食戟のジャン   作:どるき

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開幕編
第一話「入学試験」


 20XX年三月、秋山醤が五番町飯店に来てから二か月ばかりが過ぎようとしていた。

 

「秋山。オーナーからの呼び出しだ、今すぐオーナー室に行け」

「(睦十の奴、いったい何をさせるつもりだ?)」

 

ある日、厨房でいつものように働くジャンはオーナー五番町睦十に呼び出された。オーナー室に向かったジャンが聞いたのは、予想外の言葉だった。

 

「山猿、お前来月から三年間、料理学校に行って来い!」

「なんの冗談だ?」

「キサマの耳は腐っておるのか?ワシは料理学校に通えと言っておるんじゃ」

「料理のイロハならジジイから教わっている、そんなものは必要ないぜ」

「イロハね~……キサマがこの店に来て初めて宴会料理を任せた時のこと、今でもよく覚えておるわい」

「なっ!(睦十はあの場にいなかったハズなのに・・・さては弥一がチクったか?)」

 

 ジャンは反射的に弥一を見つめる。弥一は自分が密告したのではないと右手を横に振る。

 

「言っておくが、オレは親父・・・いや、オーナーにはあの時のことは一切話していないぞ」

「厨房には盗難防止の監視カメラがついているからのうキサマの泣きっ面もバッチリ写っておったわ」

「(監視カメラがあったなんて知らなかったぞ)」

「そういうわけじゃから、学校に行ってあれこれ学んで来いと言っておるんじゃ。秋山の血を引くキサマが山猿未満になるようじゃったら……階一郎の顔に泥を塗ることになるわい」

「ぐぬぬ……だけどよぉ、修業くらいここでだってできらぁ」

「落ち着け秋山、なにも追い出そうと言っているわけじゃない。学校という普段とは違う環境に身を置くことも修業のうちだと言っているだけだ。

 授業の合間や放課後は当然、店の仕事はこなしてもらわんと困るしな。決してお前の実力に料理学校からやり直して来いとケチをつけているわけじゃ―――」

「ま、ワシにとってはそういう意味じゃけどな」

「オ~ナ~」

 

 弥一はジャンをなだめようとするが、睦十はさらにあおりたてる。

 

「つまり……料理学校の授業で後れを取るようじゃ、オレは睦十にとっては相手をする価値もないゴミ屑ってことか」

「ほう、やっと理解できたか」

「いいぜ、料理学校くらい通ってやるよ。だけどその前に一つ条件を付けてもいいか?」

「なんじゃ?」

「小此木も連れて行ってもいいか? アイツはオレ以上にそういう教育を受けた方がいいだろ」

「それは構わんぞ、小此木が入試に落ちて一人で通うことになってもいいのならな」

「(なんで専門学校に入試があるんだ?)」

 

 駅前のカルチャースクールのようなものを想像していたジャンは、入試が何を指すのか理解できず不可思議な表情を浮かべる。

 

「お前に通わせる予定の遠月学園は料理人育成の名門校……中等部までの間に料理の基礎を叩き込み、高等部ではその技術の生かし方を学ばせる学校でな。駅前のカルチャースクールとはわけがちがうんだ。だいたいお前が普通の料理学校に通わせなきゃイカン腕前なら、とうの昔に追い出している!」

 

 ジャンの心中を察して弥一も学校のことを説明したが、ジャンはそんな学校があったのかと半信半疑の表情を浮かべる。

 

「そうそう……山猿、言い忘れる前に言っておくが、キサマがもし遠月に合格できなんだ時や退学になった場合は五番町飯店から出て行ってもらう。そんな事態になったら秋山の名が地に落ちたも同然じゃからの」

「クッ!上等だ!」

 

 この後、遠月学園への入学の話を聞いた小此木は試験までの一週間、試験対策の特訓に勤しみましたとさ。

 

――――

 

 試験当日。

 

「ぎゃああああああ、進級試験落ちたぁぁぁ!」

「もうだめだ……人生オワタ」

「1000万、2000万……いや言い値を出すから息子の退学を―――」

「な、なんじゃこりゃあああああ」

 

