劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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達也の技術と深雪の魔法力が際立つ


氷河期

 指揮官デスクの照準補助アームを、深雪は既に展開していた。アームにはコンパクトサイズの特化型CADがセットされている。そして指令室のメインスクリーンには、上空から捉えたUSNA駆逐艦『ハル』が映し出されている。東の海上三十キロの映像だが、申し分のない解像度だ。

 先ほどまでは「何処から撮ったのだろう」という疑問が意識の片隅にこびりついていたが、今の深雪に一切の雑念は無い。達也から送られた「頼む」という一言で、彼女の意識はこれから発動しようとしている魔法に、完全に集中していた。

 深雪は一種のトランス状態にあったと言っても良いだろう。極度の精神集中が彼女の現実離れした美貌を一層非人間的な、人間を超越したものに見せていた。

 指令室は無風だ。冷房は壁と天井を外側から冷却する方式を採っている。それなのに、指揮官シートに背もたれから背中を離して座る彼女の長い髪は、毛先がわずかになびいていた。CADはスクリーンの駆逐艦に照準を合わせている。深雪は背筋を伸ばした端整な姿勢のまま、全く力みの無い動作でCADのグリップを握り、そのままスッと、無言で引き金を引いた。機械的なプロセスは、全て自動で処理される。一々処理内容を報告する声は無い。指令室の戦術コンピューターから起動式のフォーマットに変換された座標データがCADに送信され、CAD自体から展開された起動式と合わさって、深雪の中に読み込まれる。

 このCADで選べる魔法は一種類。照準は機械が肩代わりしてくれる。術者の負担を軽減する為、この新魔法では範囲指定のプロセスが省かれていた。照準点を中心に、投入された事象干渉力に応じた半径の円形領域が魔法の効力範囲になる。深雪が決めなければならないのは、どのくらいの威力で魔法を放つかだけだ。

 実際に使用するのは初めてということもあり、彼女は八割の力で魔法を発動する事にした。――精神凍結魔法『コキュートス』を除けば、彼女が全力の八割もの事象干渉力を自分の中から引き出すのは滅多にしないことだ。

 魔法式の構築が完成し、最初の魔法式が標的に着弾する。その手応えを、深雪は確かに感じた。魔法の効果は、すぐには表れなかった。改変された事象が現実を塗り替えたのは、魔法発動の約〇・八秒後。〇・五秒が魔法発動速度の一応の目安になっていることを考えると、そこそこ遅い。だが指令室でメインスクリーンを見ていた者は誰一人として、そんな余計な思考をしている余裕を持たなかった。スクリーンに広がる光景に、ただ息を呑んでいた。

 一面の氷。画面を埋め尽くす氷原。真夏の海に出現した氷の島ならぬ、氷の大地。駆逐艦『ハル』を中心に捕らえた氷の大地は瞬く間に広がり、半径十キロに成長していた。この巳焼島より、明らかに大きい。

 達也が深雪の為だけに創り上げた新魔法『氷河期』。その名の通り、極北の厳冬期と言うより氷河期の世界を呼び出すかの如きこの魔法は、一隻の駆逐艦相手にはどう見ても威力が過剰だった。この魔法は、大規模な艦隊を丸ごと閉じ込めるのが使い方としては相応しい。一撃で大規模艦隊を行動不能に陥れる魔法。一撃で艦隊規模の海上戦力を壊滅させる魔法を『戦略級魔法』と呼ぶならば、「壊滅」と「無力化」の違いこそあれ、これは戦略級魔法ではないだろうか……。

 メインスクリーンを埋め尽くす衝撃の光景から、ようやく目を離すことが可能になった職員たちは、指令室の最奥に座る深雪へ畏怖の眼差しを向けた。ただ一人、冷静な精神状態を保っていた深雪は、スタッフの視線を次の指示を求めるものと誤解した。

 

「西三十キロ海上の駆逐艦をメインスクリーンに出してください」

 

「は、はい」

 

 

 深雪の命令に、索敵システム担当の職員が慌ててコンソールに向き直り、手を動かした。

 駆逐艦『ロス』を閉じ込めた氷の島は半径五キロ、強襲揚陸艦『グアム』を捕らえた氷原は半径一キロだった。三回目にして、深雪はようやく加減を掴んだようだ。このわずか一分足らずで、USNA奇襲部隊の海上戦力は完全に沈黙した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深雪が発動した『氷河期』を視て、達也は内心、頭を抱えた。

 

「(ある程度は予測していたが……これでは完全に戦略級レベルだ。しかも、本家本元の規模を超えている……)」

 

 

 達也が比較の対象として思い浮かべたのはベゾブラゾフの『トゥマーン・ボンバ』だ。厳密に言えば『トゥマーン・ボンバ』に使用されているチェイン・キャストと深雪の『氷河期』で魔法式を増殖させたチェイン・キャストの規模を比べての独白だった。

 

「(無駄に魔法力をばらまいたわけではないが、あの魔法式連鎖展開システムを編み出したのはベゾブラゾフだ。あの男なら、『氷河期』に使用されているチェイン・キャストに気付いただろう)」

 

 

 そして、自分の『トゥマーン・ボンバ』より魔法式の増殖規模において深雪の『氷河期』が勝っていたことにも気が付いたに違いない。

 

「(プライドが高そうな男だからな……傍迷惑な対抗心を起こさなければ良いが)」

 

 

 そう考えながらも、達也はベゾブラゾフがこの戦いに介入してくることを、心の片隅で確信していた。




実力的には十分ですからね

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