食戟のジャン   作:どるき

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第二話「もう一人の神の舌」

 三人は、試験会場の調理室に到着した。一般的な学校のそれより数倍巨大な調理室には大きな人だかりができていた。

 

「すごい数だね……ざっと60人ってところかな?」

「何人いようと関係ないぜ」

 

 しばらくすると、ブレザーの制服を着た二人の少女が現れた。

 

「静粛!」

 

 実習室は受験生たちの声で騒々しい様子であったが、二人組の一人、新渡緋佐子の号令に応じて静かになった。

 

「本日の編入試験を一任されました薙切えりなと申します。さっそくですが、皆さんには一品作ってもらいます」

 

 そういうと、えりなは調理台にあった卵を一つ手に取る。

 

「メインの食材は卵、私の舌をうならせたものに、遠月学園への編入を許可します。 なお……今から一分間だけ受験の取りやめを認めましょう」

 

 編入希望者のべ58人、試験管えりなの説明が終わるとともにそのうち55人が踵を返しその場から逃げだした。

 

「待てよ!」

 

 ジャンは偶然横切った二階堂を掴み止めた。

 

「さっきまでの威勢の良さは何処に行ったんだよ、お坊ちゃん」

「き……キミはもしやあのお方を知らないのか?」

 

 当然、ジャンはあのお方のことなど知らない。遠月学園の関係者なら多くの人間が知る彼女のことを。

 

「遠月十傑評議会という学園の最高機関に最年少で名を連ねた天才少女……人類最高ともいうべき神の舌を持ち、様々な料理店で味見を依頼される味覚人さ」

 

 二階堂の説明を聞いても、ジャンは『それで?』と態度を変えることはない。内心二階堂は『しょせん世間を知らない三流料理人』とジャンを見下しつつ、説明を続ける。

 

「彼女に『才能なし』と烙印を押されたものは業界じゃ生きていけない。 料理人としての人生が閉ざされるってことなんだ! わかったのならさっさとキミも逃げろ」

 

 この忠告は二階堂にとっては善意以外の何物でもない。だが、ジャンにとっては大きなお世話に過ぎない。

 

「誰が逃げるかよ、バーカ。 ま、お前はさっさと逃げた方がいいぜ、『才能なし』クン」

 

 ジャンがその手を放すと、二階堂は蜘蛛の子を散らす勢いでその場を立ち去った。

 

「それにしても『神の舌』ねぇ……そんな肩書きを名乗っている奴が日本に二人もいるとは思わなかったぜ」

 

 ジャンの脳裏には料理評論家、大谷日堂の顔が浮かんでいた。

 大谷は神の舌と呼ばれる味覚能力、料理に対する薀蓄の深さでは名の知れた人間である。だがそれ以上に金次第で印象が異なる発言をすることから、下賤と嫌う者も少なくはない。

 一応彼にとっては舌を裏切らない程度の二枚舌なのだが、実際に悪評をふりまかれた人間からしたら恨み切れないのもまた事実。

 まさに賛否両論という言葉がふさわしい人物である。

 

「やはり編入なんか希望するような半端者はこの程度ね。 合格者ゼロ……」

 

 一目散に逃げ出す群衆を目の当たりにしたえりなは、全員が辞退したと早合点してしまう。だがこの場には三人の少年がまだ残っていた。

 

「待てよ! ここにまだ残っているぜ」

「作る品はなんでもいいの?」

 

 ジャンとソーマの呼びかけでそのことに気が付いたえりなは、心の中で「三人も残った?」と、つぶやく。

 

「卵さえ使用していれば自由よ、でもあなたたち本当にやる気? 今ならまだ辞退してもらっても結構よ」

「するわけねーじゃん」

「そーそー、三人しかいないんなら定員オーバーにはならないのにみんな逃げちゃうだなんて」

 

 小此木の態度から日和見で残っていると判断した緋佐子は、三人に辞退するように催促する。

 

「これはあなたたちの料理人人生を左右する選択なのよ」

「料理は勝負だ! オレに勝負を挑んだことを後悔しないことだな」

「ジャンは相変わらずだね」

「その言葉、そっくりそのままお返しするわ」

 

 売り言葉に買い言葉。この瞬間、ジャンとえりなの戦いの火ぶたは切って落とされた。

 

「では、調理開始!」

 