 編入試験に挑む受験生の一人、幸平創真。彼は遠月学園の敷地が阿鼻叫喚の図となっているのに面喰い、父親に電話を掛けることにした。

 

「おい、親父……なんだかこの学校おかしくねぇか?」

『おかしいってどういうことだよ?』

「なんか、進級できなくて泣き崩れる人とか、堂々白昼裏金工作しているお父さんとかがいるんですけど」

『あれ、言ってなかったっか? そこは日本屈指の料理学校……卒業到達率10%以下の超絶エリート校だぜ』

 

 ちなみのこのことをジャンと小此木が知るのは、入学後最初の食檄の後である。

 

『まあ、がんばれよ創真。その学校で───』

「なに? よく聞こえねえ。えらく騒がしいなあ、親父いまどこに?」

『ニューヨークシティー・・・マンハッタンロイヤルホテル、ホテルブルックリン、VIPルームレセプションホール。 そこでメシを作っているんだ』

「はいぃ?」

 

 一介の定食屋主人としての父しか知らないソーマには、ホテルの厨房で働く父の姿は想像できなかった。ソーマが呆けているうちに、電話はひとりでに切れていた。

 

・・・ニューヨーク・・・

 

 電話が切れると、城一郎は同僚に声をかけられた。

 

「流石ね、ジョー。 ワタシの料理のエレガントさが解らない常連客達もご覧の有様で、ちょっと嫉妬しちゃうわ」

「そうしょげるなってブルー、お前の料理が繊細な舌を持つ食通向きなだけさ」

「そうそう!ブルーの料理だってジョーに負けずにおいしいんだから」

「(悔しいけど今の私よりジョーのほうがちょっぴり上。 しかも常連たちもそんなところだけは体が理解しているもんだからたまったものじゃないわ)」

 

 ホテルブルックリン総料理長ブルー・メナール。彼が佐藤田十三に出会い、十三龍へ移籍するのは、およそ二年もあとの事となる。

 

・・・遠月学園・・・

 

 試験当日、遠月学園を訪れたジャンと小此木を待ち受けていたのは、ゴミのような人の山だった。圧倒される小此木と”これが人がゴミのよう”な光景かと感心するジャンとでは、その違いが物腰に現れていた。

 

「なんだか見渡す限り執事と一緒の人ばっかりだよ。ボク本物のセレブって初めて見た」

「バカ! ウチの上客は金持ちが多いし、だいたいキリコだって五番町飯店のお嬢様じゃねえか」

「あ! そういわれてみればそうか! でも、なんだかボクたちが場違いみたいに思えてきたよ」

「なに怖気づいているんだよ。ここは日本有数の料理学校なんだぜ」

「料理の腕がすべて、実家が金持ちだろうと関係ねぇぜ」

 

 ごつん! とジャンの前方を歩いていたソーマは足が躓き音をたてる。ジャンたちはそのことに気づいてはいなかった。

 

「あ! スマン、椅子を蹴っちまった」

「気にしないで、キミも編入志望なんだね。ボクは二階堂―――」

 

 ベンチに座る少年は、気にすることはないと会釈をしながらソーマに声をかけた。だが、ベンチに座る少年が名乗りを上げようとした瞬間、それを遮るように小此木がベンチに躓いた。その勢いで、小此木は少年を押し倒してしまった。

 

「小此木! 大丈夫か?」

「いたた……なんで道の真ん中にベンチが?」

 

 小此木は眼前にいるソーマが椅子に躓いたことどころか、その存在にすら気が付いていなかった。しばらくして、小此木は椅子ごと少年を押し倒していることに気が付く。

 

「うわあ! ご、ごめんなさい」

「こ、これくらい……気に……しないで」

「ぷっ!(コイツ、平静を装おうとしているが、怒りが顔に出てやがるぜ)」

 

 一見穏やかな受け答えだが、少年の眉間には青筋がピクピクと踊っていた。その動きを見ていたジャンは思わず笑う。

 

「(落ち着け……落ち着け……相手が僕以上のセレブなら命取りだ)」

 

 少年は立ち上がって深呼吸をし、再び名乗りをあげた。

 

