劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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光宣の事は殆どない


水波の心を占めること

 この館は見たところ、築二十年は経過していると思われる。キッチン設備も店舗並みに充実している割に型が古い。しかし、家自体も設備も調度品も、傷んでる様子はない。しっかりとメンテナンスされているようだ――もしかしたら魔法的な手段でコンディションを保っているのかもしれない。とにかく試しに使ってみて、不具合は無かった。全自動食洗器も問題なく動く。にも拘らず、水波は自分の手で食器を洗っていた。

 

「……はぁ」

 

 

 その手をふと止めて、水波はため息を漏らす。彼女が自動機を使わないのは、家事をするにしても、自分の身体を動かしていないと余計な事を考えてしまいそうだと思ったからだ。

 だが生憎、あまり効果は無かった。いや、「余計な事」を考えない効果はあったと言えるかもしれない。彼女の意識を突発的に占拠したのは、深雪に対する罪悪感だったのだから。

 

「(深雪様は私の事をどう思っていらっしゃるだろう……)」

 

 

 水波の意識の内側を覗いたならば、光宣はショックを受けたかもしれない。今、水波の思考の中に、光宣は存在していなかった。自分自身がこれからどうするか――パラサイト化を受け容れるか、拒むか、彼女が真っ先に考えるべきであるはずの重大事も、水波の視界から外れていた。

 彼女の心は、後悔で満たされていた。今だけではない。昨日からずっと、水波は後悔の淵に沈んでいる。

 

「(あれは、裏切りだ。私は深雪様を、裏切ってしまった)」

 

 

 もしあの時、深雪を止めただけだったならば、水波はここまで苦しまなかっただろう。自分が何を考えていたのか、多少なりとも冷静に振り返る事が出来たに違いない。

 だが水波は、光宣を庇ってしまった。光宣を背に庇い、深雪とにらみ合ってしまった。誰が見ても、深雪を裏切り光宣の側に寝返ったと判断するだろう。水波自身、自分の行動を振り返ってそう思った。

 

「(申し訳ございません。申し訳ございません。深雪様、申し訳ございません……!)」

 

 

 水波の心に繰り返し繰り返し湧き上がる、謝罪の言葉。もし目の前に深雪がいたとしたら、自分の事を罰するだろうと思い込んでいるからの謝罪。許してもらえるとは思っていない謝罪。

 

「(私は取り返しのつかない真似をしてしまいました。私は何とお詫びをすれば良いのでしょう。私はこの不始末を、どう償えば良いのでしょう)」

 

 

 ただ後ろ向きに、罰を望む思考の羅列。彼女は自覚しているだろうか。罰は、許しの対価。自分がただひたすら深雪に見捨てられる事を恐れていると、果たして水波は気付いていただろうか。自分が何故そこまで、異常ともいえる程に怯えているのか、水波はまだ理解していない。

 

「(深雪様にだけではなく、あの行為は達也さまに対する裏切りだったのかもしれません……)」

 

 

 深雪に対する謝罪を続けている流れで、水波は達也に対しても取り返しのつかないことをしてしまったのではないかという気持ちが芽生え始める。

 

「(達也さまは今、非常に大変な時間を過ごしているはず……その事を分かっていながら私は光宣さまを庇い、結果攫われてしまった。深雪様が私の事を罰しようが罰しまいが関係なく、私の身柄を取り返そうと達也さまが動くのは仕方ないことかもしれませんが、私の所為で達也さまのお時間を奪ってしまっているのは事実。達也さまの事が絡むと深雪様は一切の容赦がなくなる傾向がありますし、もしかしたら達也さまは私を助け出す為ではなく、光宣さまごと私の事を消そうとしている?)」

 

 

 パラサイトがこれ以上国内にのさばり続けるのを善とはしない集団があるかもしれない。万が一その集団が光宣が自分の事をパラサイトにしようとしていると知れば、自分を含めて抹消するよう言い出さないとも限らない。そして、達也にはそれが出来るだけの技術がある事を、水波は知っている。

 

「(達也さまの魔法なら、私を消し去る事は可能でしょう。そしてパラサイトを一時的に封印して専門家に再封印させることだってできるはず。わざわざ光宣さまと戦って私を取り返すよりも、そちらの方が圧倒的に時間は掛からないでしょうし……)」

 

 

 水波の中では、自分は達也にとって助けるに値しない存在、という事になっているのか、彼が本気で自分の事を助け出そうとしているとは考えていない。むしろこの大事な時期に余計な手間を増やした邪魔者と思われてるのではないかと怯えていた。

 

「(私の気持ちを達也さまに伝え、一生達也さまと深雪様のお側にお仕えすると誓ったはずなのに、何故私は深雪様を裏切ってしまったのでしょう……達也さまの邪魔をしてしまったのでしょう)」

 

 

 深雪が光宣を停めたとしても、達也は何も言わなかっただろう。仕事を盗られた形になったかもしれないが、達也がその程度で深雪を叱るとは思えない。

 だが水波は光宣を停めるのはあくまでも達也の仕事だと主張し、深雪と光宣の間に割って入り深雪の邪魔をした。そんな自分に、達也に助けてもらう価値など無いと決めつけ、水波はもう一度心の中で謝罪する。

 

「(深雪様、申し訳ございません……達也さま、申し訳ございません……)」

 

 

 自分が何に怯えているのか、それを理解しようともせず、水波はただ深雪と達也に謝罪を続けるのだった。




水波の心の裡を光宣が知ったらどうなるかな

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