咲と照のセリフと高校が逆だったら   作:緋色の

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お姉ちゃん、私はあなたが好きでした。


花と太陽 5

 咲が強くなればなるほど、家での麻雀はつまらなく、嫌なものになっていく。照は勝つことにばかり目がいっていて、とても楽しそうとは言えない。

 

 両親も同じだ。最近は楽しそうに麻雀を打たない。前に比べて疲れた顔をしている。たまに聞いたりするが、あなたは気にしないでと返すだけで何も教えてくれない。

 

 咲はおかしな打ち方をしていない。ちゃんと従った。それなのに何で家族麻雀はつまらなくなっているのだろうか。咲にはこうした麻雀が正しいとは思えなくなっていた。

 

 二人麻雀も楽しくない。照は楽しむよりも勝ちを優先するばかりで、ちっとも咲のことを見ていない。

 

 タツが来て、二人麻雀がはじまって。あの時は確かに希望に満ちていたというのに、どうしてこんな風になってしまったのか。

 

(私ばっかり勝つからかな……)

 

 わざと負けるべきだろうか。前までしてはいけないものだと考えていたが、こうも楽しくない時間が続くとやろうかと思ってしまう。

 

 その日の麻雀が終わって、咲はそそくさと自室に戻った。小さな手の中には勝って得たお金がある。三百円ぐらいか。その多くは両親からとったものだ。そのお金を貯金箱に入れる。

 

「はあ……」

 

 貯金箱は随分と重くなった。これだけでたくさん稼いだのがわかる。本当なら喜ばしい。しかし、勝てば勝つほど家族麻雀はつまらなくなる。貯金箱が重くなるほどに楽しくなくなる。

 

 現状、咲は家族の中で一番強い。照が躍起になるほどだ。

 

 咲にとって、照が憧れの姉であることに変わりない。今は咲の方が強くて、照は負けを重ねているが、やはり真剣に麻雀を打つ姿はかっこいい。楽しくない家族麻雀の中で、唯一変わらないものがあるのは幸いだった。

 

 楽しさを後回しにされているのは残念で、悲しい話だ。このまま続くならやめたい、と思ってしまう。その咲を引き止めるもの、それが宮永照のかっこいい姿であり、強さなんかどうだってよかった。大好きな姉の、その姿さえ見られれば、それだけで満足なのだ。

 

 思うところはあるが、今は家族麻雀を続けるしかない。その内よくなると信じて。

 

 

 

 

 

 

 土曜日。

 

 麻雀教室に通っている咲は、悩みを打ち明けていた。相手は語るまでもない。

 

 彼は一通り話を聞くと、顎に手を当てて「うーん」と悩むような声を発した。

 

(この子の環境は最悪、と言えないのが幸いか。麻雀以外はまともなようだし。 お姉さんに関しては単なる負けず嫌いだから、まあいいとして。ご両親は何をしてる。賭け麻雀をしろと言われたからってするものなのか? それに最近疲れているとあるし……もしや)

 

 咲を取り巻く環境は以前より悪化している。本人はただ楽しく麻雀をしたいだけなのに、大人が許してくれない。これでは本当に麻雀を嫌うことになる。

 

 説教しに行きたいが、赤の他人がいきなりなんだと言われるのがオチだ。タツが容易に口出しできる問題ではない。なので咲のために彼がしてやれるのは助言ぐらいなものだ。

 

 姉の方は、どうだろうか。ここに来てもらえれば簡単に解決しそうなものだ。咲と一緒にタツと麻雀を打てば強くなれる。

 

「咲ちゃんのお姉さんをここに連れてこれないか? それで解決になると思うが」

 

「休みの日は、二人麻雀やる時以外は何処か行ってるから。多分親戚のおじさんの所行ってるんじゃないかな」

 

 ああ、と彼は自嘲した。連れてくることができているなら彼女は悩み事として出していない。彼女だってこの麻雀教室に連れていこう、と考えたはずだ。しかし、それが失敗したからこうして悩んでいるのだ。

 

 突然変わってしまった姉に戸惑っている彼女をどうしてやるべきか。

 

