食戟のジャン   作:どるき

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一学期編
第六話「血の卵と二人の神の舌」


 若手料理人の技術向上を目的として開催された中華料理人選手権、今日はその決勝戦の日であった。ソーマは小此木に誘われ、試合会場を訪れていた。

 

「料理大会だなんて初めて来たけど、すごい人だかりだな。しかもこれ、ほとんどが料理関係者って本当かよ」

 

 会場内の熱気に圧倒されるソーマはポカンと会場の出入りを見つめる。

 しばらくして、待ち合わせ場所に小此木が現れた。

 

「あれ? その人たちは?」

「紹介するよ、五番町飯店の総料理長と李さんだよ」

 

 小此木は弥一と李を連れていた。小此木はソーマに二人のことを説明し、会場の中に入っていった。

 

――――

 

 会場中央には決勝を争う三人の選手が立っていた。神戸シードラゴンのセレーヌ楊、五番町飯店の五番町霧子、そして秋山醤の三人である。緊張の面持ちで試合開始を待つ三人に、決勝の課題が発表される。

 

「それでは課題を発表します。『麺』それに『デザート』、この二つを作ってもらうことになります!」

「麺にデザート……厄介な課題だな」

 

 決勝の課題は麺とデザートの二品だった。それぞれを別々に採点し、合計点数が最も高いものを優勝である。小此木は、弥一の呟きに対して質問する。

 

「どうして厄介なんですか? ラーメンや杏仁豆腐のデラックスなやつを作ればいいんじゃないんですか?」

「いや、そもそも日本中にあるラーメンは中華料理じゃない、あれは日本食なんだ」

「はあ?」

 

 ラーメンは日本食、この言葉に小此木は小首を傾げた。脇からソーマが解説する。

 

「日本のラーメンは原型こそ中華の拉麺だけど、独自の進化をして拉麺とはかけ離れた独自の料理になっているって奴だな」

「そうだ。スープも麺も非常に凝ったモノになっていてもはやラーメン道と言ってもいい。知恵と工夫で作り上げられたジャパンオリジナル、それが日本のラーメンだ」

「それに対し中国四千年の歴史は南米・北麺の食文化を作りマシタ。北の寒い地方は小麦粉などの粉食、南の暖かい地方は米食という意味デス。

 北の地方では稲の育ちにくいぶん粉食文化が発達しまシタ、雲呑、餃子など粉を使った料理はみな麺に分類されマスね」

 

 ソーマの回答に対して弥一と李は補足し、ソーマと小此木はなるほどと相槌をうつ。

弥一と李はさらに解説を続ける。

 

「もう一つの課題、デザートも難しいぞ」

「そもそも中華料理にデザートという概念は正式には存在しないデスからね。お茶を楽しむ飲茶のときに食べる点心がそれに似てイマスけど」

「一応コース料理の最後で出される単尾というものもあるが、あれも点心から発生したもので医食同源の考えから最後に体調を整えるために出しているわけだ」

「単尾の中に今でいうデザートに含まれるものもあるとは思いマスが―――」

「でもまあ全く意気地の悪い課題だよ。

 あのキリコ、秋山、楊の三人は麺では中華の伝統を守りつつ独自の料理を、デザートでは点心を上回るコースを締めくくるにふさわしいものを求められている。

 つまりそれはアイツらがどれだけの創造性があるか、どれだけ中華料理の未来を考えた料理を作れる料理人かということなんだ」

 

 小此木は、弥一と李の熱の入った解説に圧倒される。麺とデザートという二つの課題にそれだけの意味を見つけられる二人が、すごいと思ったからだ。

 

「中華料理の未来か」

「秋山のヤツ、責任重大だな」

 

 しばらく年配の弁に心を奪われていたソーマだったが、会場の電光掲示板を見てふとあることに気が付いた。

 

