八神ゆとりの日常   作:ヤシロさん

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待たせたなァッ!!

いや、本当に待たせてごめんよぉ。

とりあえず十七話投稿。ついでに十六話も一部改稿しました。
これにて無印終了です。


第十七話 その物語の結末を私は知らない

 似てるなぁ、って思った。

 

 まったく同じじゃないけど。勘違いかもしれないけど。

 彼女達と一緒に過ごした短い時間の中で、時折彼女の瞳の奥でチラつく『寂しい』って感情が、母親について嬉しそうに語る言葉の中に感じた『愛しい』という想いが、どうしても私にその姿を連想させる。

 

 かつての私を。

 いつかのはやてちゃんの泣き顔を。

 

 だから、わかっちゃったんだ。

フェイトちゃんが今、どれだけ脆く危うい道の上を歩んでいるのかが。

 一歩踏み間違えれば、あっという間に奈落の底へと叩き付けられる。そして、例えその先に辿り着いたとしても、望んだ未来があるとは限らない。

 どんなに頑張ったって、報われないかもしれない。

 

 そのことに、フェイトちゃんは気づけていない。

 だって、彼女は目を逸らし続けているから。

 未来からも、そして今からも。

 過去に囚われて、楽しかった思い出に縋って、辛さを取り繕い、現実を誤魔化し続けて、そんなことばかりしていたって、嫌な事は起こってしまうのだ。

 楽をしようとした分だけ、代償は大きくなってしまうのだ。

 それを私は知っている。

 全てを失いかけた事を、私はきっと一生忘れない。

 

 その過ちだけは、繰り返させたくない。

 せめて、目の前で泣いている子にだけは・・・・・・。 

 

◆◆◆

 

 絞り出すように吐き出された言葉は、静かに消えていく。

 きれいな顔は今にも泣き出しそうなほど歪み、シーツを握った手が白くなるほど強く握り締めているフェイトちゃんは、とても苦しそうだ。

 

 人形のような冷たい顔でも、年頃の女の子のような可愛い顔でもない。

 初めて見る、幼く、そして弱い怯える子供の顔。

 傷ついた時のような痛みじゃない。内側から来る、心が軋むような痛み。

 見ているだけで、私も苦しくなってしまう。

 

「ねえ、フェイトちゃん」

「っ!」

 

 私の呼びかけに、フェイトちゃんはびくりと肩を揺らした。

 

 『寂しい』は一緒にいたいって想いの裏返し。

 『愛しい』はぬくもりを感じたくて止まない心の悲鳴。

 私はその想いに無粋にも触れていく。

 

「悪いことはしたらあかんよ」

「・・・・・・」

「いくらお母さんのためやからって、誰かを傷つけるのはダメなんよ」

「・・・・・・うん」

 

 小さく頷く。

 そんな事、フェイトちゃんはちゃんとわかってる。

 だって、こんなに辛そうなんだもん。私も今すぐに口を閉ざしたい。ごめんねって謝りたい。でも、それはまだもうちょっと先だ。

 

 どうしても、彼女に伝えたい事があるから。

 

「せやから、その・・・・・・もうやめることってできないん?」

「それは、ダメだよ」

 

 今度はしっかりとした答えが返ってきた。

 アルフさんの時と同じように、拒絶の意思が見える。でも、それはわかっていたから、別の提案を出すことにした。

 

「なら、みんなに手伝ってもらうのはどうやろうか?」

「え?」

 

 私の考えに、フェイトちゃんは目を丸くして驚く。

 何言ってるのだろうと言いたそうな彼女に、私は言葉を重ねていく。

 

「ジュエルシードを探すのを、お願いするんよ。アルフさんの言っとった白い魔法使いの子とか、じくうかんりきょく? って人達に、一緒に探してって」

「そ、そんなことできないよ。できるはずない」

「なんでなん?」

「なんでって・・・・・・だって、無理だよ。アルフに聞いたんだよね、管理局の事。私達はその管理局と敵対してる。もし次会えば、ジュエルシードを掛けて戦うことになる。・・・・・・それにあの子だって、いろいろ酷い事言って傷つけちゃったんだ。それなのに、お願いなんて聞いてもらえるはずが無い」

 

 そんな都合の良い事が起こるわけがない、と言う。

 日本の警察が悪い人たちを許さないように、管理局の人たちもきっとフェイトちゃんたちのしてる事を許してくれないのだろう。

 白い魔法使いの子だって、どんな子なのかはわからないけど、フェイトちゃんはあまり会いたくなさそうだ。

 後ろめたさとか、罪悪感とかのせいで。

 

