静岡県浜松、そこにある小さな中華料理屋『麒麟飯店』に、店主の怒号が響いていた。
「だからお前は勝負には向いちゃいないといったんだ。まんまと出し抜かれやがって」
「俺はオヤジに習った麒麟飯店の味が日本一だって証明したかったんだ。それのどこが悪いんだ!」
言い争う相手は店主の息子『大前孝太』、原因は先に行われた中華料理人選手権、その準決勝で敗退した事であった。元より店主は参加には反対していたのだが、大舞台で不安が的中したことに、口を出さずにはいられなかったのだ。
「オマエの気持ちは嬉しかったから黙ってはいたが、言わせてもらうぞ。明日から学校に戻れ!」
「学校? なにを言っているんだオヤジ、店の為に進学は取り消しているんだぞ」
「オマエ、そんなこと勝手にできると本気で思っていたのか?」
そういうと、店主は一枚の書類を突き付ける。それには『休学届(控え)』と書かれていた。
「俺の一存で入学早々の休学届になるように手続きはしておいた。これをもってさっさと学校に戻るんだ」
「オヤジ……」
「オマエはそんなにこの店に未練があるか? 行く気がないならオマエをクビにして追い出すぞ」
普段は温厚な父の豹変に、大前は冷や汗をかく。その威圧感は中華料理人大会の舞台ですら感じたことがないものだった。その力に、大前は父が本気であることに気が付く。
「わかった」
こうして大前は荷物をまとめて遠月学園に向かった。
―――
学園の事務室に到着した大前は、復学の手続きをした。書類を出してから待たされること一時間、そろそろ遅すぎないかと苛立ちはじめた大前の前に、えりなと緋佐子が現れた。
「久しぶりね、大前君」
「あ―――薙切さん」
大前は何故えりなが来たのかなど考えていなかった。
「さっそくだけどこれから試験よ」
「試験?」
「貴方は一か月近くも休んでいたわ。その間の成果を見せられない限り、学校をやめて貰います」
「なんだって」
えりなと会えてちょっとハッピーなどど甘い考えでいた大前の頭に衝撃が走る。試験に不合格なら復学できないなど考えてもいなかったからだ。
「試験場まで案内するわ、ついてきて」
そういうと、えりなは大前を自身が持つ研究室の一つに連れていく。魚介料理用の研究室であり、そこには一通りの魚介類がそろっていた。
「それじゃ、試験内容を説明するわ。課題は魚介料理、魚介を使ってさえいれば何を作ってもいい。その料理で私が合格だと判断したら、アナタの復学を認めます」
「魚介か。一つ確認させてもらっていいかな、薙切さん」
「何かしら?」
「うなぎはあるかな? できれば浜松産の」
「そこの水槽に何匹か用意はしてあるわ。産地や鮮度までは自分で確認しなさい」
「わかった。あるんならいいんだ」
大前はうなぎの有無を確認した。大前自身、浜松の出身ということもありうなぎには慣れているため、うなぎ料理には自信を持っていた。
突然の試験に困惑する気持ちは得意のうなぎが使えることで吹き飛んでいたのだが、当人は先日の大会にてその自惚れで敗北したことなどこの場では忘れていた。
えりなは大前の態度に、なにか自惚れのようなものを感じ取っていた。
「それでは、調理開始!」
緋佐子は開始の音戸をとった。制限時間は二時間、うなぎの蒲焼を開きから始めても充分に完成させることは可能である。
えりなは先ほどの大前の様子からうなぎの蒲焼か何かを作るのかと推測し、案の定、大前もうなぎを手に取った。
「アンギラ種に、浜松産じゃないようだけど二ホンウナギもある。これなら」
大前はニホンウナギを手に取ると、慣れた手つきで腹を裂く。
うなぎは蒲焼の世界で『串打ち3年、裂き8年、焼き一生』と呼ばれるほど扱いには慣れが必要な食材だが、流石にうなぎを得意食材と自負する大前にとっては腹を裂くなど児戯に等しかった。
「(さすがにうなぎを選ぶだけの事はあるわね)」
その手際の良さは、えりなも感心した。だが、裂くだけではスタートラインに過ぎない。
「(単なる蒲焼ではきっと薙切さんも認めてはくれない。だったら中華の手法を生かして!)」
大前はうなぎに串を打ち、白焼きにしたのち蒸し器の準備をする。ここまでは単なる蒲焼の手順なのだが、ここからが大前の工夫の開始であった。
一度焼いたうなぎを蒸し器で蒸す、これだけならうなぎの脂の乗りを調整するためによく行われる技なのだが、蒸し器の下に引かれた湯に秘密がある。
「この香り―――」
「流石は薙切さん。気づきましたか」
「海老の出汁で蒸しているのね。それも伊勢海老の殻から取った出汁だわ」
「ご名答」
大前がうなぎを蒸すために使った湯は、伊勢海老の頭と殻を煮出して取った
