劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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まぁ仕方ないよな……


感情のコントロール

 真夜、深雪と違い、水波は達也に背中を洗ってもらう事にひどく恐縮してしまっている。立場を考えれば自分が達也の背中を洗うのが正しいのではないかと思っているのだろう。

 

「あの、達也さま……」

 

「気にする必要は無い。母上、深雪と洗って水波だけ洗わないなんてことはしない」

 

「そのお気持ちは嬉しいのですが、本来であれば私が達也さまのお背中を流すべきだと思うのですが」

 

「そんな事をすれば、母上と深雪がこっちにすっ飛んでくるだろうな……『水波にさせるのなら自分もさせろ!』なんて言いながら」

 

「……ありえそうですね」

 

 

 二人とも普通の母子、普通の兄妹ならあってもおかしくない思い出が無いので、当然の如く幼少期に達也の背中を流した記憶など無い。その思い出を今から創ろうとするのはおかしいとは思うが、二人ならありえそうだと水波も納得する。

 

「達也さまは恥ずかしくないのですか?」

 

「俺にそんな感情は存在しない」

 

「あっ……申し訳ございませんでした」

 

「気にするな」

 

 

 水波としては失言だと感じたのだが、達也は特に何も思わなかったようだ。水波の背中を洗う手も止める事無く、何事もなかったかのようにその動作を続けている。

 だが、いくら達也が気にしなかったからと言って、水波はそれで終われるような性格をしていない。自分の失言を恥じ、ここから消え去りたい思いに苛まれる。

 

「水波は少し気にし過ぎなんだ。俺に残された感情が少ない事は変えようのない事実。そうやって俺が割り切っているのだから、水波がその事で頭を悩ませる必要は無いだろ」

 

「ですが、達也さまはその事を気にする感情も残っていないわけですし……もし私が達也さまと同じ状態になったら、どうしても気にしてしまうと思うのです」

 

 

 もちろん、水波は感情が無くなった時の自分が何を思うかなど分からない。あくまでも感情がある自分が、無い達也の状態を思った感想を述べているだけに過ぎないのだが、それでも達也に謝らなければという思いは強いのか、彼女は何度も頭を下げる。

 

「あんまり謝られるのは好きじゃないんだ。気にするなとはもう言わないが、あんまり謝られるのは気分が良いものではないから止めてくれ」

 

「もうしわけ――あっ」

 

「……気にするな」

 

 

 謝る事を止めようと頭を下げようとした水波に、達也は苦笑しながらそう告げるしか出来なかった。みるみる頬を真っ赤に染め、頬だけではとどまらずに顔全体が真っ赤になった水波は、達也に背中を流してもらい終わったので早々に達也の前から逃げ出す。

 

「水波ちゃん? お顔が真っ赤だけど何かあったの?」

 

「いえ、ちょっと自己嫌悪中です……」

 

 

 真夜と深雪が顔を見合わせて首を傾げているが、水波は二人に何があったのかを説明出来る状況ではない。達也に何かされたと勘違いするはずもない二人は、しきりに首を傾げながら水波の表情を観察し続ける。

 

「いったい何があったのかしらね……」

 

「水波ちゃんが話してくれれば分かるんでしょうけども、今はそっとしておいた方が良さそうですし」

 

「そうねぇ……達也さんに聞けばいいのじゃないかしら?」

 

 

 水波に何があったかを知っているであろう達也に視線を向けるが、達也は淡々と自分の身体を洗っている。本当なら誰かが達也の身体を洗おうと思っていたのだが、真夜と深雪が全力で魔法対決でも始めたら処理が大変だという事で、達也の身体は達也自身が洗う事で二人に納得してもらった。もちろんそれで諦められる程二人の思いは弱くなかったのだが、自分たちが魔法を発動しないと断言出来るほどの自信もなかったのだ。

 

「(達也さまの前ではどうしても自分の感情が上手くコントロール出来ませんね……普段は冷静な判断が出来ると思っているのですが)」

 

 

 二人が達也の事を眺めている横で、水波は自分の事を分析し始める。自分も感情は面に出さない方だと思っていたのだが、達也のそれは自分のとは事情が違い過ぎる。表に出さないのではなく、面に出す事が出来ない――でもなく、思う事が出来ないのだから。

 

「(話を伺った時、そんな事があるのだろうかと思いましたが、実際に達也さまとお会いして、一緒に生活する間にそれが事実だと思い知らされました……深雪様に対する愛情以外はハッキリと表現する事は無いですし、大勢の婚約者の方に囲まれても嬉しそうな表情はしませんし……もちろん、それぞれの方を想っていらっしゃることは事実なのでしょうが)」

 

 

 いくら感情が無いとはいえ、嫌いな相手と一緒に生活する事は達也でもしないだろう。水波はその事から婚約者たちに対してそれなりの愛情は懐いているのだろうと分析している。

 

「(私に対しても、他の方たちと変わらない態度で接してくださっていますし、嫌われてはいないのでしょうけども、どうしても達也さまの前では普段の自分が保てません……深雪様はどうやってこの気持ちと向き合っているのでしょうか)」

 

 

 自分よりもよほど達也の事を想っているであろう深雪に視線を向け、今度そのコツを教わろうと考えたタイミングで深雪が自分の方へ視線を向けたので、水波は慌てて視線を下に向ける。少し慌てすぎたのか、顔ごと下を向いた所為でお湯に顔を付けてしまい深雪だけでなく真夜にまで心配され、水波は先程とは違う理由で顔を真っ赤にしたのだった。




水波が乙女だ……元からですが

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