「せやけど、ちゃんと事情を話したらわかってくれるかもしれへんよ?」

「・・・・・・無理だよ」

「怒られるかもしれへんけど、ちゃんとごめんなさいって謝って、ちゃんとフェイトちゃんがどうしたいのかを話せば、許してくれるかもしれへんよ?」

「・・・・・・でも」

 

 それでも、とフェイトちゃんは私から顔を背ける。

 

「それは・・・・・・・・・・・・嫌だ」

「どうして?」

「・・・・・・」

 

 答えてくれない。顔も合わせてくれない。

 それどころか、こちらに背を向け体をベッドから身を起こしてしまう。

 

 もしかしたら、どこかに行っちゃうんじゃないかって、咄嗟にフェイトちゃんの手を掴んだ。

 といっても、フェイトちゃんが起きた拍子にできた僅かに開いた距離のせいで、延ばした手はぎりぎりなんとか届くぐらい。

 今も掴むというよりも、フェイトちゃんの指に私の指を絡ませてるようなものだ。

 このままフェイトちゃんが立ってしまえば、それだけで疲れの抜け切ってない私の手じゃ、すぐに振り払われてしまうだろう。

 

 そのはずなのに、

 

 たった指一本。わずかに引っかかる程度。

 なのに、まだ離れない。まだ繋がっている。

 

「・・・・・・フェイトちゃん」

「ごめんね、ゆとり。せっかくいろいろ考えてくれたのに・・・・・・」

「私に謝る必要なんて、あらへんよ」

 

 ごめんねと繰り返し言うフェイトちゃんの顔が、私からは見えない。

 どんな顔で、どんな想いで謝っているのかわからない。

 わかることは、フェイトちゃんに拒絶されたということだけ。

 

「大丈夫だよ。私とアルフの二人だけでも頑張れるから。私達だけでも、ジュエルシードは手に入れて見せる」

「・・・・・・」

「ちゃんと母さんの願い叶えてみせるから」

「二人だけ、なんやね・・・・・・」

「・・・・・・うん」

 

 そこにはフェイトちゃんとアルフさんしかいない。

 周りは敵だらけになっても、痛い思いをしても、それ以上は誰も近づくことは出来ない。

 もちろん、私も。

 

「だから、ゆとりにはもう会わない」

 

 フェイトちゃんは言う。

 ちょっとだけ顔をこちらに向けて、でも、しっかりと私の顔を見て。

 目の端に涙を浮かべて、決別を告げる。

 

「これからもっと危なくなる。管理局が出てきたから、私もアルフも余裕なんてなくなると思う。これ以上一緒にいたら、きっとゆとりのことも巻き込んじゃう。だから、そうなる前にゆとりは家に帰らないといけないんだ」

「・・・・・・フェイトちゃん」

「家族が待っててくれるんだよね?」

「・・・・・・うん」

「だったら、帰らないと」

 

 思い浮かぶのは、寂しそうに家で待っているはやてちゃんの姿。

 一人でリビングにいて、何をするわけでもなく、たまに時計を確認してはまだかなって顔をする。そんな光景がすごく簡単に想像出来てしまう。

 今すぐにでも、帰って安心させてあげたい。

 

「もうそろそろアルフも帰って来るはずだから、えっと、立てる?」

「・・・・・・うん」

「肩、貸すよ。掴まって」

 

 差し出された手を見て、これで本当にお別れなんだとわかってしまう。

 フェイトちゃんの意思が固いから。

 元より、私に出来ることなんてない。怪我を治すことは出来ても、それ以上に心配と迷惑を掛けてしまうから。

 

 だから、もう、終わりにするべきなんだ。

 フェイトちゃんと出会った、この不思議な縁を。

 どこに向かうかわからない、この物語を。

 

 フェイトちゃんが私の手を取る。

 それからベッドから降りて立ち上がるまで、

 

「それじゃあ、行こう?」

 

 そう言うフェイトちゃんは笑顔だった。

 最期はちゃんと笑ってお別れがしたいんだと思う。それは私もだ。

 

 でも。

 でも、やよ。

 

 私は笑顔になれない。

 心の底から笑って、お別れなんて出来ないんよ。

 

 そんな悲しそうな笑顔を見せられても。

 まるで誰かのように、辛いことを押し隠した笑顔を見せられても、嬉しくもなんともないんよ。

 

 重なる。あの子と。

 重なる。はやてちゃんとフェイトちゃんが。

 

 重なってしまう。私が一番大好きな妹の、一番大嫌いな笑顔と。

 

「フェイトちゃん!」

 

