午前九時三十分。金沢基地にやってきたのは陸軍参謀部の士官ではなく第一〇一旅団・旅団長の佐伯少将だった。そのことを訝しく感じたのは剛毅だけではなかった。金沢基地は第十師団に所属している。浅野司令官以下基地の将兵は「何故第一〇一旅団の司令官が?」と首を捻ったが、司令官の階級は大佐、佐伯の階級は少将。「参謀部の代理として来ました」と佐伯に言われれば、誰も文句はつけられない。浅野大佐は自分の部屋に戻り、佐伯が剛毅の対面に座った。
佐伯の後ろには三十歳前後の女性士官が立つ。霞ケ浦基地から同行してきた佐伯の護衛で、名は木戸乙葉大尉。佐伯は今日、風間を連れていなかった。
「本日はご足労いただき、ありがとうございます」
佐伯が頭を下げる。剛毅は会釈を返さなかった。
「自宅にいきなり押しかけられるよりはマシですからな。それで、この急な呼び出しはいったいどのようなご用件で?」
「こちらの都合なので、本官の方から足を運ぶべきだと思ったのですが」
二人が言う通り佐伯は最初、一条邸を訪問したいと申し出た。それを剛毅が断った結果、金沢基地での面談となったのだ。
剛毅の不機嫌を隠そうともしない態度にも、佐伯は気分を害さなかった。相手が本気で感情的になっているのではなく、無理を強いられていると訴えることでこちらに借りを意識させようとしているのが、佐伯には手に取るように分かっていた。
剛毅としても、上手くいけば儲けものくらいにしか思っていなかったのだろう。彼はそれ以上不平じみたことは口にせず、重ねて佐伯に用件を尋ねる。
「それで、どのようなご用件ですか。何でも、戦略級魔法師の取り扱いに関してお話があるようですが」
「はい。まずはこちらをご覧ください」
佐伯がそう言うのと同時に、木戸大尉が剛毅に紙の資料を綴じたバインダーを差し出す。
「……戦略級魔法師管理条約? ご説明願えますか」
「無論です」
不審感を湛えた目で問いかける剛毅に、佐伯はすぐさま応えた。
「今年に入ってから箍が外れたように、戦略級魔法やそれに準ずる大規模魔法が立て続けに使用されました」
佐伯はこう切り出して『シンクロライナー・フュージョン』『霹靂塔』『アクティブ・エアー・マイン』『トゥマーン・ボンバ』の名を、使用された場所と共に列挙した。
「大規模魔法に対する人々の不安は世界的に高まっており、このままではマスヒステリーが暴動につながりかねません」
「その不安を抑える為に、戦略級魔法師を国際魔法協会の管理下に置くと?」
「いえ、管理するのはあくまで所属国家です。魔法協会には戦略級魔法師の管理体制に関する査察権を認めます」
「……それは、今までと実質的に同じではありませんか?」
「国家に戦略級魔法師を手放すよう求めても応諾は得られません。だからといってこのままの状態を放置もできません。国家だけが管理している今の状態よりも、国家の管理状況に国際機関の保証が与えられる体制の方が、民衆の不安は軽減されると考えます」
「なる程……しかし、何故それを我が国が率先して提案するのですか?」
「日本に疑念の目が向けられるのを避ける為です」
「何を疑われると?」
「領土的野心を」
佐伯の答えがピンと来なかったのだろう。剛毅は要領を得ない顔で佐伯を見返す。
「我が国には現在アンジー・シリウス及び劉麗蕾という、外国の戦略級魔法師が二人も滞在しています」
「アンジー・シリウスが?」
「アンジー・シリウスは、四葉家に匿われています」
「うむむ……」
剛毅の眉間に深い皺が刻まれる。四葉家の勝手な振る舞いに、剛毅は不快感と危機感を覚えているようだ。好ましい反応だ、と佐伯は感じた。
「この二人に加えて先日、御子息が新たな戦略級魔法師に認定されました。また二年前の十月末、世界に先駆けて戦略級魔法を戦争に投入したのも我が国です」
「……『灼熱のハロウィン』ですか」
「あの時は自衛の為に必要な措置だったとはいえ、結果的に戦略級魔法の封印を世界に先駆けて解いてしまったのは否めません。だからこそ我が国が率先して、戦略級魔法の管理に取り組むべきなのです」
「なる程。それで閣下は、当家にどうしろと仰るのです?」
剛毅は一度、深く頷いてから佐伯の目を正面から見据えて、そう尋ねた。
「御子息、一条将輝殿と、一条家が保護している劉麗蕾が、戦略級魔法の行使に関して政府の決定に従うことにご同意いただきたいのです」
「戦略級魔法の行使に関してのみでよろしいのですか? 国防軍に仕官しなくても?」
「軍人になるかどうかは、ご本人が決めることですので」
「そうですな」
剛毅はもう一度、大きく頷いた。
「では今のお話も、将輝と劉殿の意思次第ということで」
「あっ、いえ、しかし」
剛毅が素っ気なく話を終わらせようとしていると、佐伯は思ったのだろう。だかそれは、彼女の勘違いだった。
「二人をここに呼んで決めさせましょう」
「今、ですか?」
「そうです。少々待っていただくことになりますが、よろしいか?」
「……分かりました。結構です」
剛毅の強引な提案に、佐伯は頷く以外になかった。
投入したのはこのオバサンなんだがな……