 姉はおそらく負けず嫌いで、必死になっているのだろう。ずっと一緒にいた相手が、急に遠くへ行った。故に焦り、戸惑い、視野を狭めた。それで咲を蔑ろにしているというか、あるいは他に気をつかう余裕をなくしているというのか。

 

(わしより面倒か)

 

 彼の場合は、両親が厳しい人ではなくて自分たちの理想像を押しつけるタイプで、学校は何処を出て、何処に就職して、誰と結婚して、といったように全てを決めようとしてきた。当然反発した。そもそも両親に対して愛情などなかった。最低な親と憎んでいたぐらいだ。彼の反抗がきっかけで義絶となった。

 

 一見すると、彼の方が家庭環境は悪いように見える。咲は麻雀だけなのに対して、彼は全てを決められていた。自由な時間は少なく、一人の時間はどれほどあったのか。両親を憎むぐらいなのだから、相当に酷かったろう。

 

 やはり咲より酷いではないか。その結論に達してしまうが、見方を変えたらどうか。

 

 彼のように極端に酷ければ、対象を憎むなり、とことん嫌うことができ、その環境を捨てようと決心できる。

 

 咲は違った。麻雀を打つ時に理想を押しつけられるのみで、他は一般家庭と変わらないのだ。大好きな麻雀の時だけ窮屈な思いをして、それ以外は変わらない日々を送る。

 

 だから、家族を嫌えない。

 

 極端でない故にどうしたらいいのかわからず、黙って苦しみに耐えている。とても、とても小さな体で持ちこたえられるとは思えない。

 

 咲は今一人ぼっちで、真っ暗闇の中で自分の体を抱き締めている。恐怖と不安で体を大きく震えさせて、涙だって流している。

 

 彼女にはわからないのだ。どうしたら最高の結末に辿り着けるか。彼女が願う最高の結末、それは昔のように楽しく家族麻雀をすること。

 

 何て単純で、ささやかな願いだろうか。

 

 簡単に実現できそうであるのに、実は何よりも難しい。疲れた両親、躍起になる姉。認めるしかないというのか。これからしばらくは楽しくない家族麻雀をすることを。

 

 咲にとって家族麻雀と二人麻雀は絆、思い出、幸せな時間、といったかけがえのない大切なもの全てに直結しており、捨てられるものではない。

 

 タツと出会えたから麻雀の楽しさを再確認でき、そして家族との麻雀は自分にとってどういうものかわかった。だから、捨てられない。

 

 この日、タツにできたことは何もなかった。家族麻雀を大切にする咲に、しばらく打たないという選択はあり得ないものだ。彼にできたのはいつでもここに来ていい、悩みがあったら何でも聞く、頼りにしてくれ、その言葉を聞かせることだけで、彼にとっては何もしていないのと同じであった。

 

 

 

 

 

 ガシャ! と牌でできた山が崩れた。

 

 やったのは照だ。また咲に負けた。

 

「くっ、う……」

 

 咲が勝利するのはもう当たり前のことになっていた。おじさんがいようとそれは変わらない。これでもまだ本気ではないのだ。その咲に追いつけていない。本当に自分は強くなっているのか。その疑念が頭に浮かんだ。

 

「ふう……。本当に咲ちゃんは強くなった。やっぱりちゃんと打つようになったからだな」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 褒められても嬉しくない。咲は深く頭を下げてお礼を口にした。上げたままだと、表情がないとばれてしまう。顔を下げたのはあくまでも表情を隠すためで、それ以外に理由はない。

 

 数秒ほどそうして、咲は顔を上げる。

 

 照が悔しさを露にしていた。奥歯をギリッと鳴らし、牌を睨んでいた。頭の中には、どうしたら咲に勝てるか、それしかない。照なりに毎日努力しているものの、やはり段違いの成長を見せる咲には敵わず、一蹴されている。

 

 無論悪いことばかりではなかった。咲の成長が刺激となり、照の成長を促している。もしも咲が昔と変わらず、照より弱いままだったら、照も強くなれていない。しかし、実感できなければ成長していないのと同じだ。

 

 咲に置いていかれたくない。失望されたくない。

 