「ところで……あの五番町霧子ってもしかして娘さん?」

「キリコさんは総料理長の姪っ子だよ」

 

 小此木はキリコと弥一の関係を説明する。親子ではなく叔父と姪の関係と知ったソーマは、ふと弥一は未婚なのかなと思うも口には出さなかった。

 

――――

 

 下ごしらえがある程度進み、いよいよ選手たちの動きが活発になりだした。

 

「おっと! 楊選手、型抜きで生地を抜き始めました! ギョーザより一回り小さい生地が次々と抜かれています!」

 

 セレーヌは練った麺生地をラビオリ用の型で抜き始める。司会者もそれに驚き、マイクパフォーマンスにも熱が入る。司会者に反応してセレーヌを見た小此木も、そのアイデアに驚く。

 

「ちょっと! あんなのもアリ?!」

「そう、小麦粉を使ったものはすべて麺なんだ」

 

 セレーヌが作っていた料理は日本でいう麺ではない。だが中華の概念では麺生地であればすべてが麺である。

 

「そうとはいえ決勝戦の大舞台で麺と言われてあんなのを作るなんて、肝が据わっているぜ」

 

 セレーヌの料理について解説を終え、司会者が次に向かった先はジャンの調理スペースだった。

 

「(いくぞ、これが俺の麺料理だ!)」

 

 ジャンは心の中で掛け声をしたのち、その場で独楽のように回りだした。

 

「オオオオオオオオオオ!」

 

 ジャンの周囲には取り囲むように湯を張った鍋が並べられていた。雄叫びとともに回転するジャンの手元から放たれる白い物体が次々に鍋に吸い込まれていく。その姿に、会場の視線が集まる。

 

「総料理長、あれは?」

「あれは……刀削麺じゃないか! まさか秋山が刀削麺を作れるとは」

「でも、総料理長もできるんでしょう?」

「いや、俺にも出来ん」

「いま日本の料理人で刀削麺が作れるものは恐らくイマセン。刀削麺を出す店は、本場中国から麺点師という刀削麺を作れる料理人を招いているか、刀削麺専用に開発された最新の製麺機で削った麺を出しているかのどちらかデス」

 

 ジャンの使った技は本格的な刀削麺の製法をアレンジした秋山オリジナルの技である。

この『高速回転刀削麺』に、ジャンは絶対的自信を持っていた。

 セレーヌの奇策とジャンの技、会場はその調理方法ゆえジャンと楊に視線が釘づけになっていた。だがキリコの麺生地が完成すると、それは一変した。

 

「なんだあの麺は……あ、赤い! 赤い生地だ!」

「(あの料理は)」

 

 観客はキリコの赤い麺に目を向ける。弥一はそれに見覚えがあった。

 

「赤い麺か、いったい何を練りこんだんだ?」

「ニンジンだ。ニンジンをミキサーにかけ、そのこし汁だけで麺をこねたんだ。水は一切使わずにな」

「へー、ニンジン!」

 

 この麺は、元々キリコが野菜嫌いの子供に野菜を食べさせることを目的として考案したものだった。ジャンと小此木が通学中に作っていた料理のため、小此木はそれを知らなかった。

 

――――

 

 調理終了後、試食が行われる。試食は淡々と進み、特に大きな動きはない。決勝のルールでは一般審査員の各一票×百人と特別審査員の各十票×十五人、それを前後半二回の投票にて採点することになっていた。

 試食を終え、まず先に一般審査員の審査が行われる。キリコのニンジン麺、セレーヌのラビオリ、ジャンの刀削麺の一般審査員の評価は全くの互角となった。

 

「ニンジンで作った珊瑚麺が34点、イカスミのラビオリと刀削麺がそれぞれ33点、いまのところほぼ互角か」

「う~ん……総料理長の予想ではだれが一番ですか?」

「どれもこれもいい出来だよ」

「その中でもジャンはやっぱすごいっスよね」

 