「袖振り合うも他生の縁さ。 ボクは二階堂圭明、実家はフランス料理をやっている」

「へ~奇遇だな、オレの家も料理屋なんだ」

 

 ソーマは、二階堂に合いの手を打つ。

 

「奇遇ではないかもね。 向こうにいる彼もあっちにいる彼女も、みんな何処かの店の子息、いわば料理界のサラブレットだしね」

「俺は幸平創真」

「ボクは小此木タカオ、よろしく」

「キミは?」

 

 二階堂に合わせて名を名乗った小此木とソーマの二人と違い、名乗らなかったジャンを二階堂は指さす。

 

「合格できたら教えてやるよ」

「そ、そうか……つれないなあ」

 

 ジャンは再び青筋を立てる二階堂を見て『おちょくると顔にすぐ出てくるな』と思いながらその様子を楽しんでいた。

 

「そう意地悪しなければいいじゃないか、ジャン」

「ま、ここは小此木の顔を立てるとするか。 オレの名は秋山醤だ。 ヨロシクな、ニカイドウクン」

 

 自己紹介が終わると、ジャンは二階堂の手を強引に握手する。二階堂の手を握ることで先ほどまでのやり取りから感じていた『二階堂が入試に合格しうる可能性が低い』というジャンの予想は、ジャンの中では確信に変わっていた。

 

「お互い頑張ろうじゃないか」

「う、うん」

 

 二階堂を、小此木を合格させるための捨て駒にするにはどうしたものかとジャンが考えているのをよそに、二階堂のストレスは頂点に近づいていた。彼は精神の安定を求めて、親の威光を駆ろうとしする。

 

「ところで君たちの家はなんていうのかな?」

「オレん家は『ゆきひら』っていう下町の定食屋さ」

「ボクとジャンは実家が料理屋ってわけじゃないけど、五番町飯店の見習いなんだ」

「(な、なに~)」

 

 下町の定食屋と中華料理屋の見習い。三人の素性を知ったことと、これまで対等以上のセレブであることを想定して抑え込んでいた二階堂の怒りがついに爆発した。

 ちなみに二階堂は『飯店』という名から中華料理屋であることを推測しただけで、五番町飯店のことは全く知らない世間知らずである。

 

「フレンチミドル、アン! ドゥ!」

 

 二階堂は突如立ち上がり、ソーマと小此木に中段蹴りを繰り出した。

 

「トロワぁ!」

 

 二発の蹴りはソーマと小此木を押し倒し、間髪入れずに三発目がジャンを襲う。

 

「トロいんだよ、とっちゃん坊や!」

 

 だが先にジャンが繰り出した顎への蹴りはきれいなカウンターとして決まり、見事な車田落ちを披露した二階堂を失神させた。このやり取りを聞いていた群衆の目線は、ジャンたちに集中した。

 

「聞いたか? 三流食堂のせがれに中華屋の見習い風情が受験するつもりらしいぜ」

「頑張ったって書類審査で落とされるだろうに、無駄なあがきだぜ」

「(見習いと言っても五番町といえば銀座の超一流店、コイツらバカね)」

 

 さまざまな声が飛び交う中で、ジャンは啖呵を切ろうとする。

 

「カカカ……カーカカカッ! おもしれえ……貴様ら全員―――」

 

 しかし、それを遮り、ソーマが先に自分の怒りを爆発させた。

 

「てめえら! ゆきひらでメシを食ったこともないくせに! 言いたい放題言ってんじゃねえ!」

「キサマ……坊ちゃんに何をした!」

 

 この騒ぎに気が付いた二階堂家の執事が、ソーマをがなりたてた。ジャンはソーマに出鼻をくじかれたと思いつつ、執事に状況を説明し始めた。

 

「なにって、正当防衛だよ。 いきなり癇癪起こして周囲を蹴り飛ばすなんて、お宅の教育が悪いんじゃないですかね?」

「言わせておけば」

「あの~ちょっといいですか?」

「なんだ?」

「完全に伸びてますけど、手当てしてあげたほうが……」

「しまったぁ!」

「坊ちゃんが一大事だ!」

 

 小此木の一言で二階堂の現状を思い出した執事は、二階堂をお姫様抱っこしたままいずこへと消えていった。


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