 気づいたら、私はフェイトちゃんを抱きしめていた。

 彼女の手を引き寄せ、両手で力一杯ぎゅ~~って抱きしめる。

 

「え? え? ゆ、ゆとり?」

 

 驚いたフェイトちゃんの声が聞こえたけど、力は緩めない。

 さっきまでへとへとだったのに、どこにこんな力が残っていたのか。でも、今はいい。このままもうちょっとだけ、力を貸して欲しい。

 私が伝えたい事をちゃんと伝えられるまででいいから。

 

 ごめんね、はやてちゃん。

 もうちょっとだけ、待っててね。 

 

「そんなの、嘘や・・・・・・」

「え?」

「大丈夫なんて、嘘やん。痛いのが平気な人なんておらへん。危ないことが怖くない人なんておらへん。誰かを傷つけるのも、傷つけられるのも、すごく辛くて苦しいことなんよ。それを大丈夫なんて言われても、信じることなんて出来へんよ」

「・・・・・・ゆとり」

 

 抱きしめてわかった。なんて小さな体なんだろうって。

 こんな細い体で戦ってるんだ。

 痛みを我慢して、怖い思いを押し殺して、必死に頑張っている。

 

「このままやと、フェイトちゃんが壊れてしまいそうで、放って置くことなんか出来へんよ・・・・・・」

 

 初めてだった。

 家族以外で、ここまで心配になる子を見るのは。

 離すのが怖いと感じる子に出会うのは。

 

 だけど、私に出来る事なんて限られてるから――、

 

「ゆとり、私は――、」

「私ね、夢があるんよ」

「・・・・・・え?」

 

だから、話そう。

私の話を。私の大切な人たちの話を。

 

「夢いうても、そんなにすごいことやないんやけどね。家族みんなで、また一緒にご飯を食べたいっていう夢や」

「ご飯を食べるって、え? それが、夢?」

 

 フェイトちゃんが不思議そうに聞いてくる。

 そうだよね。変だよね。だってこんなの当たり前のことなんだから。

 そんな当たり前が大事なことだって、気づくのに私はけっこうかかったよ。

 

「うん。とっても大切で・・・・・・もう叶わない夢なんよ」

「それって、どういう?」

「私のお父さんもお母さんも二人とも死んじゃった。今は私とはやてちゃんの二人だけや」

「っ!?」

 

 抱き締めたフェイトちゃんの体が、少しだけ固くなる。

 こういう話はちょっと苦手だ。聞いた人に嫌な思いをさせてしまうし、自分も苦しくなる。でも、ごめんねだけど、頑張るから聞いててなー。

 

「私のお父さんは警察官って言うて、悪い人を捕まえたり困ってる人を助けるすごい仕事でね、たくさんの人を守ってたんよ」

 

 かっこいいお父さんだった。

 

「それでお母さんはいつも家にいてな、私たちにご飯を作ってくれたり、一緒に寝てくれたり、お仕事から帰ってきたお父さんに『おかえり』って言うてくれる、家族を守ってくれる人やった」

 

 素敵なお母さんだった。

 

 今でも二人の姿は、鮮明に思い出せる。

 お父さんと一緒に遊んだ時のことも、お母さんに料理を教わった時のことも。

 笑った顔も、怒った顔も、何もかも。

 

「二人がいなくなって、すごく悲しかった。それこそ、はやてちゃんがいなかったら、私も死んじゃってたんじゃないかって思うくらい、辛かったんよ」

「そんなっ、死ぬなんてダメだよ!」

「う、うん。大丈夫やよ。まだはやてちゃんがおるし、死ぬつもりなんてあらへん。まだまだやりたいこともあるし、最近なんやけど、少しだけ夢も増えたんよ」

 

 新しく出来た友達のおかげで、ちょっとだけ未来が明るくなった気がした。

 アリサちゃんに、今度またお礼を言っとかないとなー。頬っぺた引っ張られるのは勘弁やけど。

 

「んっとね、それで、辛かったんやけど、頑張ったんよ。お料理も一から教えてもらって、いつかお母さんみたいに美味しい料理を作れるようになりたいって。はやてちゃんが寂しくないように、お父さんみたいに頼れるような、そんなかっこよくて立派なお姉ちゃんになりたいって」

「ゆとりなら、もうなってるよ。立派なお姉ちゃんだと思う」

「ううん、そんなことない。まだまだやもん。全然足りないことばかりで、もっと頑張らんといかへん」

「でも、ゆとりの作ってくれたご飯、すごく美味しかったよ」

「ありがとなー。うん、それでも、ね・・・・・・」

 

