「ソアラァァァァァァァァッ!!」
バランが叫び、自身を拘束している縄を容易く引きちぎった。やろうと思えばこの程度はいつでもできたのだが、バランは今この時までそうしようとしなかった。そして今、それを猛烈に後悔している。自らの事よりも何よりもまず彼女の事を気にかけるべきだった。カインも同様に縄を焼き切り、身体を自由としている。バランは二人を庇うように立ちはだかっていたソアラに駆け寄り、必死に声を掛けた。
「ソ……ソアラ……!なんということだ!!」
「あ、あわわっ……!」
王や魔導士達はすっかり慌てている。それはそうだろう、王女が処刑される者を庇い、その身に炎を受けようとしたのだから。魔導士達にしても、ひょっとしたら王女殺しとして罪を負う事になるかもしれない。
「ソアラ!ソアラーーッ!」
「そ、そんなに叫ばなくても聞こえてますよ……」
煙が晴れた時カインの目に映ったのは、しっかりとソアラを抱き抱えたバランだった。どうやら火傷などもないようだ。ほっと胸をなで下ろすカインとバラン、それにアルキード王だった。
「ソアラ!よかった……しかし、なんて無茶をッ!私は……お前たちの為に死ぬつもりだったんだぞ!!」
「父上達がこれ以上酷い事をするのを見ていられなかったの……ッ。お願い、人間を恨まないで……皆臆病なだけなのよ」
「ああッ……ああッ!ソアラが無事でいてくれるなら、恨んだりはしないッ!」
「ソアラ」
今にも泣き出しそうな表情で言葉を交わす二人にゆっくりと歩み寄り、カインは言った。
「――この馬鹿野郎ッ!」
「!!」
カインは誰が見てもそうと分かる程怒っていた。あまりの剣幕に、その場の誰も口を挟めなかった。
「俺はバランに、”それでアイツらが喜ぶと思うのか”っつったけどよォ、お前にも言うぞッ!自分を犠牲にしてバランを助けて、それでいい訳あるかッ!ただの人間なのに、無茶してんじゃあないッ!知ってるか、パズルってのは一欠片でもピースが揃わなきゃあ完成しねぇんだぞ?ソアラが欠けても、バランが欠けてもだッ!お前ら二人それでいいのかよォッ!?」
カインは当初、自分とバランの力を見せつけて悠々と去ればいい、と考えていた。メラミを敢えて食らった上で、処刑は終わったという体でバランを連れて去ろう、そう考えていた。だからこそ、あのように余裕の態度でいたのだ。だが、ソアラが自分の身を割り込ませるというのは誤算だった。故にカインは狼狽したし、無茶をした友人を怒鳴りつけた。その怒りが心配から来るものだと理解したソアラは、心底申し訳なさそうに謝った。
「……ごめんなさい、二人とも。私、心のどこかで私を犠牲にしてでも助けなきゃって考えてた。でも、違うのね。皆一緒じゃないと……っ」
ソアラはそこで言葉を詰まらせ、涙を流し始めた。バランは無言で彼女を抱き寄せ、その溢れる涙を拭ってやった。
「バランもバランだぜ、何勝手に死のうとしてるワケ?冥竜王とかいうの倒して使命果たしたんなら好きに暮らせよ、何でそうしないで自己犠牲精神発揮しちゃってるんだよ、このバカップル。いや、夫婦か?兎に角次あんな事したら殴り飛ばすからな!?」
どうやらカインも大分混乱しているようだ。
「……ハッ!そ、ソアラ!」
「父上……」
王は、ソアラの無事な姿を見てほっと胸を撫で下ろしていた。魔導士達も同様だが、そちらはソアラの無事から来る安堵ではなく、自分達の首が繋がった事によるものだった。
「しかし、何故……というのもなんだが、よく無事だった。確かにメラミが撃ち出されていたはずだし、だからこそそれで煙が出たのだが……カイン、お前が何かしたのか?」
バランの言葉に、腕組みをして顔を顰めていたカインはこともなげに頷いた。
「俺が何の策も講じないと思ったか?」