 照の思う立派な姉は、妹よりも強くて、手を引っ張っていける、そんな人だ。そういうのに自分はなれているのか。その疑問は抱くと同時に消えて無力感を与える。どうやっても咲には勝てないのだと、夢見た立派な姉にはなれないのだと。

 

 咲に勝つための努力は無意義に近い。本当の天才には誰も敵わないのか。誰よりも麻雀に愛されていて、誰よりも才能に満ちた少女を、照は涙が零れそうな目で見つめていた。涙を零さないようにと踏ん張る姿は、睨んでいるように見えた。

 

(お姉ちゃん、怒ってる……)

 

 私ばかり勝つから怒るんだ。勝たなきゃ楽しくないもんね。咲はもう限界だったのかもしれない。本人は楽しくやれたらいいのに、周りがそれを許してくれない。

 

 確かに今の照は睨んでいるように見えるし、怒っているように思える。ただそれはきちんと見れば、泣くのを堪えているというのがわかる。決して咲ばかり勝つことを怒っているものではない。

 

 疲れていたから見落としたのか、それともわざと見落としたのか。一つ言えるのは、姉が怒っていると捉え、原因は自分とする方が咲には楽だったということ。

 

 何てことはない。宮永咲は大星淡と同じなのだ。違ったのは、大星淡は麻雀に、宮永咲は自分に原因があるとしたこと。二人とも楽しい思い出を追いかけていた。

 

 次の半荘で咲は負けた。最低なことをした。勝ちにいかず、わざと負けたのだ。あがれる場面はあっても、わざとあがらずにいた。知りたかった。勝った姉がどんな反応をするのか。

 

 照は咲のことを知らず、本当に嬉しそうにしていた。隠しているつもりだろうが、喜びは表情となり、顔つきはすっかりと緩んでいた。目も潤んでいて、今にも嬉し涙を流しそうだ。心の底から喜んでいた。

 

 その姉を見て、咲は胸の奥がズキッと痛んだ。

 

 本当に最低なことをしてしまった。掴むべき勝利を、酷い形で掴ませた。何なんだ、と自分に問いただしたい。何様のつもりだ。姉を勝たせて、その反応を知りたがる。本当に偉そうだ。いつでも勝てるから、こうやって馬鹿にしたのか。それとも神様気取りなのか。可哀想だね、しょうがないねと、勝利を与えたのか。どちらにせよ、本当に、誰よりも、最低だ。

 

 自らしたことがどういうものなのか、わかるほどに胸の奥は痛みを増していく。ズキン、ズキン、ズキン、ズキン、と一定のリズムで痛みを発している。前の痛みが引かぬ内に、新しい痛みが生まれ、二つの痛みが重なる。すると、一際強い痛みが胸を引き裂かんばかりに駆け抜ける。

 

(私、最低だ)

 

 自分がどうしようもなく嫌になる。完全に上から目線だった。姉に失礼ではないか。次からはしないように気をつけなくては。しかし、先ほど見た、太陽みたいに輝いた笑顔は頭から離れなかった。

 

 照の笑顔を見られる日が早く来ることを願った。

 

 

 

 

 

 咲は勝ちすぎた。

 

 誰が相手でも。

 

「ははっ、本当に咲ちゃんは強くなったな」

 

 目は笑っていなかった。つくりものの笑顔。その仮面の下にはどれほどの怒りがあるのだろうか。疑問の答えを知るのは怖いからわからなくてよかった。

 

 両親がこちらを睨んでいた。あまり不機嫌にさせるな、と言いたいのだろう。姉は相変わらずだ。

 

「そんなこと……ないです」

 

 幼い子供に負け続ける。かつてプロを目指していたというおじさんのプライドはズタズタだ。

 

 はじめは強くなることをよしとしていたはずなのに、今ではこれだ。もう咲のことを可愛がっていない。照も照でおじさんに勝ち続けているはずだが、そこは咲に負けていることで、敵視されずに済んでいる。

 

(勝てば楽しいのが麻雀なのに、どうしてこうなるの。もうやだ……。こんなの、こんなの私の好きな麻雀じゃない)

 

 咲の視界が黒く染まる。かと思えば、すぐに元通りになった。彼女は喉をごくりと鳴らした、いる。すぐそこに、後ろに得体の知れないものが。そいつは冷気を放っていた。触れれば凍ってしまいそうだ。凄く恐ろしい怪物だ。