大前は立ち込める香気に気を良くしつつ、仕上げの準備に取り掛かる。出汁をとるのに使った伊勢海老の残りの身を一口大に切り分て水溶き片栗粉を用意した。
しばらくして蒸し器からうなぎを取り出すとそれも串を抜いて一口大に切り、準備完了である。
「(仕上げだ!)」
大前は充分に熱を蓄えた中華鍋を前に気合を入れる。そして仕上げの調理を開始した。
海老の身を軽く炒めてからうなぎを投入し、海老出汁を入れて混ぜ合わせる。そこに水溶き片栗粉を加えてとろみを出して、大前の料理は完成した。
「うなぎと海老の海鮮あんかけ炒めです」
大前の料理からはおいしそうな海鮮の香りが立ち込めていた。
「それでは頂くわ」
えりなは料理を口に運ぶ。最初はうなぎ、次は海老と二つの具を食べ比べる。
試食中、えりなは表情を変えることもなければ即座に罵倒することもしなかった。それを見て、大前は『言葉も出ないほど美味』かと心の中で舞い上がる。
だが、そんな彼の気持ちはえりなが口を開いたことで吹き飛んだ。
「―――残念だけど、不合格だわ」
「え―――」
えりなの通知に、大前は言葉を失う。
「返答次第では考え直してもいいわ。アナタ、これはうなぎ料理なの? それとも海老料理なの?」
「―――うなぎ」
えりなの問いかけに、大前もかろうじて答える。大前はこの料理を『うなぎ料理』だと主張する。
「だとしたら大間抜けだわ。自分で一度、食べてみなさい」
大前は無言のまま、えりなにしたがって料理を食べる。大前の口の中には海老とうなぎのうま味が広がる。料理の味に気を少し立て直した大前は、えりなに口答えする。
「どこが間抜けなんだ。ちゃんとうなぎと海老の味はするし、美味しいじゃないか」
「庶民向けの創作料理としては確かに合格レベルではあるけれど、アナタはここを何処だと思っているの? 同じ手順でもっと味を向上させる余地は充分あったのにそれを自分で潰すような人は、実家に帰って大衆を相手にした方が身の為よ」
「薙切さん!」
大前の眉間に欠陥が浮き出し、えりなをにらみつける。緋佐子はそれをみて制裁を加えようとするが、えりなはそれを制止する。
「だったらアナタにもわかるように、私自らが手本を見せてあげましょう」
えりなは引き出しから割烹着を取り出し、手を洗う。簡易的な料理支度を整えると、さっそく桶からうなぎを取り出した。
うなぎの品種はアンギラ種、大前の選んだニホンウナギよりも脂の乗りが良い大味な品種である。
その後の調理手順は大前と大差はないのだが、最後の仕上げの手順に一点だけ大きく異なる箇所が存在した。
「さあ、出来ましたわ。食べなさい」
大前はえりなの料理を口に入れる。
「これは―――」
大前はその舌に自分の間違いを突き付けられたことに驚愕し震え上がる。
えりなのあんかけ炒めは大前のものと異なり、強烈なうなぎの風味が効いていた。大前にとっては顎に強烈なパンチを受けたような衝撃である。
その違いはあんかけに使った湯にある。煮詰めた海老出汁を使った大前に対して、えりなはうなぎの骨と身の一部、それに大前が使わなかったニホンウナギの肝から取った出汁を使ったのだ。
大前の料理はあんの海老が主張しすぎて、うなぎの持ち味を殺していた。それに対してえりなの料理はあんにうなぎの味を乗せたことで、海老があくまでうなぎを引き立てるための脇役に徹したのだ。
えりなのあんかけ炒めと比べると、大前のあんかけ炒めは海老料理と言った方が正しく、かといって海老料理というにはややうなぎの主張が強い、半端な料理だった。
「わかったかしら。アナタはうなぎをないがしろにして海老の味を上乗せしすぎたのよ。
折角のニホンウナギも海老の風味に持ち味をそがれてしまった。これではうなぎ料理としては半端すぎるのよ」
「大前君。君は実家の中華料理屋を継ぐのでしょう? えりな様のような
大前が休学していた経緯をしるからこそ緋佐子も憐みの言葉をかけるが、放心状態の大前には届きようがない。
仕方なしに二人は薙切家の黒服に頼み、大前を実家まで送り届けることとした。
――――
次の日、学園の掲示板に退学者の張り出しが行われる。
大前孝太
右の者、復学試験不合格のため退学処分とする
某月某日 薙切えりな
その掲示板を、ジャンたちも閲覧していた。
「大前孝太って、このまえジャンと試合した人と同じ名前だね」
「さあ、ただの同姓同名じゃないのか?」
こうして大前孝太は遠月学園を去り、実家に戻って父の元で一からやり直すこととなる。この後、大前は常連客にほだされ次第に増長していくのだがそれはまだ先の話である。
コメントでも突っ込まれた通りネタ切れ気味のせいか、思ったより短い話になってしまいました。
あと場面転換の記号を変えてみました
今回の料理は中華一番の五重湯を参考にした想像料理です