ほのかとピクシーの話や、雫の留学中の話などお喋りが一巡した後、雫が大胆な水着姿のまま居住まいを正して達也たちに視線を向けた。
「達也さん、深雪、ありがとう」
「急に何だ?」
「お兄様の仰る通りよ。いきなりどうしたの、雫?」
返答を求められない限り女の子同士の会話に割り込まず聞き手に徹していた達也が、手に持っていたグラスをテーブルに戻して尋ね、深雪も達也に倣ってクラスを置き、雫の方に少し身を乗り出して問いかけた。
「急な事だったのに」
「もしかして、別荘に誘ってくれた事?」
深雪の反問に、雫がこくりと頷く。
「お陰で春休みにみんなでバカンスに来られたんだ。むしろ感謝しているよ。それより、雫の方こそ大丈夫なのか?」
「帰国したばかりだし、お家のお仕事の関係でいろいろとあるのではないの? 挨拶回りとか、パーティーとか」
達也は雫を安心させるように微笑みながら答えた後、少し気遣う表情を見せ雫に問い掛け、深雪がその達也の問いかけを捕捉する。すると雫はうんざりした顔になった。
「東京に戻ったら毎日」
「暫くパーティー漬けになるからその前に骨休めしてきなさいって、小父様が仰ってくださったんですよ」
雫の短い答えを、今度はほのかが補う。どうやら達也と深雪の心配は的中していたようで、雫は今からその事を思ってうんざりしてしまったようだ。
「骨休めなのに、俺たちを招待して良かったのか? ほのかと二人きりの方が気が休まったのではないか?」
「せっかく帰ってきたんだから、みんなと遊びたかったから。それに、みんなといて気疲れするなんて事は無いよ。こんなに楽しいんだから」
「そうですよ! 私と二人じゃ、雫はこんなに楽しそうな顔をしませんよ」
「それって、私が普段ムスッとしてるって言ってるの?」
「そ、そういう事じゃないよ? でも、私だけじゃ雫のこんな楽しそうな表情を引き出せないと思って……そもそも達也さんがいるから――」
「余計なことは言わなくていいから」
ほのかが何か言い掛けたが、雫がほのかの口を塞いだ所為でよく聞き取れなかった。もちろん、達也は唇の動きで何を言っていたか理解している。
そんなほのぼのとした空気が流れていたところに、ジェット飛行機のエンジン音が聞こえてきた。
「お兄様、あれは?」
「珍しいな。国防軍の飛行艇だ」
警戒を滲ませて尋ねる深雪に、警戒感は無く、言葉通りただ「珍しい」という口調で達也が答えた。
「国防軍の飛行艇が、何の用でここに来たんだろう?」
達也の隣では雫とほのかが、砂浜では美月が少し怯えた顔で、スイカを食べていたレオとエリカと幹比古が険しい表情で飛行艇を見上げていた。
「達也様。国防軍の方が面会を申し込んできておりますが」
「分かりました」
「お兄様、私も」
「あぁ。黒沢さん、雫たちをお願いします」
黒沢から国防軍の人間が面会を求めていると聞かされ、雫たちも帯同したがっていたが、達也は彼女たちの相手を黒沢に任せ、深雪だけを連れてウッドデッキから別荘内へと移動する。
飛行艇が運んできたのは一通の書状だった。達也に対する命令書で、飛行艇が桟橋に待機したままなのは、ただ命令を伝達するだけではなく達也を連れて帰るのが目的だからだろう。
達也は自室で紙に印刷された命令書を読んでいる。通信でも電子媒体でもなく紙を使っている点に、機密性が現れている。文字を追う達也を、深雪が心配そうに見つめていた。
「お兄様」
「軍からの出頭命令だ」
紙から目を上げた達也に、深雪は不安を隠し切れない表情で声をかける。達也は深雪の心配を和らげる笑みも浮かべず、引き締まった顔で正直に答えた。
「深雪、俺の封印を解いてくれ」
そして、冗談ではあり得ないと分かる声で深雪に命令の用件を伝える。
「えっ!? ですが……」
「マテリアル・バーストを使用可能な状態にして出頭せよ、との命令だ。叔母上の同意も得ている、と書かれている」
戸惑う深雪に皆まで言わず、達也は口にした通りの文字が書かれた書面を深雪に見せた。
「――分かりました。叔母様が構わないと仰るなら、喜んで」
自分が口にした通り、深雪は納得するだけでなく嬉しそうだった。達也が自由になる事。それは深雪にとっての喜びだ。自分が達也を縛る枷となっている事実は彼女を蝕む苦痛の種であり、達也の封印が解除されている間だけはそこから逃れる事が出来る。
達也が深雪の前に片膝をつく。深雪は頬にかかる髪を片手でかき上げ、そろそろと身を屈めていく。深雪の目元が赤らんでいるのは、達也を自由にしてやれる喜びとは別の興奮によるものだ。顔だけでなく首元まで薄らと赤みを帯びているが、目を閉じている達也には近づいてくる胸の膨らみも見えない。
深雪の唇が、達也の頬に触れる。次の瞬間、眩い想子光の奔流が達也から溢れ出した。封印されていた彼本来の力、その一端。
無尽蔵にも見える膨大な想子保有量と、物質の根幹にまで手が届く事象干渉力。司波達也が、全き姿を取り戻して立ち上がった。
「それじゃあ、征ってくる」
「はい、お兄様。お帰りをお待ちしております」
部屋を出ていく達也を見送りながら、深雪はまるで仕事に出かける夫を見送る妻のようだと、全く別の事を考えていたのだった。
深雪、歓喜の瞬間