小笠原諸島、南盾島海軍基地の一角にその建物はあった。名称は『南方諸島工廠』。対外的には小火器の補給工場という事になっているが、実態は調整体魔法師を使った戦略級魔法の研究施設だ。
この施設で研究している魔法は、前の大戦前夜に当時まだUSAだったアメリカと共同研究を進め、実用化の目途が立たないとして打ち切られた『
大型CAD計都を見下ろすコンソールセクションには、宇宙望遠鏡ヘイムダルをはじめとする宇宙観測施設のデータを取得し、分析する機能がある。研究員たちはそれを使って2095GE9、先日自分たちが実験の標的にした小惑星の現状を調べていた。
「小惑星2095GE9の爆発を確認」
コンソールのモニターを見詰めていた研究員が、初老の総責任者、兼丸に約三分前の最新情報を報告する。
「陸軍の戦略級魔法師、やはり介入してきたか」
「あの魔法の性質と破壊力から推察して、隕石災害に対応するのが本来の用途だろうという兼丸所長のお考えは正しかったようです」
「残念ながら検証データを十分に取れたとは言えないが、これで2095GE9を処理する必要はなくなった」
計都には九人の調整体がスタンバイしていたが、これは陸軍の戦略級魔法師が介入してこなかった場合に、自分たちで小惑星を地球衝突コースから外す為だ。彼らも、研究の為ならば国土に甚大な被害をもたらしても構わないとまでは、考えていない。だが実情を言えば、彼らにはまだ、確実に小惑星の軌道をコントロールするだけの技術は無い。現段階では実験を行った場所に小惑星を引き寄せる事が出来るだけだ。
前回の実験では「灼熱のハロウィン」を引き起こした戦略級魔法師の介入を最初から見込んで実行されたものであり、兼丸が言っている事は一種の強がりでしかなかった。もっとも兼丸はそれを自覚していない。他人が自分の思い通りに動くのは当然だと信じ込んでいる節が、傲慢な口調の端々に見え隠れしていた。
「次は軌道離脱実験だ。標的はUSNAの廃棄軍事衛星『セブンス・プレイグ』。明後日、いや、もう明日か。三月三十日十九時より当該実験を実施する」
「いよいよですね」
「ああ。この実験が成功すれば、ミーティアライト・フォールは攻撃手段としてではなく、防衛手段としても使えるようになる。衛星軌道兵器対策として、この魔法は大きな意味を持つに至る。大規模攻撃にしか使えない陸軍の戦略級魔法より、戦略的な価値は高いと言えよう。防衛省や海軍上層部も我々の研究を認めざるを得なくなるはずだ」
兼丸はこの所ずっと、海軍参謀部から早急な成果を求められていた。その原因は去年の十月末の「灼熱のハロウィン」だ。陸軍が戦略級魔法で大きな戦果を上げたのを見て、海軍上層部は「海軍の戦略級魔法」の完成を焦っていたのである。
ただでさえ海軍は、この所黒星続きだ。沖縄では易々と制海権を奪われ、北陸ではむざむざと佐渡島に上陸され、大亜連合艦隊迎撃は動員が間に合わなかった。今の所海軍予算削減の憂き目は見ておらず、むしろ海防強化の為に艦艇を増やすべきだという声が高まっている。だがそれに安心してはいられない。少なくとも陸軍と同等の切り札を持たなければ相対的に発言権が低下してしまうという焦りに、海軍の首脳部は囚われていた。
参謀部から直接催促を受けているのは兼丸だけだが、そうした動きがある事は部下の研究員も肌で感じ取っていた。彼らには自分自身の功名心がある。例え研究史に名を残す栄誉は兼丸が独占するとしても、自分が関わっていた研究が国家から、世界から認められるというのは承認欲求を十分に満たす。兼丸の言葉に異議を唱える者は、ほとんどいなかった。つまり、皆無では無かった。
「待ってください、所長! あの子たちはまだ、今回の実験のダメージから回復していません。これまで通り、最低でも一週間のインターバルを置くべきです」
一階分低い、計都が備え付けられているフロアに配置された調整体のモニター席から、一人の女性研究員が立ち上がり抗議の声を上げる。だが兼丸はその女性を、煩わしそうに見下ろした。
「盛永君。『わたつみシリーズ』の魔法力回復に一週間を要するという根拠はなにかね。そのようなデータは記憶に無いが」
「それは……」
「科学者とは主観的な印象ではなく、客観的なデータで物事を判断すべきだと思うが?」
「……彼女たちの事だけではありません。離脱実験の為には、起動式の方向性を逆転させる必要があります。ただでさえ当初予定されていた人数を割り込んだ状態で実験を進めているのです。もっと時間を掛けて慎重に準備を進めるべきです」
「間に合わないのか?」
兼丸は横を向いて、同じフロアにいる研究員に問い掛けた。
「いえ、明日までに可能です!」
その研究員は、盛永と張り合うように安請け合いをする。
「よろしい。では次回の実験は三月三十日十九時開始で変更はない。言うまでもなく『計都』の設定変更には万全を期すように」
そう告げて、兼丸は「話しは終わり」とばかり実験室を後にした。盛永は兼丸がいなくなったコントロールセクションを口惜しげな表情で見上げていた。
思いあがった結果が、あんなことに……