 

 彼女はまた見ない振りをして、無視した。気配は薄まっただけで、冷気は変わらずにあった。

 

(勝てば勝つだけつまらなくなる……なら)

 

 彼女は勝たない麻雀をはじめた。

 

 負けると、お金をとられるから負けないようにする。

 

 プラマイゼロをやれば勝ちも負けもない。

 

 二人麻雀と家族麻雀の時だけ楽しければいい。

 

 

 

 

 

 だけど、崩れたものは簡単には直らない。

 

「咲、あまり勝ちすぎるな。お前が強いのはよくわかったから」

 

「おじさんがいる時はおさえてちょうだい」

 

「いる時は勝たないよ。でもいない時はいいじゃん。普通に楽しく打ちたいし」

 

「はあ。……自分だけ勝って何が楽しいんだか」

 

 誰の耳にも届かなそうな小さい声で言ったのは父親か、それとも母親か。咲には区別がつかなかった。驚きで目を見張る。人それぞれ考えや捉え方が違うのは知っている。とはいえ、家族麻雀はそういうのを無視した、大事なものだ。そして、それはみんなも同じだと思っていた。

 

 ところが、現実は違っていた。

 

「そうだよね。つまんないよね。楽しいのは私だけ、だよね」

 

 口からどんな言葉が出ているのか、咲には予想もつかなかった。

 

「あ、いや、そうじゃなくて」

 

 慌てたような声を出したのは誰なのか。これはわからないのではなく、どうでもよかった。勝つなと言うなら勝たない。

 

 

 

 

 

 

 二人麻雀の時だけちゃんと打てたらいい。

 

 照は相変わらず、勝つことに執着しているが、そんなことはどうだってよかった。咲の大好きな姉がそこにいるのだから。

 

「咲」

 

「な、何?」

 

「中学生になったらどうするの? って、咲はまだ小学生の大会に出れたね。出るの?」

 

「出ない。中学はわかんない」

 

「そっか。咲なら優勝すると思うんだけど」

 

「しても、怒られそうだし」

 

 麻雀をしている時に話しかけられたのは久しぶりだ。元々打ってる時は集中しているので会話はあまりないが、咲が勝つようになってからは皆無となった。短い会話であったものの、咲には本当に嬉しかった。

 

 家族麻雀は週に一度、多くて二度あるぐらいだ。昔に比べたら回数は減ったが、咲にはそれでよかった。麻雀が絡まなければ、両親は普通にいい親だ。嫌なところを見なくていいのなら、家族麻雀なんて。

 

「カン。ツモ」

 

「は……い」

 

「?」

 

 点棒を取り出した照の表情が凍りついた。咲は訝り、しかし照がそうなる理由にすぐ辿り着き、ばっと後ろを振り返った。おじさんがいた。おじさんの怖い顔は忘れられない。

 

 咲は部屋に戻るように言われたが、無視して居間の近くにいた。扉の隙間から、照を叱るおじさんの声が廊下に流れ出ていた。声は辛辣で、刺々しい。咲は自分がやられたら絶対に泣くと思った。

 

「悪くないのに」

 

 照は何も悪くない。咲のためにと二人麻雀を用意してくれた。最近は本筋から外れてはいたものの、咲の麻雀を否定することはなく、また立派な姿でいてくれた。それは咲にとって何よりも支えになっている。

 

 心から大事にしたいものだ。

 

 自分の麻雀が姉をこんな目にあわせたのだろうか。それとも目くじらを立てる大人がいけないのか。自らを責めるようにして疑問を次々と浮かべる。

 

「おじいちゃん……」

 

 最後に思った。あの人が家族だったらよかったのに。

 

 

 

 

 

 宮永咲に残された打ち方はプラマイゼロで終わらせる、それだけだ。楽しくない。苦痛しかない。打てば打つほどに――になっていく。

 

 二人麻雀はできなくなった。大好きな麻雀はもうできない。

 

 楽しく麻雀ができればよかったはずなのに、今ではすっかりつまらなくて、苦痛だけしか得られないものとなった。

 