そう言って、パチンと指を鳴らす。すると、先程ソアラが立っていた場所より少し前方で、影が揺れた。
「お、おおッ!?」
その揺らぎは次第にしっかりとした形を作っていき、最終的には――
「き、キラーマシンだぁぁっ!?」
「ノンノン、キラーマジンガ、だぜ!キラーマシンじゃあなくマジンガだよ」
ある意味ではカインと最も付き合いの長い、キラーマジンガのロビンだった。その銀色のボディには当然ながら損傷など一つもない。三人がかりであろうとも、宮廷魔導師程度の力量でキラーマジンガに傷を付けるというのは土台無理な話だ。もっとも、ロビンの装甲に使われている金属は呪文を弾く効力があるためどう足掻いた所でロビンを突破する事などできないのだが。
その姿を見た国民は、一斉に逃げ去ってしまった。キラーマシン、という殺人機械の情報だけはあったので混同して怯えるのも無理はない。辺りには、王と臣下だけが残された。
「こ、ここは危険です!早くお逃げに」
「黙れ!」
「ハイィッ!」
王の恫喝に、怯えて逃げようとした家臣は背筋を正した。それを横目で見ながら、カインは種を明かした。
「簡単な事だよ。消え去り草ってあるだろ?磨り潰して粉にして振り掛けると透明になれるっていうアレだよ。それを事前にロビンに掛けさせて直ぐ近くに待機させてただけだ」
「待て、一体いつそんな指示を出したのだ?マシン兵というのは指令がなければ動けないだろう?まずお前がキラーマジンガを従えている時点でも驚きではあるが……」
バランの言葉に、カインはやれやれと言いたげに肩を竦めた。
「連絡取ってる時のはお前も聞いてたはずだぜ。牢に居る時、俺が何度も床を叩いてただろ?もしかしてただの八つ当たりとでも思ってたのか?初めてお前達と会った日に、ロビンとラムダに通信機能を付けたんだ。声だけじゃなく特定のリズムの羅列で指示になるようにな。トン・ツーって知ってるか?あれと違って完全にただの音だけだがな」
ペラペラと話すカインとは対照的に、ソアラとバランの二人はぽかんとしている。自分達が苦悩している間に手を回してここまで仕組んでいるとは。驚きを通り越して呆れすらするだろう。本当に、何を考えているのか分からない、そんな奴だ。
冷静に語る姿を見ると怒りが収まったのかと思うが、よく見ると額に血管が浮かんでいる。まだまだご立腹のようだ。と、そこにアルキード王が歩み寄ってきた。
「ソアラ……」
「父上……」
(……まだいたのか)
「お前は……どうあってもその男と共に生きたいというのか?」
厳格な表情で、しかし寂しげな目で王は言った。それに対し、ソアラも悲しげな目をしながらもしっかりと答えた。
「ええ。私は、彼を愛しています。彼と共にずっと暮らしていきたい、そう考えています。それが叶わぬのならば……ソアラは、身分も命もいりません!」
毅然とした表情でそう答えたソアラに、アルキード王は寂しげに目を伏せた。しかしカインは――
「あ、それいいな。今ここで死ぬか?」
「「ハァッ!?」」
図らずもバランとアルキード王の声が重なった。二人はカインに詰め寄り怒鳴りつけた。
「何を考えている!?どう考えてもこのタイミングで言う言葉ではなかろう!」
「わ、ワシの娘に手は出させんぞ!」
「オイオイオイオイ、なんでそこだけ息ピッタリなんだよ……そうじゃなくてよ。死ぬのはアルキードの王女と王女を篭絡した魔物だけだ」
溜息を吐いてそう話すカインに、三人はやはり訝しげな顔をする。問い詰めようとした時には、既にカインは動いていた。
「聞くより殺った方が早い。バラン、そこを動くなよ」
「か、カイン!待ってッ!」
