達也は自分が見ている人物を疑った。彼の目の前には、決して彼の前に現れるはずの無い人物が立っていたからだ。
「何故貴女がここに」
「久しぶりに会ったのに、何故とはご挨拶じゃないかしら?」
少し年上な感じがする女性に、達也は鋭い視線を向ける。顔見知りであり、同業である彼女は、三年前の沖縄侵攻の際に命を落としたはずだからだ。
「桜井さん、貴女は亡くなったはずだ」
「じゃあ達也君の前に立っている私は何だというの? こうして自分の足で、自分の意志で貴方の前に立っている私の事を、達也君はどう説明するのかしら?」
「……現実では無い、という事でしょう」
達也は夢を見ない。深雪が証言しているように、達也の眠りはかなり深いもので、記憶の整理と言われている夢を見る事は無い。だがこの今の状況は、夢としか言いようが無い状況なのだ。
「真意は兎も角として、久しぶりね、達也君」
「そうですね。三年ぶりです」
「あれから上手く立ち回ってるようね。深夜様もお亡くなりになられて、貴方を縛る鎖が一つ減ったからかしら」
「別に母さんは鎖でもなんでも無かったですよ。ただ、今より若干不自由に感じる事はありましたが」
「深雪さんとは上手くやってるのかしら?」
「俺と深雪は兄妹です。上手くやってるも何もありませんよ」
久しぶりに再会した穂波のペースをまだ掴みきれていない達也は、少しやりにくさを感じながらも無難に返答していく。
「水波ちゃんとは上手くやっていけそう?」
「少しやりにくいですよ。やはり桜井さんの面影があり過ぎる」
「同じ調整体だもの、その辺りは仕方ないと思うわ」
達也が穂波と仲が良かった事は四葉の方でも掴んでいた。それが同業だからとか、穂波が達也の事を弟のように思っていたとか、そういった類の感情であろうと、達也を四葉に縛り付ける道具に出来るのなら、四葉家は何でも使う。その事は穂波にも分かっていた。
「そう言えば達也君」
「何でしょう?」
「水波ちゃんの事は『水波』って呼んでるのに、私の事は『桜井さん』なのよね」
「別におかしくは無いでしょう。水波は年下ですが、桜井さんは年上、しかもガーディアンとしも俺より立派に務めていた人ですからね」
「歴で言えば、達也君の方が長いのよ? だからそんな事気にせずに、私の事も名前で呼んでくれていいのに」
非常に今更な提案に、達也は反応に困る。既に故人である穂波の呼び方を変えるのは、難しく今更だからだ。
「これは現実じゃないんでしょ? だったらそんなに困る事は無いじゃないの。年上の――初恋のお姉さんに再会した気分でさ」
「俺には別にそのような感情は……」
「嘘はダメよ。達也君、私には本音を聞かせてくれてたでしょ? 特別な感情を抱いてくれてたのは確かよ。そして、達也君に残された特別な感情っていうのは――」
「恋愛感情……ですね」
自分の中に残されている感情を自覚している達也だが、穂波にそのような感情を抱いていたなどという事は、今の今まで気付けなかったのだ。言われてみれば、達也は自分が穂波に他の人間に話す事の出来ない事まで話していた記憶がある。
「もし私が生き続ける事が出来ていたら、達也君とお付き合い出来たかもしれないのにね。いや、真夜様がお許しになってくれないかしら」
「叔母上が、ですか? 桜井さんが存命なら、深雪のガーディアンは貴女になってたでしょうから、俺は四葉家で半軟禁状態だったでしょうね」
「ガーディアンの任命はミストレスの特権だったはずよね」
「次期当主候補である深雪に、同性のガーディアンがついていないのは四葉家としては遺憾なんでしょうね。だから水波をこちらに寄越してガーディアンとしての経験を積ませようとしている」
「ほら、やっぱり水波ちゃんだけ名前で呼んでる」
話の腰を折られた達也だったが、特に気にした様子もなく話を続けていく。これが夢だと思っているから、時間を無駄にはしたくなかったのだ。
「叔母上や深雪、そして亜夜子や夕歌さんは俺を認めてくれているようですが、他の人間の大半はそうではありませんからね。母さんのガーディアンを務めていた貴女なら、深雪のガーディアンとしても認められていたでしょう」
「そうかしら? ミストレスの許を離れて、達也君を手助けしようとした愚か者なんて、深雪さんの傍に置いておけるかしら」
「あれは母さんも許可しての行動ですし、桜井さんに落ち度は無かったでしょう。桜井さんの助けが無ければ、死んでいたのは俺の方かもしれませんし」
「達也君を殺せる魔法師なんて存在しないでしょ?」
「さすがに即死した場合は再成出来ませんよ」
自己修復術式で回復出来るのは、即死以外の外傷だ。あの時の場合は下手をすれば即死していたかもしれないから、達也の言い分も大袈裟というわけではない。
「ところで、何故俺に会いに? 遺伝子上姪にあたる水波のところでも良かったのでは?」
「私が会いたかったのは貴方なのよ、達也君。水波ちゃんに会っても仕方ないじゃない」
「その言い方はどうかと……まぁ、久しぶりに会えてうれしかったですよさくr」
「ほ・な・み!」
「……穂波さん」
言葉を遮られ、さすがの達也も呼び方を変えざるを得なかった。名前で呼んでもらった事に満足したのか、穂波はにっこりと笑顔を浮かべて達也に近づいてきた。
「何でしょう?」
「あれ以降キスしてないでしょ? だからもう一回……ね?」
死に際に聞いた穂波の願い。それを叶えて以降、達也は誰かと口付けをした事は無い。恋愛感情が殆ど無いのだから仕方ないが、あれだけの美少女に囲まれていながらそのような気持ちにならないのは、穂波から見ても異常だと思えるのだ。
「何時までも私に縛られてないで、達也君は新しい恋を探しなさい。でも、忘れちゃ嫌だからね」
「忘れませんよ。初恋なんですから」
そう告げて、達也は穂波の唇に自分の唇を重ねた。三年ぶりのキスは、まさか夢の中だとは達也も思っていなかっただろう。
「ありがとう」
穂波のその言葉を聞いたのと同時に、達也は自分の身体が覚醒していくのを感じた。
「お礼を言うのは俺の方ですよ、穂波さん」
目を覚ましたのと同時に呟いた達也の言葉。それはまだ暗い辺りに消え、誰の耳にも届かなかった。
なんか切ない気分になった……