劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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手掛かりがないですからね……


警察の動き

 箱根の某ホテルで起こった大規模テロ事件の実行犯の遺体を収容している警察のモルグを、二人の人物が訪れていた。一人はソフト帽を目深に被りトレンチコートを羽織った、とても好意的に解釈すれば刑事と見えないことも無い中年の男性。もう一人はキャスケットを被り大きなサングラスを掛けマフラーで顔の下半分を隠した容姿不明の人物。女性にしては背が高く、男性にしては背が低い。顔だけではなく体の方も横方向に大きすぎるウールのコートで隠しているので、体型も不明。外見からは、彼女が二十歳そこそこの若い女性であることは分からないだろう。

 二人を招き入れたのは、この時間まで一人残っていた検視官だ。彼は二人と入れ替わりにモルグを出て行った。この検視官は、ソフト帽の男――黒羽貢に買収されていたのだ。

 自爆したテロリストの死体なので、原形を留めているものはほとんどなかったが、貢たちの目的からすれば、頭部さえ残っていれば問題ない。生首でも構わないし、もっと極端な事を言えば、脳が吹き飛んでいても問題ない。とにかく人の頭部であると認識出来るものであれば手掛かりとなり得るのだ。

 

「吉見」

 

 

 貢が同行の女性に声を掛けた。苗字か名前か、それとも通称か。「吉見」はキャスケットとサングラスとマフラーに隠された顔で頷き、革の手袋で包まれた手でベッドに横たわる死体の額に触れる。

 手と額の接触面に淡い想子光が生じた。それはCADから起動式を取り込むときの光に似ていた。吉見と呼ばれた女性が行っているのは残留思念の読み取り。彼女は人体に残された想子情報体の痕跡の読み取りを得意とするサイコメトリストだ。

 四葉家が開発し、黒羽家が諜報活動の奥の手として使っているのは、死者の肉体に記された想子情報体「死者の記憶」を読み取る術式だった。

 

「吉見」

 

「まだ大丈夫です」

 

 

 吉見はマフラーの奥からぼそぼそと呟く声を返した。そして次の死体に手を伸ばす。

 

「入り込みすぎるなよ。戻れなくなるぞ」

 

 

 貢の与える注意に心配無用とばかりに、吉見は次々に死体から情報を読み取っていく。そして、六体目から離れたところで、ホッと息を吐いた。

 

「見つけました」

 

「そうか。では退散するとしよう」

 

 

 貢が吉見の手から手袋を抜き取る。吉見はコートのポケットから新しい手袋を取り出して両手にはめた。貢が吉見を連れてモルグから出ていく。彼の手から、吉見の手袋がいつの間にか消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 言うまでも無く、テロリストの捜索に当たっているのは十師族だけではない。首都の目と鼻の先で発生した大規模テロ事件は、警察の矜持を傷つけ、首脳部を怒り狂わせるには十分な出来事だった。この事件は神奈川地方警察ではなく警察省の広域特捜チームが捜査に当たることになった。普段は地方警察に出向く形で全国展開している特捜チームの刑事を南関東に集結させ、この事件にマンパワーを全てつぎ込む勢いで捜査を開始していた。

 偶々本省で待機中だった千葉寿和警部は、地方に出向中だった刑事が集結するのを待たず、いち早くこの捜査に駆り出されていた。彼も今回の事件には人並みに憤りを覚えていたので、珍しくやる気を前面に出して走り回っている。とはいえ、捜査は最初からいきなり躓きを見せていた。

 

「実行犯が全員死んでるってのは、いったいどういう事なんだ?」

 

「自爆テロですから、そう言う事もあるんじゃないでしょうか」

 

 

 覆面パトカーの中で寿和が苛立たしげに愚痴をこぼすと、運転手を務めている稲垣警部補が寿和をなだめるようにそう応じた。

 

「自爆したヤツが死んでいるのは分かる。だが爆発した形跡の無いヤツらまで死んでいるというのはおかしいんじゃないか? 損傷が殆ど見られない死体まであったんだぞ」

 

「しかも検死の結果、死亡推定日時はテロ発生日より一日以上前。冷凍保存等、死体に保存措置を講じてあった可能性もあり、その場合の死亡推定日時は最大で十日前後遡る、ですからね……死体が歩いて爆弾を運んだんでしょうか?」

 

「B級オカルト映画かよ! って笑い飛ばせたら楽なんだがなぁ……」

 

「警部はやっぱり、死体を操る魔法があるとお考えなのですね?」

 

 

 稲垣の問いかけに、寿和は渋々頷いた。そして運転中の稲垣にはジェスチャーだけでは伝わらないと気づいて「そうだよ」と取って付けたように呟いた。

 

「そう考えるのがこの場合最も合理的だ……忌々しい事にな」

 

 

 魔法を虚構の産物として断じて捜査から除外していたのは前世紀までの話で、現代の警察捜査において魔法は捜査上無視できないファクターであり、寿和自身魔法師である。魔法の存在を否定するのは、自己否定に等しい。

 とはいえ、現代魔法の使い手である彼にとって、死体を操作する魔法などという代物は、どうにも胡散臭く思えて仕方がないのだった。

 

「やはり専門家の話を聞くしかないんじゃありませんか?」

 

「死霊魔術の専門家なんているのか? 確かにこっちはまるっきり素人だ。講釈してくれる相手がいれば助かるが」

 

 

 稲垣の提案に寿和は顔を顰めた。死体操作の魔法に詳しい魔法師がいるとしても、倫理的に問題視されるのは確実だ。堂々と看板を掲げているとは思えない。

 

「警察省のデータベースでも、ネクロマンシーでヒットするのは死体占術の方ばかりでしたからね」

 

 

 自分で提案したこととはいえ、稲垣も相手を見つけるのが難しいのは分かっていたようだ。ため息を吐く部下の隣で、寿和は投げ遣りに呟いた。

 

「そうだな……しかし、どうせめぼしい手掛かりはないんだ。その方針で行ってみようか。稲垣君、ロッテルバルトへ向かってくれ」

 

「あの情報屋ですか……了解です」

 

 

 稲垣も「仕方がない」という顔で、車を横浜へ向けた。




吉見さんってどんな顔をしてるんだろう……

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