劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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落ち着ける日は遠いな……


達也の疑念

 伊豆の別荘を引き払う作業に追われていた達也が昼食を摂ったのは、十三時過ぎの事だった。荷造りや積み込みに達也が手を出す必要は無かったが、研究データの移動は他人に任せられなかったのだ。

 キッチン道具は別荘に備え付けのものだったので、昼食は何時も通りピクシーが調理した。キッチン用具に限らずこの別荘にある道具も着替えも、ほとんどは四葉本家が手配したものなので、持っていく荷物は余りない。昼食が遅くなったのは、作業の終わりが目に見えていた所為でもある。

 ダイニングのテーブルについているのは達也一人だ。他の作業員は車の中で弁当をつついている。お偉いさんとの同席を避ける気持ちは達也にも理解出来るので、無理にテーブルへ誘ったりはしなかった。

 

「達也様、お食事中、失礼します」

 

 

 達也がお皿を全て片付け、食後のコーヒーで一服しているところに、花菱兵庫が入ってきた。今日の彼は何時もの三つ揃えではなく運送会社のユニフォームのようなワークパンツとジャンパー姿だ。だからこそ、何時もと同じで折り目正しく一礼する姿は形容しがたい違和感を放っていた。

 

「いえ、もう食べ終わっています。何かありましたか?」

 

「調布碧葉病院の担当者から報告がございました」

 

 

 調布碧葉病院は水波が入院している病院の名前だ。水波の容態が急変したとか一瞬焦りを覚えたが、達也はすぐにその思い付きを自分で却下した。そんな事が起これば、兵庫の口調がもっと緊張感のあるものになるはず。その点、兵庫は気遣いの出来る人物だ。

 

「聞かせてください」

 

「午前十一時過ぎ、桜井の病室にお客様がございました」

 

 

 兵庫にとって水波は四葉家に仕えるメイドの一人。執事である彼の方が地位は上だ。自然とこういう呼び方になるのだ。

 

「お見舞いですか? 面会は制限していたはずですが」

 

 

 達也が訝しげに問い返すと、兵庫は達也の疑問は尤もだという感じで答えた。

 

「それは病院の者も認識しておりました。ですが無闇に追い返すわけにもいかず、本家に問い合わせたところ、通しても良いと許可が下りたそうです」

 

「誰ですか?」

 

 

 追い返せない相手という段階で、ただの見舞客ではない事が分かる。その上、本家が許可を与えたという。その客がいったい何者だったのか、達也には心当たりがなかった。

 

「九島家の御三男、九島光宣様でございます」

 

「光宣が……?」

 

 

 達也の脳裏にまず浮かんだのは、何故平日にも拘わらず光宣が見舞いに来るのか、という当たり前の疑問だった。水波の入院を光宣が知っている理由については、特に頭を捻る必要は無かった。響子が教えたのだろう――達也はすぐに、そう考えた。本来は軍の内部に留めておくべき情報であるはずだが、響子は光宣に何かと甘い。光宣に懇願されては、この程度の事は漏らしてしまうに違いない。国防軍にとっても、機密にする必要までは無い情報だ。

 しかしそれを知ったとして、昨日の今日で、学校を欠席してまで見舞いに来る理由が達也にはよくわからなかった。光宣が水波と一緒にいたのは、正味三日に満たないはずだ。確かに相性はいいように見えたが、二人の間に特別な好意を思わせる素振りは見られなかった。京都で水波に看病され、それで光宣が水波にある種の感情を懐いたという可能性は、ゼロではないが、それにしても思い切りが良すぎる。それが光宣らしくないと言える程、達也は彼の性格を詳しく知ってはいない。

 

「それで光宣は、まだ病院にいるんですか?」

 

 

 もし今も調布碧葉病院にいるのであれば、どういうつもりなのか直接尋ねてみようと達也は考えた。だが生憎、達也の目論見通りにはいかなかった。

 

「いえ、既にお帰りになったと。病室には二十分程度しかいらっしゃらなかったそうです」

 

「(単なるお見舞いではない、何か別の目的があったのか?)」

 

 

 光宣の真意を推測しようにも、材料が少なすぎる。

 

「光宣の件は了解しました。他には?」

 

「特にございません」

 

 

 恭しく腰を負った兵庫に退出を指示し、一人になった達也は、物置と化したダイニングの隅に控えているピクシーへ振り向いた。

 

「ピクシー、情報端末を取ってくれ」

 

「かしこまりました」

 

 

 能動テレパシーではなく機械の身体のスピーカーで応えて、ピクシーはすぐに端末を持ってきた。達也は去年の秋に、光宣と連絡先を交換している。光宣がIDを変えていない限り繋がるはずなのだが、ここでも達也の思惑は外れた。スピーカーからコール音が聞こえているから、IDが無効という事は無い。情報端末に付属する通信用IDは使いまわしが出来ないようになっているから、IDを変えると前のIDは無効になる。つまり、コール音は鳴らずにID無効のメッセージが返ってくる。端末の電源が入っていない場合も、その旨のメッセージが返ってくる。つまり光宣は現在、情報端末を手に取れない状況にあるのか、それとも居留守を使っているのか、だ。

 

「(……居留守というのも、あいつらしくない気がするな)」

 

 

 とはいえこれも、材料不足の下でのイメージでしかない。達也は光宣の行動に関する疑念を、いったん棚上げする事にした。




台風が上陸するので、皆さんお気をつけて

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