「二人麻雀?」
両親が用事で出かけている日曜日の昼過ぎ。照からの突然の提案に咲はんー? と首を傾げた。
「うん。それなら咲も好きに打てるからいいかなって」
「やるにしてもルールは?」
咲の反応は予想通りのものだった。二人麻雀をやるのははじめてだ。分からないことだらけでどうすればいいのやら。そういうことなので、自由に打てると言われても素直に喜べない。
「ルールだけど、二人だから使う牌は半分かな。チーはなし。ツモの点数は合わせたものを申告する。最初に300・500と言って、そのあとに1100とかね」
自動卓でやると山は四つできる。これはまあ当然の話だ。後は、チーなしを除けば通常通りだ。両者が十八巡に到達した時点でその局は終了となる。ポンなどが入ればまた色々と変わるが、まあ細かいことは置いておこう。ツモの点数も大雑把だが、難しくするよりもシンプルにした方がやりやすいのでこうした。
「ツモ。300・500は1100」
どちらにせよこの二人麻雀は照が、咲に麻雀を心置きなく楽しんでもらうために考えたもの。咲が楽しく打てていれば、自身も楽しんで打てる。難しいことは考えないでいい。
(やっぱりお姉ちゃん強いなあ……)
本気の麻雀を打てても照を簡単には止められない。それこそ咲が憧れ、尊敬し、追いかける照の姿だ。咲は嬉しそうに、楽しそうに二人麻雀を打つ。
――この時間がずっと続きますように。
咲はありふれていて、微笑ましくなるような願いを胸に宿した。その願いを照に言うことはしない。きっと照も同じ気持ちだと思うからだ。疑うことなんか欠片もしなかった。
この幸せな時間はなくならない、消えない、壊れない、失われない、手放さない。ずっとあるのだ。
「ツモ。1000オールは3000」
しかし、見ようとしないだけで、本当はすぐそこにいるのだ。ただ咲はそれに気づかないふりをして、この時間を楽しむ。
翌週の日曜日。本を買いに本屋へと向かっていた咲は後ろから声をかけられた。
「久しぶりだな、咲ちゃん」
「おじいちゃんだ!」
ばっと振り返り、そのまま飛びつきそうな様子を見せるぐらいに咲は再会を喜んでいた。頭を荒っぽく撫でられると、それだけでもう満足そうだ。
一日だけとはいえ、麻雀教室でとことん打った。それだけでタツのことが分かるわけではないが、新規募集の日に助っ人として呼ばれたことから、ある程度信用されているというのは分かるし、頼られているのも明らかだ。
と、そんな風に咲は考えておらず、単純に卓を囲み、会話をして大丈夫と判断したまでだ。後は咲本人が気づいていないだけで、周りの様子も見て判断を強めた。
うきうきする彼女に彼は聞いた。
「麻雀教室覚えてるか?」
「そりゃ忘れてないよ。あんなに楽しい麻雀久しぶりだったもん」
両手を広げ、上下に振って本当に楽しかったと伝える彼女に彼はよかったと笑い、嬉しい知らせを伝えた。
「咲ちゃんさえよければいつでも遊びにきてくれ。わしはいつでもいるから」
「本当!? なら行くよ!」
「待ってるぞ。そうだ、最近家の方はどうだ?」
「うん。悪くないよ。お姉ちゃんね、私のために二人麻雀考えてくれたし、凄く楽しいよ」
「そうか。それはよかった。じゃあ、わしはこれでな」
「うん。またね」
「またな」
最後に頭を軽く撫でて、彼は立ち去る。
「えへへ」
嬉しいことばかりだ。照との二人麻雀といい、タツの知らせといい。今までよくなかった日々が続いたお詫びとばかりにいいことが連続して起こっている。運が向いてきた、流れが来てるとはまさにこのこと。もうすぐで順風満帆となる。
少女は疑うことをしなかった。
次の週の土曜日。親戚のおじさんを交えての麻雀だ。明日は照と二人麻雀をする日だ。楽しみが控えているので別に何ともないし、昔のようにやたらとカンをするわけでもない。問題なく終わらせられる。
(この局はお姉ちゃんの和了で決まりかな)
最初の和了は1000点クラスなので、手の完成もはやい。何だったら役牌を鳴いてさっさと和了を目指せばいい。
カンができないから照のあがりは止められない。ましてや最初は安い手なので、止めるのが難しい。そのことを咲はよく知っている。毎日のように打っているので当たり前と言えば当たり前だ。