 小此木はジャンが一番すぐれていると思っていた。単純に友達としての贔屓だけではなく、料理人としても。

 

「あれだけ観客に嫌われていても得点には響いていないようだしな。やっぱり審査員が感動のあまり泣き出すほど旨いってのが影響してるのかな」

 

 ソーマは先の試食時に、ジャンの刀削麺を食べた特別審査員が涙を流したことを持ち出す。ソーマも小此木同様にジャン優位と思っていたのだが、その理由がこの涙だった。

だが、盛り上がるソーマと小此木をみる弥一の顔は曇っていた。

 

「三人ともよく頑張った、だが一人……一人だけ圧倒的に不利な料理を作っている。この決勝戦、審査員がどんな料理を望んでいたか! 勝負ポイントはそこだ! なのにそいつはそれを考えずに料理していた」

 

 ソーマと小此木には弥一が何を言いたいのかはわからない。ただソーマたちの中で李だけが、薄々弥一の言いたいことに気が付いているだけだった。

 

「で、出ました!」

 

 司会者のコールに合わせて電光掲示板の得点表が切り替わる。

 

K.GOBANCHO "124" S.YANG "93" J.AKIYAMA "33"

 

 それを見て、小此木とソーマの顔が青ざめた。

 

「そ……そんな」

「秋山の点が増えていない?!」

 

 だが弥一は当然の結果だと切り捨てる。

 

「やっぱりな」

「やっぱりって……総料理長、いったいどうして?」

 

 小此木は弥一に訊ねるが、弥一が答えるよりも先にステージのジャンが審査員に詰め寄る。

 

「なんでオレが0点なんだ! キサマら、説明しやがれ!」

「静かにしたまえ、見苦しいぞ!」

 

 ジャンの行動に、メガネをかけた審査員の一人が待ったをかける、その態度はふてぶてしいといってもよいほどである。

 

「キミの刀削麺は他の二品に比べて甚だ劣っていた、それが解らんのかね?」

「解らねえよ! オレの刀削麺は誰よりも旨かったはずだ、誰よりも旨い麺を作ったはずなんだオレは。おまえらもそれを認めたじゃねぇか」

「そう、旨かった……キミが作った刀削麺は最高の味だった。

 だが、それだけだ。キミはただ誰かが作っていた料理を誰よりも旨く作った。ただそれだけのことをやっただけだ!」

「なにぃ!」

「キミの料理には若さがない! 創造性もない、発展性もない、あるのは卓越した技術のみだ。キミのオリジナリティは何処にある? 我々はキミの麺料理が見てみたかったんだ」

 

 メガネの審査員の解説は、ジャンの料理を真っ向から否定するに等しかった。

 ジャンは純粋な力比べをするつもりでこの場に立っていた。独創性など競うつもりは全くなく、ここまで純粋な味の研鑽以外で料理の独創性を見せることなどしていなかったのだ。

 

「楊選手の『韓執水晶麺』、五番町選手の『紅珊瑚麺巻』、この二つはいずれも独創性、創造性に富んでいた。キミの麺料理は中華の未来を考える力がなかったんだ。だから負けた! 他人より旨い料理を作るだけじゃダメなんだ、解ったかね秋山君!」

 

 メガネの審査員はしたり顔で言い終える。元々ジャンは審査員たちの中でも嫌われており、メガネの審査員の弁はその意趣返しも多段に含まれていた。

 口惜しさと怒りと恥の気持ちでぐちゃぐちゃに表情が崩れるジャンをしり目に、キリコは司会者から勝利インタビューを受けていた。

 

「それでは五番町選手、最高得点のご感想を」

「『料理は勝負だ』なんて考えていないから出来た料理です。わたし、『料理は心で作るものだ』と思っています。この紅珊瑚麺巻も野菜嫌いの子供に野菜のうまさを知ってもらおうと思って作った料理ですので」

 