手刀を構えて、バランに向けるカイン。それを見たソアラは慌てて止めようとするも、ロビンに押し止められた。アルキード王も目を見開いて驚いている。
「よし……行くぜ」
そう言って、カインは手刀を全力で突き出し――
バランの首の直ぐ横の何もない空間を突き刺した。
「これで魔物は死んだ、と……次はソアラの番だ」
有無を言わさず、バランにすら反応できない勢いでカインはおもむろに手刀を先程と同様、ソアラの首の直ぐ横の空間に突き立てた。
「……これでアルキード王女と魔物は死んだ!従って、愛し合う二人の男女が異国で平和に暮らしていても、誰も文句は言えまい?それとも文句あるか?」
「「「……」」」
「反応ぐらいしろ」
カインが肩を回しながらそう言うと、最初に反応したのはアルキード王だった。
「ああ、そうだな……アルキード王女ソアラは、今ワシの目の前で死んだ。だから、そこな娘がそちらの騎士殿と共に暮らしても誰も文句は言えぬな」
そうソアラに向き直って言った王は、寂しげな笑みを浮かべていた。優しくソアラを抱きしめた後、今度はバランに向かってこう言った。
「騎士殿、娘を頼みます」
「……ええ、勿論。この命に代えましても、我が伴侶を守りましょう」
カインはもう、最初のような目をアルキード王に向けてはいなかった。優しいとはいえないが、敵意を示してはいなかった。
アルキード王にとっては辛い選択だったろう。大事な一人娘を死んだ事にして、異国の地で暮らさせる。親からすればとても辛いものだろうに、王は自分や王族の面子よりも娘の幸せを選んだ。
「お前には、感謝せねばなるまい。あのままでは、周りに流されるままに……恋人を身体を張って助けようとした娘を罵倒してしまう所であった。結果論になってしまうが……いや、よそう。ソアラも死んだ、この礼も不要よな」
最後にカインに向き直った王はこう言った。”アルキード王女のソアラ”と”王女を拐かした魔物”は死に、ここにいるのはただのソアラと彼女を愛する男だ。王にとっては娘を失った事にほかならない。
「さぁ、さっさとどこかに行くといい。ワシはこれを家臣に報告しなければいけんのでな」
そう言い残し、王は立ち去ろうとした。
「あのッ!」
その背にソアラが声をかけた。
「……何かね、お嬢さん」
「あ、あの……お元気でッ!」
「ッ!ああ、ああ……!」
それだけ交わすと、今度こそ王は去った。
◇◇◇◇◇
その後、群衆に紛れていたカンダタの部下と共にキメラのつばさでテランに戻ったカイン達を、ラーハルト達が手荒く出迎えた。どうやらあの後直ぐにルミア達がカンダタに頼んで、万一の時は割って入れるように部下をアルキードに送っていたようだ。幸い武力を行使する機会はなかったが。
カイン達は、勿論三人ともこっ酷く説教をくらった。ラーハルト達からすれば、頼ってほしい時に無茶をされたのだから当然といえば当然なのだが。そうして、三人とも無事でよかった、という事に話が落ち着いた。カインだけはそのままルミアに説教を続行されたが。ラムダとロビンが止めなければ直接アルキードに乗り込みかねなかった、とも。ガミガミと不機嫌を隠そうともしないルミアの剣幕に圧倒され、カインはずっと説教を受け続けていた。
「兎に角!カインは無茶をしすぎる、もう少し身体を労わりなさい!今回は無事だったからよかったものの、心配したんだからね!?」
「ああ……すまない。俺だって悪いと思ってるよ、だからそろそろこの姿勢をだな」
「ダメ。暫く正座」
「あ、はい」
日付が変わろうという頃、カインは一人でカンダタの所に訪れていた。ロビンも伴わず、こっそり来たという風体だった。部下がしっかり見張りをしていた為、すんなりとカンダタの部屋までやってこれた。
「事の顛末は聞いた。ったく、ガキの癖に無茶しやがって」