「馬鹿にしてるのか?」

 

 そのプラマイゼロさえ認めてもらえず、怒られて。

 

「咲、ちゃんと打て」

 

 それならばと、

 

「カン。ツモ」

 

 八つ当たりをするように、見せつけるように駄目と言われた打ち方をして勝利する。

 

「くそっ!」

 

 そうしてまた睨まれて。

 

(何なのもう)

 

 どうしろというのか。理不尽にも程がある。こんなの酷すぎる。本を読めと言われて読んだら怒鳴られるようなものだ。もう嫌だった。この人と麻雀をしたくない。

 

 タツとの麻雀ではこうならない。また打ちたい。これが本当の麻雀なんだ。楽しくて、嫌なことを忘れられる最高の時間があの人との麻雀にはある。

 

 逆につまらなくて、いいことを忘れてしまう麻雀がおじさんとの麻雀だ。

 

 それでも、希望は消えていない。

 

 照は認めてくれている。それさえあれば耐えられる。

 

 しかし、それを失う日が来た。

 

 正月。親戚が集まり、お年玉をかけた麻雀が行われた。咲は当然とられたくないので、プラマイゼロで終わらせるのだが。

 

「またふざけた打ち方を。そうやって人を馬鹿にして楽しいのか?」

 

「何の話だ?」

 

「咲ちゃんはプラマイゼロで終わらせる。勝ちも負けもしない打ち方をする」

 

 言われてみればそうだ。今日の麻雀で咲は全部プラマイゼロを叩き出している。偶然と言うにはあまりにも不自然で、故意にやったとしたら神がかり的なものだ。相当な実力差がなくてはできないことだ。

 

 みんなの咲を見る目が変わった。冷ややかで、白けたものになった。たくさんの目でそのように見られるというのは恐ろしく、どうしたらいいかわからなくて、泣きそうな顔になって下を見た。

 

 小さな体をより小さくした咲に誰かが言った。

 

「今度は本気で打つんだ。いいね?」

 

 咲に、その人はどう見えていたのか。

 

「はい」

 

 勝てば、今度はイカサマだとおじさんが言い出して。それはないと否定する人が半数、納得する人が半数。それでちょっと言い合いをしていたが、決して喧嘩腰ではなく、互いに冷静ではあった。

 

 咲は耐えた。

 

 この場の嫌なものを。

 

 自分の麻雀を見た人たちが討論している。

 

 否定と擁護。

 

 本人からすればどちらもやめてほしい。

 

 もう自分の麻雀について話さないでほしい。

 

 咲は照を探した。

 

 大人たちに隠れているようで、目に映らなかった。

 

 残念で、悲しいが、照が近くにいるということが大事なのだ。

 

 大好きな姉が認めてくれている。

 

 だから、耐えられた。

 

「照ちゃんはどうだい?」

 

 おじさんの問いに照は何と答えるのか。みんなの期待が照に集まる。咲は答えは聞くまでもないと、信じきった顔でいた。

 

「咲の麻雀は変なところがあるから、直した方がいいと思います」

 

 照は怒られないようにそう言った。

 

 以前は知らずにいたが、怒られるようになってからわかったことがあり、それは両親も怒られていたというものだ。照と同じように麻雀に関してで、その中でも咲の話題がほとんどだ。

 

 おじさんは咲のことをとことん気に入らない様子で、言いがかりともとれるレベルで文句を言ってくる。照には何で妹に勝てないんだと怒鳴る。そんなことを言われても咲は本当に強いのだから勝てなくても仕方がない。

 

 そんなのは知ったことではないと、叱る。テーブルをバンバンと叩いてくるおじさんが、照には恐怖そのもので、逆らうと余計に長引くので言い返さずにいた。

 

「お姉、ちゃん……」

 

「っ!!」

 

 心臓がドクンと大きく鼓動した。咲のいるところへ向かいつつ、照は震える口で名前を呼んだ。

 

「咲」

 

 見つけた時、咲は静かに泣いていた。

 

 照の言葉を聞いた時、魔物は咲に襲いかかった。その魔物の名は凍てついた絶望。それは宮永咲の心にあった希望を粉々に噛み砕いた。その瞬間咲は真っ暗闇の深い穴に落ちていく。はずだった。

