エリカは刀を下げたが、それはつかさを見逃すというわけではない。彼女は何気ない動作で「無形の位」を実践していたのだ。
「魔法師犯罪に対処する為、警察は民間の魔法師に協力を求める事が出来る。結構有名な特例よ。あたしたち魔法師の間じゃね」
その言葉につかさが笑みを浮かべる。その笑顔には、感情と呼べるものが宿っていなかった。
「というわけで、大人しくお縄につきなさい。痛い目は見たくないでしょ?」
エリカがそう言い終えた瞬間、つかさは自分を魔法障壁で包んだ。間髪入れず、移動魔法を発動する。対象は自分自身。エリカは慌てず、自分目掛けて飛んでくるつかさの身体を横にステップして躱し、その胴を薙いだ。
済んだ音を立てて、刀が折れる。エリカの打ち込みとつかさの障壁に、刃引きした刀身が耐えられなかったのだ。つかさをそのまま、山の奥へ逃走を図るが、その前にレオが立ちはだかった。つかさが空中でショルダータックルの体勢を作り、レオが地面を踏みしめ半身になってそれを迎え撃つ。つかさの障壁とレオの肉体が衝突した。レオは微動だにせず、つかさは後方に弾き返される。それにより、移動魔法の効力が切れた。
エリカが滑らかな足取りでつかさに迫る。地割れが走り、木の根が所々露出している足場の悪さをまるで感じさせない、舗装された車道を走っているかのような安定した姿勢。右にも左にも躱せない。つかさはそう感じた。
彼女に出来るのは、障壁で身を守ることのみ。何時でも動けるように、障碍物に引っ掛からないように、つかさは身体に沿って障壁を構築した。
エリカが折れた刀を振り下ろす。その刀身は、つかさの身体ばかりか、魔法障壁にも届いていない。エリカが、折れた刀身の間合いを見誤ったのだ。ありえない幸運に、つかさはチャンスだ、と思った。
エリカは刀を下ろした姿勢で残心を取っている。いや、居着いている。つかさの目にはそう見えた。彼女はエリカの横をすり抜けて逃げるべく、右足を踏み出した。
その膝が、力なく折れた。右足だけではない。左足にも、力が入らない。全身に力が入らない。つかさの身体が、地面に崩れ落ちる。エリカが残心を解いた。つかさが、その姿を見上げる。エリカが振るう折れた刀身の先に、陽炎のような想子の刃がついている事に、つかさはその時、漸く気が付いた。
「裏の秘剣、切影」
エリカが呟くのと同時に、陽炎の刃が消える。それを確認しながら、つかさの意識は闇の呑まれた。
達也の宣言が、克人と摩利を圧倒する。達也が生易しい覚悟でディオーネー計画を拒んでいるのではないと、ここにいる誰もが思い知った。
「――だが!」
達也の覚悟は分かった。信念は理解した。だからこそ摩利は、声を上げずにはいられなかった。
「達也くんの推理が正しいのだとしても! それで居場所を無くすのは達也くんなんだぞ! 孤立に苦しむのは、達也くんなんだぞ!」
達也を犠牲にしてはならない。摩利の心は、そう叫んでいた。アメリカを、日本を、世界の人々を騙す事になっても、ここは従ったふりをするのが得策だと、摩利は訴えようとした。
だが、林の中から掛けられた声が、摩利の説得を妨げた。
「達也くんは孤立なんてしないわよ」
手入れがされなくなって無秩序に木々が生い茂った山の中から、良く見知った四人の少年少女が下りてきた。エリカ、レオ、幹比古、ほのか、この場には顔を見せていないが、美月と雫も近くにいるに違いない。
「俺たちがいるからなぁ」
「アンタがいなくても、他の婚約者たちもいるわよ。来たがってたけど、達也くんに『事を荒立てるな』って釘を刺されたからね、深雪を通じて」
レオとエリカのやり取りを見ていた克人だったが、レオの肩に女性が担がれている事に気が付き、それが誰かを認識して眉を顰めた。
「この人、十文字先輩の知り合いなんだろ? 引き取ってもらえますか」
レオが恐れ気もなく克人の前に立ち、つかさを地面に下ろした。
「達也さんを孤立なんてさせません!」
「僕たちは達也の友人です。いえ、それだけじゃありません。僕は達也に、返しきれない恩がある。だから、例え達也が犯罪者になっても、絶対に見捨てたりはしません。僕は達也を孤立させたりしません」
「おいおい、幹比古。恩なんて関係ないだろ? ダチだから。これ以上の理由があるもんかよ」
レオがのしかかるように幹比古の首に腕を回す。幹比古は苦笑いを浮かべながら「そうだね」と返した。克人は、地面からつかさを抱え上げて、達也へ顔を向けた。
「司波。お前はいい仲間を持っている。少し羨ましいぞ」
克人が背中を向け、別荘の前に止めたSUVへと歩き出す。
「お、おぃ!」
置いて行かれそうになった摩利が慌てて克人の背中を追いかけた。それを見送った達也は毒気を抜かれた顔で、飛び入りの友人たちの顔を見回す。
「随分と派手にやったようだな」
「大丈夫よ。合法だから」
達也の言葉に、エリカがウインクしながら答える。他の三人は照れくさそうに笑い、真由美は漸く戻ってこれた達也の隣の空気を味わっているのか、何も言わない。達也が深雪へと振り向くと、彼女は両目に浮かんだ涙を指で拭っていたところだった。
「達也さま、お疲れさまでした」
「水波も、ご苦労だったな」
タオルを差し出してきた水波を労いながら、達也は全員を別荘に案内するのだった。
合法でもちょっとやりすぎかと……