劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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楽しんでる場合じゃないだろ


空中デートを楽しめない理由

 原子力潜水空母『バージニア』とのランデブーポイントは、日本の東千キロ、水深二百メートルの海中だ。『バージニア』は昨晩から当該海中に待機していることになっている。だが本当に約束のポイントで待っているのかどうかは、通常の手段では知り得ない状態だった。

 ミッドウェー監獄およびパールアンドハーミーズ基地襲撃の手助けをしたことを含め、『バージニア』が取った一連の行動は正式な命令に基づくものではない。現在位置を知る者も、太平洋艦隊司令部の一部の者に限られている。傍受の恐れがある信号や通信を発進するのは不可能な状況だ。しかしそれはあくまでも、通常の手段では分からないということに過ぎない。達也の「眼」は百キロ手前から既に原潜空母の位置を捉えていた。

 

「リーナ、着いたぞ」

 

 

 エアカーを『バージニア』の直上上空、海抜十メートルに停止させ、達也は振り向いてリーナに声を掛けた。

 

「入り方は分かるな?」

 

 

 潜水艦は通常、水中でクルーが乗り降りすることを想定していない。しかし、表向きは禁止されている原子炉を搭載した潜水艦には、秘匿性を高める為に水中で使える出入り口が設けられていた。

 

「大丈夫よ。バージニアは初めてだけど、同型艦には乗った経験があるから」

 

 

 リーナの返事に頷いて、達也は後部座席の扉を開放した。

 

「達也、いろいろとありがとう。何か決まったら連絡するわね」

 

 

 リーナは軽く手を振り、十メートル下の海面にダイブした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 原潜空母『バージニア』のパッシブソナーは、リーナが海に飛び込んだ音を捉えていた。

 

「分単位でほぼ時間通りか。日本人が時間に几帳面というのは、嘘ではないらしい」

 

 

 ソナー員から報告を受けてマイケル・カーティス艦長は感心しているのか呆れているのか分かりにくい口調で呟いた。

 

「係の者は御客様の乗艦準備に掛かれ。水中ハッチを使用するのは久しぶりだ。浸水を招くようなドジは踏むなよ」

 

 

 アイ・アイ・サー、という返事が重なって聞こえる中で、一人の壮年士官がここに――戦闘指揮所(CIC)に入室する。その士官は、そのまま艦長席に歩み寄った。

 

「艦長」

 

「カノープス少佐。シリウス少佐を名乗る少女が間もなく到着するようだよ。真っ直ぐ潜ればいいだけだから、道に迷ったりはしないはずだ」

 

 

 カーティス艦長が先回りするようにそう告げる。今この場にカノープスが姿を見せる理由はリーナ関連以外にない。

 

「そうですか」

 

 

 それを証明するようにカノープスが相槌を打つ。

 

「でしたら私も、彼女を出迎えたいのですが」

 

 

 その上でCICに足を運んだ用件を切り出した。

 

「いいとも。許可しよう」

 

 

 もしリーナとカノープスが手を組んで暴れたら、この巨大潜水艦といえど簡単に沈んでしまう。カノープスはリーナに対する人質になり得る存在であり、逆もまた言える。艦の安全を考えれば二人を簡単に引き合わせるべきではないのだろうが、その様な懸念を全く懐いていないカーティスはカノープスの要望に快く許可を出した。

 カノープス――ベンジャミン・ロウズはマイケル・カーティスにとって伯母の孫、上流階級の間ではそれ程遠くない血のつながりだ。それにこの仕事は一族の重鎮であるワイアット・カーティス上院議員の強い要請によるもの。今更カノープスを疑う理由は何処にも無かった。

 

「ありがとうございます、艦長」

 

 

 敬礼するカノープスに、カーティスは座ったまま答礼をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リーナを降ろして帰途につくエアカーの車内は、達也と深雪の二人きりの密室。誰にも邪魔されない空中デートのシチュエーションであるにも拘わらず、深雪は浮かない顔だ。

 

「どうした、深雪」

 

 

 深雪が何事か言い難そうにしているのを察して、達也は自分から話しかけた。

 

「何か聞きたいことでもあるのか? ここにいるのは俺たちだけだ。他人に聞かれる心配は要らない」

 

 

 重ねて問われ、深雪が躊躇いがちに口を開く。深雪も、決して第三者に聞かれる心配のない状況だからこそ、心に秘めた不安の種について相談するかどうか迷っていたのだ。

 

「水波ちゃんのことですが」

 

「ああ」

 

 

 達也は水波に関する話題であることを予期していたような口調で相槌を打った。

 

「達也様、水波ちゃんにゲートキーパーの魔法をお使いになっては……いませんよね?」

 

 

 『ゲートキーパー』は魔法式が魔法師の精神から対象となる事象へ投射される際の通路である『ゲート』を監視し、魔法式の通過を検出した直後、当外魔法式を破壊する事で魔法技能を無効化する技術だ。

 

「使っていない。水波の症状にゲートキーパーは無意味だ」

 

 

 前述した通り『ゲートキーパー』は作成された魔法式を発動過程で破壊する魔法。魔法式を構築する魔法演算領域の活動を制限するものではない。水波の心身を脅かす「魔法演算領域のオーバーヒート」を防ぐ効果は無い。

 

「何故そんなことを?」

 

「それは……」

 

 

 深雪の瞳に迷いが過る。口籠った深雪の代わりに、達也が答えを口にする。

 

「水波から魔法力が感じられないからか?」

 

 

 深雪は達也に向けていた両目を見開いた。

 

「私の気のせいでは無かったのですね?」

 

「気のせいではない。水波の魔法を行使する能力は、完全に封じられている。感覚の方は一応活きているようだが……もしかしたらそちらも、大幅に制限されているかもしれない」

 

「感覚まで……光宣くんが何かしたのでしょうか」

 

 

 顔一杯に不安を湛えて深雪が尋ねる。彼女が何を恐れているのか、改めて確かめるまでもなかった。




水波を心配する気持ちは本物

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