 それでも、やっぱりお父さんとお母さんには届いてないって、はっきり断言できる。

 お母さんの料理は、世界一美味しかった。

 お父さんと一緒だと、どんなに怖い夢を見ても平気だった。

 どれだけ頑張れば、辿りつけるかわからない。それくらいすごい人たちだったんだ。

 

 いなくなって、両親の真似をしてみて、ようやく気付けた。

 取り返しがつかない大切な存在を、私はなくしたんだってことを。

 

「でも、だからこそ、いつかお父さんとお母さんみたいになりたい。頑張ってれば、諦めなかったら、いつか二人みたいに、はやてちゃんを支えていける。安心して幸せに出来るような立派なお姉ちゃんになれるって思ってる。そうすれば、きっと、いつかまたお父さんもお母さんも私のことを褒めてくれるんじゃないかなって・・・・・・そう思ってるんよ」

「そっか。それも、ゆとりの夢なんだ」

「うん」

「叶うよ、絶対。ゆとりが頑張ってるの、私にもわかったから。だから、ゆとりの夢が叶わないなんて、あるはずない。だって、その・・・・・・」

 

 そこまで言って、急にフェイトちゃんが言葉を言い難そうに、じゃなくて、言おうか言わないでおこうか迷ったようだけど、最終的に顔を赤くしながら口に出した。

 

「わ、私にも・・・・・・ゆとりみたいなお姉ちゃんがいたらいいなって、思ったから」

「そ、そうなんや」

「・・・・・・うん」

 

 あかん、照れるわー。

 言ったフェイトちゃんも、言われた私も少しだけ気恥ずかしくて黙ってしまう。

 先に再び口を開いたのは、フェイトちゃんからだった。

 

「・・・・・・どうして、私に夢の事を教えてくれたの?」

「それは・・・・・・」

 

 震えそうになる声を必死に抑える。

 大切な事を伝えるのは、いつだって怖い。しっかり伝えられる自信なんてないし、これが正しいなんて確証もないんだから。

 単なる独りよがりの自己満足。そう切り捨てられてるかもしれない。

 それでも、知ってしまったから。その上でフェイトちゃんの選択に口を出してしまった以上、私はちゃんと言っておかないといけないって、私自身がそう思ったんだ。

 

 間違ってても、見放されても、私の想いだけは裏切れない。

 

「それはね、フェイトちゃんならまだ間に合うからやよ」

「間に合う?」

「だって、フェイトちゃんのお母さんは生きとるんやもん。顔を見ることも、お話しする事だって出来る。触れたら温かいって思えるし、『ありがとう』って『ごめんなさい』って伝えられるから。それって本当にすごくすごーく幸せな事なんやよ?」

 

 私にはどちらも言えなかった。

 出来なかったし、もう出来ないことばかり。あるのは後悔だけで、どうしてもっとたくさんのやりたい事をしなかったのかって責め始めたら切りがない。

 

「だからね、この手を放したらダメなんよ。絶対に離したらダメやったんよ」

「ゆとり、えっと・・・・・・」

 

 少しだけ体を放し、まっすぐにフェイトちゃんと向き合う。

 見つめ返してくるフェイトちゃんの表情は、困惑の色が浮かんでいた。

 

 まあ、そうだよね。

 だって、私は大事な部分を飛ばして言いたいことだけを先に言っちゃったんだから。

 自分勝手な想いで目の前の少女を傷つけるのが怖くて、他人の癖に踏み込んでいいのかと躊躇って、つい逃げてしまった。

 その結果、伝わらなかった。ちゃんと全部言わないと。

 

 例え、フェイトちゃんを傷つけて、間違った道に進めるとしても。

 

「ごめんね。その、話の意味がよく分からなくて――」

「お母さんと上手くいってないんやよね」

「――っ」

 

 私の一言に、フェイトちゃんの目が大きく見開く。

 ずきりと痛む胸を無視して、話を続ける。

 

「フェイトちゃんと話しとって、気づいたんよ。フェイトちゃんはすごくお母さんの事が好きで、そんなお母さんの力になろうって、すごく頑張ってるって。――せやけど、それやとアルフさんの話と合わないんよ」

「・・・・・・アル、フ?」

「うん。アルフさんが教えてくれたのはね、フェイトちゃんが怪我した理由とか、二人が何やってるのかっていうのと他に・・・・・・、フェイトちゃんのお母さんの事も聞いたんやよ」

 

 話してくれた時のアルフさんの表情を、私は忘れてない。

 フェイトちゃんの体を気遣って悲しげな表情をしていたアルフさんが、フェイトちゃんのお母さんの話になった途端に瞳に怒りと憎しみを宿した瞬間の事を。

 

