劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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更に深雪が困惑していく……


触れたくなかった感情

 ドアをノックする音で、深雪は我に返った。

 

「四葉のガーディアンは決して特別なんかじゃありませんよ。自分の天狗の鼻も、あの後すぐ柳さんの手でへし折られましたし、師匠には未だに勝てません」

 

「お前は最初から天狗になってなどいなかったと思うが。それに、未だに師匠に勝てないのは俺も同じだ」

 

 

 二人の会話は、深雪が覚えていたものの続きだった。如何やら深雪が我を失っていたのはほんの短い時間だったらしい。

 それにしても、随分といろんな事を思い出していた気がする、と深雪は思った。再度ドアが、今度は強めに叩かれて、深雪が入室の許可をすると若い執事が入ってきた。若い、というよりは少年だ。

 

「申し訳ありません。前のお客様のご用事が些か長引いておりまして……もう少しお待ちいただけないでしょうか、との伝言を奥様から承っております」

 

 

 奥様、とは四葉真夜の事だ。彼女は一度も結婚した事が無い。だから「奥様」という呼び方は本来正しくないのだが、慣例的な呼称に目くじらを立てる趣味は三人とも持ち合わせていない。ついでに言えば、丁寧なようでいてその実、上から目線な言葉遣いも一々気にかけたりはしなかった。

 

「本官は構いません」

 

 

 深雪と達也から目で問い掛けられて、風間が少年に答えた。

 

「ありがとうございます」

 

 

 少年は達也たちの意向を確かめようとはしなかった。達也は兎も角、深雪の都合を聞こうともしなかったのは、彼女が身内であると、少なくとも四葉家では考えているからだろう。

 それは間違いではない。達也は自分の事を四葉家の人間とは砂粒ほども思っていないが、深雪はそうもいかなかった。

 司波龍郎の娘である事を拒否出来ても、司波深夜の娘である事を深雪は拒む事が出来ない。故に彼女は、自分に対して、自分が四葉真夜の姪である事を否定する事も出来ないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初日から波乱含みだった沖縄のバカンスも、昨日は平穏を取り戻した。今日も今のところ無事に過ぎている。私たちは沖縄到着四日目から漸く、南国の休日を満喫出来るようになったという訳だ。……ただ、その「私たち」に兄が含まれるかはどうかは疑問だった。

 現時刻は午後一時。お昼寝代わりにただ今部屋で読書中。桜井さんが見つけてきてくれた珍しい紙の魔法書を、机に広げてボンヤリ眺めているところだ。

 何故ボンヤリ眺めているのかというと、完全に理解など出来ないからだ。中学一年生の私が一度読むだけで理解出来るなんて考え方が自惚れだというものだ。

 

「でも、あの人ならもしかしたら理解出来るのかも……」 

 

 

 あの人とはもちろん兄の事。中学でも兄は成績優秀で先輩や先生からも一目を置かれている存在なのだ。その兄は現在、自分の部屋に持ち込んだワークステーションにCADを繋いで熱心にキーボードを叩いている最中、だと思われる。

 CADは一昨日真田さんからもらった二丁拳銃。最初は「貸す」という話だったはずなのに、何時の間にか「あげる」になっていたのは「それで良いのか国防軍」と問い詰めたい気もする……先行投資という思惑が分からない訳じゃないけども、兄は私の「守護者」、軍人にはならない……というかなれない。

 

「あれ? 私、何しに来たんだっけ?」

 

 

 気がつけば私はあの人の部屋の前に立っていた。戸惑いに従って私の右手はノックする寸前で停止している。

 

「何かご用ですか?」

 

 

 兄はまるで私が立っていたのを分かっていたような顔で――実際に分かっていたのだろうけど――顔を見せるなり私にそう訊いた。

 

「あっ……あの、えっと……」

 

「はい」

 

「あのっ、おじゃましてもいいですか!?」

 

「……構いません」

 

 

 私の反応に一瞬兄が戸惑った……様に思えたけど、その後は冷静に、だが少し私を訝しむような感じもしたけど、兄は私を部屋に入れてくれた。

 

「それで、どのようなご用でしょうか?」

 

 

 兄が話しかけてきているのだが、私はその言葉に反応出来なかった。その時の私の意識は、むき出しのコードでワークステーションに接続された半分解状態のCADと、ディスプレイを埋め尽くす数式とアルファベットの羅列に釘付けになっていた。

 

「(これって、CADの開発ラボみたいじゃない……)」

 

 

 驚いていた私の心も、兄の一言で現実に引き戻された。

 

「お嬢様?」

 

「お嬢様なんて呼ばないでくださいっ!」

 

 

 怒鳴りつけた私に、兄がビックリして固まった。この人の絶句する姿なんて本当に珍しい、けど無理も無いと思う。自分でもビックリしてたから。だって、今の私の声はまるで、悲鳴みたいだったから。今にも泣きそうな声だった。

 

「あ……」

 

「………」

 

「あの、えっと……そうです! 普段から慣れておかないと、思わぬところでボロを出してしまわないとも限らないでしょ?」

 

 

 兄の表情が「驚愕」から「不審」に変わった。正気を疑うような訝しげな眼差しに挫けそうなりそうだったけど、私は気力を振り絞って下手な言い訳を押しとおした。

 

「だから私の事は、み、深雪と呼んでください」

 

「……分かったよ深雪。これで良い?」

 

 

 いつもの大人のような堅苦しい喋り方じゃなくて、友達同士みたいな砕けた言葉遣い。多分兄が私以外の学校の友人や下級生と話す時の言葉と口調。兄は私に優しく話しかけながら、優しい眼差しで私を見詰める。

 

「……それで結構です」

 

 

 私は今度こそ本当に泣きそうになった。涙を堪えるだけで精一杯だった。

 

「すみません、部屋に戻ります」

 

 

 その我慢も長続きしそうになかったから、私は兄の前から逃げ出した。自分の部屋に逃げ込んで枕に顔を押し付けた。

 だって分かってしまったから。あの優しささえも演技でしかないと。普通に兄妹の間で兄が当たり前に妹へ向けるであろう短いセリフでさえも、冷たい計算の結果としてアウトプットされたものだと。

 

「何で、こんな時だけあの人の事が分かっちゃうのよ……」

 

 

 理由も無く分かってしまう。だって私はあの人の妹だから……

 

「あれが、あの人の本当の感情なの……全て計算されたものでしかないの……」

 

 

 こんな時だけ通じ合う兄妹の繋がりを恨めしく思いながら、私は声を押し殺して泣いたのだった。




そろそろ深雪の気持ちが大きく動くころ……

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