 キリコのインタビューの内容も、ジャンへの批判が大きく混じったものだった。

 キリコのインタビューののち、審査員の一人として参加していた大谷日堂も会場の空気を煽る。大谷自身、今回の流れ自体を操作したわけではないためこの結果は予想外ではあったのだが、元よりジャンがきらいということもあり煽りにも熱が入る。乗せられた観客の一部は、しばらくの間、ジャンにモノを投げつけるなどの暴行行為に走り出した。

 

――――

 

 休憩時間に入り会場の空気がいったん冷める。小此木はジャンのことが心配になり、選手控室へと向かう。小此木の気遣いもあり客席にのこったソーマは呟く。

 

「意外な結果だったけど、なんか気に食わねぇ。秋山は誰より旨い料理を作った、これは審査員も認めていた。それにあの回転する調理方法、あれは明らかに秋山のオリジナルだったじゃないか」

「若いな」

 

 ソーマは独り言のつもりであったが、その言葉は弥一の耳にも届いていた。

 

「どれだけ旨かろうともだれも求めていない料理というのは何の意味も持たない。極端に言えば満腹の相手に脂がのった御馳走を出しても食べたいとは思わない、それと同じことだ」

「(それはもっとも―――だけど、それ以上にあの五番町霧子のコメントは、いちいちカンに触るぜ。身内の前では言いにくいけど。

 いくら子供のためを思って考えた料理だからって、勝負の場で出す以上はそんなの建前じゃないか。あの棘のある物言い、アイツは秋山を嫌っているのか?)」

 

 ソーマはジャンの敗北が不公平だと思ったのだが、それ以上にキリコの物言いに苛立ちを覚えていた。しばらくして、慌てた表情で小此木が戻ってきた。

 

「ジャ……ジャンが壊れました」

 

 そして、第二課題の幕が明ける。そのころ、会場のVIPルームにはあの二人が招待されていた。テーブルの上にはジャンたちが作った三種の麺が並んでいる。

 

「えりな様はどう思われますか?」

「どうと言われても。低俗で気に入らない判定ですけれど、秋山君の鼻が折れるところは気持ちいいわね」

「彼には気の毒ですが、同感です」

 

 遠月学園十傑委員会としての職務で、えりなは大会の視察に来ていた。当然、緋佐子の付き添い付きであり、二人は大会運営側の好意で、審査用の料理を頂いていたのだ。

 

「けれど彼にもいい経験だったでしょうね」

「冗談じゃないわ。あんなみじめな姿を見せるなんて遠月の生徒として恥よ。理不尽な審査基準なんて実力でねじ伏せるようでないと遠月で生きる価値はないわよ」

 

 えりなはジャンの不甲斐なさと『あること』に怒りをあらわにしていた。

 

「―――食戟なんて野蛮だと言っていたあの人も変わってしまった」

「キリコ先輩ですか? 私にはそうは思えませんが」

 

 キリコは遠月の中等部出身で、卒業を期に遠月学園を去っていた。

 実力では中等部随一で高等部進学からの最年少十席も夢ではないといわれていたのだが、彼女はそれを良しと思っていなかったのだ。

 心の料理には争いは好ましくないと自分から食戟をすることもなく、名誉も要らないからと高等部には進まなかったのだ。一年後輩だったえりなは、当時のキリコのポリシーを認めていた。

 ゆえに、ジャンに対して敵意をあらわにするキリコの姿は、正直言えば見たくないものだった。

 

「いいえ、あの人は……あんなに好戦的ではなかったわよ」

「それはえりな様の穿った見方にも思いますが―――失敬」

 

 緋佐子はえりなの気に障ったかと思い、発言を訂正する。えりなも内心図星だとは気が付いていたが、あえてそれには触れなかった。

 緋佐子はテーブルの上の料理を指さして訊ねる。

 