「アルフさんなぁ、フェイトちゃんのお母さんの話をしとる時すごく怒ってた。フェイトちゃんに冷たいし、すごく辛く当たって、フェイトちゃんを悲しませてるって」

「そ、そんな、こと・・・・・・っ!」

 

 フェイトちゃんがお母さんの話をしてくれた時、すごく嬉しそうですごく寂しそうだった。

 最初は単なる行き違いみたいなものがあるのかなとかって思ってたけど、でも話が進むにつれて、どんどんと違和感が大きくなっていった。

 だって、フェイトちゃんの話は初めから終わりまで、お母さんは優しくて暖かくて大好きだってことばかりで、一度もフェイトちゃんはお母さんへの不満を口にしなかった。

 

 ただの一度も、一言もだ。

 

 それが、なんだか怖かった。

 今でもよくわからないけど、少なくともアルフさんから聞いていた話と合わない。

 二人の話の間には大きな齟齬があって、その溝はきっと恐ろしく深い気がする。

 

 アルフさんが嘘をついてるとは思えないし、フェイトちゃんが間違ってるとかも考えてない。それがわかるほど、私は二人と長く付き合ってないから、正しい判断なんてできるはずもないけど。

 だけど、アルフさんの話にあった出来事の一つが、私の心に棘のように刺さっている。

 どうしても見逃すことのできない、フェイトちゃんのお母さんの行いが。それは――、

 

「フェイトちゃんに、怪我させたって聞いたんよ」

「――違うっ!」

 

 私の言葉に、今度ははっきりとフェイトちゃんが否定した。でも――、

 

「違う、違うの!? あれは私が悪いんだ。怪我だって、本当は大したことないのに・・・・・・! あ、あの執務官にやられて、だから、全然痛くなかったんだ。だ、だから、母さんが私を叩くのは、悪いのは、私で、私が悪くて――!」

 

 口から出る言葉は、全て自分に言い聞かせるような言い訳ばかり。

 瞳に浮かぶ光は弱々しく、一言吐き出す度に悲しみに染まっていく。

 

「もっと上手く出来てたら、よかったんだ・・・・・・。私がもっと強くて、賢くて、それでちゃんと母さんのお願いを聞けてたら、きっと母さんは怒らなくて、本当は優しいのに。なのに、わ、私がダメで、ちゃんと出来ない私が、私がダメで、だから、だから――、」

 

 不意に言葉が途切れ、うっすらと涙が瞳に浮かぶ。

 今も必死にもはや意味のなさない言葉の羅列を語ろうとするフェイトちゃんに、私はそれでも救いの手を差し伸ばすのではなく、追い打ちをかけることを選んだ。

 

「フェイトちゃんは、ほんまにお母さんの事が好きなんやね」

「――うん、好きだよ。私は母さんの事が好きなんだ。世界中の誰よりも。・・・・・・でも」

 

 でも、と。

 出尽くした言葉は続かず、だけど、それでも答えを求めて、伝えようと、懸命に取り繕おうと言い訳を探して、探して、探した先にその真実はあったのだろう。

 

 俯いて、ぽつりと呟いた。

 

「母さんは・・・・・・私の事が嫌い、なのかな?」

 

 それはきっと、フェイトちゃんの本音。

 見えてたのに見たくなくて、知ってたけど気づきたくなくて、ずっと誤魔化して隠し続けてきた、辛い現実。

 

「私は・・・・・・ただ昔みたいに母さんに笑ってほしいだけだったんだ。手料理を作ってくれなくてもいいから、一緒に寝てくれなくてもいいから、母さんには笑顔でいてほしかった」

「うん」

「だから、ずっと頑張ってきたんだ。恐い思いをしても、危険な目にあっても、それが母さんのためになるならって・・・・・・痛いのも、辛いのも我慢して、それで、ずっとずっと、頑張ってきたんだ・・・・・・!」

「うん、頑張ったんやね」

「でも、母さんは笑ってくれないッ! こんなに頑張ってるのに、母さんは笑ってくれなくて・・・・・・! きっと私がダメなんだって、ずっとそう思って、努力して、強くなろうって頑張って・・・・・・なのに! 母さんがあの目で私を見るのを止めてくれなくてっ! それが、すごく嫌で、辛くて・・・・・・ッ!」

