第一話 宛のない旅
街中におぼつきない足取りで、ふらふらとさ迷っている一人の少年がいた。
迷子でもなく、周りに彼の保護者らしき人物はいない。それどころか、彼の側には誰も近づこうとしなかった。
ボロボロの服に、汚れた手足。
貧相な格好に身を包んだ少年。
虚空のように染まった真っ黒の瞳。
隠れた町民は怯えるように彼を睨み付ける。
「俺は………」
気付けば、少年は町の広場の中央に立っていた。誰からも声をかけられず、ついに辿り着いてしまった。
少年が振り向くと、家の窓から覗いている女性の姿があった。彼と目を合わせるのを、極度に拒むかのように慌てて窓を閉める。
周りを見渡しても、少年は孤独だった。
───俺は誰も信じないことに決めたんだ。
人を信用するとは、絶対にしない。少年が、その数少ない年月の中で学んだ教訓がそれだった。
誰かに優しくされたと思えば、その人にあっさりと裏切られる。こちらが危険から助けてあげれば、その人は怪物を見るような目で見てくる。助けたはずなのに、どうしてそんな恐怖に包まれた瞳を向けてくるのか。
分からなかった。分かろうとしなかった。
少年にとって、それが当たり前だった。
───コツン………。
少年の足元に石ころが転がってきた。
少年の視線の先には彼と同年代と思われる別の男の子がいた。男の子の右手には石ころが握られている。
男の子の隣には、幼い女の子が怯えながらも男の子の影に隠れてそっと少年を覗いている。顔付きが似ている。男の子の妹のようだ。
「化け物!!とっととこの町から出ていけぇ!!」
悲痛な叫び。
容赦なく鼓膜に響く。
少年の胸に痛々しく刺さる。
………化け物。あぁ………そうなんだ。
少年は一体何をしたのか分からない。ただ、自分が正しいと思ったことをしたのに過ぎないのにその代償はこれだ。
他人からの軽蔑だ。
「ひぃぃい!!」
少年が暗闇に染まった瞳を向けると、男の子は恐怖に睨み付けられたかのように体を震え上がらせる。
男の子の足が、がたがた震えている。
恐いのだ。何を考え、何をしようとしているのかまったく読めない目の前の自分と同じ年頃の少年を。
少年は悲しそうな瞳を向けたまま、何も言わなかった。
男の子と彼の妹の母親らしき人物が、相当慌てた様子で駆けつけてくる。近寄っちゃ駄目でしょ、と小さな怒声と共に母親は妹を抱いた。
そして、その場を去ろうとするが───
男の子が置き土産とばかりに、手に持っていた石ころを少年へと勢いよく投げ付けた。
母親は気付いた素振りを見せず、男の子に早く来なさい、と言うと一目散に広場を去っていった。男の子は石ころを投げると同時に、結果を見ることなく逃げるように母親を追っていった。
華麗な弧を描きながら、石ころが少年の頭上へと飛んでいく。
少年の元へと迷いなく。
だが、少年は動かない。
やがて、石ころが少年の体にぶつかりそうになったその瞬間、バチンと甲高い音がしたかと思うと石ころが砕け散っていた。
少年以外、誰もいなくなった。
いや、誰かはいる。少年を人間として見ようとする者はいない。ここには少年を化け物として除け者にする者しかいない。
周りからの拒絶の視線はまだ幼き少年の心を貪んでいく。
───出ていけ。出ていけ。
───私達の平和を乱すな。
───近寄らないで。
………人間とは録な生き物でない。
少年は幼き心の中で、イヤというほど痛感した。せざるを得なかった。
やがて、少年は歩く。
何処へ。今の少年に居場所なんてない。
───何が世界は優しさに満ちてるだ。自分より恐い対象があれば、数で排除しようとしてくる。この行為に優しさなんて、微塵もない。
───嘘つき。
少年は町から姿を消した。
少年の名前は───
『ソウ・エンペルタント』
ソウは一人、闇の中を進む。
◇
初めて人から物を貰った。
それはソウの親代わりとなっていたアスペルトが行方不明となって、数日後の話だった。
親切そうな優しい髭の生やしたおじさん。ソウにシワの寄った笑みを添えて、食べ物を渡してきた。
街中で宛もなく、ぶらついていたソウにとって、ありがたい恩恵だった。
だが、それは───腐っていた。
かじったその瞬間に、異臭が口内を包む。ソウは、たまらず吐き出した。間一髪だった。
下手をすれば、腹を壊して食中毒になりかねないほどのものだった。
食べ物を渡してきたおじさんは既に行方を眩ましていた。後に聞いた巷の噂によれば、詐欺師らしい。ソウに食べ物を恵んだのも、単なるおふざけだとソウは結論付けた。