「それでは、えりな様の舌ではこれをどう採点しますか?」

「そうね、大まかには一般審査員と同意見ね」

「大衆寄りとは意外ですね」

「意外も何も、この三品が一長一短なのはあなたとて気が付いているでしょうに」

「それでは恐れながら……

 まず秋山の刀削麺、これは味は一番ですが悪く言えば美味いだけ。それに尽きますね。

 次は楊の韓執水晶麺、こちらは発想は面白いのですが、中華らしさが弱いですね。ヌーベルシノワにはついて回るものではありますが。

 最後にキリコ先輩の紅珊瑚麺、中華らしさもアイデアも素晴らしいのですが、他二品が一点特化の魅力を持っていることと比べてしまうと、どちらも特出していないのが痛いですね」

「よくできました」

 

 特別審査員の持ち出した採点基準への適合性。二人の見立てでも、ジャンの敗因はそれ以上でも以下でもなかった。

 

――――

 

 控室までジャンの様子を見に行った小此木が、観客席に血相を変えて戻ってきた。

 

「ジャ……ジャンが壊れました」

「壊れた?」

 

 ソーマは信じられないという表情で聞き返す。

 

「秋山がどうかしたのか?」

「頭から血を流して、とにかくすごいことに」

 

 小此木の説明に、弥一も状況がつかめない。ただ様子を見に行こうとしても小此木はいかせようとはしない。結局詳細が解らないままに第二課題の調理開始時間が訪れた。

 

「それでは第二課題、始めてください」

 

 司会者は開始の音頭をとる。

 ジャンも開始時刻に合わせて会場に戻ってきたのだが、額には大きな絆創膏が貼られており、ガーゼ面はうっすらと赤く染まっていた。

 

「小此木、あれって」

「うん、ジャンの血だ」

 

 小此木は答える、ジャンの絆創膏は血止めのためのものであると。

 先ほど小此木が見たのは自分への怒りから自傷行為に走るジャンの姿だった。ジャンの額は幾度も壁に打ち付けられたことで裂けていたのだ。

 

「カーカッカッカッカッカッカー」

 

 ジャンは気が狂ったような高笑いをし、食材の中から大量の小鳩を集め始める。

 

「あれは乳鴿(ルゥゴウ)だ。だがデザートで何故?」

 

 ジャンの食材選びに、さすがの弥一も予想が立てられない。そしてジャンはついに乳鴿をさばき始める。逆さ釣りにした乳鴿の首を斬り、その血をボウルに集めたのだ。

 乳鴿は小さい鳩のため一匹当たりからは少量の血しかとれない。ジャンが大量に乳鴿を用意しなのはそのためであった。

 

「えりな様、あれを」

 

 VIPルームから観戦していたえりなと緋佐子もいやおうなしにジャンに注目していた。デザートという課題で血を使うという発想は二人からしても前代未聞だったからだ。

 

「点心をデザートと拡大解釈して鹹点心(シェンテンシン)を作るつもりでしょうか?」

「その程度のアイデアでは三流だわ。もしかしたら彼は、血をミルクの代わりにするつもりなのかも」

「まさか! いくら血とミルクの成分が似ているからと言ってもそれは―――」

「普通ならできないでしょうね。だが彼が『覇王の孫』として相応しい品を作れるのならあるいは」

 

 血で作るデザートという発想に、えりなは『もしかしたらジャンに対する認識を改めざるを得ないのでは?』と脅威を感じていた。

 

――――

 

 『こんなはずじゃなかった』

 ジャンの行動にもっともペースを乱されたのはキリコとセレーヌの二人だった。二人とも麺での審査で失敗したジャンが復活する芽などないと思っていた。

 会場の目線はジャンに集中していた。

 

「血のデザート、いったいどんな味なんでしょうね」

「それは俺にもわからない。血のデザートなど聞いたことも見たこともない」

「ワタシも同意見デス」

 

