達也と話した所為か、愛梨は翌朝挙動がおかしかった。普通の相手ならば気づかれない程度だったが、ここにいるのはみな、付き合いの長い相手だ、一瞬でおかしい事に気付かれたのだった。
「愛梨、何かあったの?」
「何かって?」
「いや、何かと特定は出来ないけど、何時もより纏ってる空気が固いというか……」
「過剰に達也殿を気にしてる感じかの。昨日の夜、何かあったのか?」
「な、何にもありませんわ!」
沓子の冷やかしに、過剰に反応してしまい、逆に何かあった事を三人に知らせてしまった愛梨は、バツが悪い表情を浮かべた。
「……昨晩、なかなか寝付けなくてリビングに出たのですが、その時達也様の部屋から灯りが漏れ出ているのに気づきまして、それで少しお話をしたんですの」
「それだけで動揺するとは思えませんが……会話の内容が愛梨を動揺させるものだったのでしょうか?」
「達也様の感情について、ですわ……事情はお聞きになっていたので、取り戻せるなら取り戻したいかと尋ねたのですの」
「ほう、それで達也殿の答えは?」
「必要ない、と」
愛梨の答えに、栞と沓子はさも当然のように頷き、香蓮はそれで愛梨が動揺するはずがないと思い、もう一歩踏み込んだ質問をする。
「達也様が必要ないとお考えになっている理由を、愛梨は聞きましたよね?」
「ごめんなさい、ここから先は私の口からは……とにかく、大丈夫ですから心配なさらないで」
「そうは言ってものぅ……さっきからからのコップに何度も目をやり、水分を欲しているのはあからさまじゃぞ。緊張して口が乾いておるのじゃろ? 今日はわしたちが全てやっておくから、お主は休んでおるのじゃ」
「……ごめんなさい、お願いするわね」
身体的な不調ではなく精神的な不調なので、休めと言われてもあまり休めないかもしれないが、愛梨は沓子の厚意に甘える事にしたのだった。
「さて、それでは達也殿が帰ってくる前に朝食の準備を済ませてしまおうかの」
「四人でするつもりだったから、気持ち急がないと間に合わないかもしれない」
「それなりに家事経験がありますから、大丈夫だとは思いますけどね」
香蓮が時計に目をやり、途中まで終わっている準備を確認してそう呟く。それでも、余裕があるわけではないので、三人は気持ち急ぎ気味で朝食の準備を済ませ、達也を出迎えたのだった。
春休みと言う事で、特にすることも無い三人は、愛梨を見舞う二人と、達也の話を聞く一人に分かれ時間を潰すことにした。
「――それで、栞が俺の部屋に来たわけか」
「私なら動揺が少なくて済むかもしれないから、適任だと思いますけど」
「特に動揺を誘うような話はしてないんだが……」
「ですが、達也さんとお話ししたのが原因で愛梨の精神に乱れが出ているのは明らかですので。達也さんが動揺しないと思っていても、私たちには刺激が強すぎる話だったのかもしれません」
「そうだな……それで、愛梨からどこまで聞いてるんだ?」
達也の問いかけに、栞は聞いた事を正確に達也に伝えた。栞の説明が済んで、達也は小さく頷き、昨晩愛梨に話した事をそっくりそのまま栞にも伝えた。
「――つまり、人を殺める際に、邪魔になるかもしれないから感情は必要ないと?」
「ついこの間、感情が邪魔になると感じたばかりだったからな。より実感が籠ってたのかもしれない」
「この話を夜中に聞かされたのなら、愛梨が動揺するのも仕方なかったのかもしれませんね。達也さんの雰囲気も相まって、より怖かったでしょうし」
「怖がらせるつもりは無かったんだが」
「だからでしょうね。無感情で無表情、そんな態度で今の話を夜中に聞かされたのなら、私でも愛梨のように動揺したかもしれませんし」
今はまだ外も明るいので、それほどではないと栞は思っているが、これが夜中で、今のテンションと同じように話されたのなら、愛梨がああなっても仕方ないという事が分かった栞は、二度、三度小さく頷いて達也に視線を戻した。
「達也さん、この後時間ありますか?」
「今日は特に出かける予定はないが」
「でしたら、愛梨と二人で出かけてきてくれませんか? いつまでもあのままですと、愛梨の――いえ、三高の戦力ダウンは避けられませんので」
「一高の作戦スタッフとしては、このままの方が良いと思うが、婚約者を見捨てるわけにもいかないからな」
達也のセリフの前半部分で、栞はムッとした表情を見せたが、後半部分を聞いて表情を改めた。
「それでは達也さん、愛梨のケア、お願いしますね」
「そうだな。栞たちはまたの機会に出かけるとして、今日は愛梨だけを誘うとするか」
友人であり恩人でもある愛梨が達也と二人きりで出かける事に対して、栞は複雑な思いを抱いていた。その事を見透かされたように言われ、栞は困った表情を浮かべた。
「今回は愛梨に譲りますが、次も譲るわけではないと伝えておいてください」
「そう言う事は、自分の口から伝えた方が良いんじゃないか? 俺が言うのもなんだが、そっちの方が感情がより伝わると思う」
「そう…ですね。それじゃあ、楽しんできてください」
「そういう感情も無いので分からないが、愛梨に愛想つかされないように頑張ってみるとしよう」
苦笑いを浮かべながら、達也は自室から愛梨の部屋へと移動していった。残された栞は、少し寂しげな表情を浮かべ、そして頭を振って寂しさを自分の中から追いやったのだった。
愛梨の一人勝ちのようになってきた……