過程は兎も角、結果としては桜井さんに感謝しなければならない。いくらパラソルの下とはいえ、あんな炎天下に長時間寝ていたのだ。日焼け止めを塗って無かったらどうなっていた事か……
「あつ……」
私があまりの暑さに睡眠不足の解消を中断したとき、兄はやはり水平線を眺めていた。
「どれくらい眠っていました?」
「およそ二時間です」
「そうですか」
私の問い掛けに兄は間髪をいれずに答えた。その事に引っかかりを覚えたのだが、起きたばかりの私の頭は曖昧な違和感の正体について深く考える事が出来なかった。
身体を起こし、周りを見ると、海風が運んできたのかシートの上に砂が乗っており、手足が少しザラザラする事に気がついた。
「水に入って来ます」
私は短くそう告げて返事を待たずにサンダルを引っかけた。海まで続く砂浜がかなり荒れているのが気になったのだが、寝起きの私はビーチボールでもしていたのだろうと考えた。
良く見れば私たち以外のパラソルは全て撤収している。我ながら随分熟睡していたみたいと呑気な事を考えながら波打ち際へと向かった。
その考えが間違っていたと気づいたのは、遅めのお昼ご飯を食べた後暫く部屋で読書をした後だった。二時間もしていれば飽きてしまう。読書では無くお母様に魔法の練習を見てもらおうと廊下に出て、兄の部屋の前を通り過ぎようとしたら桜井さんの声が聞こえてきたので思わず足をとめた。桜井さんが怒ってるのだろうか? 普段の優しい声とは違った声が聞こえてきたのだ。
『如何してこんなに酷い痣を放っておくんですか!』
『別に戦闘に支障はありません。折れていれば勝手に治ります』
『そういう事を言ってるんじゃないの!』
痣? 折れていたら勝手に治る? 二人の会話が気になって私は、はしたないとは分かっているが会話の盗み聞きをする事にした。
『大体ですね、ガード対象の自由を最大限に尊重すると言っても「お昼寝の邪魔をされたくない」なんて理由で他人の喧嘩に巻き込まれる必要は無いんです! ガーディアンにだって日常生活はあるんですからね。とりあえず治癒魔法は掛けておきます』
『必要ありませんよ。へまをしたペナルティですから』
『だから! あんまり心配かけないでください……私がどれだけ心配してるのか、達也君、本当に分かってないんですね』
怒っていた声が徐々に涙声に変わり始めている。桜井さんは兄の事を使用人ではなくお母様の息子――私の兄として扱っている。同じガーディアンと言う事もあるのでしょうけども、それ以上に桜井さんは兄に特別な感情を抱いているような気もしているのだ。
『……反省します』
兄が小さくそう呟いたのを、私は扉越しに聞いたのだった。
桜井さんが手配したクルーザーは六人乗りの電動モーター付きの帆走船だった。私たち四人と舵を取る人とその補助をする人で丁度定員だった。
私は舳先にいる兄をチラリと盗み見る。見た限りでは痣なんてものは見当たらなかった。桜井さんが治癒魔法をかけたのだろう。
「達也君もこっちに来たら如何です?」
桜井さんが兄を私たちの側に呼ぶ。お母様は完全に無関心を貫いていますが、私は内心かなり動揺してしまっています。だって兄が怪我をしたなんて今まで聞いた事もありませんでした。だからガーディアンなんて名ばかりで、四葉後継者と言えども子供なら襲われないんだと思っていたからです。
しかしさっきの桜井さんの言葉では、兄は普段から怪我をしており、そしてその原因は間違いなく私だと言う事が分かったからです。
「深雪さん? 如何かしましたか?」
「いえ……セーリングは久しぶりなものですから……」
「ああ、そういえばそうね」
兄を見て混乱していた私を、お母様は心配そうに見ていた。私は本当の事を言うわけにもいかず、適当な嘘も思いつかなかったので半分事実を伝えた。実際に久しぶりだったので、お母様は納得してくれたようだったけども、私の心はまだ落ち着きを取り戻せていなかった。
だけど、そんな動揺など小さなものだと思い知らされる事になった。船長さんたちがレーダーを確認していると、いきなり大声を出したのだ。
「潜水艦!? 何で日本の領海に!?」
「急げ! 巻き込まれるぞ!」
「船長、無線が繋がりません!」
「くそっ! こんなときに……」
慌ただしく――実際に慌てているのだが、船長とその補佐の人は船の針路を変える。そのタイミングで私は海を見た。
「お嬢様、お守りします」
「ッ!」
こんな時まで私の事を妹ではなく主として扱う兄に苛立ちを覚えた。普段からこうなのに、何故私はこの時にいら立ったのでしょう。
「結構です!」
いくら兄が強いからといって、直接触れない相手では得意の武術も使えない。だから私はポーチからCADを取り出して自分で対処するつもりだった。だが……
「魚雷!? 何の警告も無しに!?」
このクルーザー目掛けて発射された魚雷に驚いてしまった。このままでは全員が危ない目に遭うと頭では分かっているのだが、こういった危機に遭遇した事が無い私は咄嗟に行動出来なかった。
その中で兄が、海に向けて腕を伸ばしているのに気づいた。いったい何をしようというのだろう。魔法が苦手とはいえ、一応は魔法師なのだからCADを持てばいいのに……そんな私の甘い考えは一瞬で消え去った。
兄の腕が光ったとみた次の瞬間には、打ち込まれていた魚雷は跡形も無く消え去ってしまったのだ。
「(今のって情報体の構造に直接干渉する最高難度の魔法……)」
少なくとも魔法の苦手な兄が扱えるような魔法では無い。じゃあ他の人が使ったのだろうか? だけどその考えは途中で破綻してしまう。
お母様は昔の無理が祟って今は魔法を上手く扱えないですし、桜井さんは驚いた後で海に魔法を放っている最中だ。となると残っているのは兄と私、船の操縦をしている二人なのだが、あの二人は魔法師ではなさそうだった。
「こんな魔法が使えるのに、何で私のガーディアンなんてしてるのよ……」
私は家族なのに兄の事を何も知らない……その事を思い知った時、何故だか目頭が熱くなっているのを感じて慌てて兄から視線を逸らす。
何で私が兄の事でこんなにも悩まなければならないのだろう……何故兄の事を考えて泣かなければならないのだろう……
替え時なのかな……