 

 希望は咲の心にあったどす黒いものを出ないようにおさえていた。しかし、魔物によって噛み砕かれた今、おさえがなくなり、一気に溢れ出た。

 

 その瞳に妖光を宿して、咲は凍てついた絶望という魔物を従えた。魔物には理解できなかったろう。つい先ほど希望を砕かれた少女が、何事もなかったかのように振るまい、更には自身を踏みつけ、動けないようにしていたのだから。

 

 希望を失い、絶望した咲であったが、それを吹き飛ばすだけの強い怒りが支えとなり、前を見させた。

 

 咲は妖光を宿した目でおじさんを見る。こちらを見て楽しそうにしている。それがムカついた。イライラする。八つ当たりに何かを蹴るか、殴りたい。とにかくムカつく。

 

「私の麻雀の何が悪いの? ねえ、そういうのは勝ってから言ってよ」

 

 涙を拭って、自分でもびっくりするぐらい冷たい声で言った。場を静かにするには十分だった。少女らしからぬ恐ろしく冷たい声だった。言葉が出なくなるのも納得できる。

 

「勝ってから、ねえ。じゃあわからせてやろうか」

 

 咲の発言が気に食わないおじさんは勝負を挑んだ。一応強いことで有名なので、周りは咲の負けを予想していた。実際は咲の方が強いのだが、それを彼らは知らないのである。

 

 その卓には他に照とよく知らない人が入った。

 

「さ、咲」

 

「何?」

 

 ゾクッと背筋が凍る思いがした。目つきは鋭く、声は冷たくて低い。目の前にいるのは本当に咲なのかと疑問を持つ。がらりと変わった。まるで別人だ。

 

 その咲に見られていると、言葉が出なくなり、ふっと目を逸らした。今の咲に何を言えばいいのかわからない。変なことを言えば、その瞬間やられてしまう気がした。

 

(やばい……)

 

 何で自分がこの卓にいるのか、照には理解できなかった。おじさんは一人では勝てないから巻き込んだのだろう。勝てないなら挑むな、と文句の一つでも言ってやりたいが、そうしたらまた怒鳴り散らされる。それが嫌だから照は無言になる。

 

 いざ麻雀がはじまると、

 

「カン。ツモ!」

 

(なっ)

 

 宮永咲は一番最初の和了を決めた。

 

 照よりも速い。いくら咲でもこんなことはなかった。いつも照が最初の和了を決めており、咲もこんな風に一段階目から止めることはできていなかった。それなのに今回は違った。

 

 咲の瞳から妖光は消えていた。その代わりに鋭い光が宿っていた。今の咲なら一睨みで逆らう気力を奪えそうだ。照は咲の横顔を見て、そう感じた。睨まれる前から照は恐怖していた。

 

「ツモ」

 

 この場は完全に支配されていた。誰も咲には逆らえない。強すぎる怒りが力を与えていた。制御できないほどの強大な力となっていたが、この面子なら何も問題ない。

 

 三度目も和了は咲。

 

 四局目。神は咲に微笑みかけた。

 

「んなっ」

 

「まさか」

 

「ここで引くなんて」

 

 天和。倒して宣言すれば全てが決まる。

 

(そうじゃない。見せてやる)

 

 咲、天和を蹴る。それに後ろで見ていた人たちが驚きの声を上げた。信じられない、馬鹿げてる、といった声も今の咲には心地よかった。

 

 彼女が引く牌に無駄はなく。

 

 誰も予想しなかった形へと至り。

 

 彼女は自分の麻雀で勝利を掴む。

 

「それ、カン」

 

 照の捨て牌を鳴いた。そこから連続でカンが行われた。誰にも止めることはできない。見届けるしかなかった。カンの最果てにある幻の役満。

 

「ツモ! 四槓子」

 

 照は咲の恐ろしいプレッシャーを肌身で感じた。体が寒くて震える。希望など簡単に砕かれた。全てを圧倒するだけの力を咲は持っていた。その前では照の麻雀などお遊びに等しい。

 

「私より弱いんだからもう口出ししないで!」

 