 調理開始の宣言をしたえりなは、緋佐子から三人の受験履歴書を受け取り目を通す。一通り目を通したところを見計らい、緋佐子は三人の経歴を語りだした。

 

「手ぬぐいの彼が幸平創真、実家は定食屋です」

「それとコックコートの二人組。 坊主頭の秋山醤にザンギリ頭の小此木タカオ……こっちは五番町飯店の見習い同士ですね」

「そう……キリコ先輩の所の……」

 

 三人の履歴書と緋佐子の説明を聞いたえりなは、三人を鼻で笑うかのごとく緋佐子にいう。

 

「三人とも二流も同然……私の高貴さが理解できないのね、野良犬が宝石の価値をわからないように」

 

 調理開始してから三十分ほどが経過すると、三人の料理の完成系が見え始める。

 ジャンは茶碗蒸し、小此木はうどんと思われるのだが、ソーマは動きが少ないためえりなにも予想ができない状態だった。

 ソーマは土鍋で米を炊きつつ大鍋で何かを煮出していたが、それが卵とどのようにつながるのかは予想できない。

 

「できた!」

 

 一番乗りの手を挙げたのは小此木だった。小此木がよそった椀にはうどんが注がれている。

 

「審査は出来上がった順にするから、こっちに持ってきてくれる?」

「ハイハイ!」

「これは……なに?」

 

 えりなは手順から、小此木の料理がうどんと推測してはいたが尋ねずにはいられなかった。こんなものを試験料理として提出するのかとしか思わなかったからだ。

 

「たしかに卵さえ使えば何でもいいとは言いましたけど……まさか変わった色の月見うどんだなんて思わなかったわ」

 

 えりなの食指は小此木のうどんでは動く気配がない。

 

「具の卵が温泉卵というのもありきたりの工夫、食するに値しないわ」

「そんな~自信作なのに」

「待てよ! 食べてから審査しろよ薙切試験管サマよぉ」

「なんですって?!」

 

 食べずに不合格を言い渡す気でいるえりなを引き留めようと、ジャンが動いた。ジャンにとって今回の試験は自分が合格するのが目的ではない。合格は当然だからこそ、小此木を合格させて学生生活を満喫したいという夢があった。

 ここで小此木が落とされるのは、ジャンにとっては冗談では済まない。

 

「小此木ィ! 見ていたがこのうどんはなかなか旨そうだぜ。この味を見抜けないようじゃ、神の舌ってのも見せかけにすぎねぇな」

 

 ジャンのこの言葉はハッタリ半分ではあるが、半分は本心である。ジャンは小此木の発想力を評価しており、今回はその発想が面白そうだと心から思っているからだ。

 

「この試験では私が絶対よ、私が不合格といった以上、かれは不合格よ」

「だったらひとつ勝負をしようじゃねぇか。オレが作った卵料理……それが飛び切り旨ければ、小此木の料理を再審査してもらう。その代り、評価はどれだけ辛口でも構わないぜ」

 

「見習い風情がデカイ口を!!!」

 

 売り言葉に買い言葉。脇にいた緋佐子がジャンを罵る。だがえりなに対するジャンの口上は続く。

 

「キサマだって神の舌だの十傑だのともてはやされているが、所詮は社会に出たこともない箱入り娘じゃねえか」

「そこまで言うのなら結構ですわ……完成次第あなたの料理を持ってきなさい」

「そう慌てるな……たった今できたところだぜ」

 

 ジャンは蒸しあがったばかりの茶碗をせいろから取り出し、えりなに配膳する。ジャンが差し出した料理はえりなの見立て通り、茶碗蒸しに他ならなかった。

 

「じゅるり……こくん!

