達也が光宣に電話を掛けた時、光宣は既に奈良へ向かう長距離列車『トレーラー』に乗っていた。ただそれは、電話に出られなかった理由にはならない。トレーラーは個型電車を収納して走るカートレインの亜種だ。利用客はトレーラー本体に移乗して手足を伸ばすのが一般的だが、個型電車の車中に留まる事も出来る。光宣はわけあって、そうしていた。個型電車の内部は完全な個室で、電話に出ても迷惑がる者はいない。
では何故、光宣は電話に出なかったのか。結論から言うと、光宣はコール音に気付いていなかった。その時光宣はちょうど、心の中で会話中だった。光宣が尋ねたのは、水波の治療法。だが光宣の中にいる「知識」からの回答は、非情なものだった。
「(彼女の魔法演算領域を修復するのは困難です)」
「(治療出来ないと言うのか? 何故だ。一条家当主は順調に回復しているじゃないか)」
一条剛毅が倒れた原因は伏せられているが、魔法演算領域のオーバーヒートに違いないというのが十師族の間では共通の認識となっていた。順調に回復しているというのは一条家の発表で、それが事実だという事は九島家でも裏が取れている。
「(一条剛毅のダメージは、それほど深刻なものでは無かったのでしょう)」
「(じゃあ水波さんは、ずっとあのままだと言うのか!?)」
「(肉体的には回復すると思われます。その点は、医者も嘘を吐いていない)」
「(肉体的には?)」
「(安静にしていれば、身体の衰弱や鈍化は比較的短時間で元に戻ると見られます)」
それを聞いて、尋ねている側の光宣は少し安堵した。だがすぐに、懸念が蘇る。
「(だけど、肉体の不調は魔法演算領域の損傷が原因なのだろ? 原因を何とかしなければ再発するんじゃないか?)」
「(自然に再発する可能性は低いでしょう。彼女は「僕」と違い、肉体が耐えられないレベルで想子が常時過剰に活性化しているわけではありませんから)」
「知識」の冷静な指摘が、光宣の神経を逆撫でする。一般的に言えば、想子の活性度が高いのは優れた魔法師である証拠なのだが、光宣の場合はそれが、彼を病床に縛り付ける枷となっている。行き場のない怒りを光宣は心の中にねじ伏せた。今優先すべきは、水波の治療法だ。どうしようもない自分の欠陥に囚われている場合ではない。
「(それは、想子の活性度を上げたら肉体の不調が再発するということか?)」
魔法を行使する時、魔法師の内側で想子は活性化する。強い魔法程、活性度は上昇する。想子活性度の上昇が肉体を損なうのであれば、今後水波は高威力の魔法を使うたびに倒れてしまうという事になる。高度な魔法は、事実上使えなくなる。
「(その通りです。「僕」と違って条件がはっきりしていますから、日常生活に支障は無いでしょう。ただ「僕」と同じく、魔法師としての活動は制限されます)」
魔法師として活躍出来ない。それこそが光宣を苦しめ続けてきたものだ。光宣であれば、断じて耐えられない。だが、水波はどうだろうか。彼女にとって、魔法を使えなくなるのは不幸な事なのだろうか。
「(……魔法を使わなければ、普通に暮らせるんだな?)」
「(残念ながら、断言は出来ません。彼女は調整体の血を引いています。おそらく、両親共に調整体の血統でしょう。自分で魔法を使おうとしなくても、魔法演算領域が暴走して肉体の許容範囲を超えるという事態は十分にあります)」
「(僕のようにか)」
「(そうなれば状況は「僕」よりも深刻です。「僕」の魄は強度こそ不足していますが、同時に高い修復力を備えています。だから倒れる事が多くても、死に至らずに済んでいる。ですが彼女の場合は、いったん魄が壊れると、そのまま命が尽きてしまうかもしれない)」
「(……でも、今回は助かった)」
「(何者かが魄をその場で修復したのでしょう)」
達也だ、と光宣は直感した。達也が有している魔法技能の全貌を光宣は知らないが、二年前の夏にテレビで観戦した新人戦モノリス・コード。あの試合で達也は一条将輝から致命傷にも繋がる過剰攻撃を受けながら、奇跡の復活を遂げて大逆転劇を見せた。あの状況から考えて、達也は高度な自己修復能力を持っている。それを他人にも及ぼす事が出来るに違いない。
「(じゃあ、その「何者か」がいないところで「発作」が起こしたら……)」
「(助からないでしょうね。調整体には生涯付き纏う悲劇ですが、「水波さん」の場合は今回の事で、それが起りやすくなっていると推測されます)」
「(最終的な治療方法も、僕と同じか……?)」
「(パラサイトとの融合。これが最も効果的だと思われます)」
その回答を聞いて、光宣は「知識」との対話を打ち切った。水波を救うためには、彼女をパラサイトにしなければならない。とんでもない、と光宣は思った。だが、自分と同じ。そう考えると、光宣はなんだか心惹かれるものを感じた。
「僕と水波さんが同じ存在……僕と水波さんが一緒にいられる……」
誰もいない個型電車の中で、光宣はそう呟き、妖しくも魅力的な笑みを浮かべたのだった。
光宣にはヤンデレの要素がありそうだ……