劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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理解出来ないだろ……


FAE理論の説明

 今日は日曜日だが、司波家の朝は何時も通りのタイムテーブルで進行する。その結果、朝食後はゆっくりとしたお茶の時間になる。朝餉の準備は二人の間で妥協が成立しているが、達也のお茶は基本的には水波に譲っていない。深雪は何時も通り心を込めたコーヒーを淹れ、達也から「お褒めの言葉」を貰って漸く自分も腰を下ろし、ふと思い立って、暫くずっと気になっていた事を達也に訊ねる事にした。

 

「お兄様、一つお訊ねしたい事があるのですが」

 

「何だ?」

 

「お兄様は何故、今年の論文コンペにエントリーされなかったのですか? 四月に校庭で行った恒星炉実験で魔工科生徒に課せられた選考論文の提出義務を免除されているのは存じ上げておりますが、参加を禁止されているわけでもございませんよね?」

 

「ああ、別に出るなとは言われていないよ」

 

 

 出場禁止という発想がおかしかったのか、達也は唇に笑みを浮かべながら首を横に振った。

 

「では何故……?」

 

「時間が無いからだ」

 

 

 再度問われた深雪の短い質問に対する達也の答えは、同じく短く、妹の問いと違って簡明なものだった。

 

「それは……お兄様が毎晩遅くまで練習されていらっしゃる魔法に関係があるのですか?」

 

「そうだ。良く分かったな」

 

「もしかしてお兄様が取り組まれているのは、魔法の練習ではなく新魔法の開発ではございませんか?」

 

「さすがは深雪だ。俺の事を良く分かっている」

 

 

 既存の魔法を修得する為だけなら、達也があれほど苦労するはずが無い。魔法の出力こそ低いものの、達也に植え付けられた仮想魔法演算領域は魔法式をそっくりコピーして運用する性質だ。魔法式の構造が完全に判明していれば、どんな魔法でも発動寸前の状態に持って行く事が出来るのだ。

 

「この魔法の開発を始めたのは三月からだ。といっても最初は理論を解明するのに手間取って、六月になって漸く魔法式の設計段階にこぎ着けた。だから論文コンペどころじゃなかったんだ」

 

 

 笑いながら言う達也だが、しかしそれを聞いた深雪は笑えなかった。

 

「お兄様が今、取り組まれている新魔法は……リーナとの対決がきっかけになっているのではありませんか?」

 

「良く分かったね。今開発している魔法はFAE理論を利用した近距離直接攻撃の術式だ」

 

「FAE理論……ですか? 確か、リーナの武器に使われていた理論でしたね」

 

「ああ、リーナが使っていた戦術級の携行魔法兵器『ブリオネイク』の根幹を支える魔法理論だ。FAE――フリー・アフター・エグゼキューション。魔法で改変された結果として生じる事象は、本来この世界には無いはずの事象であるが故に、改変直後は物理法則の束縛が緩い。それ故に正常な物理法則が作用するまでの短いタイムラグにおいては、通常の事象改変に必要な干渉力がずっと小さな力で次の魔法を実行する事が出来るという仮説……いや、FAE理論が正しい事はブリオネイクで既に実証済みだから仮説じゃないな」

 

 

 自分の間違いに気付き、達也は苦笑いを浮かべながら頭を振った。

 

「お兄様、すみません。今のお話で一点、以前から理解出来なかった箇所があるのですが、お教えいただいてよろしいでしょうか」

 

「良いよ、遠慮はいらない」

 

「単一工程の魔法でない限り魔法は連続する工程で構成されます。その多くは前の工程による事象改変を引き継ぐ形で次の工程が作用します。しかしそのような魔法でも第二工程以降が楽に発動するという実感はないのですが、これはFAE理論に反していませんでしょうか?」

 

「なるほど……そういう誤解はもしかしたら魔法師の間で一般的なものかもしれないな」

 

「誤解、と仰いますと?」

 

「魔法の工程はそれ自体が独立した魔法じゃないという事だよ。例えばシュガーポットのふたを開け、角砂糖を浮かせ、空中で保持、そして戻すだけでも四工程の魔法だが、この表現は言われてみれば確かに誤解を招きやすい」

 

「何処が間違っているのでしょう?」

 

「間違えているわけじゃない。ただ四工程の魔法は、その各プロセスが独立した魔法だという錯覚を引き起こす。浮遊は四工程の魔法だが、その四工程で一つの魔法だ。魔法を発動する段階で最後の停止プロセスまでの魔法式を構築し変数を定義し終わっている。もしこの四工程全てを賄う魔法力が無ければ、魔法は途中で中断されるのではなく、最初の反重力プロセスから作用しない」

 

「魔法の工程は、それ自身が独立の魔法では無い。あくまでも一つの魔法の一部。そう言う事なのですね、お兄様」

 

「その通りだ。さすがは深雪、理解が早いな」

 

 

 この後も達也は説明を続ける。まだ完全に理解していないという表情を浮かべていた深雪の為の追加の説明だ。その説明を全て聞き終えた深雪は、軽く自分の頭を小突いておどけた笑みを浮かべ達也を見つめた。

 

「魔法の工程はあくまで魔法の一部。だから魔法による事象改変も全行程を通して一つ。一つの工程が終わってもそれはまだ事象改変の途中経過に過ぎないから、魔法によって改変された事象には当たらず、FAE理論が説く事象改変の難易度低下は起こらないという事ですね?」

 

「そうだ。満点だよ、深雪」

 

 

 可愛く小首を傾げた妹の頭を撫でながら、達也は扉の向こうにいる少女に声をかけた。

 

「水波も理解出来たか?」

 

「っ! さすがは達也兄さま。完全に気配は消していたのですが……」

 

「気配は無かったがな。俺は『気配』を探るのではなく、『存在』を探るからな」

 

「申し訳ありません、盗み聞きをするつもりは無かったのですが」

 

「構わない。聞かれて困る話でも無いしな」

 

 

 本気で謝罪する水波に、その必要は無いと軽く手を振って伝える達也を見て、深雪は少しつまらない気持ちになっていた。折角、最愛の兄に褒めてもらい頭まで撫でてもらっていたのに、水波の登場で兄の意識が水波に向いた事に嫉妬しているのだろう。

 深雪はその事を隠し通したと思っているが、深雪が達也の事を理解しているように、達也もまた深雪の事を理解している。つまり深雪が嫉妬していた事は達也にバレバレだったのだが、達也はあえて気付かないフリをしたのだった。




もう達也の就職先は研究所で良いよ……もしくは教師で

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