劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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ここ必要だったのかな……


黒羽貢とは

 DDは四十代後半の、茶色の髪に茶色の目をした平凡な外見の白人男性である。彼の本名はドナルド・ダグラスだが、彼の事を「ミスター・ダグラス」と呼ぶ者はほとんどいなかった。よくいえば親しみを込めて、悪くいえば敬意を払われる事無く、若い頃から「ディー・ディー」とだけ呼ばれていた。彼は勤め先の同僚や同じアパートの住人から、毒にも薬にもならない平凡な人間だと思われていた。

 DDは三ヶ月前までダラスでビルメンテナンスの作業員をしていた。彼は技術系の大学を優秀な成績で卒業したキャリアを持っていたが、ちょっとしたボタンの掛け違いで自尊心を満足させられる職を得られず、結婚するまでは何度も転職を繰り返していた。

 DDは作業員の仕事にも不満を持っていた。ブルーカラーとはいえ会社の中ではそれなりに責任のある地位を与えられ、サラリーも生活に不自由がない金額を得ていたにも拘わらず。彼の生活水準は旧アメリカ地域に済む市民の平均そのものだ。これは中米地域を含めたUSNA全体の平均から見ればそれなりに高い方だと言える。しかし彼は自分にはもっと相応しい仕事があると信じていた。

 それでも結婚後は家庭を優先して野心を心の中に閉じ込めていた。子供には恵まれなかったが、夫婦仲は円満と言って良かった。彼は妻に対して良き夫であり続けた。もしかしたら彼は克己心が強すぎたのかもしれない。もう少し自分の野心に正直でいられたのなら、彼はあの日、デーモンに魅入られなかったかもしれない。

 マイクロブラックホールの実験の日、彼はパラサイトになった。潜在的なサイキックだった彼は、パラサイトと同一化した事によりその能力――ヒュプノシス・フォースに覚醒した。

 彼はその力で妻を騙し、自分たちの意思に従って日本にやってきた。

 DDの催眠暗示能力(ヒュプノシス・フォース)はそれ程強力なものではない。常識に著しく反する事を信じ込ませたり、深く心に刻まれた道徳観や宗教観に反する行動をとらせたりする事は出来ない。妻に掛けた暗示も「日本に長期出張」だった。

 

「(移動の準備は完了したか)」

 

 

 意識の内側に向けたDDの問い掛けに、肯定の思念が返される。それは、仮に思念波を傍受する異能者がいたとしても、蜂の羽音のようなざわめきにしか聞こえなかったことだろう。言語の種類を問わず、人の言葉で交信していたのはDDだけだった。パラサイトは意思疎通に言葉を必要としない。そもそも彼らは一つの意思を共有しているようなモノ。これからどうするべきなのか、全員が考える必要はない。

 

「(では明朝出発する。くれぐれも目立った真似をして怪しまれないように。もう夜中と言っていい時刻だ。今すぐ動く方がリスクが大きい)」

 

 

 帰ってきた思念は、肯定が三、否定が二、そして断末魔が一。

 

「どうした!?」

 

 

 DDは思わず立ち上がり肉声で叫んだ。彼の「声」は眉間の奥に形成された意識共有器官を通じて仲間たちに間違いなく届いた。しかし帰ってくる思念は断末魔のみ。殆ど同時、立て続けに仲間の意思が消える。断末魔を四つ数えたところで、DDは胸に違和感を覚えた。

 

「なんだ、これは……」

 

 

 丁度心臓の辺りに、黒い針のような物が刺さっている。よく見ればその正体は、ラベルピンと呼ばれているアクセサリーだ。

 DDは何故こんな物が刺さっているのか、と考えるより早く、反射的にそのピンを抜きとろうとしたが、彼の手は思うように動かなかった。ピンが刺さってる、とDDが認識した直後、正気を保つ事を許さない激痛が全身を駆け巡る。

 痛みに心臓を貫かれ、彼の肉体はその機能を永久に停止した。死因はショック死。死体検案書には「心臓震盪による心停止」と記されることだろう。DDは最期まで彼の前に立つ黒い人影に気づかなかった。

 

「二秒か……なかなか伯父上のようには行かんな」

 

 

 床に落ちたラベルピンを拾いながら、黒羽貢は自嘲気味に呟いた。パラサイトを葬った魔法は貢の編み出したオリジナル魔法。彼が「毒蜂」という味も素っ気もない名称をつけたこの魔法は、術を掛けられた者が認識した痛みを、本人が死にいたるまで無限に増幅する精神干渉魔法だ。

 「毒蜂」は到底死因に結びつかない傷しか残さない。「毒蜂」の犠牲者を見た者はまず毒殺を疑い、次に窒息死を疑うに違いないが、死体にはどちらの痕跡も残らない。暗殺に適しているという意味で「毒蜂」は優れた魔法だった。

 もう一つ「毒蜂」の優れた点は、貢だけの固有魔法では無いという点だった。「毒蜂」は多くの精神干渉系魔法と違い、属人的でない起動式が作成され発動手順が定式化されている。つまり、貢以外の魔法師にも使用出来る。無論適性は必要だが、現に黒羽の実行部隊は「毒蜂」を切り札として使いこなしていた。

 

「ボス」

 

 

 背後から声を掛けられて、貢はゆっくりと振り向いた。頭に載せたソフト帽を片手で押さえたポーズは明らかに古い小説の読み過ぎだ(と、貢の部下は感じた)。ただ芝居がかったその仕草はなかなか様になっていた。

 

「処分は全て、完了しました」

 

「損害は?」

 

「ありません」

 

 

 部下の答えを訊いて、貢は満足げに頷いた。USNAの追跡部隊が苦戦していた相手だ。身内に対して多少採点が甘くなっても許されるだろう。

 

「ご当主様のご命令だ。宿主から抜け出した精神体の追跡も怠るな。最終的に見失うのは仕方ないが、可能な限り追いかけろ」

 

 

 貢から下された指令に、部下が微妙な表情を浮かべた。こういう甘いと言うか緩いと言うか、身内に対する厳しさに欠ける部分が、大量暗殺を平然と命じ、時に部下をあっさりと切り捨てる非情な顔と如何にも上手く重なり合わないのだ。

 

「それと、第一高校で消えたパラサイトの行方も可能な限り調べておけ」

 

「畏まりました」

 

 

 黒羽貢は不可解な人間だ。幾つもの仮面を持ち、素顔がまるで見えない。彼の近くに仕える側近ほど、それを強く感じるのだった。




後々の事を考えれば必要だったけども、とにかく長い……

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