真剣勝負をしてほしいと頼まれ、達也は千葉剣術道場を訪れ、エリカと対峙していた。稽古中だった門下生たちも動きを止め、達也とエリカの勝負を見学していた。
「エリカさんがまったく動けずにいるだと……」
「あの少年は確か、四葉家の御曹司だよな」
「徒手格闘を習得しているとは聞いていたが、あのエリカさんをも圧倒するのか……」
ギャラリーの声からも分かるように、エリカは一歩も動けずにいた。達也も特に襲いかかってくることも無く、ただエリカのプレッシャーを与えるだけにとどめている。
「(動けない……一歩でも動いたらやられる、それが分かるほどあたしと達也君との間には力の差がある……しかも達也君はまだ本気じゃない……一度達也君から本気の殺気を向けられたことがあるあたしだから分かる……まだ余裕をもってあたしと対峙してる)」
リーナが留学生としてやって来ていた時、エリカは当時まだ隠していた四葉家の関係者だという事に気が付き、達也から殺気を向けられたことがある。並大抵の事なら動じない自信があったエリカが、あの時は本当に死を覚悟したほどだったのだ。
「(あの時から考えても、達也君の実力は格段に上がっているはず。それなのにこの程度しか殺気を浴びせてこないという事は、あたしもまだまだなのね)」
自分がどこまで通用するのか、エリカは確認したいと常日頃から思っていた。だが、実戦などそう簡単に体験出来るわけもなく、また父親や兄に頼むのも癪に感じるので、エリカが知る限り最強の相手である達也にお願いしたのだった。
「参りました」
一度も剣を交えることも無く、エリカは負けを認めた。門下生たちからは不満の声も上がったが、実力者たちはその声を抑え込み、エリカに拍手を送った。
「さすがだね、達也君。動く事すら出来なかったわよ」
「がむしゃらに突っ込んでこなかったのはさすがだな。エリカも成長してるって事だろ」
「確かに、入学時にはとにかく戦いたかったけど、今はそれじゃダメだって分かってるつもりだから」
「何がエリカを変えたのかは聞かないが、成長出来たと実感してるなら良かったな」
「あたしを変えたのは達也君だよ。達也君の強さに触れ、思い知らされたからこそもっと頑張ろう、冷静さも身につけなきゃって思えたんだよ」
先ほどの張り詰めた空気が一転し、甘ったるい空気が道場内に流れ出し、門下生たちは稽古を再開する気持ちが失せてしまった。
「ここにいると稽古の邪魔みたいね。達也君も汗流すでしょ?」
「俺は一歩も動いてないから大丈夫だ」
「あたしも少しは殺気を向けたんだけど、全然動じないんだもんな~」
エリカも一歩も動いていないのだが、身体中に汗を掻いている。それだけ達也のプレッシャーが激しく、エリカが敏感に感じ取っていた証拠でもある。
「それじゃあ、先にあたしの部屋に行ってて。あたしもすぐに行くから」
エリカと別れ、離れのエリカの部屋を目指す達也は、途中で女性とすれ違った。軽く会釈をして横を通り過ぎる時に少しだけ顔が見え、その人がエリカが嫌う姉であると把握した。
「(特に敵意は向けられてないな、当然か)」
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、ではないが、エリカと不仲の姉に敵意を向けられるかもしれないと思った自分に呆れ、達也はエリカの部屋を目指した。
シャワーで汗を流したエリカだったが、脱衣所に置いてあった着替えがない事に気が付いた。
「あの陰険行き遅れババアめ……今度は何の嫌がらせよ」
こんなことをしてくる相手は一人しかいないと、エリカはとりあえずタオルを巻いて部屋に着替えを取りに行くことにした。
「何だか前にも似たようなことをされたわね……確かあの時は、レオを風呂場に案内したんだっけ」
薄羽蜉蝣を習得させるためにレオを鍛え、自分は少し休もうと思ってた時にレオが脱衣所に入ってきた事を思い出し、エリカは姉に対する殺意を強めた。
「何時か絶対殺ってやるんだから」
「随分と物騒な事を言いながら部屋に来るんだな」
「あっ、達也君……」
自分の格好を思い出し、悲鳴を上げそうになったが、エリカはそんなことをすればあの姉の思うつぼではないかと考え寸でのところで悲鳴を呑み込んだ。
「別に達也君になら見られても問題ないか。婚約者だし?」
「エリカ……視線が明後日の方を向いているが、大丈夫か?」
「だ、大丈夫なわけないでしょ……達也君にはもっと違うタイミングで見てもらいたかった……」
どうせ見られるなら自分の意思で、こんなタイミングではなくちゃんとしたタイミングで見てほしかったと、エリカは悔しそうに下を向いた。
「どうせあたしの裸なんて見てもなんとも思わないでしょうけど、あたしは達也君にはちゃんと見てもらいたかったの……やっぱりあの陰険行き遅れババアは気に入らないわね」
俯き唇を噛んでいたエリカであったが、ふと何か思いついたように顔を上げた。
「どうせ見られたんなら仕方ないわね。達也君、お願いがあるんだけど」
「何だ?」
エリカが何を思いついたのか見当もつかないという様子で応じた達也ではあったが、エリカはお構いなしに達也との距離を詰めた。
「このままあたしと寝て! そしてあの行き遅れにあたしは幸せだって事を知らしめてやる。どうせどっかで聞いてるんだろうしね」
「やけくそになってないか?」
「女は度胸よ! さぁ達也君も脱いで」
なし崩し的ではあったが、エリカは達也と甘い夜を過ごし、翌日の食事の席で、姉が悔しそうな表情を浮かべていたのを見てほくそ笑んだのだった。
この姉は何をしたいんだか……