達也たちが顧傑を取り逃がした翌日、一高の女子たちはいつも以上にざわついていた。日付を考えれば仕方ないのだが、達也はそんなことを考えている余裕はなかった。
文弥や亜夜子を落ち着かせるためにあのような事を言ったが、内心は顧傑を取り逃がしたことで、徒労感を覚え疲れ切っていたのだ。
そんな達也の姿を見た一年生女子たちが、いつも以上に影があるように受け取り、更に騒ぎ出したのだが、水波はその事を達也に伝えることが出来なかった。
今日も達也は克人たちとのミーティングのため不在で、生徒会室には女子しかいない。そのせいか翌日の予定などを普通に話し始めたのだった。
「深雪はもちろん、達也さんに渡すんでしょ? 一条さんには渡さないの?」
「どうして私が一条さんに渡さなければいけないのかしら? 普通にお知り合いとしてなら問題ないのだけど、人の恋路を邪魔するような殿方に、義理チョコだって渡したくもないわよ」
「深雪先輩のチョコ……きっと天にも昇るおいしさなんでしょうね」
「泉美ちゃん、それは大げさよ」
自分に心酔している泉美の発言に、深雪は笑みを浮かべながら否定の言葉を入れる。もちろん、達也に美味しいと思ってもらえるよう努力はするつもりだし、それに伴う料理の腕も持っているのだが、泉美が表現した感じにはならないだろう。普通なら比喩表現だと笑えるのだが、泉美の顔を見れば、それが比喩なんかではなく本気で言っていると言う事が分かったので、深雪の笑みは若干引き攣っていた。
「ほのかも、お兄様――達也さんに渡すのでしょ?」
「そりゃあね。せっかく婚約者候補になったわけだし、私は一度達也さんに告白してるから」
「でも、その時は断られたんでしょ?」
ほのかの背後から――風紀委員会本部と繋がる階段の方から、ほのかの告白の結果を告げる少女。平坦な声にほのかが振り返り相手の名前を呼ぶ。
「雫! あの時はだって、達也さんは誰も好きにならないって言ったから……諦めなくていいって言ってくれたから」
「うん。だからほのかは、ずっと達也さんの事想ってたもんね」
「ところで、雫も達也さんにチョコ渡すんでしょ? 一緒に作らない?」
「私はもう、用意してあるから」
「そっか。じゃあ渡す時は一緒に」
「それならいいよ」
「ところで雫、何か用があって来たんじゃないの?」
最近は雫も、仕事がない時は生徒会室に来ない。だから何か用があったのではないかと深雪が聞くと、雫は小さく頷いて用件を告げた。
「さっき見回りの時エリカから言われたんだけど、明日の作戦会議をアイネブリーゼでやらないかって」
「エリカが? 作戦会議って……達也さんにチョコを渡すことよね?」
「たぶん。エリカもあれで緊張してるんだと思う」
淡々と告げているが、雫もそれなりに緊張している。去年はまだ婚約者候補ではなかったので、義理チョコと偽って渡すことが出来たが、今年はそうはいかないのだ。
「作戦会議って、私やほのか、雫とエリカの四人でやるの?」
「後はエイミィやスバル、香澄も来るってさ」
「結構な人数だね」
「あと、渡す人は違うけど、美月も来るってエリカが言ってた」
「まぁ、美月は吉田くんでしょうけどね」
「意識しあってるのバレバレだもんね」
美月と幹比古のやり取りを思い出して、深雪はクスリと笑みを浮かべ、ほのかと雫はほのぼのした気分になった。
「ところで、泉美ちゃんや水波ちゃんは誰かにチョコをあげるのかしら?」
「私は、お世話になっているという意味で達也様に。深雪様と一緒に用意する事になっているではありませんか」
「そうだったわね。水波ちゃんも達也さんに『義理チョコ』を渡すんだったわね」
あえて義理チョコという言葉を強調した深雪だが、水波の気持ちを考えれば義理で済まないのではないかとも思っている。もちろん、出自の問題で達也の婚約者候補には名前が上がらなかったので、彼女は恐らく自分の気持ちに嘘を吐いてでも、義理チョコを渡すだろう。
「私は特に渡す人はいませんね……」
「お父様やお兄様には渡さないの?」
「もう家族に渡すような歳でもありませんので」
異母兄である智一や、微妙な関係が続いている弘一にチョコを渡せば、今度は真由美との関係が悪化すると考えて、泉美はチョコを渡す事をしないと決めたのだった。
「まぁ兎も角、エリカの提案には乗りましょう」
「分かった。放課後、校門で待ち合わせだって」
「でも、エリカって騒がしくなるからチョコは渡さないとか言ってなかったっけ?」
「『義理チョコ』は、だと思うよ。エリカだって、達也さんの事を想ってるんだし、周りもその事を分かってるからね」
「エリカは分かりやすいものね」
本人がこの場にいれば、声を荒げて否定しただろうが、ここにいる全員が、エリカの態度は分かりやすいという意見に頷いた。
「そう言えば泉美ちゃん、七草先輩も達也さんに渡すのかしら?」
「だと思いますよ。去年は服部先輩をからかって遊んだあと、司波先輩に割と本気のチョコを渡してましたし」
「去年は泉美、一高にいなかったのに、何でそんな正確に知ってるの?」
雫の素朴な疑問に、泉美は悪い笑みを浮かべて答えた。
「ウチの手の者にお姉さまに近づく輩をチェックさせていましたので。その報告の中に、お姉さまが割かし本気で気に入っている後輩がいると言う事を聞いてました。まぁ、少し調べればそれが司波先輩だってすぐに分かりましたが。何せあの摩利さんや鈴音さんすら気に掛けている男性でしたから」
「渡辺先輩には、エリカのお兄さんがいるんだけど」
「恋愛感情ではないでしょうが、かなり気に入ってたのは間違いないはずですよ。普通に名前で呼んでいる異性など、辰巳先輩くらいでしたし」
「そう言われれば……」
また不要なライバルが増えたと錯覚して、深雪は残りの業務時間を不機嫌な空気を纏いながら過ごしたのだった。
将輝南無……お前は眼中にないらしいぞ