劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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その思い込みが水波を追いこんでるのに……


闇の中

 北西ハワイ諸島パールアンドハーミーズ環礁米軍基地、現地時間は十八日午後八時。光宣は水波の病室にいた。日はすっかり落ちているが、部屋の灯りは点けていない。眠っている水波の邪魔をしない為だ。

 彼女は昨日からずっと眠り続けているわけではないが、目を覚ましている時間の方が随分と短い。魔法演算領域のオーバーヒートが、肉体よりも精神の力を消耗させているのだ。意識の活力が失われている所為で、覚醒状態を維持できないのである。

 この基地にも軍医はいる。だが光宣は、医者の治療に期待していなかった。医療技術の問題ではない。水波の疾患は、現代医学では治療できないと分かっているからだ。無意識領域に存在する魔法を構築する為の精神機能、魔法演算領域には、人間に備わった他の能力と同様、処理可能な限界が存在する。この限界を超えた要求を処理し続けると、魔法演算領域という精神の一機能が損なわれるだけでなく、障碍は精神全体から肉体まで波及し、やがては死につながる。それを防ぐ為に、魔法演算領域には能力限界を超えた処理を停止させる安全弁が存在する。

 しかし肉体が時に、耐久力の限界を超えたパワーを発揮するように、魔法演算領域も瞬間的に限界を超えた処理を行ってしまうことがある。この時、安全弁が回復不能なまでに破損してしまうと、魔法演算領域の過負荷処理、オーバーヒートが起こりやすくなる。水波を蝕む病の正体がこれだ。

 精神の無意識領域にある魔法演算領域は、魔法師にとってもパラサイトにとっても、今はまだブラックボックス。その機構を修復することは現段階では不可能だ。魔法演算領域の安全弁が破損してしまった魔法師がオーバーヒートで命を縮めないようにする為には、魔法を使わない以外にない。

 だが水波は、魔法を使ってしまった。それも強力な、言い換えれば自身への負荷が大きな魔法を。光宣の目の前で。

 

「(人間の心と身体が魔法の行使に耐えられないなら、もっと魔法に適した、人間以外の存在に変わるしかない……)」

 

 

 これが唯一の正解だと光宣は考えている。どんなに知恵を絞っても、それ以外の解決策を彼は考え出せなかった。

 

「(このままでは、水波さんは……)」

 

 

 もう、水波をパラサイトに変えてしまうしかないと、光宣の心の中で囁く声がする。それは意識を共有しているパラサイトの声では、断じてなかった。水波を死なせたくないと願う光宣自身の声だ。

 しかしその一方で、水波との約束を破るのかと自分を詰る自分がいる。本当に、他に手立てはないのかと足掻く光宣も、彼の中に存在する。

 答えはすでに出ている。どんな治療も、応急処置にしかならない。今から魔法を封じたところで、現在の症状を改善させることにはつながらない。パラサイトになる以外に、最終的な解決策はない。

 

「(彼女が魔法を使ったのは、僕の所為だ。僕がもっとしっかり周りを見ていれば、水波さんに魔法を使わせることはなかった)」

 

 

 水波が眠っているベッドの脇で、光宣は項垂れ、自分を責めていた。そもそも光宣が水波を連れ出そうとしなければ、水波が自分を責めることも、光宣を守る為に魔法を使うこともなかったのだが、光宣はそのことに気付いていない。

 

「(僕は、どうすればいいんだ……)」

 

 

 夜がもたらした闇の中で、光宣は苦悩に頭を抱えた。不意に光宣が、顔を上げる。自分の中で答えが出たのではない。魔法師としての感覚が、彼に異常を告げた。

 

「(暗い……。ただの闇じゃない)」

 

 

 闇の性質が変わっている。ただ光がないだけではない。少なくとも一秒前までは、部屋の照明は消えていても完全な暗闇ではなかった。ドアの隙間から漏れる廊下の明かりで、ベッドも、そこに横たわる水波も、ぼんやりと見えていた。

 だが今は、何も見えない。光宣を取り巻くすべてが、闇の中に沈んでいる。否。彼が、闇に呑み込まれている。

 

「(――認識阻害魔法か!?)」

 

 

 この闇は自分に向けられた魔法的な攻撃だ。光宣はそう直感した。光宣は『精霊の眼』で敵の正体を見極めようとしたが「視」えなかった。敵の正体が分からないだけでなく、魔法的な視力までが闇に遮られている。

 

「(精神にまで及ぶ……いや、違うな。精神サイドから敵の感覚を遮断する魔法か)」

 

 

 光宣は狼狽しなかった。彼には知識がある。九島家の知識と、周公瑾の知識が。五感を遮る魔法も、五感外知覚を疎外する魔法も、光宣は知っている。彼が使う『仮装行列』は、その両方を欺く魔法だ。

 

「(『眼』を塞がれただけだ。それ以外に害はない)」

 

 

 相手の索敵能力を潰して、それで終わりということはないだろう。光宣は精神干渉魔法に対する防御を張って、敵の出方を窺うことにした。

 

「(僕を狙ってくる分には、いくらでも相手をしてやる。だが水波さんを狙うと言うのであれば、一切の容赦なく屠ってやるからな)」

 

 

 この様な状況でも、光宣は水波の体調のことを気に掛けている。行動は兎も角、水波に対する想いだけは本物であり、人間だった頃からのものなのでこの気持ちに偽りはないのだ。だがその気持ちが、水波に届くことはない。




普通に優秀だから、この程度では焦らない

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