 小此木は弥一と李に訊ねるも、ベテランの二人も血とデザートを頭の中で結べつけることができない。完全にお手上げである。

 だが、ソーマは違っていた。

 

「でもさ、血と乳は成分的には似ているらしいし、案外クリーミーで美味しいんじゃないかな?」

「若いな」

 

 弥一は先ほどソーマにかけた言葉とは異なる意味で『若い』と言った。それは若く柔軟な思考を持っているという意味である。

 そして第二課題の調理が終わる。

 

――――

 

 第二課題は満場一致でジャンから審査が行われることとなった。特別審査員も一般審査員も、誰もみな血のデザートに興味深々なのだ。

 一部の審査員が奪い合いの暴動を起こしかけるが、ジャンはそれを恫喝して鎮める。

鎮圧を終えると、ジャンはついに血のデザートのヴェールを脱いだ。

 

「これが秋山醤オリジナル "鳩型パイケース入りビックリ卵(ゴウズリェンスゥピイパウヘイタン)" だ! 異なる四種の味! 血のデザートがどんなものかよく味わってもらおうか!」

 

 いつもなら『カカカ』と高笑いするところなのだが、この時は『ハハハ』と高笑いのテンションまで異質となっていた。審査員は調理中から完成図が解らず気が気でなかった血のデザートが目の前に現れたことで言葉を失ってしまう。

 

「血の卵ですって?」

「確かにえりな様の予想通りでしたが……流石に味までは食べてみないことには」

「薙切様、お待たせしました」

「ご苦労」

 

 えりながジャンの料理に関心を示していたことを察し、運営委員会側も自分が食べたいという欲求を押さえてえりなに血の卵を届けた。

 そしてえりなはオレンジ色の卵を手に取り口に入れる。

 

「ん!」

 

 その瞬間、緋佐子は眼前のえりながはだけているのを見た。実際にはだけているわけではない、その精神がはだけたのだ。

 薙切一族が真に美味なるものに出会った際に反射的にとる『おはだけ』はえりなにも受け継がれている。

 羞恥心もあり実際に脱ぐことはめったにない。だが今回のように周囲の者にすっぽんぽんのヴィジョンを見せるのは相当美味という意味であり、睦十のデコポンに換算して実に3倍のリアクション(ちから)を秘めていた。

 

「鮮烈な血の旨味と生クリームのまろやかさ、それにバラの香りが血の生臭さを相殺してほのかな甘みが全体を取りまとめる」

 

 『くやしいけど最高の味よ』

 えりなはジャンの料理を認めざるを得なかった。だがえりなは血の卵に兜を脱いだとはいえジャン本人に屈服したわけではない。

 それを示す意味も込めて、緋佐子に解説を続ける。

 

「それにこれは、血燕(シェイエン)

「あの幻と言われる海燕の巣の?」

「間違いないわ! まさか秋山君がこんなものを用意していたなんて」

 

 えりなは続けざまに茶、白、光沢の卵も口にいれる。

 

「茶色は抹茶、白色はココナッツパウダー、光沢色は真珠粉。どれもベースとなる血の卵の味を崩さない、絶妙のとりあわせよ。これでは―――」

 

 『キリコ先輩にはまるで勝ち目がない』

 えりなはそう言いかけて、言葉を濁して口を閉じた。

 キリコが作った料理は杏仁豆腐、ぜんざい、燕の巣入りココナッツミルクの盛り合わせであり、血の卵の強烈な個性の前に霞むことは必須に思えたのだ。

 

――――

 

 一心不乱に、まるで餓鬼のように食べる一般審査員と、上品にふるまおうとするも本心を隠せずに下種になる特別審査員。誰もかれもジャンの卵に夢中になる。だが、ただ一人それに意を唱える者がいた。

 

「センセー方、あの秋山だけは優勝させてはいけまへん。あれが若手の指標となったら大変なことになりまっせ」

 