連続和了を軽々と決めていく姉のかっこいい姿が大好きだ。つけ入る隙はないと豪語できるほどのもので、照に比べたらまだまだ未熟なんだと思う。かっこいい姉のように強い麻雀を打てるようになる。それが咲の目標であり、望みである。
オーラス。咲は何とか三位。一位には親戚のおじさんがいる。この人が一位なのかと思う面はあるが、やはり過去にプロを目指していただけのことはある。照と咲の二人を相手にしても、一位にはよくなっている。三回か四回に一度だけ照は勝利する。
カンができる。もしカンをしてドラが乗れば一位になれる。カンなしの麻雀で、オーラスで逆転勝利を目指せるのは久しぶりだ。しかも暗カンなので、リーチをかけられる。幸いなことにフリテンにはならない。
「カン」
「!?」
(咲、どうして……)
それは誰のものだったのか。或いは家族みんなが咲の行動に疑問を抱いたのか。しかし、とうの本人は歯牙にもかけない。能力の弱さが幸いしてカンドラがもろ乗りした。ここまでついているとなれば、もはや麻雀の神に愛されていると勘違いするレベル。
「リーチ」
(待って。カンドラもろ乗りでリーチ……。カンドラは南だから最低跳満。咲、あなたは逆転をするために……)
咲の狙いに気づいた照は殴られたような衝撃を受けた。本当は、やろうと思えば嶺上開花で決めて逆転できた。嶺上開花は咲に与えられた特別な力だ。心の中ではそれで決めたいと思っているだろうに。家族のために気持ちをおさえ、打ってきた咲が勝つために動いた。
(これは間違いなく咲の……)
この瞬間照の手は死んだ。普段は相手のあがり牌をたまに当てる程度のものだが、今回は違っていて、直感で分かった。その牌を見たときに頭の中が透明になったというか、綺麗になったというか。これは咲のあがり牌、これだけが頭にあった。
照はオリた。振り込んで咲を勝たせることはできる。久しぶりの勝利を、それもカンをしない打ち方で掴もうとしている咲にあげたい。喜ぶ姿を見たい気持ちは強くあるが、そうして得た勝ちを咲は喜ばない。きっと泣いて怒る。それが分かっているから最低な真似はしなかった。
そして。
「ツモ。4000・8000」
咲は決めたのだ。流石に今回のカンは一位をとるためのものと分かるので、文句は出てこなかった。
(今のは凄かった)
嶺上開花を抜きで一位になった。その強運、引き寄せる力はとてつもなかった。全てが絶妙に絡み合い、手の出しようがない。まるで咲の気持ちに麻雀そのものが応えたかのようであった。
肝心の本人は奇妙な感じがしていた。乗ってほしくてカンをしたわけだが、実際に乗るというのは今回がはじめてで、おかしな感じがした。本当なら乗らないはずなのにどうしてか乗った。まるで未熟な一面を見せつけられた気がしてならない。今回の勝利は弱く、未熟故のもの。
それに気づいた咲は、一位になった喜びと興奮が一気に冷めていくのが分かった。
――こんな麻雀じゃ駄目。
少女はあの日の解放感を求める。
祝日。
咲は麻雀教室に来ていた。入り口の近くにタツはいた。彼は老眼鏡をかけていて、何やら分厚い本を読んでいた。小説だろうか。タイトルは読めない。文字が掠れている。
どういう本か気になる咲だが、それよりも麻雀を打ちたい気持ちの方が強い。
「おじいちゃん、来たよ」
「ん? おお、咲ちゃんか。よく来たな」
本を閉じると、バタンと大きな音を立てた。それだけでその本の重量が分かるというもの。咲は自分では持てないだろうなあ、と思った。
「そんじゃ、行くか」
「うん」
タツに手を引かれて卓へ。
卓についてから、咲は気づく。
ここの生徒じゃないのに卓を借りて、麻雀をしていいのだろうか。お金も払ってないのに図々しくないか。後でたくさん請求されたらどうしよう。一万とか二万とか来たら払えない。
一度考えたらなかなか追い払えない。不安が段々と強まっていき、ついには我慢できなくて聞いた。
「お金百円で足りる?」
「えっ?」
「えっ?」
「何の話?」
「ただじゃないんでしょ?」
「いやいや。子供からとらんよ。お金はいらないから安心してくれ」
不安がなくなり、安心したことで体から力が抜け、椅子の背もたれに体を預けた。ほふぅー、と気の抜けた息が口から出た。
