九校戦が終わり、達也たちは司波家へと帰って来た。帰ってきて早々、達也は家の前で立ち止まり訝しげな表情を浮かべていた。
「お兄様?」
「どうかなさったのですか? 達也様」
「いや……家の中に人の気配がある」
「あの女でしょうか?」
深雪が誰の事を指しているのか、水波には分からなかった。だが、達也は笑顔で首を左右に振る。
「小百合さんじゃない。それに、あの人がこっちに来る用事は無い」
「またお兄様を会社に縛りつけようとして……」
「結果を出しているんだ。小百合さんや親父にだって俺を会社に縛り付ける権利は無い。それに、叔母上に許可を貰っているんだ。あの二人が『あの家』に逆らえるとは思えない」
まだ家の中では無いので、達也は「四葉」という単語を避け、深雪と水波にだけ分かるように話す。
「じゃあ、いったい誰が家の中に?」
「そうだな……多分あの人だとは思うが」
見当が付いている達也の表情は、何処か嬉しそうに深雪には見えた。それだけで、深雪は家の中にいる人が誰なのか見当がついてしまった。
「滅多に会えませんし、九校戦の間はずっと私がお兄様に甘えていましたので良いですけど、家の中で――私や水波ちゃんの目のつく範囲ではいちゃつくのは避けてくださいね」
「分かってるし、そんな事をするつもりは無い」
深雪に念を押されなくとも、達也に人前でいちゃつく趣味は無い。もちろん相手にもだ。達也は扉に手を掛け、中にいる人に声を掛けた。
「ただいま帰りました――穂波さん」
「お帰り、達也君。深雪さんも水波ちゃんもお疲れ様。活躍はテレビで見てたわよ」
「ご無沙汰しております、穂波さん。母の死後、四葉で雑務をこなしていた穂波さんが、何故この家に?」
「漸く真夜さまの許可が下りて、私もこの家で生活できる事になったの。一昨日からこの家で暮らしてるんだけど、本当に龍郎さんたちはこの家で生活してないのね」
穂波の上げた名前に、深雪がピクリと反応する。もちろん、悪い反応だ。
「おっと、深雪さんの前でこの名前を呼ぶのは禁止だったわね。何せ三年以上離れてたから、忘れちゃってたわ」
「えっと……叔母様、でよろしいのでしょうか?」
「普通に『穂波』で構わないわよ、水波ちゃん」
「では穂波さん、司波家の家事は基本的に私と深雪様が担当しております。穂波さんはこの家で何をするおつもりなのでしょうか?」
水波の質問に、深雪が彼女の肩に手を置いて首を左右に振る。水波はそれがなんの行為なのか分からず、深雪に訊ねた。
「深雪様、この家では達也様のお世話は私と深雪様が担当のはずです。今更新しい女性が現れても――」
「違うのよ、水波ちゃん。穂波さんは……お兄様の恋人なのよ。そして、叔母上がお認めになったお兄様の婚約者なの」
「……それは本当なのですか?」
深雪の言った事が信じられなかったのか、水波は主に対する反応としては相応しくない、聞き直しを行ってしまった。
「お母様のガーディアンであった穂波さんは、お兄様の恋愛感情を呼び起こした女性。お兄様の初恋の相手なの。そして、穂波さんの実力は水波ちゃんも知ってるわよね? 同じ遺伝子を持ってる水波ちゃんなら」
「はい」
「将来的に水波ちゃんが私の正式なガーディアンになった時、お兄様は四葉家内に居場所を失ってしまう可能性があるの。だから叔母様は自身の姉であったお母様のガーディアンを務めていた穂波さんを自分の護衛に任命して、その穂波さんとお兄様を結婚させることで、お兄様の居場所を四葉家内に作られたの。護衛の旦那であるお兄様の実力は、四葉家の人間なら誰しもが知っているから、不満を言えば消されるかもしれないと思ってるのかもしれないわね」
「つまり、達也様を四葉の敵にしないように、穂波さんと結婚させて四葉家に縛りつけようと?」
「それもあるのでしょうけども、叔母様は女性としての幸せを幼い頃に奪われたの。だからせめて穂波さんには、と思ってるのではないかしらね。私とお兄様は血のつながった兄妹で、私たちを結びつけるのはさすがの叔母様でも不可能でしょうしね」
深雪は唇を噛みしめん勢いで口に力を入れていた。水波はそれを見て、深雪は二人の交際を認めたくないんだと理解した。その気持ちは自分にもあるものだから……
「達也様の居場所をお作りになるのでしたら、そのまま深雪様のガーディアンとしてお務めしていれば良いのではないでしょうか? ガーディアンの任命罷免はミストレスがお決めになられる事ですし」
「四葉家の人間は、お兄様に今の地位にいて欲しくないのよ。四葉家次期当主候補筆頭のガーディアン、もし私が次期当主に指名されれば、お兄様の地位は今より高いものになられるの。だから叔父様たちは、次期当主の使命は水波ちゃんが立派なガーディアンとして成長するまで待って欲しい、とでも思ってるんでしょうね」
「ですがっ!」
「水波、俺は別に嫌で穂波さんとお付き合いしてるわけではない。むしろ、叔母上がお許しになってくれた事に感謝してるくらいだ」
達也の見たことの無い表情を見て、水波は自分がしている事が無駄な抵抗である事を理解した。理解させられた。同じ遺伝子を持つからか、それとも同じ調整体だからかは分からないが、水波も達也の事を少なからず想っている。だからいきなり現れた穂波に、達也を奪われたような感覚に陥ったのだろう。
「そう言うわけだから、今日から私もこの家でお世話になります。あっ、部屋は達也君と一緒だから」
「それも叔母上が?」
「真夜様も悔し涙を流されてたけどね。本当なら真夜様自身が達也君と一緒に寝たかったのかも」
楽しそうに部屋に消えていく二人を、水波は呆然と見送っていた。ふと思い出したように深雪の方に視線をやると――
「み、深雪様!?」
「羨ましい……お兄様と同じベッド……触れ合う身体……男と女……」
「み、深雪様?」
「……はっ! な、何でも無いのよ、水波ちゃん。さぁ! 荷物を解いて夕ご飯の支度をしましょう」
血涙でも流す勢いで達也の部屋を睨んでいた深雪だったが、水波が自分を見る目に気付き、何事もなかったかのように自分の部屋に向かった。途中で何度か立ち止まりブツブツと何かを呟いているようだったが、水波にその声は届かなかった。
前から要望をいただいていた、穂波生存ルートです