ふざけるな。少しでも警戒していたからこそ、食べ物を食すことに抵抗があったソウ。だから、今のソウは生きることが出来たのだ。もしあの時に、無心にかぶり付いていたのなら、腹を壊して体調を崩す。今の彼にとって、看病してくれるほど親しい人物が居ないがために、死へと一直線に向かっていただろう。
ソウはふらふらとさ迷った。
目的もなければ、宛もない。ただ赴くままに歩くのみ。彼の瞳に正気はないほど深く闇に染まっていた。
だが、彼も人間だ。何も口にせずに歩く行為しかしなかったソウは気がつけば、意識を失っていた。
◇
「ここは………」
周りを見渡す。
辺りは暗く、布地が四方を囲んでおり、上を見ると天井がある。床は木の板が敷き詰められている。
さらに時折、ガタンと床が揺れた。
以上の情報からソウはここを馬車の中だと断定する。
よく見渡すと、数人がばらばらに座っていた。共通するのは全員がまだ幼い子供だという点、服装が貧相である点、何もかも諦めたかのような虚ろな目をしていた点。
「あ、起きた?」
隣からの幼き声。
振り向くと、そこには黒髪の少女が心配そうに見つめていた。
彼女と目が合う。互いが無言でじっと見つめ合う。しばらくの間、その状態が続いた。
「大丈夫?」
こくり、とソウは頷く。
彼が大丈夫そうだと、少女はほっと表情を緩めた。
「ここは?」
「………分かんない」
少女は首を横にふる。
会話をしているのは彼女とソウのみ。
子供は誰も話そうとしない。隅に座り、引きこもっている。
「あ、でも運転してるおじさんがお家に連れていってくれるって言ってたよ」
そうなのだろうか。
ソウから見れば、目の前の少女は騙されてこの馬車に乗せられてきたとしか思えない。
他人を真っ先に疑う彼にとって、少女の言うことは信じられないのだ。
「後、どれくらいなんだろう?」
少女は露知らず、純粋な気持ちでいた。他人の言葉を鵜呑みにした彼女は周りの子供達の様子を見ても何も思わなかったらしい。
ソウはこの少女を素直な性格、などとはかけ離れた只の残念な子としか思っていなかった。
「急にあなたが運ばれてきたから私、びっくりしたよ。ずっと寝てばっかで、私がつんつんしても起きないし、このまま起きないんじゃないかって思っちゃった」
そして、ソウは自分も何処かへと連れ去られている最中の子供の一人だと自覚した。
この馬車に乗る前の記憶は途切れている。唯一覚えていたのは、空腹による欲求との葛藤のみだ。
「お腹減った………」
「う~ん、何もないよ」
少女は困った表情になる。
ソウは空腹には慣れている。故にそこまで親身になって考えてくれる少女が不思議で仕方ない。
ソウは立ち上がる。
「あ、どこ行くの?」
少女を置いて、ソウは馬車の前方の方へと歩み寄った。運転席は布で遮られている。ソウからは見えないが、気配は感じる。
男二人。姿は確認できないが、ソウの魔法なら彼らの会話を盗み聞きなど容易いことだ。
「なぁ、後どんぐらいだ?」
「結構あるな、早くて5時間」
「あ~あ~暇だな~」
「忙しいよりはましだろ」
「まぁな、思ってたよりもこいつらが大人しいしな。あっさり行きすぎて、怖ぇほどだ」
「誘拐されても誰も気づかねぇほどの残念な奴等ばかりを狙ったからな。ばれやしねぇよ」
ソウはそれ以上を断念。
座っている少女の元へ戻る。
「家に帰りたい?」
「え?うん」
少女は頷く。
何故だろうか。何故自分は彼女のことを助けようとしているのだろうか。
自分だけここから逃げることは簡単だ。
誘拐犯の男二人はそれほど強そうではなく、さらに実行し終えた後から来る慢心で油断している。
馬車を突き破り、抜け出す。たったのそれだけで逃走出来る。他の子達がどうなろうと関係ない。
───関係ないはずなのだ。
なら、どうして自分は彼女の安泰を気にしているのだろうか。ソウは不思議になった。
彼女を助けても利点なんてない。むしろ、損しか返ってこないと学んだばかりだ。どうせ助けても彼女からは蔑んだ瞳で見られるはず。
今までと変わりない。
そのはずなんだ。
「………よく聞いて」
何故だろう。
ソウは無意識に彼女に知られざる事実を話そうとしている。
少しは期待している自分がいる。
ソウと初対面の者は初めからどこか目が濁っていた者ばかりだった。何度もそれを見るのが嫌で段々と人の目をみることを拒絶するようになった。
彼女に声をかけられたあの時、ソウははっきりと彼女と目があった。彼女の瞳は純粋で、何色にも染まっていなかった。
だから───
彼女を見捨てることは出来なかった。普通なら辿り着かない結論だが彼女なら助けても良いかもなんて甘い考えが脳裏を過った。
心の何処かではまだ他人を信じたい自分がいたかもしれない。彼女の瞳に希望を持ってみたいと別の自分が無意識に思ったのだろうか。