麻雀を打ちに来た、これが頭からすっぽりと抜け落ちた。なので、咲は麻雀をしようよと言うことはなく、ボーとしていた。
「さ、麻雀をするぞ」
タツは大きな音がなるように強く手を叩いた。二度、三度。
「うわっ!」
死角からの攻撃とも言えるものに、咲は驚き、ビクンッと跳ねた。膝が卓を蹴った。無意識による膝蹴りの痛みは相当のもののようで、咲はたちまち泣きそうな顔になり、でも我慢するように口を一の字に固く結んでいた。
「うー……」
待つこと五分。唸り声、それとも抗議の声か。何とも可愛らしい声が聞こえてきた。見ると、ちょっとだけ目つきを鋭くして、タツを見上げている咲がいた。
されど、彼がその大きくて暖かい手で頭を撫でると、怒りを忘れて嬉しそうにした。単純である。
「麻雀する!」
「おお、やろうか」
気持ちよさのあまり、ついつい夢の国へと旅立とうとしていた咲だが、何とか踏ん張った。楽しい楽しい麻雀がはじまる。
勝てなくたっていい。本来の打ち方ができ、批判されない。これだけで不満や文句はない。心から満足して打てるというもの。びくびくと怯えて打たずに済むのは精神的に凄くいい。
「おじいちゃん強いー」
対局が終わった。咲が飛んでの終了だ。負けたのに悔しがらず、楽しげにする。にこにこと笑っている。しかし、例え悔しがらずにいようとも、次は勝つつもりでいる。
タツは本当に強い。派手な和了こそないが、塵も積もれば山となる、を実現するように点数を稼いでいる。だからか、気づくと点差が大きく開いている。この人に勝つには、数ヶ月、数年かかりそうだ。
(おじいちゃんの鳴き、全部意味ある)
素人のとにかく鳴いた、鳴けるから鳴いた、鳴いた方がいいかもしれないから、などというものではない。一つ一つの鳴きに明確な意図があり、また他者を上手く使い、最終的に彼が有利となっている。
分かっていてもどうにもならない。というか咲も上手く乗せられたりしている。例えば咲が最高のタイミングでタツから鳴いたとする。しかし、それはタツの思惑通りで、最後には彼が和了を決めている。
そんな彼はたまにこう口にする。わしは一流に限りなく近い二流だ、と。一流のプロになれず、しかし他の二流よりはずっと強く。
彼に勝てないなら一流にはなれないし、なっても活躍できない。誰かがそんなことを言い、その誰かはタツを一流に近い二流と言った。馬鹿にしたわけではない。本物の一流を見極めるポジションにいるのがタツであり、言い換えるとタツのおかげでレベルの高さを維持できるのだ。感謝はしても、馬鹿にはできない。
彼が咲より強いのは当然の話であり、咲が負け続けるのは必定だ。本当にどれだけの負けを積み重ねた後に勝利するのやら。
彼に、才能があり、十年に一人の逸材とまでされた咲もまだまだお子様。
負け続ける。どうやっても勝てない。どうすれば勝てるのか。いや、と咲は考えを変えた。勝つのは置いておこう。今は点差が広がらないように打つ。つまり少しでもいい勝負ができるようにする。
次の半荘がはじまる前にタツがアドバイスした。
「咲ちゃんはカン材が何処にあるか分かるんだよな?」
「うん」
「ふむ。……なら、それで和了とかできないか? 例えば四五六六六とかなら六はカン材で場所が分かるから一発ツモができそうだが」
「多分できるけど、やったことないから分かんない」
「じゃ、試してみるか」
「うん!」
新しいやり方を見つけることができた。
この日をきっかけに咲はここに通うようになる。生徒と言うわけではないのだが、タツが裏で色々と交渉しているので文句などは来ないし、秘密にできている。
そして、少女は恐ろしい速度で成長していく。
麻雀で賭け事をするのはどうなのだろうか。
麻雀教室に通ってから二ヶ月が過ぎた。
例のおじさんの一言からはじまった。姉妹により本気で麻雀を打ってもらうためのものだ。最初はお菓子など他愛もないものだったが、こういうものは段々とエスカレートしていく。気づけばお金を賭けていた。
「ツモ。1000・2000」
「くっ」
照は目を細めた。