「うん、わかるよ」

「嫌われたくなったから、頑張ったんだ! 叩かれても、怒られても好きだったから我慢できた・・・・・・母さんのことが大好きだったから! だから、たくさん頑張ったんだっ! あの子を傷つけても、たくさんの人に嫌われても、母さんにだけは嫌いになってほしくなかったから・・・・・・。私の、母さんを好きだって気持ちだけは、絶対に変えたくなかったからぁ・・・・・・ッ!」

 

 もう止まらなかった。

 ここにはもう、気丈に戦う魔法少女も、母の愛を盲目に信じるだけの少女もいない。

 私の胸にしがみ付いて、溢れる涙と嗚咽を止められない彼女の姿は、臆病で寂しがりやなごく普通の女の子にしか見えなかった。

 

 今、ようやくフェイト・テスタロッサは、自分の足元、すぐそこにあった奈落の底にあるものに気付いた。

 深く淀んだ真っ暗な谷底にあるのは、信じたいと願った幻想じゃなくて、目を逸らし続けてきた残酷な現実と、とっても恐い未来の可能性。

 

 逃げ続けたって、いつかはその日はやってくる。

 傷だらけになるかもだし、壊れるかもしれない。

 

 それでも、時間は進んでいくから――、

 

「だから、私は、私は・・・・・・ッ!」

「もう、止まれないんやね?」

「・・・・・・ッ」

 

 頷く。

 

「覚悟も、決めちゃったんやよね?」

「ん・・・・・・ッ!」

 

 頷く。

 はっきりと、力強く。

 

「・・・・・・そっか」

 

 泣き崩れて、こんなにも弱音を吐いて、それでも前に進むなら。

 きっとそれは、フェイトちゃんの強さ。覚悟の重さ。

 

 その先にあるものが、破滅だろうと。希望だろうと。

 もうフェイトちゃんには前に進むしか道が残されてないのだろう。

 立ち止まるという選択肢は、とうの昔に置いて来てしまったのだろう。

 それなら、私に出来るのはただ一つ。

 

「いいんじゃないかなぁ、それで」

「え?」

「私は良いと思うよ」

 

 私は――、八神ゆとりは言う。

 

「間違ってる事をするのはいけない事だけど、間違えないと進めないなら、私は間違えても良いって思うな。たぶん、それは辛くて苦しくて、怖くて泣きそうになるかもしれないけど。でも、大切な人のためなら・・・・・・きっと我慢できる」

「・・・・・・」

「たくさんの人に怒られるかもしれない。嫌われるかもしれない。みんなが敵になっちゃうかもしれない。それでも、あの子が笑ってくれるなら。幸せになってくれるなら、私はそれでもいいよ」

 

 きっと、たくさん傷つく。

 

「私の手は小さいから、掴めるものなんて一握りしかない。だから、その掴めた一握りの大切な人を必死に守らないと、また私はきっと取りこぼしちゃうから・・・・・・」

 

 傷ついて、傷ついて、傷ついて、傷ついて、傷ついて、傷ついて――、

 傷ついて、傷ついて、傷ついて、傷ついて、傷ついて、傷ついて――、

 傷ついて、傷ついて、傷ついて、傷ついて、傷ついて、傷ついて――、

 傷ついて尚、その先にある願いを求めるなら。

 

「間違たっていいの。だって、それが私の限界なんだもん・・・・・・。弱くて、脆くて、頭もあまり良くなくて、だから必死になって、私の全部を使って。それで少しでも、ちょっとでも長くはやてちゃんと一緒に居られるなら――、私は命だって使ってみせる」

 

 聞いてほしい。

 

「だからさ、フェイトちゃん。これは、私からのお願い」

 

 フェイトちゃんの手を握る。

 小さくて、綺麗な女の子の手だ。この手がこれから傷ついて、数え切れないほど涙を拭う事になるのかもしれない。そう思うと、泣きたくなる。放したくなくなる。

 でも、私にはもう許されないから。

 

「絶対に、放さないで」

 

 聞いてほしい。私の罪を。

 

「この手だけは、大切な人と繋いだ手だけは絶対に離さないで」

 

 知ってほしい。私達の犯す罪の重さを。

 

「・・・・・・じゃないと、私みたいに一生後悔するから」

「・・・・・・うん」

 

 私は、フェイトちゃんだけの味方であり続けるから。

 

「約束する。母さんの手は絶対に離さないって」

「頑張ってね、フェイトちゃん」

「うん。頑張るよ、ゆとり」

 

 

「「さよなら」」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

◆◆◆

 

 

 キィ、バタン。

 

 静かに閉まるドアから、少し名残惜しい気持ちを振り払うために視線を外す。

 夜は更け、街の明かりがぼんやりと見える。

 冷える風が頬を撫で、少し肌寒く感じた。

 