ソウは少し目を落として真実を告げる。
「君は帰れない………」
「え?」
「これは家に帰らない。別の所に行く」
「えっ………!?えっ………!?」
少女の瞳が揺らぐ。
彼女の脳内では嘘と真でぐちゃぐちゃに混ざり混んでいるのだ。
だが、ソウは止めない。
「このままだと、君の母親や父親には会えない」
「嘘だよ!!おじさんは家に返してくれるって言ってたもん!!」
ソウは力なく首を横に振る。
「違う。君はその人に嘘をつかれてる。これから向かう場所は………分からないけどこれだけは言える」
「なんでそんなこと言うの………?」
少女が涙目になる。
否定し続けるソウに少女はそんな問いをぶつけた。
来るのは分かっていた。
唐突に告げられた事実をいきなり受け止められる訳がないのだ。
「簡単。君をほっておけないから………助けたいと思ったから」
「私を?」
「周りを見て」
「うん」
少女は周りを見渡した。
子供が数人いるが、どれも顔を隠して他人との触れ合いを完全に拒絶している。
「皆、寝てるね」
「寝てなんかいない」
「じゃあ、どうして下を見てるの?」
「君には分からないけど、あの子達はもう帰る場所がないと思う」
「ないの?」
「うん。だから下を向く。そうしたら、床が見えるでしょ。床を見てると何故か心が安心するんだろうね。君にはその時の気持ちが分かる?」
「………分かんない」
少女は数秒の思考、否定の意を示す。
彼女が理解出来ないのは当然。居場所を失うという経験をした者が行く末路を目撃した時に初めて理解するものだからだ。
故にソウはかじり気味だがある程度は理解していると自負している。
「君には帰る場所がある。こんなところにいてはいけないんだ」
「あなたは?」
「今、君が考えるのは帰ることだけ」
ソウの真剣な表情の前に少女はそれ以上言わまいと口をつぐんだ。
「何かに掴まってて」
「うん。皆にも言った方が良い?」
「………あぁ」
少女は頷くと、大声を張り上げた。
「みんな~~、何かに掴まってーー!!」
数人が恐る恐る顔を上げた。
やがては力なく近くの物へとしがみついた。
「ここ………」
何かを探るようにしていたソウは馬車の中心へと立つ。
そして───
「っ!!」
思いっきり真下を踏みつけた。
すると、波が揺れたかのようにぐらりと馬車が跳び跳ねる。少女の体も軽々と宙へと浮かび上がる。彼女の手はしっかりと掴んでいた。
馬車が地面へと着地すると同時に衝撃に耐えきれなかったのか、馬車はバランスを崩した。
「きやぁぁぁぁ!!!」
少女の悲鳴が上がる。
馬車は不安定のまま、横道へと逸れる。
車輪がガタガタと揺れて、今にも横転しそうな速度で走る。
───止まらない。
「おい!!どうなってんだ!?」
「知らねぇよ!!取り合えず止めろ!!」
「お、おう!!」
「って!!前ぇ!!」
「え!?うわぁぁぁ!!」
馬車が大木へと真正面から衝突。
それは馬車の中へとはっきりと伝線した。少女の短い悲鳴が上がり、メシメシと馬車が嫌な音を出す。
数秒後、静寂が訪れた。馬車は完全に停止していた。
ソウのいた所では僅かに隅に置かれた荷物がぐちゃぐちゃに散乱していた。あらかじめ少女が呼び掛けていたお陰で大怪我を負った者はいない。
床へと懸命に伏せていたソウは馬車が止まったのを確認すると、少女へと声をかける。
「早くここから出れる方法を探して」
「え?でも………」
「早く」
ソウの威圧的な態度に少女は言葉を飲み込んで立ち上がる。
キョロキョロと馬車の中を見渡して、少女はある一点で視点を止めた。
「あったよ!!」
先程のせいなのか、四方を囲んでいた布地に亀裂が出来ていた。子供なら余裕ですり抜けられるほどの大きさだ。
ソウも亀裂を調べると、背後に立っている少女に言った。
「先に行って安全を確認してくる」
「う、うん。気を付けて」
少女に見送られて、ソウは外へと出た。
外は森林の中のようだ。木々に囲まれており、一目ではここがどこなのか判断がつかない。
馬車は大木の前で止まっていた。車輪の一つにひびが走っており、そのせいで運転が安定しなかったことが分かる。
ソウは周りを警戒して魔法を発動。
魔法による探知の結果、危険はないことが判明。少なくとも数分でかけつける距離まで人影はない。さらに遠くに町がある。
ソウは運転席の方を見ていた。運転手と付き添いの男は動かない。さっきの衝突で両者とも意識を失っている。
これは逃げ出すのには好都合だ。
幸い、こっちに気絶した者はいない。いきなりの衝撃にびっくりした者はいるものの、その場から動けない訳ではない。