 刺々しく、責める口調だ。相手に全部お前が間違っている、弱いんだから黙れ、遠回しにそれを伝えるようであった。おじさんを、咲は怒りと軽蔑の目で睨みつけた。

 

「いつも、いつも否定ばっかりして……。自分より強いのがそんなに気に食わないの? だから、だから!」

 

「咲、それ以上は」

 

 危ないと感じた照は止めようとした。負けたばかりで、しかも咲を嫌ってるおじさんが咲の言葉を聞いたらどんな行動に出るのかわかったもんじゃない。

 

 しかし、今の咲にとって照の制止などないに等しい。簡単に振り切って咲は大声で言った。

 

「プロになれなかったんだよ!!」

 

「貴様!」

 

 おじさんの動きを少しも見逃さなかったが、不幸なことに麻雀卓に阻まれて照は助けに入れなかった。というよりも間に合わなかった。

 

 宙を浮いていた。咲の背中が床に当たるのと、椅子が床にぶつかるのは同じタイミングだった。ガタン、と椅子が床にぶつかった音がやけにうるさく聞こえた。咲は右の頬が激しい痛みを発していることに気がついた。殴られた、それとも叩かれたのか。

 

 我慢して、我慢して麻雀を続けた。しかし、この家での麻雀は酷いもので、楽しくなかった。楽しかった記憶は全てどす黒い感情が塗り潰していく。それでいいと思った。家族麻雀なんて、二人麻雀なんて、下らない思い出なんかみんななくなってしまえばいい。

 

「嫌い……嫌い……嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い! お前らなんか大っ嫌い! 家族麻雀なんか大っ嫌い! 私が知ってる麻雀の中で一番つまらない!」

 

「咲!」

 

「触るな! 何がお姉ちゃんだ! お前なんか私のお姉ちゃんじゃない! お前たちなんか家族じゃない!」

 

 叫ぶ。感情のままに叫ぶ。感情のままに暴れる。咲はもう自分が何をしているのか全くわからなかった。わからないのが腹立たしくて物に八つ当たりして。八つ当たりをする自分に嫌悪して、八つ当たりに誰かを怒鳴って。また八つ当たりをした自分に嫌悪して。

 

「私を、私を……苦しめるしかできないお前らなんかいらない!」

 

 咲が抱えていたストレスは相当なものであった。小さな体に、いや幼い少女が持つに相応しくないものだ。それこそ自分を壊しかねないほどのもので、正直なところ、今までよく耐えたものだ。だが、それももう終わった。

 

 かつて大事にしたもの全てを彼女は捨てた。




終わりです。

もちろん過去の話はまだありますが、花と太陽はここで終わりとなります。

次は個人戦に移ります。

そういえば、感想って返信しないと粘着とか何やらになるようで、作者がそう判断したらですけど、それを知った私はこれからは返信しようと思いました。

何書けばいいかわからなくて、しないという駄目作者です。






 ある日の白糸台 。

咲「あれ、黒雷がない」

淡「ごめん。食べちゃった。代わりに白雷あげる」

咲「まあ、好きだからいいけど」

麻雀卓「次の日」

咲「あれ、紅茶がない」

淡「ごめん。飲んじゃった。代わりにこれどうぞ」

咲「まあ、コーヒーでもいいけど」

麻雀牌「次の日」

咲「ケーキがない?」

淡「ごめん。食べちゃった」

咲「淡ちゃん、あれはね。数量限定のケーキでね。かなりかなり早く並んでゲットしたんだよ。それを食べた? それは許されませんよ」

ブチン、と髪を結うゴムが弾け飛ぶ。ゴオッと擬音がしたと思えば、桜色のオーラを纏う咲たんがそこにはいた。

淡「えっ? オーラ? えええええ!?」

咲「これぐらい雀力を解放すれば簡単だよ。おじいちゃんもできてたし」

淡「おじいちゃんって誰? ていうか、咲は私に何をする気なの!」

菫「おっと、部室を間違えたようだ。はっはっは」

淡「カムバーック! スミレカムバーック!」

咲「大丈夫だよ、淡ちゃん。痛いのは気持ちよくなるから」

淡「ひいいいい……」

その日淡は学んだ。高いケーキは食べてはいけないと。

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