 それは大谷日堂だった。大谷は何としてもジャンを優勝させまいと圧力をかけるのだが、一般審査員にはそんな声など届かない。三人分の審査を終え、一般審査員の投票が行われると、それが証明する。

 

 K.GOBANCHO "137" S.YANG "106" J.AKIYAMA "107"

 

 一般審査員の投票により、ついにジャンの得点はセレーヌを追い抜いた。このままではジャンが優勝してしまう。大谷は焦り、ジャンの胸ぐらをつかむ。

 

「キサマさえ……キサマさえいなければ……」

 

『ワシは神の舌として傍若無人に、自由気ままにふるまえた』そう訴えるように。

 

「無様ね」

 

 VIPルームのえりなは、大谷の痴態を文字通り、高みの見物をしていた。えりなは神の舌と呼ばれることもあり、大谷の事も存じていた。

 大谷がえりなを尻の青い小娘と見下しているように、えりな自身も大谷を品のない老害と見下していた。

 二人は犬猿の仲なのだ。

 

「お前さえ!」

 

 そしてついに、大谷はジャンに手を挙げてしまう。まるでえりなの侮蔑の声が聞こえ、最後の一押しになったように。

 二発、三発、四発……枷の外れた大谷の拳は止まらない。

 

「やめなさい」

 

 そういったのは、ジャンを罵倒したあのメガネの審査員だった。

 

「大谷審査員、あなたに退場を命じます」

 

 メガネの審査員が通告を出すと、待ってましたとばかりに黒服の二人が現れる。二人は大谷を羽交い絞めにして会場の奥に連れていく。そして、特別審査員の投票結果が発表された。

 

 K.GOBANCHO "187" S.YANG "116" J.AKIYAMA "187"

 

 ジャンとキリコの同点表に、会場は騒然とする。

 

「第一課題も低俗で意気地なしな審査だとは思っていましたが、まさかここまでのものとは」

「あからさまな採点操作ですね。同点優勝ということにしてお開きにするつもりなのでしょうか?」

「その程度では今後わが校の生徒を参加させることも考えなければならないわね」

 

 この採点にジャンを単独優勝させまいとする特別審査員の意図は明らかなものだった。えりなは遠月学園からの使者とて、この審査に苦言を呈した。

 

「命拾いしたなキリコ。どうやらアイツらはオレを優勝させたくないらしい」

 

 キリコは内心歯ぎしりを立てる。独善的で突拍子もなく、食べる人のことを考えないジャンに負けたなど認めたくなかったからだ。

 

「負け惜しみね」

 

 他人からしたらキリコの言葉の方が負け惜しみにしか見えない。だがここで、最後のキーマンが姿を現した。

 

「まてまて! まだワシの審査がおわっていないで」

 

 先ほど黒服に連れていかれた大谷だったのだが、あろうことか力尽くで会場に戻ってきたのだ。齢六十になろうかという大谷だが、そうとは感じられないほどたくましい肉体を誇っていた。その剛力をもって、大谷は黒服を引きずり戻ってきたのだ。

 

「五番町キリコに十点や!」

 

 大谷のこの一言で、優勝はキリコのものとなった。審査員たちは正直、余計なことをしてくれたものだと思っていたのだが、ジャンだけに名誉を与えたくはないと思っていたのもまた事実だった。

 審査員たちは汚れ仕事を大谷一人に押し付けた形となり、内心安堵していた。

 一方のえりなも意図的な採点操作の最大の証拠である同点優勝がなくなってしまったことで、苦言は苦言止まりとなってしまったことを歯がゆく感じていた。同点なら言い逃れできないが、一人に優勝が決定してしまったのではいくらでも理屈を立てることができてしまうからだ。




原作ダイジェスト風観戦日記
開業やインデントの修正に合わせて、分割していて麺審査が原作コピー状態が強かったのを薄めるべくデザートでのえりな様サイドと結合しました。
おかげで文字数が増えた

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