時間が惜しい、とソウは少女の待つ亀裂へと急いで戻った。
亀裂から、馬車の中へと顔を覗かせる。
「どうだった?」
「大丈夫。今なら逃げれる」
「え?」
少女は不思議そうな顔をする。
「ここから出て」
「逃げるの?」
ソウは肯定する。
「だから大人が起きる前に隠れないと」
ソウの説得に少女は納得したのか、ソウの抜け出した時と同じように亀裂をくぐり抜ける。
「他の皆は?」
「君がそうしたいのなら、好きにすれば良い」
「なら、連れていく!!」
少女は再び中へと戻る。
中から彼女の呼び掛ける声が聞こえる。ソウは外から黙って見守っていた。
数分後、ソウの予想とは裏腹に子供が出てきた。あのまま閉じ籠っているかと思っていたソウは面食らった。
「あっちに」
ソウの指差す方へと子供達はとぼとぼと小さな足取りで歩いていく。
ソウの記憶の限り、最後の一人が出てきた。
後は彼女だけだ。
「皆、私と同じように嘘つかれてたみたいだよ。お父さんとお母さんが捨てたって」
ピョコッ、と顔を出した少女はソウにありのままに告げた。
ソウは少女へと手を差し伸べる。
「ありがとね」
「うん」
少女はソウの手を掴むと、ソウが力限りで引っ張り少女の体が馬車から抜け出す。
彼に笑顔を見せた少女は彼の手を握ったまま、その場を離れようとする。
「ほら、私達も早く行こ?」
少女は彼に背を向けて歩こうとするが。
───ソウはそれを拒絶した。
「どうして?」
少女の疑問はすぐに解消される。
ソウの背後に大きな人影。
「どこ行く気だぁ?」
凄い形相をした男がソウと少女の目の前に立ち塞がったからだ。少女は恐怖を感じて、彼の背後に隠れる。
「いきなり何が起こったかは知らねぇがてめぇの仕業のようだな」
「ど、どうするの………?」
ソウの背後で怯えている少女。
「逃げて」
「え?」
「ここは危ないから」
「でもあなたを置いていくわけには………」
「大丈夫。一人で平気だから」
少女はそれでも動こうとしない。
ソウが一歩前へ出て、男の顔を見上げる。
少女の片手が彼の背中をかする。
「俺が魔法を起こした。だから、俺だけで十分のはずでしょ」
「てめぇ………魔導士か!!」
「あの子は見逃してくれない?」
「ふ………いいだろう」
ソウは背中に回した手で彼女を追い払う仕草をする。後ろを見ようとはしない。
少女は何かを言おうと口を動かすが、何も言わなかった。
「ごめんね」
最後にそう彼に告げると、男から逃げるように駆け出した。
「男の宿命ってやつか?坊主」
「ううん違う」
「ほほぉ~、まぁいいや。魔導士はこの地方じゃあ珍しいからな。オレの為に働いてもらうぜぇ」
男はソウを見下す。
魔導士は多く存在するが、その数は限られてくる。ましてや彼らのいる地域では魔導士の存在自体があやふやなほど、圧倒的に数が少なかった。
そこに魔力を操るソウが名乗り出たのだ。
男の取り扱う仕事では魔導士の価値は群を抜けて高い。故に男にとって、目の前の小癪な少年は絶好な獲物だった。
そのはずだった────
「あの子に逃げてもらったのは、この魔法がまだ制御しきれてないからね。怪我してもらったら困る」
「はぁ?」
男がいきなり呟きだした彼に不思議そうな態度を見せる。内心では、何言ってんだぁ?と彼を見下していた。
「てめぇ………何してんだよ?」
ソウは右手を天へとかざした。
軽く笑みを浮かべながら、ソウは男に優しさから来る、念のための忠告をしておく。
「先に言っておく」
───死なないで。
「っ!!」
少年のかざした手から青い球が具現されたかと思うと無音で破裂。
刹那───轟音と共に森林が崩壊した。
続く────────────────────────
【おまけ】
その後、森だった所を歩くソウ。
「あ………
オリジナルの敵キャラってあり?(無しの場合だと、原作に出てきた敵キャラのいずれかを主人公が奪い倒す形となる予定)
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あり
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なし
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ありよりのなし
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なしよりのあり
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どっちでも