 (濃厚……フレンチのフランに似ているけど違う。 フォアグラともアンキモとも違う、この料理にコクを与えているものはなんなのよ)」

 

 ジャンの茶碗蒸しを食べるえりなの姿は、周囲からは一心不乱としか見えなかった。

その様子に緋佐子も驚く。えりなは瞬く間に茶碗蒸しを平らげ、優雅に口の周りをハンカチで拭う。

 

「我を忘れるほどに旨かったか、さすがは『神の舌』を名乗るだけあるな」

 

 この一言で、ジャンの意図を組んだ小此木は思わず吹き出してしまう。この光景は五番町飯店に大谷日堂が来店した日の再現に他ならなかったからだ。

 ほんの一か月ほど前のこともあり、小此木は思い出し笑いをせずにはいられない。今回の出来事は課題が卵料理という偶然とジャンの茶碗蒸しが持つ力という必然が重なった結果だった。

 因みに神の舌を強調したジャンの物言いは、えりなが神の舌と呼ばれていることから思いついた悪ふざけである。

 

「この濃厚な味わい、いったい何を使ったの? 説明しなさい」

「負けを認めるっていうならいくらでも教えるぜ」

 

 負けと言われて内心癪に障るえりなだが、そもそもの話で勝負というのはジャンが言いだしたことに過ぎない。この場が編入試験である以上、個人的な感情で動くわけにはいかないのだ。

 ジャンの茶碗蒸しはえりなの知的好奇心を大きく動かした時点で『舌をうならす』という合格基準を満たしたことは言い逃れできない。

 

「いいでしょう、小此木くんの料理も食べましょう。 だからこの茶碗蒸しの秘密を教えなさい」

「羊の脳味噌だろ? 食べたことはないが、軽くゆでると旨いらしいな」

「ご名答だ」

 

 えりなの事実上敗北宣言をよそに、ソーマが正解を言い当てる。答え合わせとしてジャンは説明を始める。

 

「火を通しすぎないように軽くゆでるか蒸した脳味噌を裏ごしし、卵とガラスープと甘くないエバミルクを混ぜて蒸す。仕上げに清湯スープを1センチほど張り香草としてタイムと香菜を乗せる。それで出来上がりだ」

 

「(脳味噌! 確かに私が未体験の味)」

 

 脳味噌は美味という意見も多いがゲテモノという意見も多い食材である。当然えりなは脳味噌を使ったフランス料理などは食べたことはあったが、茶碗蒸しとの取り合わせは未経験だったのだ。

 もし試食人が薬膳に詳しい緋佐子であればこのことを見抜いた可能性はあったが、後の祭りである。

 

「卵は……烏骨鶏のようね?」

「流石に神の舌を名乗るだけあるね。ナガレイシだね」

 

 えりなに説明した手順だけで作られる茶碗蒸しは、大谷日堂に振舞った一品に他ならない。

 今回、茶碗蒸しのパワーアップ手段として取り入れたのは、烏骨鶏の卵だった。このアイディアは大谷日堂へ茶碗蒸しを振舞ったあの日、五番町飯店の跡取り娘である五番町霧子が作った茶碗蒸しからヒントを得ている。

 

「えりな様、彼を合格させる気ですか?」

 

 緋佐子はえりなの態度からジャンの力量を認める反面、その言動は学園の風紀にそぐわないと感じていた。

 えりなは何も答えない。しかし、

「この味は合格に値するが、こんなやつを入学なんてさせたくない」

 それがえりなの心の中での秋山醤に対する評価だった。

 気を取り直し、えりなは小此木の料理の審査に入る。

 

「じゃあ次は小此木くんのほうを……」

 

 手始めとして汁をすすったえりなの表情が変わる。

 

「気が付いてもらえてよかった。このうどんは小此木タカオ特製、黄身尽くしうどんだよ」

「黄身尽くしか……ずいぶん豪勢だな」

 

 ソーマの褒め言葉に、小此木は照れ笑いする。えりなはそのやり取りには目もくれずに小此木のうどんを味わい、評価を下す。

 

「黄身と甘辛いつゆが混じり合った絶妙な塩梅、それを纏ったうどんの濃厚さ……まるでかぐや姫への貢物のよう」

 

 えりなの評価を高評価ととらえた小此木は、上気分で解説し始める。

 

「ボクって月見うどんの黄身がつゆに解けたところが好きだからさ……いっそのこと最初からつゆと黄身が混ざっていたら旨いんじゃないかって、思ったんだよ。白身がもったいないから試したのは初めてだけど、うまくいって良かったよ」

 

「(だけど惜しい……調味センスに基礎的な技術が追い付いていない)」

 

 えりなが『かぐや姫への貢物』と評価したのは、実のところ今一つの足りないという意味であった。竹取物語においてかぐや姫へ貢物を送った殿方達は、みなかぐや姫を得るにはかなわなかった。そのことを踏まえた比喩が『がぐや姫への貢物』という言葉には含まれていた。