「返す言葉もない……俺もソアラに無茶すんなって言ったけど完璧にブーメランだなこりゃ。それはそうと、消え去り草、助かったぜ」
「なぁに、いいってことよ。あ、代金はツケとくぜ」
「逞しいねぇ……」
グラスに継がれた果実酒で無事を祝って打ち鳴らし、ゴクリと軽く一口呑み、カインは口を開いた。
「王族ってのは、難儀なもんだな」
「まぁ、面子ってもんがあらぁな。例え本人は祝福していたとしても、家臣や国民にどう見られるかってのがな……」
「……俺さ、あの王は実際の言葉や態度程バランを危険視はしてなかったと思うんだよ。ただ、家臣が魔物だなんだと騒ぐから落ち着ける為にああいう形を取っただけで。それがこんなことになって、下手すりゃ娘を失うとこまで行ってて気が気じゃなかったろうな」
溜息を吐きながら果実酒を飲み干す。その言葉に、カンダタも腕を組んだまま低く息を吐いた。
「実際どうだったのか、なんて本人しか分からねぇだろうが……少なくとも俺だったら娘とその恋人を引き裂きたいだなんて思わねぇな。聞く所によると、周りに流されるままに罵倒する所だった、とか言ってたんだって?本心じゃあなかったのかもしれないが、国王としての面子を保ち、国民を落ち着かせる為に鬼を演じようとした……てとこかねぇ。つくづく難儀なもんだ、俺平民で良かったわー」
「でもお前嫁さんいないだろ」
「うるせぇやい。……ところでカインよ、お前なんでそう思ったんだ?」
「ン……眼、かな。アルキード王の眼がそう言っていた、それだけ」
「眼、か。目は口ほどに物を言うってか?」
「ま、そんな所よ。眼ってのは思ってる以上に心を叫んでるんだよ」
「ハハっ、詩的な言葉だな。さ、そろそろ帰って寝とけ。背伸びねぇぞーガキんちょ」
「うるせぇなぁ、これでもじわじわ伸びてんだよ、いつまでもガキ扱いするんじゃあねぇよ。ま、いいや。本当に助かったよ、ありがとう。じゃあなー」
ひらひらと手を振って部屋から立ち去るカイン。その背を眺め、カインが出て行った後も暫くそのままでいたカンダタはおもむろにグラスの中身を飲み干し、呟いた。
「いつまでもガキじゃあない、か。俺もいつまでもこのままじゃあいられねぇし……時代ってのは、移り変わるもんだな。昨日までちんまかったガキだって成長するわな」
部屋を出て外に向かうカインに、カンダタの部下が駆け寄ってきた。初めてここに来た時にも見た、あのメットを被った世紀末のような格好の男である。
「カイン。ちょうどよかった、伝えたい事がある。今報告が来たんだ」
「どうしたんだ、報告って……って、まさか」
思い当たる節があるのかカインは軽く目を見開いた。
「それで、どうだった!?見つかったのか!?」
「まぁ落ち着け、落ち着いて聞けよ」
そう前置きし、彼は躊躇いがちに言った。落ち着け、と連呼しながら絞り出すように言った。
「バランって人の息子さん、ディーノ……だったな。その子を乗せた船が、あー……難破、したそうだ。捜索してた奴が命からがら報告してきた。運がよけりゃあ、いや……アイツが助かったんだ、きっと無事でいてくれる。だから――」
「……そうか、ありがとう」
顔が引きつったりした様子もなく、カインは至って冷静な声で礼を言った。詰め寄られると思っていた男は逆に不安になってしまう。
「お、オイ、カイン?」
「大丈夫だ、俺はクールだよ。喚いたってどうにもならねぇからな」
「分かってるならいいんだが……すまんな、こんな報告で」
「下手に嘘を吐かれるよりいいさ。気休めとはいえ励ましてもくれてる相手に文句を言うつもりもないからな」
そう言い残し、カインはアジトを出てルミアの家へと戻っていった。報告してくれた男が見たその背中は、小さいがはっきりとしていた。