咲が強い。前と明らかに違う。カンがなくても連続和了を当たり前のように止めてくる。今週は四回が最高だ。四回ではそんなに点数が稼げない。それに最高が四回というだけで、基本は二回か三回だ。
日曜日を迎えるのが怖い。
そんな不安を抱えて迎えた日曜日。
分かってはいた。前々からその気配を見せていた。だけどあまりにもはやすぎる。咲には自分以上の才能があって、いつかは超えるだろうと思っていた。その咲の才能が無駄にならないように、勝ち続けてきた。
それなのに現実は残酷だ。
勝てない。
二人麻雀なので咲は本気だ。手も足も出ないとまではいかないが、終わる頃には大体五千点ほど離されている。勝てそうで勝てない。
(こんなんじゃ駄目なのに)
全然姉らしくない。悔しいという気持ちもあるが、それ以上に情けない結果しか出せない自分がどうしようもなく嫌だった。ギリ、と歯軋りをした。自分に八つ当たりする感じだった。
弱くて情けない自分を見た咲は何を思っているのだろうか。自分自身に向けた怒りは途端に萎んでいき、今度は不安が膨らんでいった。
幻滅されたくない。咲が思う優れた姉でありたい。だから強くなきゃいけないのだ。
「もう一回」
道を誤る。
強くなった咲に勝つために打つ。今度は負けないために打つ。姉の威厳を保つために打つ。
「お姉ちゃん……」
咲の顔を見れなかった。どんな思いでそう口にしたのか考えたくなかった。怖かった。咲に冷めた目で見られていたらと思うと、顔を上げられない。
この二人麻雀の本当の意味は――。
この日は一度も勝てなかった。
ぐぐっと手牌に力を入れたせいで、真ん中辺りが前に押し出された。ガシャ、と牌と牌のぶつかる音がした。
何も言わないで自室に戻る。ボーと、やや不注意に歩いていた。咲がとんでもなく強くなっていた。物凄い速さで成長している。
負けたショックよりも、妹の相手になれていないことと強い姉の姿を保てなかったことがショックだった。こんなんじゃ駄目なのに。
咲が憧れている姉でないといけないのだ。だから一度も勝てないなんて、そんな情けないことはしてはならない。しかし、理解していても照は咲に勝てなかった。
ベッドの前に来ると、照は倒れるようにして横たわった。数分ほどそのままでいて、きゅっと弱々しくかけ布団を握った。
「うえ、ふぐうっ、えぐっ、ひっぐ……」
なるべく声を出さないようにして泣いた。泣くつもりは全くなかったが、今日の麻雀を思い出したら涙が溢れてきた。
姉としての見栄。自慢の姉でありたい。動揺。その思いが目の前にある簡単で、単純なものを見えなくさせた。照は自分が提案した二人麻雀の目的を見失った。
もしも、見失っていなかったら、きっとこの物語は生まれていなかったろう。
次、次で終わらせてみせる。
まだ幸せな咲さん。だけど、ちょっと危ない気配がしてます。
咲「淡ちゃんって、ほんと可愛いよね」
淡「さ、咲?」
何だかいつもと様子が違う。
若干興奮した様子で、咲は淡に顔を近づけた。さりげなく淡の左手を押さえるようにして握り、逃がさないようにしている。
咲「いつもいつも明るくて、お馬鹿さんだけど、食べたくなるぐらいに可愛いよ」
目があやしい気配を見せていた。艶然と笑ってこそいるが、それはいつもの笑顔ではなかった。そもそも目の前にいるのは本当に咲だろうか。淡がよく知る咲とは雰囲気があまりにも異なる。
頬をうっすらと赤く染めて、淡の首筋に唇を当てる。
淡「んっ」
咲「ふふっ」
咲の舌が首筋を撫でた。ぬるっとしていて、生暖かい。確かな刺激――はじめて知る――によって淡は声を発してしまった。それを聞いた咲はより笑みを深めた。今の咲を見ていると頭がくらくらする。
お酒を飲んだみたい、と少しでも理性を保とうとする淡はそんなことを思った。
今の咲は本当に危ない。見ているだけで抵抗する気がなくなり、体を動かせなくなる。
淡(もしかして、これが色気……なのかな)
淡「ふあっ」
咲の小さめで、柔らかい手が太ももの裏側を撫でた。細い指先が触れるか触れないかの強さで、肌の上を移動する。くすぐったい。そのせいで淡の口から高い声が溢れる。
咲「お楽しみはこれからだよ」
亦野「尭深ー、ご飯食べに行こう」
尭深「うん。すぐ行く」
執筆中のそれを隠して、尭深は部屋の外で待つ亦野と合流した。