「・・・・・・ぐすっ」

「・・・・・・アルフさん?」

 

 直ぐ隣で聞こえた声に振り返ると、壁に背中を預けたアルフさんが何故か涙ぐみながら鼻をすすっていた。

 私が声を掛けると、ハッとして慌てて乱暴に顔を拭く。

 それから顔を赤くして、何かを言いたげに口をパクパクしてたから、なんだかおかしくて笑ってしまった。

 

「フェイトちゃんなら、もう寝たよ。だいぶ疲れてたみたい」

「あ、ああ、そうかい。ありがとね」

「ううん、お礼なんていらないよ。それより・・・・・・ごめんね。フェイトちゃん、止められなかった」

 

 フェイトちゃんが起きる前、アルフさんと二人で話していた時に、ほんの少しだけでいいからフェイトちゃんと二人っきりで話が出来ないかと提案していた。

 二人がやっている事の危なっかしさに気付いて、本当は今やっている事を止めれないか。もしくはせめてもう少し安全に出来ないかって話をするはずだったのに、フェイトちゃんの想いを聞いている内にむしろ応援するなんて言ってしまった。

 ・・・・・・なにやってるんだろう、私。

 

「そんなことないよ! ゆとりが謝る必要なんてない。むしろ・・・・・・謝るならアタシの方さ。フェイトが止まってくれないって分かってたのに、これ以上フェイトと喧嘩するのが怖くて、アタシは逃げちまった。全部、ゆとりに押し付けて」

「押し付けられた、なんて私は思ってないよ。私はただ自分がやりたい事をやっただけ。アルフさんが責任を感じる事ないよ」

「でも――、」

 

 悔やむように、アルフさんが言う。

 

「そのせいで・・・・・・ゆとりを傷つけた」

「・・・・・・っ」

 

 ズキリと胸が痛んだ。

 息苦しい。胸の内で疼く感傷を悟れないようにって服の上から手で押さえたけど、あんまり意味はなさそう。

 

「私なら、大丈夫だよ・・・・・・」

「大丈夫って、そんなの嘘じゃないか。だって、ゆとりは今にも泣きそうな顔して――!」

「大丈夫だからッ!」

「!」

 

 少し大きな声で、アルフさんの言葉を遮る。

 大丈夫って自分に言い聞かせて、誤魔化して、頑張って笑顔で答える。

 

「私なら大丈夫だから、ね?」

「・・・・・・ゆとり、あんた」

 

 涙は零れてないかな? 

 声は震えてないかな?

 

 きっと酷い歪な笑顔になってるかもしれない。

 でも、これが最期だからって。二人と一緒に過ごせた、最期の会話かもだから。

 

 そんな私の笑顔を見て、アルフさんは泣きそうになりながら、それでもまっすぐに私の事を見てくれた。

 真剣な表情で、本気の目で言う。

 

「フェイトは、私が守るよ」

「うん」

「これ以上、フェイトを傷つけさせないし、アタシがずっとそばにいる。絶対に幸せにして見せる。約束するよ」

 

 力強い宣言だ。

 アルフさんの想いの籠った、フェイトちゃんを守る約束。

 それを聞いて、少しだけ肩の荷が下りた気がした。

 

「だからさ、全部終わったらさ、次会えたらフェイトの友達になっておくれよ」

「――」

「・・・・・・ダメ、かい?」

 

 フェイトちゃんと、私が友達?

 考えて、ふとある光景が思い浮かぶ。

 私とはやてちゃんがいて、隣にはぼーとした灯ちゃんがいて、何故かちょっと怒った顔の赤いアリサちゃんが立っている。その反対側には笑顔のフェイトちゃんがいて、アルフさんもいて。それどころか、私の知らない人が何人もいて。みんな笑顔だ。

 刹那で過った白昼夢に、少しだけ心が躍った。

 次、があるのかな? ・・・・・・あったらいいな。

 

「次会えた時、フェイトちゃんが幸せだったら良いよ」

「そうかい。なら、大丈夫だね」

 

 アルフさんが笑った。私もちょっとだけ笑った。

 

「今日はフェイトを助けてくれてありがとね。こっちに来てからゆとりと出会えて、本当に良かったって思ったよ」

「それなら私も。二人との時間は、楽しかったから」

「そう言ってもらえると嬉しいねぇ。まあ、初めに会った時はここまで縁が続くとは思わなかったけど」

「うん、私も」

 

 不思議な縁だった。

 おかしな出会いだった。

 すごく楽しかった。

 

