春から東京で生活する為、愛梨は荷物を纏めて石川から司波家にやって来て数日、新居が用意できるまで世話になる予定だったのだが、深雪や水波の家事レベルの高さに衝撃を受けた愛梨は、この家で特訓を受ける事にした。
「そこは昨日教えましたよね?」
「わ、分かっていますわ」
「愛梨様、部屋の隅に塵が残っています。それから、フローリングの光沢も昨日と比べると落ちている気がします。きちんと掃除出来ていないのではないでしょうか」
「わ、分かったわ。ちゃんと掃除し直しておきます」
深雪と水波は家事においても一切手を抜くことは無い。それに加えて達也の婚約者だと言う事もあり、この二人の指導は厳しさを増していた。
「そろそろ達也様がお戻りになられる時間です。お風呂の用意はしてありますよね」
「………」
「水波ちゃん。急いで準備してちょうだい。魔法を使っても構わないわ」
「かしこまりました」
深雪の指示に水波が迅速に行動する。用意を忘れていた愛梨に、深雪が鋭い視線を向けた。
「あれほど忘れないようにと釘を刺したはずですのに、何故忘れていたのでしょうか? 理由があるのでしたらお聞きしますよ」
「……目の前の事に集中し過ぎてましたわ」
「集中する事は良い事ですが、視野狭窄を起こすのは未熟な証ですね。これでは達也様との同居は難しいのではないでしょうか。どうでしょう、お二人の新居に私と水波ちゃんも同行するというのは」
そんなことになれば、自分が思い描いている生活とかけ離れたものになってしまう。愛梨は即座にそう考えて何とかして二人の同行を拒否出来ないか模索する。
「お申し出は嬉しいですが、貴女も婚約者を探さなければいけない立場ですし、何時までも私たちに構ってもられないのではないでしょうか?」
「ご心配には及びませんわよ。叔母様は独身を貫き通しましたし、私も達也様以外の男性に惹かれる事はありませんので」
「そうも言ってられないのではないくて? 四葉家のプリンセスを手に入れたいと思ってる家はかなり多いと思うわよ。ましてや貴女はご当主様のようなご事情があるわけでもないのだから、興味が無いでは済まされないはずよ」
「興味が無いわけではありません。その方を停めてしまうのが申し訳ないのでお断りしているのです」
「停め……」
それが深雪の冗談なのか本気なのか、愛梨に確かめる術は無かった。ただ一つだけ分かった事は、このままでは達也との生活が危ういと言う事であった。
CADの調整の為に地下室で二人きりになったタイミングで、愛梨は達也に先ほど感じた疑問をぶつける事にした。
「達也様、何故司波深雪はあそこまで貴方様に依存しているのでしょうか?」
「深雪本人に聞いてみたのか?」
「いえ……ただでさえ四葉家はアンタッチャブルと恐れられています。もしそこに重大な秘密が隠されていて、それを聞いてしまった所為で消えるのではないかと……ですので、もし四葉家の重大な秘密に関わっているのでしたら、この質問は無かったことにしていただきたいです」
よく見れば愛梨は小刻みに震えている。別に寒いからというわけではない。あの愛梨が恐怖を感じて震えているのだ。
「別に秘密ってわけではない。愛梨は既に、俺の得意魔法を二つとも知っているんだからね」
震える愛梨を落ち着かせるために、達也は優しく背後から抱きしめ、安心させるような口調で語り始めた。
「五年前の沖縄侵攻、もちろん知っているよね」
「はい。大亜連合が沖縄に攻め込んできて、多くの犠牲者を出してしまった事件ですわね」
「そうだ。そしてその犠牲者の中に、本来なら深雪の名前もあった」
「本来なら……? 達也様、どういう事でしょう」
犠牲者の中に名前があったという表現に、愛梨は頭を悩ませる。もし犠牲者として名を記されてたはずなら、何故この場に深雪がいるのか、愛梨は考え、そして答えに至った。
「『再成』ですか……?」
「そうだ。深雪と、当時はまだ母親だと言う事になっていた司波深夜、そして護衛の桜井穂波の三人は、国防軍の裏切者たちに撃ち殺された」
「撃ち殺されたって……」
「ギリギリ間に合ったから、深雪は今も生きている。撃たれた事が無かったこととしてこの世に定着している。その時深雪は、司波深夜によって生み出された司波深雪は死に、新たに俺の手で生まれ直されたと考えたようだ。だから献身的に俺の世話をし、傍から見れば依存しているようにも感じるというわけだ」
思ってた以上に深い理由があったと、愛梨は聞いてしまった事を軽く後悔した。だが、彼女はその話を聞いて新たな疑問を抱えてしまったのだった。
「確か、沖縄侵攻の結末は、戦略級魔法にも匹敵するのではないかと言われる魔法が放たれて終焉を迎えたと聞いています……そして、その魔法は横浜侵攻の際にも放たれたと……」
愛梨は、達也が横浜侵攻の際に迎撃に加わっていた事を知っている。そして今、沖縄侵攻の際にもその現場にいた事を聞いてしまった。
「それは誰にも言わないのが身のためだ。ただし、愛梨に事は俺が生涯を掛けて守る事を約束する」
「こんな秘密、誰にも言えませんわ……ですが、この秘密が私と達也様を繋ぐものとなるなら、私は今日知った事を後悔しませんわ」
「そうか。もう震えも止まったようだね」
「いえ、まだ震えてますので、もっと抱きしめていてくださいませ」
達也は愛梨がどんな考えに至ったのかは分からない。だが間違いなく、戦略級魔法「マテリアルバースト」について達也が何かを知っているという結論には至っているはず。そしてそれは世間には公表していない事なので、達也は愛梨が口を滑らせないよう、生涯を掛けて監視する事に決めた。そして同時に、生涯を掛けて愛する事を決めたのだった。
愛梨はまだしも、他の三人が難しい……