九校戦が終わり、達也もそれなりに忙しい夏休みを過ごしていたある日、一本の電話が達也の端末に掛かってきた。
「はい?」
『司波君ですか、市原です』
電話の相手に意外感を覚えながらも、達也はその事を表には出さずに対応する。
「何かありましたか?」
『いえ、九校戦前に話していた調整の件で』
「……ああ、市原先輩に指導するっていうあれですか? でもあれは会長の思いつきだったと記憶してるのですが」
『そうですね。ですが、九校戦での司波君の技術を見て、私も司波君に指導してもらえばある程度は出来るようになるのではないかと思いまして』
確かに鈴音の調整技術は、九校戦のエンジニアとしてのレベルには達して無い。それは決して謙遜では無く紛れも無い事実なのだが、達也は鈴音のエンジニアとしてのレベルを知らない。
「それで、俺に電話してきたという事は、そういう事なんですか?」
『ええ、時間があればで良いのですが』
「そうですね……明日明後日は空いてますが、それ以降は無理ですかね」
『では明日明後日の二日間、学校で指導をお願いしてもよろしいでしょうか?』
「市原先輩がよろしいのであれば、俺は構いませんよ」
元々自室でCADを弄る予定だったので、鈴音の指導をする事に問題を感じなかった達也はあっさりと指導する事を承諾したのだった。
『ではお願いします。時間などは如何しましょう?』
「それも市原先輩に合わせます」
『では午前中から最終下校時間までお願い出来ますか? 二日しか無いので出来るだけ長く指導してもらいたいのですが』
「分かりました。生徒会室で待ち合わせで大丈夫ですか?」
『そうですね。そこが一番安全でしょうし』
鈴音の言う安全が何に掛かってるのか分からなかった達也は、しきりに首を傾げたが、その事を聞く事はしなかった。
『では明日、よろしくお願いしますね』
「分かりました、では」
通信を切り、達也はドア越しに聞き耳を立てている妹に話しかけた。
「そういう訳だから深雪、明日明後日は出かけるからな」
「ッ!? わ、分かりました、お兄様」
「しっかりと戸締りして、知らない人間が来ても決して家には入れないように」
「お兄様は深雪を幾つだと勘違いしてるのですか?」
小さい子扱いをされているのに、深雪の表情は明るい。こうして兄が心配してくれるのは自分だけだと分かっているからこそ、小さい子扱いされても腹を立てる事をしないのだ。
「それにしてもお兄様、市原先輩がお兄様に師事する事になるなんて思ってませんでした」
「俺もだ。あれはてっきり会長の悪ふざけかと思ってたんだがな……」
最初は乗り気では無かったように思えていたのに、九校戦を挟んでどの様な心境の変化があったのだろうと、達也はずっと考えていたのだった。
翌日、一高生徒会室には鈴音と達也の姿があった。待ち合わせしていたのだから当然なのだが、几帳面な性格の二人だからなのか、特に時間を決めていた訳でも無いので開門と同時に学校に来ていたのだった。
「それでは、まず市原先輩の調整技術を見せてください。ご自分のCADで構いませんので」
「分かりました」
達也に指示されるように、鈴音は自分のCADを取り出して調整を始める。その手際はお世辞にも上手いとは表現出来ないが、平均的な調整技術は持ち合わせてるようだと感じられた。
「なるほど、九校戦のエンジニアを辞退したからどれくらいかと思いましたが、平均以上には出来るのですね」
「ですが、代表レベルでは無いんですよ」
鈴音の自虐的な言葉に、達也は苦笑いを覚えた。確かにこれでは鈴音自身が言っていたようにあずさの足を引っ張る形になっていたかもしれないと思ったからだ。
「では次にこれを調整してみて下さい」
「これは?」
「九校戦で使っていた深雪のCADです。設定を本番より低い数値にしてありますので、それを本番で使った数値まで上げてください」
深雪のCADは達也が調整していたので、設定を上げろといわれても簡単に出来る訳が無い。その事は鈴音も達也自身も分かっていた事だが、二日しか無い指導時間で効率よく教えるには、多少無茶でもしなければいけないのだと、達也も鈴音も思っていたのだ。
「……あれ?」
「そこはこうですね」
所々詰まりながらも、その都度達也が丁寧に教えてくれるので、鈴音は苦戦しながらもしっかりと調整を進めていた。
「しかし市原先輩が本当に指導を頼んでくるとは思いませんでしたよ」
「九校戦であれだけの技術力を見せられたら頼みたくもなります。それでなくても司波君は前例を覆したんですから」
かつて一年生でエンジニアに選出された生徒は無く、それだけでも快挙なのだが、まして達也は二科生なのだ。実力を認めている鈴音から見ても、これは前代未聞の出来事だといえるのだ。
「それに……」
「それに?」
「いえ、これはまだ言えませんね」
「?」
何を言い淀んだのかが分からない達也は、首をかしげて鈴音を見つめたが、その視線に耐えられずに鈴音は視線を逸らした。
「終わったようですね。では次はこれです」
余計な事を考えて時間を無駄にするのは非効率的だと言い聞かせ、達也は次の課題を鈴音に渡した。
翌日の指導も初日同様に一切の無駄を省いた厳しいものになったのだが、元々の能力の高さと達也の指導力の高さが相まって、鈴音の調整スピードは九校戦エンジニアの平均を大きく上回るまでに成長していた。
「さすがですね市原先輩、これならもう謙遜する必要はありませんよ」
「司波君のおかげです。私一人ではここまで成長出来ませんでしたし」
鈴音の言葉は決して謙遜では無い。間違いなくここまで成長出来たのは達也の力が大きいだろう。だが達也はその事を受け入れようとはしない。
「元々の秘められた力が表に出てきただけで、俺はそれの少し手助けしただけですよ」
「そんな事はありません! これは間違いなく司波君のおかげです!」
普段冷静な鈴音が声を荒げた事に、達也は意外感を覚えていた。何故この人はここまで感情を露わにしたのか、感情というものに縁が無い達也には分からなかった。
「あの、市原先輩?」
「……何でしょうか」
「いえ、何故あそこまで感情的に?」
達也の質問に答えるのに、鈴音は暫くの時間を要した。
「……好きな人が否定されるのがたまらなく嫌だったんです。それが好きな人自身であったとしても」
「………」
まさかの告白に驚く達也。無理は無い、今までそんな素振りを見せなかったのだから。
「私のような女では駄目ですか?」
「いえ、少し困惑してますが……」
正直これが真由美なら納得出来たのだろう。だが普段から冷静で、自分ともクールな付き合いをしていた鈴音からの告白で、達也の頭は絶賛混乱中なのだ。
「正直、市原先輩に好かれた理由が分からないのですが……」
「そうやってはっきり言ってくれるとこですよ。この人なら上手くやっていけると思ったのです」
困惑気味ながらも、ある面で納得出来たのか達也の表情は普段の落ち着いた感じを取り戻していた。
「分かりました、よろしくお願いします、鈴音さん」
「! はい、此方こそよろしくお願いします、達也さん」
こうして大人びた高校生カップルが誕生したのだが、それが皆に知れ渡るのは夏休みが終わってからだった……
今回も本編の伏線をIFで回収。