したという事か。単純に頭の回転が速い事に少し驚きだが、それ以上にその方向に問題があるのが厄介なところだ
以前から考えていたが今日で確信した。比企谷は水平思考で物事を考えている
水平思考とは多様な視点から物事を考え直感的なひらめきや発想を生み出す方法で、その逆に垂直思考または論理的思考がある
こちらは水平思考と異なり、一つの視点から物事を考え積み上げていき答えを求める方法だ。
そして多くの人は垂直思考で物事を考え、魔法師であるなら実に8割以上がこちらの思考だろう
それは論理的思考が数学、計算幾科学、哲学等に深い繋がりがあるからだ。魔法師の使う現代魔法はCADを使い演算の省略をしているが、その多くは魔法師自身による演算が施されている。そのことから、自然と考え方や思考回路が論理的、垂直思考になる
故に平行思考で事象を考える魔法師というのは、俺の知る限り存在していない。
この2つの思考のさえたる違いを上げるなら、まず垂直思考で1から10までに到達するまでの数字を求めよとすると
1,2,3,4,5,6,7,8,9、10という風に計算しかかった数字は10個という答えが出るだろう。
しかし水平思考の場合では
1,10で、かかった数字は2個という答えが出る。
垂直思考ではこの水平思考の考えが分かりにくいと思うが、この答えはどちらもあっている。まず前者は1~10までにかかる数字を順番道理に並べていく。そして出た数字は10個正解だ
後者の場合は1から10の数字をただの数字と捉えずに時計のように円状の図形で連想する。そうすると、1の隣には2と10が並びここから逆時計回りで数えるなら1と10の2個こちらも正解だ
なんせ問題文には別に数字の並びや形状などは指定されてなく1から10までの数を求めよとしか明記されていない
この事から分かるように様々な演算や工程を経て魔法を発動する現代魔法の際は垂直思考そのものだ。また世の中の多くの人は自分の今までに培った経験というデータをもとに思考、行動を決めている
よく言えば論理的悪く言えば普通の思考それが垂直思考だ。論理を深めたり、先人たちより受け継がれた伝統を継承したりするには有効だが、その一方で斬新な発想、新しい発想は生まれにくい
では水平思考はどうかというと、これは要するに何人かで別々の思考を一度にするようなもので新発見や斬新なアイデアを出すときに大変有効だ
しかし、複数人がやるような作業を一人でやるようなものなので普通の人間ならなかなか上手くいかない
それゆえ、垂直思考を秀才型と例えるなら水平思考は天才型と例えられる。天才の考えることは良く分からないと耳にするがつまりはこういう事なのだ。
そもそもの思考が異っているのだから理解できないし納得できない
それ故に非常に厄介で驚異的だ。天才といっても何もすべてが良い意味なわけではなく、昨今ではむしろ悪い意味だ。
常人と違う発想、それは極端な話だが犯罪に利用できる。そういった者がする犯罪は普通なら発想もできない物で、発覚や逮捕などが困難になる場合が多いつまりは非常に厄介なのだ
できる事なら関わりたくないし、敵に回したくない相手だ…
「…確かにお前の考えを実行するなら、俺が提示した疑問、問題点はなくなるな」
待遇改善の具体性、話自体が変わったのだからそんなものはもう関係ない。
要求ならばその内容の具体性、正当性、信憑性が問われるが抗議というなら正当性と信憑性さえ確立してしまえば後は、向こう側の対応を待つしかない
なら、今この場で論議する事ではない
さらに今までは、不特定多数の1科生による差別問題が題材だったのが特定された1科生の犯罪行為になりかねない素行不良が題材に上がっている。
しかも、その具体例に挙げたものには俺自身が深く関わっており知らぬ存ぜぬではまかり通らない所も出るだろう
1科と2科の差別問題に対する強制力がない勧誘から、2科から1科に対する学校側への抗議に話を変え、その主軸になる事件に俺を置くことで幾つかばかりの強制力を生み出した
これにより俺の立場は、今までの不透明な物より白か黒かをはっきりさせる立場へと変貌した。
事件の事を証明した上で1科に付けば2科から非難を受け、2科について話の中心になれば生徒会や風紀員はともあれ1科から今まで以上に目の敵にされるだろう
生徒同士の単なるもめ事から生徒から学校側への抗議という形で話を大きくさせ見て見ぬ振りができなくなり、その実、真の狙いは俺に対する間接的な攻撃にある。なんともあくどいが自身に向けられるリスクを回避し尚且つ事を円滑に進める合理的ともいえる手だ
ここで、むやみに動くのは自身の首を絞める行為だろうならば……
「だが、やはり俺の考えと先輩達とではいささかの違いがあるでしょう。しかし、先ほど言った俺の発言は撤回します。壬生先輩、先ほどはすいませんでした」
比企谷に向けていた視線を目の前に座る壬生先輩に戻し、そのままお辞儀をする。
肯定も否定もできないなら話自体を終わらさせてもらう。
「それと申し訳ありませんが、もうそろそろ妹が来るころなので失礼させていただきます」
そのまま席を立ちあがり、軽く会釈をしたのち3人分の会計を済ませ喫茶店から出ていく。
外は夕日が傾き、あと数時間もすれば空は暗く闇に染まる
今回ではっきりした比企谷の特性、それにあの独特の話術の一部を知れただけでも収穫といえるが、だがやはり、今だあいつの全貌はつかめないまま
だが、あのまま話を続けていても恐らくだが奴の策に溺れるだけだったろう。
認めよう、完敗だ。そして確信した、比企谷 八幡という男は危険だ