 残る受験者はソーマただ一人。二人の審査で時間がたったこともあり、土鍋からこぼれる米の香りは食べごろとなっていた。

 

「ご飯が炊きあがったぜ、おあがりな!」

 

 ソーマが出した料理は茶碗によそったごはんと、小鉢に盛られた炒り卵だった。

 

「一見何の変哲もない炒り卵みたいだけど?」

 

 小此木は率直な意見をソーマにぶつけるが、えりなも同意見だった。えりなは話にならないとおもいつつ、小此木だけを贔屓するわけにはいかないと自分に言い聞かせる。

 えりなは小鉢をその手に取ろうとするが、ソーマはその手を遮る。

 

「そう慌てるなって! これは化けるふりかけごはんだぜ」

「化ける? うらめしや~って?」

「ホゥ……見せてもらおうじゃねえか」

 

 化けるふりかけというフレーズにジャンと小此木は興味を示す。その様子に緋佐子は冷めた目線をおくるが、三人は気にも留めない。

 

「仕上げだー!」

 

 ソーマの合図とともにパラパラとご飯に振りかけられる炒り卵。卵に隠れていた茶色の何かがご飯の熱で溶けだし、炒り卵とご飯という変哲のない二品はあんかけごはんへと変貌する。

 

「おあがりよ!」

 

 ソーマに差し出された茶碗を手に取ると、えりなはふりかけごはんを口に運ぶ。卵ふりかけのぷるぷる、もきゅもきゅという食感は、えりなには未体験のものだった。ジャンの茶碗蒸しが未体験の取り合わせというならば、ソーマのふりかけごはんは未体験の食感である。

 茶色い物体は手羽先から煮出したゼラチン質を醤油ベースで味付けしたもので、ごはんの熱でとろけると、米と卵に絶妙に絡みつく。未体験ゾーンに突入したえりなはもくもくと食べ進め、茶碗一杯をきれいに平らげた。

 

「ウチがちいさい定食屋で、アンタラが上流階級というのもわかるけどさ。上座にふんぞり返っているだけじゃ見えてこない世界もあるんだぜ?」

 

 えりなは確かにソーマが言う世界を垣間見た。だが料理界の上流階級としてのプライドが、その事実を認めることを頭で拒否する。

 

「さあ、幸平流化けるふりかけご飯……旨いか不味いか言ってみな」

「どうせ三人しかいないんだ。オレ達の評価も一緒にお願いするぜ」

 

 えりなの評価をまとめると、小此木はセンスは充分でも基礎的な技術不足のため不合格。だが残りの二人は合格を認めざるを得ない一品ではあったが、理性が認めることを拒否してしまう。

 特に図星をつくソーマの一言はえりなの心にとげのように刺さり、ストレスを増幅させる。

 

「不味いわよ!!! あなたたち全員、不合格よ!」

 

 えりなは癇癪を起こし不味いといい放つ。これが大谷日堂であればまた別の言い訳も思いついたかもしれないが、そのような腹芸をするにはえりなは幼すぎた。

 あるいは受験者がジャンだけであればまだ正当な評価を下すことができたのかもしれない。それだけソーマの一言はえりなに影響を与えていた。

 

「なんだと?! テメー! ふざけた―――」

「ジャン! ちょっと落ち着いてよ」

 

 この一言でジャンは怒りを露わにする。ジャンは自分の料理を認める相手には肩入れする一方で、否定する相手とは徹底抗戦の構えを見せる性分である。自身、ひいては秋山の料理を不味いといわれることは許しがたいことなのだ。

 それがわかっているからこそ、小此木は念のために用意していたあるものを取り出す。

 

「おこのぎ……なにを?」

 

 小此木は宥めるふりをして隠し持っていたスタンガンをジャンに押し付けた。打ちどころ次第では命に係わるほどの電撃を受けたジャンはそのまま気絶してしまう。

 

「ふう……もうちょっとで大騒ぎになるところだったよ。それじゃ、ボクたちはこれで」

 

 小此木はジャンを肩に担ぎ遠月学園を後にした。えりなもその場を立ち去り緋佐子もそのあとを追ったため、ソーマは一人取り残される。

 しばらくしてやることのなくなったソーマもその場を離れた。


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