「私も、もっとお話ししたかった」

「アタシもさ。今日は少ししか話せなかったけど、アタシの中でゆとりの印象はだいぶ変わったからね」

「そうなの?」

「ほら、最初に会った時って、ゆとりって泥だらけでなんか弱っちそうだったじゃないか。でも、今はそうじゃないってわかった。ゆとりは弱くない。すごく強い子さ」

「・・・・・・そんな事ないけど」

 

 素直に喜んでいいのか、ちょっと分からない。

 アルフさんって歯に衣を着せない人だから、所々でぐさぐさくる。

 

「だからさ、アタシはもっとゆとりと話したいのさ。そうすればゆとりの事だっていろいろ分かってくるだろうしね。ほら、今だってなんかさっきと雰囲気が違うじゃないか」

 

・・・・・・、・・・・・・・・・・・・。

 

「・・・・・・そんなことあらへんよ?」

「ん? んー、そうかい? アタシの勘違いだったかい?」

「たぶん、そうやないかな?」

「???」

 

 首を傾げるアルフさんに隠れて、そっと息を吐いた。

 

 エレベーターで一階に降りて外に出ると、いよいよお別れなんだって思って少し寂しくなる。

 周りは暗く、街の喧騒も遠い。

 人気のない駐車場には、一台のタクシーが停まっていた。

 

「あっ、タクシー呼んでくれてたんや。ありがとうなー」

「いいってことさ。っていうか、ちょうど近くに停まってたから、あんまり探してないんだけどね」

 

 可笑しそうに言うアルフさんの顔は、もう影はない。

 いつも通りのアルフさんに安心して、私達は向き合った。

 

「それじゃあ、お別れだね」

「うん。さよならやね」

「何言ってるんだい。またね、だろ?」

「うん、そうやった」

 

 くすりと笑い合う。

 タクシーの前まで行くと、運転手さんが窓から顔を出した。

 

「おや、もうお話しはいいのかい?」

「おっと、待たせちまったね。悪かったよ」

「いやいや、これでも待つのには慣れてるからね。気にしなくても良いよ。それよりも乗るんだろ?」

「あ、はい。よろしくお願いします」

 

 後ろのドアが開いたから、そこに乗り込む。

 ちょっと固めの背もたれに体を預けると、どっと疲れが出た気がした。

 

「それじゃあ、ゆとりを頼むよ。ゆとりは疲れてるんだから、安全運転してくれないと怒るからね」

「はっはー、お嬢さん元気がいいねぇ。何か良いことでもあったのかい? まあ、安心してくれよ。僕は今はプロのタクシー運転手だからね。ちゃんとゆとりちゃんは家まで送り届けるよ」

「本当に大丈夫なんだろうね?」

 

 外でアルフさんと運転手さんが何か話してる。

 でも、ちょっと気を抜いたらなんだか眠ってしまいそうで、ちょっと耐えれそうにない。

 程なくして、タクシーが走り出した。

 アルフさんが見えなくなるまで手を振った後、ふと思いつく。

 

「あっ、そうや。運転手さん、私の家の住所なんやけど・・・・・・」

「ああ、それなら大丈夫。ちゃんと知ってるから」

「え?」

 

 瞬間。

 体から力が抜けた。

 

「君はなかなか見どころがある子だよ。いや、見ごたえのある子かな? 魔導師と知り合いだって言うからちょっと気に掛けたけど、まさか本当に偶然なんだから驚いたよ」

「なに、を・・・・・・?」

「『間違えないと進めないなら間違えても良い』だったかな? 気が合うねぇ、僕も同意見だよ。世の中なかなか思い通りにいかないからさ、ちょっと悪い事でもしないと守りたいものも守れない。本当に世知辛い世界だ」

 

 眠い。すごく眠い。

 もう、運転手さんが何話してるかも聞こえない。

 

「まあ、今の君には僕が何言ってるか分からないだろうけどさ、お互いに命を懸けてでもやらなきゃいけない事があるんだ。だから、いつかはぶつかり合う時が来るんだろうけど――」

 

 私の意識は、暗転する。

 

「その時はよろしく頼むよ――八神ゆとりちゃん」

 

 

 

 




ヤ「ぃよっしゃあ、ようやく出来たァ!!」
は「おつー」
ゆ「かれー」
ヤ「さまでしたァー!」

は「で、複線とかバリバリ入れてたようやけど、この後どうなるん?」
ヤ「予定では無印終了後の空白を一話か二話入れて、そのあとA’s編に入る予定です」
ゆ「わー、そうなんやー」
は「で、次の投稿はいつになるん?」
ヤ「・・・・・・」
は「おい」

ゆ「次回も楽しみにしててなー」

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