何とか現実逃避をして平静を保っていた水波だったが、就寝の時間が近づくにつれて再び落ち着きを失いつつあった。達也と同室で寝るという行為は、深雪ですら数える程しか経験がないこと。それを自分が体験して良いものなのかという思いと、せっかくの機会なのだから、目一杯楽しんだ方がいいのではないかという考えが先ほどから思考の半分ずつを占めており、その所為で落ち着かないのである。
「水波ちゃん、さっきからそわそわしてるけど、何か問題でもあるの?」
そんな水波の気持ちを知ってか知らずか、深雪がそんな事を尋ねる。真夜は何処か分かっているような表情を浮かべているが、深雪は相変わらずのポーカーフェイスで感情を読み取れない。もし分かっていて尋ねているのであれば、完全なる八つ当たりなのだが、分からずに尋ねてきているのであれば、純粋に自分の身を案じてくれているのだと、水波は深雪はどっちなのかを必死に考える。
「達也さんと一緒の部屋で寝るのが楽しみなのと不安なのよね」
「御当主様っ!?」
「大丈夫よ。達也さんは高校を卒業するまで、そういった行為をするつもりは無いって断言しているのだし、水波さんから求めない限り、今夜のうちに初体験を済ませるなんて事にはならないわよ」
「叔母様、些か表現が直接的過ぎるような気もしますが」
「別に良いじゃない。女だけなんだし、深雪さんだって達也さんに抱いていただく妄想くらいしているのでしょう?」
「さぁ、どうでしょう」
恍けてみせたが、深雪が達也との『そういった事』をする妄想をしているのは、真夜だけではなく水波にもバレバレである。前々から達也ともっと仲良くなりたいと願っていた深雪なのだから、兄妹という枷が外れてしまえばその妄想もより過激となる。もっといえば、兄妹だと思っていた頃からそういった妄想はしていたので、誤魔化そうとしても今更である。
「しかし、外泊施設だと伺っていたので、食事もそれなりに期待していたのですが……」
「まぁ、一般のレベルと照らし合わせれば十分合格だとは思いますけど、深雪さんの採点が辛すぎるのではなくて?」
「そんな事ないと思いますが? 水波ちゃんはどう思うかしら?」
「四葉家の息が掛かった施設と考えると、いささか物足りないとは思いますが、十分に美味しくいただけました」
「ほらやっぱり、深雪さんが厳しすぎるのよ」
「そうでしょうか……達也様はどう思われたのかしら」
達也は今、巳焼島の研究施設と連絡を取っていてこの場にはいない。もし達也がこの場にいればきっと自分に同意してくれたに違いないと深雪は信じているが、実際に深雪の採点が辛いのは確かにあるのだ。昔から一流のものに触れて生きてきたのと、自分でもかなりハイレベルの料理を作る事もあるのだが、何より達也に喜んでもらいたいという思いが強すぎて、昔から完璧を求めすぎていたのが原因である。
「達也さんだってこのくらいで十分だと思っているとは思いますけどね。彼は深雪さんの料理が基準になっているとはいえ、それが平均だとは思っていませんから」
「もしそう思われているのでしたら、私の料理なんて食べてもらえないレベルですよ……」
水波の料理もかなりのレベルであり、今日出された食事より美味しいと感じる人間もいるだろう。だが深雪と比べれば一枚どころか三枚は落ちると感じているので、万が一深雪が基準の世界になってしまったら、自分は料理を任せてもらえないだろうと思っている。
「水波ちゃんの料理は十分に美味しいわよ。しっかりと相手の事を考えて作っているから、その気持ちが味に現れているもの」
「水波さんは昔からメイド兼ガーディアンとしての教育を叩き込まれていましたから、不安になってしまうのは無理ないでしょう。ですが、貴女は十分に務めを全うしていると私も思いますよ」
「あ、ありがとうございます」
深雪だけでなく、真夜にも認めてもらえて、水波は本気で感動した。自分は調整体魔法師で、使い捨てられても不思議ではないと昔から思っていただけに、現当主に認めてもらえたのは嬉しいのだろう。実際真夜は、水波だけでなく琴鳴や奏太の事も一定以上認めている。だが彼らはあくまでも勝成の使用人としてだ。水波のように個人として認めているかどうかは微妙なところである。
「兎に角水波さんはこの後の事を考えて不安になっている、という事で良いのかしら?」
「御当主様、せっかく少し忘れられていたのに……」
「あら、ゴメンなさいね。でも忘れていてもこの後すぐ、水波さんは達也さんと二人きりの部屋で一晩を過ごすのだから」
「叔母様、どことなく卑猥です」
「そう? まぁ、私は経験した事ないけど、普通の女の子なら一度くらいは体験したいものでしょうからね」
「水波ちゃん、分かっているとは思うけども念の為。抜け駆けは許さないからね?」
「もちろんです! 婚約者ではなく愛人でしかない私が、深雪様や他の婚約者様たちを差し置いて達也さまの寵愛をいただくなどありえません!」
勢いよく立ち上がり宣言した水波を見て、深雪は満足そうに微笑み、真夜は何処かつまらなそうな笑みを浮かべたのだった。
真夜が煽ってる……